第250話 欠けた月、満ちた月

 上杉が指の単純な骨折であったのに対し、真田の場合はやや深刻であった。

 左肘の遊離軟骨剥離。

 痛みを感じた肩は、単なる炎症。

 だがついでに調べた肘の方に、異常が見つかった。

 肘と言われてトミー・ジョン手術かと、真っ先に頭に浮かんだのはそれである。

「いずれはしないといけないかもしれないね。ただそれとは全く別のものだよ」

 医者の意見は微妙であった。


 遊離軟骨というのはネズミとも言われ、主に間接部分の骨片がはがれ、間接の動きを鈍くするものである。

 具合によっては全く症状が出ないこともあり、真田の場合ももう少し前から、この状態になっていた可能性はあるという。

 たまたま力投したことにより、その欠片が間接に挟まり、動きを妨げた。

 ちょっと張る程度の微妙な違和感を感じて、念のためにそちらも検査してもらったら、発覚したというわけである。

「でも今は何も違和感を感じませんけど」

「遊離軟骨がまた移動して、間接の動きを妨げないからだろうね。ただこの軟骨は放っておくと大きくなって、手術をして取っても復帰に時間がかかるようになるよ」

「……手術をしたとしたら、どれぐらいで復帰出来ますか?」

「う~ん……二ヶ月かな」

「ならシーズンが終わってからでも」

「おい真田!」

 無茶を言う真田に、付き添いの金剛寺が声をかける。


 真田も故障をしなかったわけではないが、これは初めての本格的な故障だ。

 遊離軟骨については金剛寺も、年季が長いのでよく知っている。

「こいつは先生も言ったとおり、体液から栄養を吸って、どんどん大きくなるんだ。今の二ヶ月というのは、本当に短い期間だぞ。人によっては半年もかかる」

 真田は初めて、本格的に戦列を離れることとなった。

 ただ幸いにも、これは致命的なものにはならないだろう。


 金剛寺は知っている。

 確かにネズミはピッチャーによくあるもので、真田の場合はそれほどひどいものではない。

 だがわずかに、肘に力を入れることを恐れて、投げられなくなるピッチャーはいる。

 真田の精神力は信じている金剛寺だが、こういったものは実のところ、精神力とは少し違うものなのだ。

 自信だ。

 自分には何があっても大丈夫。自分は大丈夫だから大丈夫。

 根拠があるかないかは別に、自分に絶対の自信がなければ、プロで続くことはない。


 ただ、真田のことは少し心配にもなる。

 プロ入りしてからこれまで、真田はかなりストイックな生活をしてきた。

 おそらくそれは一年先輩の大介に対抗するためなのだろうが、大介にはどこか余裕があるのだ。

 怠けているとか、余力があるとかではなく、まさに金剛寺が思う自信。

 真田にもないわけではないが、大介には及ばない。

(こいつもそういや、女の話とか全然しないよな)

 そう思った金剛寺は、少し世話を焼く気にもなるのである。




 上杉と真田が、ハーラーダービーの舞台から一時離脱した。

 上杉は骨折で全治二ヶ月だが、あの鉄人は半分ぐらいで戻ってくるだろう。

 そして真田の方は遊離軟骨ということは、二ヶ月は戻ってこないという。


 樋口は上杉のことを心配するとともに、これはチャンスだ、と生来の勝負師の勘が告げている。

 上杉というカリスマがいなければ、スターズはかなりの機能不全に陥る。

 対してライガースはまだマシだろうが、エースがいないのであれば、その分勝ち星が減るのは間違いない。

 およそ10試合、真田が投げられないものと仮定する。

 その中でレックスが、どれだけの勝利をつかめるか。

(いや、それよりも上がってくるピッチャーの確認も必要か)

 先発のローテが一人いなくなるので、そこを二軍からの昇格で埋めるか、リリーフ陣から持ってくるか。


 ただ、それが明らかになるのは少し先になる。

 この数日、雨によってわずかずつ試合が中止となり、その分ピッチャーを後ろに回すことが可能になったからだ。

 スターズ戦の負けと真田の離脱は、ライガースに停滞をもたらした。

 そしてレックスは確実に、勝ち越しを続けていく。

 10連勝とかそういう、大げさな大戦果はいらない。

 シーズン戦というのは、65%勝てればほぼ確実にリーグ優勝できる。

 そしてリーグ優勝しておけば、アドバンテージを持った状態で、クライマックスシリーズを戦うことが出来るのだ。


 樋口はこの数年の、セ・リーグのクライマックスシリーズの記録も調べている。

 去年の結果を見て確信したが、上杉一人の動向で、優勝が決まっていると言っても過言ではない。

 あるいは上杉をどう封じるか、といったところだ。


 シーズン戦でも怪物の働きをする上杉であるが、ピッチャーの価値が高くなる短期決戦では、よりその重要度は高くなる。

 日本シリーズまで進んだ場合、上杉で三勝して、あとの一勝をどうにか取る、といった感じで日本一になっている。

(しかしひどい補強だな)

 上杉が大活躍し、球団経営は上向いているはずだ。

 それなのに金の使い方が下手すぎる。

 いや、獲得してきた新人や外国人が、ほとんど活躍出来ていないのか。

 ただ上杉の世代のドラフト、史上最強の神ドラフトとも言われていた。


 上杉の世代が偉大すぎて、その後に続くのが、本当に玉縄ぐらいなのか。

 大介がいなければ競合必至と言われた大滝は、ローテの一角を占めてはいるが、エースには遠い成績しか残していない。

 だがキャッチャーの次世代育成は、それなりに上手くいっているかもしれない。

 パンチ力に優れたタイプと、総合力に優れたタイプ、二人のキャッチャーが試合経験を重ねている。

 経歴を見れば片方は、あの白富東出身であったりするが。

 磐石の正捕手尾田も、既に41歳。

 さすがにもう、世代交代の年齢である。




 上杉を失ったスターズは、案外崩れなかった。

 真田を失ったライガースも、案外崩れなかった。

 ただその中で、レックスが飛躍した。


 上杉はそのデビュー初年、19勝して一度も負けなかった。

 だが勝ち負けのつかなかった試合はあった。

 それに対して武史が、デビューからの連続勝利記録を更新してしまったのである。


『(朗報)恐竜軍団、五月の時点で新人王決定』


 こんな論調がネットでなされたが、9先発9勝0敗というのは、休んでいる上杉も引き離して圧倒的な単独トップ。

 これに吉村がローテに戻ってきて、他の投手陣も刺激を受けて、かなりの集中力でピッチングを行っている。

 打線は粘り強く、一点差の勝利というのが多い。

 クローザーだけは埋まっていなかったが、助っ人外国人のコーエンがこの役割を果たしてくれた。


 ライガースは交流戦前の試合を、雨で連続で中止にされてしまった。

 ただこれは真田のいない期間に、試合をしなくて済んだということでもある。

 ただしこの試合が後ろに回ってくるので、日程はかなりきつくなるかもしれない。

 それでもエースのいない間に試合が回らないのは、ラッキーなことだと言えるだろう。


 四月の貯金があったので、もちろん勝率が五割を切ることはない。

 だがレックスが確実にカードで勝ち越していったため、交流戦の前には首位がレックス、2ゲーム差でライガース、そして三位はなんとフェニックスという順位になっていた。

 一位と二位はともかく、三位は驚きである。

 スターズは上杉離脱後も、勝率五割をキープしている。

 ただフェニックスが、想像よりも勝ち星を積み重ねてきたのだ。

 微妙なことかもしれないが、三タテをくらったのは、開幕のライガースとの一つだけ。

 あとは負け越しながらも、確実に一つは勝っているのだ。


 粘り強く一点差で勝つことが多いのは、レックスに似ている。

 フェニックスは竹中が正捕手で、怪我がちの東がそのサブとしているのが、上手く機能している。

 セの若手ではナンバーワンと言われながらも、怪我をしてから常に年間100試合を切ってしか試合に出られない。

 だが打力に加えて竹中を通して、しっかりと守備陣を支配している。


 なお今年一番ひどいのは、カップスではなくタイタンズである。

 戦力補強をしっかりしているのは分かるが、監督の交代によって現場の意識とフロントにズレがある。

 また取ってきた選手が使えなかったり、高齢のベテランは怪我をしたりと、去年までと似たシーズンを送っている。

 栄光のタイタンズが、ここまでひどいというのは珍しい。

 カップスが去年から、完全に若手育成に力を入れているのとは、反対のような具合である。

 交流戦明けからは、戦力をガラッと変えてくるかもしれない。




 交流戦の前に大介は、五月中盤の時点で、五冠王の成績を残している。

 打率0.382 本塁打21 打点57 盗塁22 出塁率0.512

 これでOPSも1.4を超えているのだが、大介としては控えめかな、という感想を持たれてしまっている。

 怪物は常に、自らを超えていくことを要求される。

 大介としては別に、自分の調子が悪いとは思わない。


 シーズン打率が0.38を超えたバッターなど、大介を除けば過去に四人しかいない。

 その四人で、五回達成しているのだ。

 大介は一人で、四回達成している。

 大介と同時代に生きたピッチャーは、ほぼ全員が不運であると言えよう。

 だが大介がいたからこそ、その後ろに続くピッチャーは、どんどんとレベルアップしていったとも言える。


 大介がこれだけの成績でライガースを勝たせなかったら、上杉はあそこまでの完璧な記録を残しただろうか。

 同じ球団の中でも、紅白戦で鎬を削ることはある。

 同じリーグだけではなく、日本シリーズでも対戦するため、多くのピッチャーが研鑽していった。

 後に、この頃を日本のプロ野球の第二絶頂期と呼ぶ者もいるかもしれない。

 だが今を生きている選手たちは、目の前の問題に対応していくだけなのだ。


 大介自身は当然ながら、リーグ優勝を目指している。

 真田が離脱してピッチャー事情は苦しくなったが、新しい戦力を試せるという意味では、一つの機会でもあったはずだ。

 だが雨が試合を潰したことで、ローテがずれていってしまっている。

 なかなか新手のピッチャーが先発で使えない中、チャンスを与えられたのは大卒二年目の村上。

 去年の先発で投げたことはあったが、リリーフ主体で投げて、それなりに貢献していた。


 抜けた真田が左なので、埋めてくるのも左か、という予感はあった。

 左の中継ぎでいい感じの選手なら、他に品川もいる。

 高校時代には大介の父である、大庭の指導を受けたピッチャーだ。

 だが品川の場合は、単に左というだけではなく、サイドスローでもあるのだ。

 左打者が続く場面で、どちらに任せたいか。

 むしろリリーフとしての役割を高めに見られて、品川は先発に回されなかったのである。


 結果的には、村上の投げたレックス戦が、交流戦前の最後の試合になった。

 その後には四日連続で、雨によって試合が流れてしまったからだ。

 そしてその試合で、村上は六回を投げて二失点。

 大介の二打点もあったが、3-2とリードしているところでリリーフ陣へ交代。

 リリーフ陣はこのわずか、一点のリードを守りきった。


 三失点ならば、ピッチャーとしては充分な成績。

 それは分かっているが、抑え切れなかった樋口は、苦い顔をした。

 甲子園球場というホームの後押しもあっただろうが、これが大介の21号ホームランになったからだ。


 ただ、この敗戦は、レックスにはちょうどいい刺激になったのかもしれない。

 ライガースは雨で流れたが、レックスは一試合だけが流れて、スターズとの三連戦で三タテ。

 ここいらで本当に、今年のレックスは強いと思わせる試合であった。


 


 そして交流戦が始まる。

 ライガースはまず、千葉マリンズと甲子園で対決する。

 レックスは北海道ウォリアーズと、神宮での三連戦だ。

 どちらもホームゲームとなる。


 大介にしても樋口にしても、セのチームに入団して良かったと思えるのは、移動の手間が少ないことである。

 セ・リーグのチームは関東に三チーム、そして新幹線で行ける範囲で他の三チームある。

 対してパ・リーグのチームは北海道から九州まで、飛行機を使って移動することもある。

 この移動の負荷が、パのチームを鍛えているのだという人間もいるが、大介としては単なる移動に時間を取られるよりは、練習をしていた方が有意義だろうと思う。


 今年はライガースも、北海道と東北とは、あちらのホーム球場で対戦することになる。

 その移動によって、ある程度は体調が崩れる者もいるのかもしれない。

 大介は割りと、移動も苦にならないタイプであるが。

 出来れば寝ている間に移動してくれたら、そちらの方がありがたい。


 ふと、MLBのことを思う。

 アメリカの広さと交通事情は日本の比ではないため、メジャーのチームの移動には、飛行機が使われることが多い。

 専用ジェットで国内とカナダを移動するのだが、それで日本よりも試合数が多いのだから、それが肉体的に辛いのかもしれない。

 フィジカルモンスターか節制を極限まで出来る人間でないと、成功しないのだろう。


 とはいえ、まずは試合は、甲子園でマリンズを相手とする。

 珍しくも千葉ではないのに、大介の打席でダースベイダーを演奏してくれる応援おじさん。

 そういえば今年は関東でも、かなりたくさん試合に来てくれているよな、と意識する大介である。


 マリンズは織田が、今年のシーズン終了後、ポスティングで移籍するという話も出ている。

 確かにパでは首位打者の打率を誇っており、出塁率や盗塁でも、上位の位置にいる。

 そしてさらには、その守備力だろう。

 外野の守備力では、アレクと共に二大選手と言っていいかもしれない。

(メジャーねえ)

 この時点では別に、特に魅力も感じていない大介であった。

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