第118話 閑話 ハードラック

 いよいよ数日後にはWBCが始まるというこの時期、ワクワクテカテカとキャンプ中ではあるが、NPBの選手たちも試合を楽しみにしていた。

 だがライガースには残念な報せが届いた。

 ピッチャーとして代表に選ばれていた琴山が、練習中に肩の痛みを訴え、沖縄のキャンプにも戻ってきて、ピッチング以外のメニューをすることになったからである。

 しかも他にもピッチャーがまた一人故障し、さらにはキャッチャーも一人故障した。

 キャッチャーは例年どこかしら痛めている、フェニックスの東である。


 フェニックスがこの数年最下位続きだった理由の一つには、この東の故障がある。

 東は大卒一年目から一軍で活躍し、ほぼ新人で正捕手の座を掴み取った、優れた選手であった。

 大学時代も国際大会や全国大会で優秀な成績を残し、次代のナンバーワンキャッチャーと呼ばれていた時期もあったのだ。

 しかし故障が、彼の飛躍を妨げた。


 腰痛による戦線離脱。

 だが復帰すると、途中の離脱期間がなかったかのように、優れたパフォーマンスを発揮する。

 それが惜しいだけに、余計にフェニックスは他の正捕手を据えられなかったと言うべきか。

 東にしても一年ほど抜けてでも、完全に治してから復帰した方が、長期的に見ればいいと思うのだ。

 しかしキャッチャーというのは、一番確保が難しいポジションである。

 ピッチャーとはスムーズにコミュニケーションを取らなければいけないため、外国人選手で埋めることは難しい。

 FA市場に出たとしても、かなり高額の買い物になったりする。

 先発ローテも、クローザーも四番も、どれもどうにか外国人で埋められるが、それが一番難しいのがキャッチャーだ。


 そしてその代わりとして代表に入ったのが、大学生の樋口である。

 確かに先日の壮行試合では、圧倒的なパフォーマンスを見せた。

 直史とバッテリーを組んで、事実上のパーフェクトに日本代表を抑え込んでしまったのだ。

 キャッチングの技術はもちろん、バッターとしても非凡なものを持っている。

 確かに力量だけなら、分からないでもない。


「でもこれで、キャッチャーはあの変態と酒乱と大学生だぞ」

 ライガースの誰かが言って、宿舎が静まり返る。

 北海道ウォリアーズの正捕手山下は、今年27歳になる、確実に若手ナンバーワンのキャッチャーである。

 だが変態として知られている。

 そしてベテラン、福岡コンコルズから出場している二ノ宮は、朝まで酒を飲んで二日酔いにもならず、その日のナイターには酒臭い息を吐きつつ、ホームランを打ってしまうような選手だ。

 ……正直同じベテランなら、爆発力には劣っていても、堅実さでは最高クラスの、埼玉の河原あたりを選ぶべきではなかったろうか。

 変態と酒乱と、そしてここにいる者は知らないが、鬼畜メガネ。

 キャッチャーの個性が強すぎる。いや、山下は露出癖以外はまともであるし、二ノ宮も酔っ払っても判断力は落ちないのだが。

 本当に、そんな陣容で大丈夫か?


 ちなみにもう一人のピッチャーが外れた後には、神奈川の峠が入った。

 一年目から鬼のようにホールドポイントを稼ぎ、怪我から復帰して去年はクローザーとして、上杉以外で神奈川が勝つための、大切なパーツの一つであった。

 しかし神奈川はピッチャーを三人も出しているのか。

 上杉はともかく他の二人は、シーズンに影響が残るのではなかろうか。




 琴山としても不本意である。

 故障と言っても痛みがあった肩は、単なる炎症である。

 確かに昨シーズン、先発ローテとしてはライガースで最も多くを投げたのだが、オフではしっかりと休み、一年間の疲労を抜いたものだ。

 あるいはそれが逆に悪かったのか。

 WBCに間に合わせようと仕上げたのだが、それが急すぎたのだろう。


「二人も抜けたなら俺を呼んでくれよ」

 それが真田の本音であったが、佐藤の次男が呼ばれなかっただけマシかもしれない。

「どうせお前は最後の40人にも選ばれてないんだから、選ばれるはずもないだろ」

 そう言ったのは選抜の過程を知っているコーチの島本であったが、それならば余計におかしいではないか。

「佐藤と樋口なんて、そもそもリストにもなかったでしょうに」

「そう言えばそうだな」


 WBCの特徴の一つに、メンバーの入れ替え枠というのがある。

 リーグの総当たり戦と決勝トーナメントの間に、ピッチャーだけは二人を入れ替えることが出来るのだ。

 ただし一度入れ替わってしまったら、もちろんそのピッチャーは戻れない。

 もちろんこの入れ替えも、予備人員のリストから選ばれるわけである。


 正しく確認してみると、故障を理由とした選手の交代は、この40人枠以外を使ってもいいとのことであった。

 もちろんいったん離脱した選手が、復帰することは出来ない。

 この追加ルールを使っての召集だったわけである。

「大学生は優勝しても、賞金もらえないんだがなあ」

 学生野球憲章により、プレイなどへの金品の報酬を受けることは出来ない。

 もちろん自腹で出場などということはないが、名誉以外は何も手に入らないものである。


 ただ、単にプロになるだけだったら、高卒の時点で普通に指名されただろう直史である。

 プロには進まないと明言している直史は、一年生の時には日米野球にも選ばれていない。

 まあ、あちらは怪我の影響があったからとも言われているが。

「佐藤はなんてーか、自分の基準で生きてるやつだって感じがしたな」

 ライガースの中で直史のことを一番良く知っているのは、大介を除けば大原であろう。

 千葉県はあれで案外層が厚いので、白富東がいなくても、栄泉が甲子園に行けた可能性は低い。

 ただ直史のピッチングに、不思議なものを感じていたのは確かだ。


 勝利至上主義。

 試合に勝つためなら甲子園で、平気で敬遠も出来るピッチャーだった。

 もちろんピッチャーに必要な、負けず嫌いなところはあったのだろうが、そんな感情と上手く付き合っている人間だったと思う。

 甲子園で伝説を二回も残し、大学では現在進行形の伝説を作っているが、果たしてプロでもトップクラスの選手相手ならどうなのか。

 あっさりとノーヒットノーランと言うか、完全試合よりもひどいことを達成した。


 おそらく短期決戦のトーナメントなら、高校時代に慣れているあの怪物の方が、下手に負けるのにも慣れているプロよりも、適しているのだろう。

 プロのピッチャーというのは、どれほど優れたピッチャーであってもその生涯には、勝ち星よりも負け星が多くなるシーズンが必ずある。

 二桁勝利を続けていたピッチャーが、急に負け続けたりもする。

 たとえばタイタンズの加納のように、大介の洗礼を最初に浴びて、一気に成績を落とした例もある。

 プロであり続けることは、安定していることも重要だが、それ以上に不調の時期を乗り切れる精神力が必要なのだ。

 そのためにはある程度は楽観主義になり、下手に敗北を引きずらずに次に進む精神性が必要だ。

 高校野球では公式戦のトーナメントで敗北するのは、せいぜい年に三度。

 それに対してプロでは、どんどんと次の試合がやってくる。


 佐藤直史は化け物なのだろうが、大学野球を見てみても、負けることには慣れていない。

 自分の責任で負けている試合がないし、高校時代にまで遡ってみても、味方のエラーやリリーフ失敗などが原因であって、完全に自責点での敗北は、大阪光陰相手にただ一度である。

 一年の夏からそんな感じなので、中学生時代に未勝利などと聞くと、どんだけ味方が無能だったのかという話になる。

 周囲の戦力がある程度高くなった高校二年生の春からは、一度も負けていない。

 上杉にも奪三振の神話があるが、直史にも不敗神話がある。

 野球という、勝率がある程度落ち着くスポーツであるのに、そこまでもの結果を残せるのは、能力がチートですらなくバグなのだ。




 真田の場合は、去年わずかに一敗したした試合が、上杉との投げ合いであった。

 高校時代に上級生たちが、まるで怪談のように語っていた上杉勝也。

 その力を目の前で見せられたわけであるが、あれはいったいなんなのか。

 ピッチャーに逆転ホームランなどを打たれているわけだが、そもそも上杉は甲子園でのホームラン数が、歴代三位の選手であるのだ。

 本人がその気になれば、ピッチャーをやっていない時は、別のポジションで打席に立った方がいいのではないか。

 ピッチャーが毎年五本はホームランを打っているというのは、間違いなくこれもバグっている。


 日本代表で、あの化け物投手たちと一緒に、世界を相手にプレイする。

 シニア時代は確かに世界一になったが、アメリカなどの野球が本当に強くなるのは大学以降の年代だ。

 成長期の肉体への影響を、アメリカなどは本当に慎重に考える。

 もっとも貧しい家庭からプロスポーツの世界に入る人間は、そんな配慮を必要としない、無茶な肉体のスペックを誇っている人間もいるが。

「まあWBCが終わっても、またプレミアもあるし、オリンピックだって場所によっては野球も入るだろうから、いくらでも機会はあるだろう」

 島本はそう言ってくれるのだが、オールスターで同じチームになることは毎年ありえるのだ。


 日本代表。

 アジア杯では優勝したが、高校一年生の夏に盛り上がった、あのワールドカップ。

 大介が打ちまくって日本の小さな巨人などと言われたが、あのメンバーにだったら一年生の自分が入っても良かったではないかとも思う。

 ほんの一歩ずつ、色々なところで真田は足りない。

 運命がわずかずつ、ずれているように感じる。

 日本シリーズ以上の舞台を、経験できるのだろうか。


 昨今の日本の優れたピッチャーは、すぐにMLBに行ったりする。

 真田としても将来の選択肢としては、確かに入れていた、

 だがまず満足なルーキーシーズンを終えたわけであるが、不安は残った。

 甲子園で15回を投げぬいたので、まさかそうとは思っていなかったのだが、自分はひょっとしてあまり頑丈ではないのではないかということだ。

 MLBとNPBの違いは何かとは、色々と言われる。

 パワーが違うと言うし、いやテクニックも実は違うなどとも言われるが、単純に肉体のスペックが違う。

 年間160試合を日本のシリーズよりも短い期間で終えてしまって、そこからプレイオフに入る。

 耐久力が日本とは違う。

 もっとも一流選手でも、シーズン中にある程度は休むのが普通ではある。


 ピッチャーの球数制限は厳密に定められており、ローテーションが変更されることはあまりない。

 ただ日本では基本的に中六日で回しているローテが、MLBだと中四日から中五日が普通になる。

 この期間で回復し、また先発として投げなければいけないのだ。


 真田はスライダーやカーブ、あと最近は使わないがシンカーなど、変化球にも優れたピッチャーだ。

 だがそれでも、本質的にはパワーピッチャーなのである。

 状況に応じて抜いて投げて、ペース配分を考える余裕はまだない。

 それが可能になって、シーズンのローテーションを完全に回せることになったら、その時こそMLBへの挑戦も考えるべきだろう。

 



 肩の痛みを訴えた琴山は、軽いランニングを主体とした、調整のメニューをこなしていた。

 WBCが始まると、キャンプの人間も予定を切り上げて、日本の試合などを見たりもする。

 やはりMLBが実権を握っているのではない、本物の世界大会が必要だ。

 アメリカは確かに強いが、それでも国内の選手の一線級はあまり出していない。

 これはアメリカの一線級の平均年齢が、上がってきていることも関係しているのだろう。


 考えてみれば今アメリカにいる日本人メジャーリーガーは、ほとんどが30歳以上となっている。

 あとはメジャーリーガーであっても国籍がアメリカでなければ、それなりに一線級のメジャーリーガーも参加していたりする。

 やはり故郷に錦を飾りたいという心理は、世界共通のことなのだろうか。

 日本の場合はピッチャーでMLBに所属しているのと、やはりNPBで活躍してから向こうに行くので、年齢が高めになっているということもある。

 本場のメジャーリーガーは、貧しい国から野球で成り上がるために、若くからプレイしていることが多い。

 そのため20代の半ばあたりから、代表として参加しているわけだ。


 日本で放送されているため、当然ながら日本の解説なのであるが、あちらの解説を日本語訳したものもある。

 その中ではセイバー・メトリクス的に、様々な数字で日本のピッチャーを紹介しているものもあった。

 もちろん直史はプロではないので、大学と高校時代の成績がピックアップされる。

 統計的に見ると直史は、上杉以上の化け物になってくる。

 特に大学に入ってからのリーグ戦やトーナメントが圧巻だ。


 リーグ戦には22試合に登板。

 そのうち先発したのが13試合で、12勝0敗。

 完全試合を達成したのが五回で、ノーヒットノーランが二回。防御率が0だ。

 もう一度言う。防御率が0だ。

 自責点が0でそれだけ投げているというのは、改めて聞かされるとおかしすぎる。

 148イニングを投げて、自責点が0で、失点もわずかに一。

 紹介している向こうのアナウンサーがゲラゲラと笑っていて、翻訳の声が冷静なのが笑える。

 それに22試合で20個しか四死球がないのであるが、その内の16個が一試合の中で投げられたものだ。

 16個も四死球を投げておいて、ノーヒットノーランを達成しているところなど、本当に頭がおかしくなる。


 あの男には、野球の18.44mが、どういうように見えているのだろう。

 高校時代にはバッターとしても、とにかくどうにか一点を取ることを目的として思考していた。

 だが結局、真田は盟友後藤や毛利と協力しても、一点も取ることが出来なかった。


 何か、おそらく普通の人間とは、見えている景色が違うのだ。

 その領域まで達すれば、おそらく自分もさらに上のレベルにいける。

 プロに入って、既にトップレベルの成績を残した一年目。

 しかしさらに上を目指す貪欲さが、真田にはある。


×××


 ※ エース4.5の開始時期に関しては、近況ノートをお読みください。

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