第217話 燃え尽きない

 ジャガースはこの試合で終わらせるつもりである。

 アウェイでの試合であるし、ただでさえ相手はファンが熱狂的なライガース。

 引き分けでも優勝とは言え、殴り合いのハイスコアゲームでそうなる可能性は低い。

 最終戦までもつれこめば、おそらくはそれも負ける。

 三勝三敗一分であれば、ピッチャーの消耗度的に、第八戦をするのはジャガース有利に見えるかもしれない。

 だが先に追い込んでから巻き返されて、しかも甲子園で第八戦は行われるのだ。

 ミーティングでも言ってある。今日で決めると。

 そこまで引き締めただけに、この試合を負けると第七戦までの建て直しが難しい。


 初回の先制から、幸先がいいとは思っていた。

 しかし遂に、恐れていた事態が起こった。

 大介のホームランである。


 クライマックスシリーズでも、タイタンズ相手には三戦目まで沈黙していた。

 しかしそこから爆発し、一気に日本シリーズ進出を決めたのだ。

 このシリーズも、不調とは言いながら、実はホームランが出ていないだけである。

 ジャガースが上手く誘導し、打点も出にくいようにしたが、段々とその意図は読まれるようになったと思う。

 第四戦と第五戦では打点を記録したし、ついにここでホームランが出た。

 期待値的に考えれば、この試合にもう一本出てもおかしくはない。

 目覚めかけた怪物は、そのまま起こしてはいけない。

 怪物の周りでだけは静かに、そっと試合を進めていこう。

 そう思っているのだが、この試合は轟音響く殴り合いだ。

 ファンの大声援の中では、眠っているわけにはいかない。

 それに対してジャガースも、ピッチャーを総動員する。


 これは、次の試合に進めば、勝てるのではないか。

 島野の計算上、戦力はジャガースの方に余裕があるはずだ。

 安定した先発ローテ陣と、それを疲れさせないリリーフ陣。

 ライガースも後半にはかなり整備出来ていたが、真田がローテから外れたりしたための、あくまでもイレギュラーなシステム。

 シーズン前から考えられ、計画通りに進んでいるジャガースとは、確実性が違うのだ。

(なんやろな)

 ここまでジャガースがこの試合で決めようとするポイント。

 もちろん最終戦までもつれこんだら、地の利はライガースにあるが。


 真田が今シーズン、初めてまともにリリーフに失敗した。

 そして残りの試合で投げることも、かなり難しい。

 リリーフ型に体質が変化していたのを、無理にほとんど八イニング投げさせたのだ。

 本人はまだ投げられるつもりだろうが、島野はそれを許容しない。


 勝ちたい、という気持ちと負けてもいい、という気持ちの間で、判断が右往左往する。

 六年も監督をやっていると、色々と大変なのだ。

 日本一を逃しても、リーグ優勝は果たしたのだから、充分に働いた。

 そして来年以降のチーム編成に無理がないよう、真田を故障させるような起用はしない。

 早ければ来年は開幕に、山田が間に合う。

 そして真田も復調すれば、ローテはしっかりと回るようになる。


 勝って退くのもありだが、負けて引責辞任という形の方がいい。

 そもそもの契約年度は、今年までなのだから。

 チームは大介を中心に、大きく躍進した。

 安定剤となる存在がいれば、まだしばらくチームの好調は続くだろう。

 今まではそれが、島本であったり金剛寺であったわけだ。

 大介がそうなるには、まださすがに若すぎるが。




 島野の思考は、目の前の試合から少し離れてしまっていた。

 だが島野と違い、コーチとして残りたい人間は、しっかりとゲームの流れを見ている。

 キッドが一回で切れてしまわなかったので、二回からはそれなりに抑えられている。

 だがやはりジャガースの上位打線の連打は恐ろしい。

 打順が回ってくるたびに、確実に一点は取っていく。

 ライガース側も主砲を含めて、上位打線は遜色ないはずなのだが。


 ジャガースは完全に、継投の限りを尽くしている。

 二番手には正也が出てきて、二打席目の大介は歩かせる。

 そしてしっかりと後続を絶って、点に結びつくことをゆるさない。

 両者共に強打のチームではあるが、やはり違いはその打撃力が、一人に偏っていないかどうかということだったのだろう。


 ライガースの打者が一巡するごとにピッチャー交代。

 ここまで徹底していると、その覚悟のほどを思わせる。

 島野も色々と考えていたつもりだが、ジャガースはもっと極端に考えていた。

 戦力を逐次投入するのではない。次の試合のことは考えない。

 この試合で決めると考えているから、無茶な選手運用をしていく。


 そして終盤になると一巡どころか、一イニング、あるいは打者の左右が代わるタイミングで代えてくる。

 それに応えられるだけのリリーフ陣の整備が、ジャガースはされているのだ。

 ライガースのリリーフ陣が強いと言っても、それはセットアッパーなどが完全に固定化されているわけではない。

 左も真田を別にすれば、品川の一人だけ。

 退路を絶っている。

 ライガースはこの試合に勝っても、次の試合も勝たなければいけない。

 その覚悟の差が、どうしても采配に表れてしまう。


 実力差は本当にわずかなものなのであろう。

 だがジャガースは全力でもって、チーム一丸で挑んできている。

 ライガースのリリーフはなんだかんだ言って、敗戦処理に近い役割の者もいる。

 ジャガースはこのシリーズでは、そんなピッチャーは入れていない。

 ライガースもそうすればいいではないかと言われるかもしれないが、ライガースにはそこまでのリリーフ陣は揃っていないだけなのだ。




 そして試合は、いよいよ最終回に入る。

 7-5と点差は二点差で、ライガースの攻撃は八番の滝沢から。

 ここで当然のように、ライガースは代打を出す。


 今年は一軍で、金剛寺とグラントが入るまで、一番多く打っていたのが山本である。

 しかし山本は次のピッチャーの打順で使うため、他のバッターを使わざるをえない。

 与えられたチャンスではあるが、バッターとしても今後を占うような優勝がかかった場面では、さすがにピッチャー有利か。

 ワンナウトとなって、これならそのまま滝沢でもよかったのではないかと思わないでもない。


 しかし次の山本は、代打ながらもヒットを打つ。

 強心臓だなとファンが熱狂し、甲子園球場が揺れる。

 ワンナウト一塁。先頭の毛利に戻る。

 あと一人出れば、今日は三打数三安打の大介に回る。

 この重要な場面で、またもジャガースはピッチャーを交代。

 クローザーのクラウンを残した状態で、左の朝霧。

 左対左という場面でも、毛利は慌てたりしない。

 しっかりと球を選んで、フォアボールで出塁した。


 これでワンナウト一二塁。

 ダブルプレイがない限り、大介に回る。

 しかしむしろ、難しい状態になっただろうか。


 打たせればダブルプレイの可能性がある。

 しかし送らせれば、一塁が空いて大介は歩かされるだろう。

 ここで空気を読んで大介と勝負など、ジャガースの花輪はそこまで熱い男ではない。

 それに大介をランナーに出すということは、逆転のランナーを出すということ。

 西郷の長打力を考えれば、ホームランはともかく長打は出てもおかしくない。

 そしてツーアウトなのでランナーは自動スタート。

 西郷が打てるならば、満塁にするのもまずい。


 打たせるか、送らせるか。

 ここは打たせるのは難しいだろう。ダブルプレイになったら終わりだ。

 同じアウトになるのでも、大江でアウトになって終わるのと、大介でアウトになって終わるのとでは、ファンの納得度もチームの納得度も違う。

 ここはバントと、島野はサインを出す。


 正直に言って、ほっとした大江である。

 ここで打っていくというのは、かなり難易度が高い。

 攻撃的な二番である大江は、さほどバントが上手くない。

 しかしここは、しっかりと送りバントを決めなければいけない。

 普段バントをあまりしない二番であるのが、一つのミスであったか。


 自分に回ってくる。だが勝負をしてくれるか。

 大介から逃げたら、ツーアウト満塁で西郷だ。

 シーズン中には大介を歩かせて、その後に金剛寺も選んで満塁とした時、西郷が決勝打を打っていたことは珍しくない。

 西郷もまた、四番であるのだ。

 打撃に全てを振った桜島から、早稲谷の四番へと至り、そして今年はリーグ二位のホームラン数。

 それでも大介と対戦するよりは、西郷と対戦する方がまだマシと考えるかもしれない。


 ネクストバッターサークルから、大介は勝負を見守る。

 申告敬遠でなければ、甘い球なら打ってしまう。

 それでまたスイングがブレる可能性もあるが、今はそれでも点を取りにいかなければいけない。




 そしてその瞬間はやってくる。

 緊張からわずかにコントロールが甘くなった朝霧の球。

 高目をバントしようとした大江は、その打球を浮かせてしまった。

 とある審判はここで、インフィールドフライを宣告するべきかとさえ思った。バントには適用されない。それだけの緊張感があった。

 これはピッチャーも届かない。落ちる。


 落ちるとランナーもコーチャーも判断した。

 しかしジャガースのキャッチャー二ノ宮は、全力で飛んだ。

 ジャンピングキャッチで、ボールはミットの中に収まる。

 そしてそれを、無理な体勢からピッチャーの朝霧へトス。

「二つ!」

 一塁の毛利は素早く、もうベースに戻ろうとしていた。

 だが二塁の山本は、かなりベースから離れていた。

 最近は代打で出て、走塁をすることがあまりなかった。

 足はそれなりに速いが、ここは専門の代走を出しておくべきであった。


 セカンドがベースを踏み、そしてそのグラブへボールが投げられる。

 山本が戻るのに間に合わず、セカンドの咲坂のグラブへ。

 これでダブルプレイが成立しスリーアウト。

 ゲームセットである。




 観客席からグラウンドへ、様々な物が放り込まれている。

 丸い円の中で立ち上がった大介は、無言であった。

 その顔に浮かぶのは、まさに呆然とでも言うものか。

(終わり?)

 7-5のまま、終わりである。

 大介には回ってこなかった。

(なんでだ?)

 大介には回ってこなかった。

(なんでだ?)

 野球の神様の悪戯が、変な方向に発動したのか。


 二ノ宮があの距離をジャンプして捕るなど、誰も予想していなかったろう。

 確かに二ノ宮はバネのあるタイプのキャッチャーではあるが、まさかあそこまで届くなど。

 グラウンドではその二ノ宮を囲んで、ジャガース選手が喜び合っている。

「マジかよ……」

 大介には、回ってこなかったのだ。

「そりゃねえだろ……」

 しかし神はサイコロを振らない。




 試合が終わった。

 乱闘のようなライガース応援団の悲鳴が響いていたが、やがてそれも小さなものになっていく。

 敗戦の責任者は誰か?

 それはもちろん総合的に見なければいけないのだろうが、今のこの時点では、大江か山本に見える。

 バントを浮かせてしまった大江。そして素早く塁に戻らなかった山本。

 だが山本に代走を送っておくべきではなかったか?

 しかし二点差なので、ここでの代走は違うと思ったのか。


 怒号が鳴り響く。

 その中でベンチから出てきた首脳陣は、叩かれる山本と大江を迎える。

 まだバットを持ったまま呆然と立っていた大介は、その肩を西郷に叩かれた。


 音がうるさい。

 試合が終わった気がしない。

 だが、普通に二点差のまま、この試合は終わったのだ。

 つまりジャガースが勝って日本一になったのである。

「マジかあ……」

 ようやく肩を落とした大介は、息を吐いて天を仰いだ。


 目の前で決まってしまった。

 自分に出来ることなど、何もなかった。

 ただ、なんとなく自分には回ってくるのだと、漠然と信じていた。

 その根拠は何もないのに。


 野球はチームスポーツだ。自分以外にも、味方に八人、相手に九人の選手がいて、グラウンドの中で戦う。

 代打やリリーフ、守備固めなども加えたら、さらに多くの人間が試合の中でプレイする。

 だから大介とは離れたところで、試合が決まるのもおかしくはないのだ。


 ともあれ。

 ライガースの覇権は、三年にて途絶えたのであった。

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