第8話 ナイターの罠

 プロ野球というのは基本的に、ナイターで行われることが多い。

 もっとも週末や祝日はデーゲームであることもあり、選手の移動、季節によってもデーゲームとナイターの選択が変わることがある。

 オープン戦はデーゲームの割合が多いが、それでも近年では興行的な面から、ナイターの場合も多い。

 もっともドーム球場ならともかく、まだ寒い三月に開放型の球場で冷えるナイターの試合をするのは、ピッチャーには危険ではないかとの声もあったりする。


 さて、シーズン開幕三連戦の二戦目、ドームに入って体をほぐし始めた大介は、どこかに違和感があった。

 あたまがぼうっとするというほどではないが、何かふわふわと浮き上がっているものがあるような。

(なんか変だな)

 キャッチボールをしたり軽くノックやバッティングの練習をしても、どこかが浮ついている。

 念のために体温なども計ったが、熱があるというわけではない。

 チームドクターにちょっと話してみたところ、首を傾げながらも返答はあった。

「今更だけど緊張してるんじゃないかな?」

「開幕戦じゃなく二戦目で?」

「開幕は色々とあるし、ベテランでもおかしかったりするからね。昨日はプロ緒戦でプレッシャーを感じる余裕さえなかったんじゃないかな」

 そういうここもあるのかな、としか思えない大介である。


 開幕戦と違い二戦目は、さすがに雰囲気も落ち着いている。

 大介は練習の合間に、ドーム内を散策する。

 東京生まれではあるが大介にとって、タイタンズは別に憧れのチームでもなかった。

 同じ在京球団なら神奈川や大京の方がなんとなく好きというか、テレビで見るときは応援する方が多かった。

 なぜかは自分でもはっきりしないが、実際にプロの世界に入ってみると、なんとなくチームカラーが自分には合っていないのではとは感じる。


 タイタンズの練習風景などを見ていると、マスコミに囲まれた中に見知った顔があった。

「そういや残ってたっけ」

 キャンプのバッティング練習では柵越えを連発してたが、オープン戦では序盤からプロの投球に苦戦。

 それでも後半には調子を上げてきて、開幕ロースター入りはしていた。

 昨日の試合では結局、使われることはなかったが。


 一人縦縞を着て歩く姿に、向こうも気付いたようである。

 いや、先に周辺のマスコミが気付いたが。

 てくてくと大介が近付いていくと、あっという間に取り囲まれてしまう。

「白石選手、井口選手とお話ですか?」

 聖稜高校からドラフト一巡目で指名された井口であった。

「話つーか、まあ単に挨拶で」

 向かい合って立つと、やはり頭一つ分ほどは向こうが高い。

 これだけで敵視する原因になってしまうのが大介である。


 一応アジア選手権では同じチームで、三番と四番を打っていた。

 なお大介がホームラン王とMVPに輝いたが、敬遠された大介が盗塁してからヒットを打つことが多かったため、打点では井口の方が上である。

「元気か?」

「俺はな。そっちは派手なデビューだったな」

「つっても年間143試合のうちの一つだしな」

 単に世間話をしているだけなのだが、周囲のカメラのフラッシュがすごい。

「なんつーか、タイタンズってこんな感じなのか?」

「マスコミへの露出は多いかな」


 在京球団はマスコミの本社も多いし、自然とそれだけ注目も高くなるのだ。

 大京は本拠地が神宮ということもあって、大学野球が優先されるのが、いまいち盛り上がらない原因かもしれない。

 あとは親会社の力の入れ具合も違うのか。

「記者会見、あれ本気か?」

「どれのことよ」

「トリプルスリーだよ」

「トリプルスリーのうち二つって言ったんだけどな」

「30本打てたら新人王間違いないだろ」

「ホームランかあ」

 大介としても考えないわけではない。

 ただここではマスコミの目がある。


 30本のホームランを打つための、条件は揃っている。

 自分が三番打者であり、四番に強打者がいるということだ。

「現実的に三割と30盗塁目指してるんだけどな。二塁まで進んだらオジキが帰してくれるだろうし」

「チーム事情が違うか」

 のんびりと話す両者であるが、井口のマスコミが大介の方に吸い寄せられてくる。

「じゃあまた試合で」

「ああ」

 すたこらさっさと逃げ出したい大介なのであるが、陸上選手のようなフォームで追っかけてくる記者がいたりする。

「白石選手、シーズン初出場で初クリーンナップ、そして初猛打賞などなど達成しましたが、一夜明けたご感想は!?」

 気合の入った質問に、大介はさすがに押された。


 大介は基本的にプレッシャーとは無縁のメンタルを持っているし、叩かれても誉められても、そこで立ち止まるタイプではない。

 場外ホームランとかホームラン記録とかも、全ては単なる結果であると思う。

 唯一の例外は予告ホームランであろうか。実際に達成したので良かったが、二度とやりたくない

「長いシーズンの最初の試合が終わっただけですよ」

「でも今後不滅の大記録になったのでは!?」

「上杉さんみたいなのが打者で出てくれば記録は塗り替えられますよ。記録ってのは破られるためにあるんすから」

 謙遜しつつ全力ダッシュで逃げる大介であった。


 なおこの発言は「記録ってのは破られるためにある」という部分のみを切り取られ、この年に何度も使われることになる。

 大介がマスコミ嫌いになる、最初の一歩であった。




 ナイターが始まる前に素振りをしていた大介であるが、違和感は消えない。

 なぜかと思って考えていくと、それは確かにそうなのかなと、気が付くこともある。

 つまるところナイター自体に、体がまだ慣れていないのだ。

 オープン戦にもナイターはあったが、オープン戦自体の環境が日常と隔絶されていた。

 開幕戦の昨日も非日常で、そのお祭り騒ぎが感覚を麻痺させていた。


 だが、この二戦目は日常の中の試合である。

 高校時代の試合は全て、昼間に行われるものであった。

 それがプロでは、デーゲームもあるが基本的にナイターがかなりの数を占める。

 これまでは試合などしない、最後に調整のメニューをするような時間帯。

 この時間帯から試合が始まるという感覚が、大介の中でまだ定着してないのだ。


 原因は分かったが、解決法は慣れる、以外にないのだろうか。

 チームメイトに聞いてみたら、きょとんとした顔をされた。

「あ~、そうか。俺も二軍で打っても一軍ではなかなか打てへんかったんやけど、それはあるかもしれん」

 二軍の試合は昼間から行われることが多い。ナイターだと照明代ももったいないし、そもそも無料開催さえある。

 夏の場合は暑さの中でプレイすれば、鍛えられるという意識もあるのだろう。


 何人かのベテラン選手や、一軍に定着したばかりの選手は、頷くものがあった。

 アマチュア時代は早寝早起きで、日が昇る前にランニングなどをして持久力を高めたものだが、確かにプロでナイターが長引いたりすると、その時間帯の生活は難しくなる。

「大介は高校時代どんな生活やったんや?」

「10時過ぎから11時前ぐらいに寝て、6時前に起きて軽く腹に入れてから準備運動みたいな感じっす。引退後もだいたい後輩の練習に混ざってたし」

「白富東は寮やなかったんか?」

「うち公立校ですよ」

 いまだに白富東を「うち」と言ってしまう大介である。


 プロ野球は、アマとプロという以外にも、一軍と二軍で生活のサイクルを変えなければいけない場合があるようだ。

 そして同じ一軍でも、クローザーで使われる足立などは、本来は社交的で明るい性格なのだが、その試合前のルーティンはかなり違うのだとか。

 それを言えばローテーションに入っている投手などは、中継ぎとは完全に違う生活を送っている。

 ローテーション投手というのは基本的に、先発という過酷な役割を果たすため、中六日か中五日で生活のサイクルを決めているのだ。

 毎日の猛練習などは厳禁で、試合前と試合の翌日には全く投げない選手もいる。

 投げてもキャッチボールを軽くという程度で、投手の扱いが完全に高校野球とは違う。


 それを考えると、15回パーフェクトの翌日に完封をした直史の化け物っぷりがより分かってくるのだが、さすがの直史もプロで連投で勝つのは無理だろう。(フラグではない

 とりあえず大介は、キャンプやオープン戦などを通して、プロのレベルと自分が通用するかはある程度分かったが、一年を通してどう生活サイクルを回していくかは分かっていない。

 先輩連中はおおよそ、慣れの一言で済ましてしまうが、一年目から開幕スタメンなどという新人は、彼らでもほとんど知らないのだ。

「しゃーない。まあリーグが違うことだし、聞いてみるか」

 スマホを取り出し操作する。

 さほど親しくはないが、こういうことを聞く相手はいるのだ。




「いや俺、高校時代から朝練よりも居残りする方が多かったから」

 昨年プロデビューでいきなり規定打席に到達した、千葉の織田の意見である。

「お前、高校時代の習慣で早くに起きて練習してるんじゃないか? そりゃ慣れないだろ。あ、プロ初ホームランおめでとう」

 織田は頼りにならなかった。


 確かにプロの、それも一軍の仕事内容を考えれば、やや夜型生活になるのは当たり前なのだ。

 甲子園などは第一試合の場合、かなり早めに準備をしておかなければ、バイオリズムが最大のパフォーマンスを発揮するに至らなくなる。


 大介は引退後の練習と、キャンプにオープン戦をこなし、スペック的にはプロに適応させていた。

 しかし生活の習慣が、プロに対応していないのだ。

「う~ん、今日はホームランは無理かなあ」

 何言ってんだこいつは、という目で見られる大介であった。


 プロ野球のシーズン戦は143試合。

 一試合に一本どころか、二試合に一本を打っても日本新記録である。

 もっともシーズン戦の数は年代によって変化していっているので、年度ごとの傑出度合いを比べるのが正しいのかもしれない。

 今日の向こうの先発は、ホーム番長の荒川なので、あまりライガース首脳陣も期待していない。

 大介がまた二本ホームランを打ったとしても、それ以上に打たれる可能性が高いのだ。


 ミーティングで改めて荒川の昨年の成績、そしてオープン戦での成績が示される。

 荒川はFA移籍の際に、色々と特殊な契約を結んでいるが、その中にキャンプの免除というのもある。

 実際には自主トレを母校で行って、オープン戦が本拠地に戻ってきたらそこで調整はしている。

 そんな短期間で不充分の調整で大丈夫なのかとも思うが、移籍から三年、荒川がスタートダッシュに失敗したことはない。

 下手なキャンプを行うよりも、専門に雇った球団のトレーナーなどと一緒に、シーズンを戦っていく状態に持っていくのだ。


 プロ野球選手とは個人事業主なので、それでも結果が出ればいい。

 ただ人間というのは理由をつけてはサボるものなので、周囲に合わせて体をいじめ抜くキャンプを、おおよその選手は選択するわけだ。


 荒川の場合は実家を離れられないという理由にもう一つ、この身勝手なメニューで結果が出せなければ、批判は必ず出てくるだろうとも分かっている。

 だからこそ負けられないし、だからこそ怠けられない。

 プロ野球選手が戦うのは、究極のところは自分のためなのだろうし、それもある意味では正しい。荒川もそう言うだろう。

 だが荒川は自分への批判が母に伝わることを恐れるため、必死で自主トレで体を作ってくるのだ。

 これもある意味ではハングリー精神なのだろう。




 そんな荒川は、身長はそれほど高くもなく、そういうところも真田に似ている。

 今日は負けるなというファンの応援をシャットアウトして、荒川はマウンドに立つ。

 プロ野球選手としての生き残りを賭けた執念に加えて、荒川は他の誰かのためにも投げている。

 関東圏でしか登板しないため、やや登板数は他のピッチャーに比べて少なくなるが、それだけ少ない試合に集中出来るということを考えなくても、防御率や勝利率は高い。


 ネクストバッターサークルで待ちながら、大介はこの浪花節のタイタンズ投手を観察する。

(縛りがなくなったらもっと活躍するのか、縛られているからこそ活躍出来るのか)

 どちらであろうと、荒川がセ・リーグを代表する投手であることに変わりはない。


 そして一回の表、ツーアウトから大介は、左打席に入った。

 右でヒットを狙うのは、あくまで打点がつきそうな場面。それにもし歩かされて盗塁したとしても、金剛寺まで歩かされたら終わりだ。

 今のライガースには五番を打てるほどの打者がいない。一応は島本が入っているが、一発のパンチ力はあるが打率自体はそれほど良くなく、状況に応じたバッティングが出来るタイプでもない。

 まずは球を見せてもらうか、と思った大介に対して、アウトローにストレートが決まった。

 真田ほどではないがクロスファイアー気味であり、左打者にとっては打ちにくい。

 ボール球かと思ったが判定はストライク。キャッチャーが上手かったか。


 完全にこちらを舐めていたエースや、敗戦処理の投手とは違う。

 これが本物の、プロのエースクラスである。

 二球目は内にストレートを入れてきたが、胸元一杯のストライク。

 真田を仮想していたが、ストレートの威力は真田以上である。

(スライダー投げないのかな)

 ストレートはカットしていくつもりでスライダーを待つ。

 他のボールがきてもカットしていくつもりで、スライダーを待つ。

 外にまた一球外し、そして四球目。

 スライダーと言うよりはスラーブとでも言うような、落差と角度があるスライダー。

 イメージしていた曲がりの大きさはあるが、真田のような真横に移動していくようなイメージではない。

 それをスイングしてバットには当てたが、完全にファーストへのイージーゴロであった。


 ファーストがつかんで一塁アウト。

(打てなくはないけど……簡単に打てる球じゃあないよな)

 スライダーの軌道を頭の中に刻みつけ、そして一回の裏の守備へと回る。

 白石大介、プロ二試合目の六打席目にして、初めての凡退であった。

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