第265話 キャッチャーの苦悩
大介に打たれたのは、結果的に見れば良かったのかもしれない。
やらかす男である武史が、やらかさないようになってきた。
二打席目の大介に対しては、アウトローを攻めて歩かせてしまった。
だが打とうと思えば打てる大介が、そこは見送ったのだ。
武史のレベルのストレートだと、さすがに外のボール球には手が出ないらしい。
そして他のバッターも、要注意なのは西郷ぐらいか。
普段なら粘りのバッティングの毛利も、攻撃的二番の大江も、一発の怖いグラントも、六番のくせによく打つ黒田も、あっさりと始末していく。
一回に先制のホームランを打たれた後、すぐに逆転したのが良かったのだろう。
試合はレックス有利に働き、点差がさらに広がっていく。
三打席目の大介は、第一打席と同じインハイのストレートを空振り三振。
四打席目は外野フライと、この試合唯一の得点を叩き出したと言っても、三打数一安打であった。
その一安打がホームランであるところが、まさに大介なところではあるのだが。
勝つには勝ったが、レックスとしては安心できない勝利である。
そして二戦目の先発に誰を投げさせるか。
「金原でしょう」
樋口はここで、二戦目も勝ちに行く。
「ライガースの投手陣を見るに、おそらくは第二戦はキッドか村上、山倉あたりが投げてくると思います」
「山田だとまだ中三日か」
それは厳しいだろうなと、首脳陣も分かっている。
ライガースのピッチャーの中で、特に全力で勝ちにいくのは、真田と山田の二枚である。
今年は真田が13勝でライガース最多勝であったが、続くのは山田と大原の12勝。
ただし大原はイニングを重ねて、その中でいいタイミングで、リリーフを使うという傾向にあった。
防御率を考えれば、おそらくキッドを使ってくる。
キッドと金原を比べれば、おおよそ金原に分がある。
ただしピッチャーとしては上回っていても、それを援護する打線は、ライガースの方が強力だ。
単純にスラッガーを揃えているのではなく、打順に応じて使える選手がいる。
守備力重視の二遊間やセンターは、大介がショートにいるというだけで贅沢すぎる。
レックスも打てるショートである緒方がいるのだが、さすがに年間30本は打てない。
ただレックスには打てるキャッチャーがいるが、ライガースのキャッチャーはあまり打力は期待できないので、その点では優っているか。
とにかくライガースとの対決は、大介をどう封じるかにつきる。
単純に歩かせてしまうだけだと、その後の西郷が怖い。
今年も三割と40本を達成している西郷は、全球団を見ても二番手か三番手のスラッガーであろう。
そんな二人が同じチームなのだから、ライガースの得点力はえげつないことになっているのである。
神宮での第二戦、ライガースはキッドを登板させた。
今年は24試合に先発し9勝7敗。
完全にローテを守って、貯金も作ってくれている。
先発した試合は、キッド自身には勝ち星がつかなくても15勝9敗。
つまり同点か少ない得失点差で、しっかりとリリーフ陣につなげているのだ。
レックスの先発は金原。
今年こそ武史がおかしな記録を作ってしまっているが、去年はレックスの勝ち頭で、16勝もしていた。
今年だって15勝しており、つまるところ武史がおかしな数字で勝ち星を積んだために、レックスは優勝出来たとも言える。
ピッチャーとしての素質は、吉村と同じぐらいであったろうか。
ただ吉村は怪我がちなため、今では金原の方が評価は高くなっている。
そんな吉村も20先発ほどして二桁は勝利しているので、このシリーズでも出番はあるはずだ。
レックスとライガースの対決は、ピッチャーとバッターの対決とも言えるのかもしれない。
ただライガースは確かに圧倒的な打撃力を誇るが、レックスも平均よりは上の得点力を持っている。
また今年のピッチャーの成績を見れば、確かにレックスの方が優れている。
だがライガースもまた二桁勝利の投手が多く、リリーフ陣が踏ん張って勝ちを拾うことが多い。
先発についてはレックスは、全く問題がない。
ただリリーフはやや弱いし、クローザーを若手の鴨池が担当しているところは、やや弱いと言えるだろう。
金原は馬力のある選手なので、完投勝利も目指せる。
ライガースの強力打線相手にも、負けないだけの強さがある。
そしてレックスの打線がどれだけキッドから点を取れるかが、第二戦のポイントになるのではないか。
もはや様式美のような、一回の表、ツーアウトからの大介のソロホームラン。
もっと慎重に勝負しろと、バックネット裏から樋口に野次が飛んできそうである。
だが樋口としては、これでいいのだ。
金原はクライマックスシリーズのファイナルステージなど、これが初めての経験である。
下手にイケイケにならないよう、冷水をぶっ掛ける。
その役割を大介に求めたのだ。武史とは違う意味の、被本塁打である。
金原はここから慎重になった。
大介以外にも、ホームランの打てるバッターがそろっているのがライガースである。
西郷を歩かせてしまったものの、続くグラントを三振。
最少失点で、自軍の攻撃へと持ってくる。
それが出来たのだから、まずはよしとすべきだ。
ベンチに戻ってきた金原は、どっかりと座り込む。
「最上段まで飛ばされるって……」
ホームランはホームランであるが、その飛距離によるショックが大きい。
「アウトローを狙われてた感じだな」
樋口もまさかあそこまで飛ばされるとは思わなかった。
西郷は歩かせたと言うよりも、コントロールが定まらなかったのだ。
カウントが悪くなってからは歩かせたが、次のグラントには切り替えていけたのは大きい。
「まあこちらもどれだけ点を取れるかが、今日の勝負になりそうだけどな」
樋口としてはまずバッティングで活路を見出さなければいけない。
キッドは序盤は安定したピッチャーであるが、それでもピッチャーにとって立ち上がりは難しい。
毎日変化する自分の状態を、どうアジャストしていくかが、立ち上がりには求められる。
ブルペンでは良かったのに、マウンドでは少しおかしい。
そんなピッチャーはいくらでもいるし、それを安定させていくのは、ピッチャーの生涯の課題である。
西片が球を選んで、緒方が進塁打。
ランナー二塁で樋口であるが、負けている試合での樋口は、逆転弾を放つことが多い。
困った時のアウトローを、樋口は狙い打った。
ライト前のヒットで、西片は三塁でストップ。
ワンナウト一三塁は、かなり得点に結びつく可能性が高い。
ましてバッターボックスに立つのは、四番の浅野である。
レックスは浅野や樋口の他にも、強打者よりは好打者というバッターの方が多いだろう。
浅野にしても四番でありながら、年間に10個以上の盗塁を決めている。
ただここで求められるのは、三振と内野フライ以外である。
ケースバッティングをしっかりして、打点を重ねていく。
それが四番の仕事だろう。
外野フライでタッチアップで一点。
とりあえず先制されたレックスは、すぐにその裏追いついたのである。
シーソーゲームになってきたが、流れはおおよそレックスの方にあるか。
だがこの投げれを一発で変えてしまうのが、ホームランというものである。
大介の打席が回ってくると、球場の期待も高まる。
本距離神宮が舞台で、本当に良かったと思う樋口だ。
甲子園の大声援は、応援にもプレッシャーにもなるが、大介にとってはガソリンのようなものだ。
関東のライガースファンが大挙して押し寄せてきているが、それでも球場の応援はレックスが有利。
樋口は論理派ではあるが、こういった球場の雰囲気が、選手に与える影響はあると思う。
スライダーを振った大介が三振。
珍しいことであるが、あれは大介にとっては苦手なタイプの球種なのだ。
(わざとか?)
ランナーがいなかったので、ソロホームランにしかならない。
あるいは次の打席を想定して、軌道をしっかりと確認したのか。
どのみち状況を見て、大介は敬遠するしかないかもしれない。
そういう時、金原が歩かせることを嫌がらないピッチャーであるのは救いだ。
もっとも内心ではかなり不本意であるそうだが。
だが無策に大介に挑むことは、勇気ではない。
レックス一点リードのまま、またもランナーなしで大介。
一点を取っても、まだおそらくこの試合は決まらない。
(ノーアウトか)
樋口はこの状況から、大介のパターンを思い出す。
(一発狙いよりも、塁に出て引っ掻き回すか)
ほどほどに点は取られているが、崩れるほどではない両者の先発。
こういう状態ならば、大介はランナーとして足を使ってくる可能性が高い。
だからといって無策に勝負すれば、そのまま打たれるだけである。
ならばどうするか。
(こうだな)
アウトローとインロー、とにかく低め。
それから内角を攻める。
ツーツーと並行カウントにしてから、アウトローへとストレート。
大介のバットなら届くだろうが、わずかに外れている。
グラウンド内にボールを打てば、野手にキャッチされる可能性がある。
しかしフォアボールならば、それはない。
見送った大介であるが、その失敗に気づく。
外からミットをかぶせたようにした樋口のキャッチングは、ストライクと判断されてもおかしくないコースに見せた。
金原のボールはそもそも速いので、審判もミットの位置で判断することが多い。
「ットライ! ッターアウッ!」
見逃し三振で、さすがに苦笑する大介であった。
脳が汗をかくほどにリードに苦心する樋口は、バッティングの方はお休みして、塁に出ることを優先した。
最終回には6-3と、そこそこの安全圏へと点差を広げていた。
大介の四打席目は歩かせて、それで正解であった。
結局は三打数の一安打ながら、その一本がホームラン。
第一戦も一本の安打がホームランだったのだから、本当に恐ろしいバッターである。
五打席目はない。
ライガースは代打でも打てる選手を飼っているが、それでも上手くあしらっていく。
代打の選手というのは、ポジションが被っていない限りは、スタメンよりも打力は低いはずなのだ。
あるいは守備が致命的であるか。
樋口は今のライガースの選手のデータは、二軍の数人までもしっかりと記憶してある。
その情報分析に従って、クローザーへもサインを送る。
最後は内野ゴロでスリーアウトと、無難な点差で勝利した。
ただ樋口としては、金原でさえも相当に考えなければ、大介は簡単に打ってくるのが分かった。
アドバンテージの一勝を加えて、これで三勝である。あと一つ勝てば、日本シリーズに進める。
(遠いなあ)
試合の終了と共に、次の試合のことを考え始める樋口であった。
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