第207話 泥に塗れて

 タイタンズの加納と言えば、上杉がプロ入りする前までは球界ナンバーワンとも言われた投手であり、沢村賞を二回も取っていた。

 そして上杉以降も球界で五指に入ると言われていて、上杉さえいなければ、と言われた悲劇の選手の一人である。

 もっともこの時代は上杉と白石の時代で、徹底的にセ・リーグは投打にタイトル不遇の時代が続いたのだが。

 あまりにもひどいので、セでは各タイトルの二位に優秀選手賞が与えられるようになるのが、この年からである。


 今年で35歳になる加納は、年齢による衰えも多少はあるのだろうが、大介との対決から勝てないようになってきた。

 白石大介が、プロの開幕戦で初めてのホームランを打った相手とも、記憶されていたりする。

 だがそれでも、既に勝利数は140勝を超えていて、大卒の選手としては充分以上の一流選手であったと言えるだろう。

 この四年は、年々勝ち星が減っていく年であった。

 各種数値は悪くなっていないのに、試合の大切な場面で、どうしても強いボールで勝負出来なくなった。

 ある意味では、大介によるイップスである。


 そんな加納であるが、今年はようやく復活したと言うべきか。

 これまでもちゃんとローテは守り、負け星が大きく先行することはなかった。

 今年は終盤、優勝争いをするころから、ようやく大介の呪縛が解けたらしい。


 本当ならばあの年のオフ、ポスティングも考えていた。

 翌年には海外FA権が発生していた。

 だがその時には、上杉以外にも柳本や東条といったあたりに、真田までもが登場して、加納の価値はすっかり低下してしまっていたのだ。


 それでもタイタンズ首脳陣は、加納の本来の実力自体を疑うことはなかった。

 クライマックスシリーズも日本シリーズも、必ず加納の出番はある。

 そして実際に、因縁のあるライガース相手に、三戦目の先発ピッチャーとして持ってきた。

 相手は今年、ライガースの勝ち頭であった大原。

 だが勝ち星と勝率以外を見れば、ほとんどの数値で加納の方が上を行くのである。

 投げたイニング数だけは、加納はおろかリーグでも二位となるのだが。



 

 大原というピッチャーは、シーズンの中で先発ローテーションの中で使うピッチャーであって、プレイオフの短期決戦で使うには、リスクの高いピッチャーである。

 三振もかなり奪えるが、ホームランも普通に打たれるし、防御率が突出していいわけではない。

 だがクオリティスタートという点で見ると、かなりいいものであるのだ。

 負ける時はかなり負けるが、だいたい六回まで二点ほどに抑えて、そこから打線の援護もあって勝つ。

 シーズン序盤のリリーフ陣が崩壊していた中で、最後まで完投する馬力があったのが、大原が勝ち星を増やしていた理由である。

 ちなみに投げた25登板で、大原に勝ち星がつかなかった試合で、チームとしての勝敗はどうだったか。

 19勝4敗1分という感じで、明らかに大原には勝ち星がつきやすくなっていた。一つは引き分けである。


 そんな大原の、シーズン中における信頼度はかなり高かった。

 だがプレイオフにおける短期決戦の、試合の支配力となればどうなのか。

 防御率で言うならば、大原は三番手以下になる。

 だがそれは九回を投げる前提で使われていて、終盤にはそれなりに相手のバッターの目が慣れるからだ。

 試合の途中まででいいなら、どういう結果になるか。

 それはやってみないと分からない。


 各種数値では大原に優る加納だが、ライガースの打線を相手にどういう結果が出るか。

 少なくとも今年の対戦成績は、中盤ぐらいまでは良かった。

 終盤はライガースの数字全体が、打撃面でも上がった。

 なのでその時には、自然と対戦成績も悪くなっている。


 大原の特徴としては、スロースターターということが挙げられる。

 初回と二回の失点がやや多く、そこからは安定してくる。

 なので序盤を抜けたら、最後まで完投出来る可能性が高まる。

 シーズン中は負けるにしても、後半が安定していたので、そのまま投げさせていた。

 そしたら打線が追いついて勝つか、少なくともリリーフにまで回してくれた。


 


 一番からパンチ力のある打線は、大原を捉えた。

 大介の外れ一位指名でタイタンズに入った井口であるが、今年は39本のホームランを打っている。

 外国人を合わせてもリーグで五位と、完全にスラッガーとして覚醒しているだろう。

 その井口が三番に入り、先制のツーランホームランを打ったのである。


 一年目は選手層から、一軍で出場することは少なかった井口。

 それでも下位打線ではホームランを七本も打った。

 途中で研究されて打てなくなったが、二軍に落ちてからすぐにホームランを量産。

 二年目からは完全に主力として働いている。


 続く四番には平凡な外野フライとなったが、いきなり二点である。

 完投する馬力はあるが、完封する破壊力はない。

 それをまさに証明する、試合の始まりであった。




 ライガース監督の島野は、かなり内心であせっている。

 比較的小柄な体を丸めて、自分と相手のベンチの気配の差を探る。

 味方ながらライガースのベンチの雰囲気は悪い。

 だが萎縮もせず戦意を失ってもいない者もいるのだ。


 大介が意外な話をしだす。

「日本シリーズに進めないと、それだけチケット収入が増えないんだよな」

 当たり前のことである。

「つまり年俸を抑える理由になる」

 大介、それ以上はあかん。


 チームの成績の悪さを理由に、年俸を上げない球団がある。

 だがチームの成績を上げるのは、監督の仕事でありフロントの仕事だ。

 選手はそんな声は一切なく、年俸交渉は自分の成績でするべきだ。

 だが現実問題、日本シリーズで入るはずの金が少なければ、選手に払える金も少ないのは当たり前だ。


 日本シリーズの甲子園チケットは、一番安くても3000円を超えるのが現在である。

 それが分かりやすく五万人いたとしたら、一試合で一億以上の収入となる。

 日本シリーズは最低でも二試合を自軍の球場で行われる。

 ならば最低でも三億ほどの収入になるのだ。


 ここから人件費や施設の費用などを引いたとしても、逆にグッズ販売や飲食店の販売で、収入は増える。

 二億をどれだけの人数で割るかにもよるが、100万程度は変わっていくだろう。

 これがさらに試合がもつれれば、それだけ収入は増える。

 さらにいうならこのクライマックスシリーズにしても、甲子園で行っているため収入は増えるのだ。

 たとえ日本シリーズに進出出来なくても、試合を六戦目までつなげることで、チケット収入はさらに増える。

 また放映権においても、なんらかの金銭は発生するだろう。




 ライガースの選手は、この三年で優勝に慣れすぎた。

 だがたとえペナントを優勝しても、日本シリーズに進めなければ、本当の優勝とは言えない。

 そしてリーグ優勝と日本一では、その価値に格段の差がある。

「グラゼニ、つかみに行くぜ!」

「「「応!」」」

「大介、ネクストやぞ」

「あ、はい」

 士気は妙に高まったが、それだけで勝てるのがクライマックスシリーズではない。

 この一回の裏も、大介は敬遠気味にフォアボールで出塁したが、後ろが打てなくて無得点。

 なんだか嫌な予感がする島野である。


 タイタンズの加納には、下手なプライドなどは残っていない。

 メジャーに挑戦するというつもりも失せていた。だが変なプライドや向上心がないからこそ、今の地位には必死でしがみつく。

 タイタンズのローテを守るということ。

 それは最低でも一億の年俸にはなってくる。


 わずかずつではあるが、減少していた年俸を、また上げていく。

 この年齢からでは難しいかもしれないが、今年の成績は上がっているし、何よりも投げているボールの各種分析が、向上しているのだ。

 生来のスピードと、ストレートの回転。

 これに多くの変化球を混ぜていって、もう一度勝てる投手になっていく。


 年齢を重ねるということは、衰えていくばかりではない。

 経験を積んでいくし、図太くもなるし、狡猾にもなる。

 与えられるチャンスは少なく、また落ち込んでいるときも、自分でどうにかする手段を持っている。

 加納にしては、大介を歩かせても、意地でも勝つという意識がある。


 ペナントを制したライガースは、一勝のアドバンテージがあるのだ。

 六つの試合のうちの四つを勝つのは、大変なことだ。

 ここまで二連勝しても、実際には二勝一敗なのである。

 それはリーグ戦を制したことへの、ご褒美だと考えてもおかしくはない。

 ただタイタンズが思うのは、スターズと戦うよりは楽、というものである。




 スターズの上杉は、現在のNPBにおいて最も、支配的なピッチャーである。

 その剛腕によって多くのスラッガーを薙ぎ倒し、シーズン中の勝率はおおよそ90%にもなる。

 その上杉に勝って、二連勝でファイナルステージに出られた。

 上杉に比べれば他のどのピッチャーも、たいしたものではない。


 タイタンズのピッチャーは、それに加えてライガースのピッチャーに思う。

 あれだけ援護してくれる打線があれば、それは勝てるだろうと。

 もちろんタイタンズの得点力もかなりの平均値であるのだが、ライガースは大介がとにかく打ってくれるのだ。

 そして大介を敬遠しても、続く金剛寺と西郷が打つ。

 それがシーズン中のライガースであったが、プレイオフでは金剛寺が封じられる場面が多いのだ。


 シングルヒットであれば、ピッチャーの勝ち。

 それぐらいのつもりで投げなければ、大介を封じることは出来ない。

 アウトカウントがある状態からなら、大介は塁に出してもどうにか失点を防ぐ方法はある。

 加納は元々コントロールの抜群なピッチャーだ。

 そこまで開き直って投げれば、ホームランを防ぐことは出来る。


 大介の打った打球は高く遠くへ飛び、わずかにポールを切れた。

(あれでも打ってくるのか)

 まさかと思ったほどのコースに投げたのだが、ぎりぎりホームランにならないという打球。

 全くどれだけ、人間離れしたバッティングセンスを持っているのか。


 そして迎えた五球目のボールを、大介は軽くすくってレフト前のヒットとした。

 ワンナウトからでは、金剛寺と西郷にヒットが出ても、点にならない可能性が高い。

 実際に金剛寺はアウトになり、西郷に打席が回る。


 このシリーズにおいて、金剛寺は調子を落としているのではないかと、大介は感じている。

 シーズン終盤にはしっかりと大介を帰してくれていた金剛寺であるが、この二試合では打線の足かせになっている。

 衰えて当然の年齢ではある。

 だがそれでも三割と20本を打ってきた金剛寺なのだ。

 しかし金剛寺は明らかに、内角攻めにあっている。


 西郷も外の球を打ってヒットにはしたが、これでもまだ一三塁。

 続くグラントは特大のフライでアウトになり、得点に結びつかない。

 タイタンズは多くの選手をFAで獲得している。

 つまりはベテランの粘りでもって、得点でも守備でも、ミスなく堅実にプレイすることが出来るのだ。




 2-0のスコアのまま、試合は終盤。

 ノーアウトから大介は、この日二本目のヒットを打つ。

 ノーアウトからなら、ホームには帰れる。

 そしてノーアウトのランナーがいれば、ピッチャーも動揺する。

 おおよそビッグイニングというものは、ランナーの好走塁から打線が爆発するものだ。


 しかし加納は、完全に大介を無視した。

 盗塁で二塁に進んでも、全く意識していない。

 ただクイックモーションになっただけで、あとは全てをキャッチャーとバックに任せている。

 三塁にまで進んでも、動揺はない。

 たった二点のリードなのに、おそろしく意識が徹底している。


 甘く見ていた、と言うべきだろう。

 ライガースはこの三年、プレイオフでは上杉のピッチングに、散々苦労させられてきた。

 中二日で投げるような絶対のエースに比べれば、タイタンズの優れた先発陣でさえも、まだマシであると。

 だが既に五年もリーグ優勝から遠ざかり、日本シリーズにも進めていないチームと、選手たちの執念を考えていなかった。


 あれだけの補強をしてどうして、とフロントは現場に言うであろう。

 現場は現場で、ちゃんとフロントに補強を伝えて、そして実際に戦力をそろえてもらっているのだ。

 これで負ければ監督は無能であるし、コーチ陣も全て入れ替えだ。

 そしてベテランの多い選手たちも、若さにあふれたライガースには、思うところがある。


 大介がホームを踏んで、一点差になる。

 それでもあせらないのが、ベテランというところだろう。

 むしろそろそろ替え時か、というところで大原から連打。

 ここで島野は動くが、一歩半ほど遅い。


 進塁打と内野ゴロで一点を追加し、3-1となる。

 リリーフには自責点はつかないが、ここは無失点で抑える場面なのだ。

 ルーキーの品川にそれを求めるのは、さすがに酷であった。

 これならば真田を使うべき場面であったのだ。


 そしてタイタンズには継投の失敗はない。

 一失点の加納を七回まで下げて、リリーフ陣を使っていく。

 セットアッパーとクローザーは、しっかりとライガース打線を抑える。

 珍しい大介の三振というものまであった。

 それでも代打で、どうにか得点を取れるのがライガースなのだが。


 3-2で試合終了。タイタンズは三連勝。

 ついにライガースには後がなくなったのである。


×××


 そういえば二日前に群雄伝更新してます。

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