第38話 一番いいバッター

 最近フロントから打診のような形で、変な提案が現場に下りてきた。

 大介を一番バッターとして使ったらどうだろう、ということだ。

 現在の大介は打者三冠のトップを走っている。

 ただホームラン数だけは、まだ逆転される余地がありそうだ。

 少しでも打席を多くして、ホームランを打ってもらうために、一番打者として使う。

 フロントからそんな話が出たとき、ありかな?と思ってしまった者もいる。

「いや、選手はそんな簡単なもんやあらへんやろ」

 島野監督としてはそう言うしかない。


 打率も打点もホームランも、既に年度によってはタイトルを取っている数字である。

 だが忘れてはいけないのは、打点とホームランは積み重ねていくものだが、打率は下がる可能性があるのだ。

「それに八月が終わってへんのに、タイトルとかどうとか言ってたらあかんわ」

 うんうんと頷くコーチ陣である。


 大介はあっけらかんとしているように見えるバッターだが、それでも上杉との対決で調子を崩した。

 今、首脳陣が大介にしてあげられるのは、外からの雑音を封じることである。

 そして目指すべきは、シーズン優勝。

 クライマックスシリーズで勝ち上がり日本シリーズに進出するには、上杉の登板間隔を厳しいものにしたい。

 なのでリーグ優勝を決めて、クライマックスファイナルで神奈川と対決する。


 実際、戦力は整ってきているのだ。

 助っ人外国人とトレードしたリリーフ外国人は大当たりであったし、二年目三年目の若い野手が伸びてきた。

 大卒新人の山倉も五勝二敗と、貯金のつく内容で投げている。

 琴山が先発ローテーションに復帰しつつあるのもありがたいし、ベテラン陣の故障も最低限で、二人のエースがタイトルを狙える位置にいる。

 地味にいいのは、中継ぎ陣の大崩がないことだろうか。

 強いて言うなら、柳本には完投をさせすぎているかもしれないし、山田もデビュー以来初めての故障を経験した。


 夏場の調子が崩れやすい時期を乗り切り、九月の頭には神奈川と三ゲームほど差をつけて優勝を決めたい。

 あちらはシーズン終盤になると、上杉、中継ぎ、雨、上杉、というような無茶をしてくるのだ。

 いいかげんに壊れてもおかしくないと思うのだが、本当に上杉は壊れない。

 敵チームのエースとは言え、球界の至宝である上杉が故障するような展開だけは、なんとか避けないといけない。

 そのためには逆転不可能なゲーム差で優勝することであるが、神奈川もそれを悟っているのか、二年前はクローザーとして起用し、去年は八月辺りから中五日や中四日を混ぜてきていた。

 上杉頼みのチームと揶揄されることもあるが、それで勝ってしまうのだから仕方ない。

 この二年は上杉一人に、日本のプロ野球界は牛耳られていると言っても過言ではないだろう。




 八月に入る。

 今年は空梅雨ということもあって、日程のずれはあまりない。

 これはありがたいことで、日程どおりであれば、上杉がどこで投げてくるかが分かる。

「上杉ってほんま、無茶苦茶なピッチャーやな……」

 優勝争いに絡んで、やっとその厄介さが分かってきた島野である。


 勝つ。とにかく勝つエースである。

 名前に「勝」の字が付いているからか、まるで運命のように勝利する。

 もっとも甲子園での優勝はなかったが、あの舞台で酷使と言ってもいいほどの球数制限まで投げて、それでも壊れなかった。

 だがその上杉を相手に、ライガースは二ゲーム差の一位にいる。

 八月はデス・ロードと呼ばれているが、優勝したはるか昔には、大阪ドームさえなかったのに、それでも優勝したのだ。


 ライガースが強くなった原因は、間違いなく大介だ。

 大介は、強くなる方法を知っていた。

 強さを勝利に導くことを知っていた。

 そして己自身が、勝利を具現化した存在のように、試合を決めていった。


 なお八月に入ってそうそうに、大介は10代での年間ホームラン記録を塗り替えた。

 日本ではなく、世界記録である。

 残り試合数を考えても早すぎる。大介の誕生日が比較的早いために19歳での達成となったが、それでも圧倒的だ。

 あの小さな体のどこに、これだけのパワーがあるのか。小さいからこそパワーが出るとも言えるのか。

 在京新聞のスポーツ欄でも、この事態は取り上げずにはいられない。

 ルーキーの三冠王が、かなり具体性を帯びてきている。

 とりあえず打点と本塁打の新人記録は更新したし、ここから全休になったとしても、打率は規定打席に到達して新人記録を達成する。

 まだ八月の上旬の段階で、だ。


 ライガースの親会社グループである大神百貨店などは、大介がホームランを打った翌日はセールをしていたりして、見事に大阪から関西の経済を活性化させている。

 打点やホームランの新人記録を塗り替えた時も凄かったが、とにかく大介が打つたびに大阪から関西が動き、動きたくないであろう関東にまで伝わり、日本全国に波及していく。

 上杉の時もすごかったが、経済効果では大介の方が上だ。

 ちなみにこの年に生まれた男の赤ん坊の名前は、一位が大介になったりまでする。野球好きの父親はまるで義務のようにその名を付けた。

 社会現象だ。

「ルーキーの10代三冠王って、国民栄誉賞あげた方がいいのかねえ」

 また官邸ではそんな話が上がってきたりする。

 国民栄誉賞の出やすいタイミングというのは、確かにある。今年は上杉もついに完全試合をやってしまったし、二人に同時にあげてもいいのかもしれない。

 もっともそれはライガースが優勝するのが大前提だろう。




 大介の成績は加速する。

 八月、ついに甲子園が始まるというこの時期に、まるで貯金するように打率を上げ、打点もホームランも増やしてきた。

 打率0.376 打点126 本塁打40

 ついにホームランが40本台に乗った。

 残り試合数は37試合。

 本塁打の日本記録は無理めであるが、50本に乗せてくる可能性はかなり高い。


 大介はもちろん突出しているが、他のバッターも成績を伸ばしている。

 一人の爆発的な選手が存在すると、それ以外のバッターで勝負しなければいけない場合が出てきて、自然と他のバッターも成績が上がる。

 西片は打率と出塁率、石井は出塁率、金剛寺は打点とホームラン、ロイは打点、黒田と大江も本塁打を二桁に乗せて、若手もベテランも野手は数字を残してきている。

 また投手陣も柳本が13勝に、山田と琴山が9勝と、柳本の勝ち星は上杉に次ぐ二位である。

 大阪はイケイケドンドンで大フィーバーであるが、首脳陣としてはここからが問題だ。


 デス・ロードが始まる。

 甲子園期間中、ライガースが甲子園を使えないので、ビジターゲームばかりなる。

 大阪ドームは準本拠地のようなものだが、それでもこの時期は成績が悪くなるのだ。

 ただ、ホームランの出にくい甲子園を本拠地としているので、大介のホームラン数は逆に伸びるかもしれない。

 もっとも大介の場合、ホームランの最も出にくいと言われるNAGOYANドームで、むしろホームランを多く打っているのだが。

 物理法則も大介の前には屈するのだろうか。


「でも色々数字見てたら、おもろいことが分かるんよな」

 島野は本業そっちのけで――いや、これも本業のうちだが、大介のデータを確認していた。

「三打席目や」

 大介が最もホームランを打つ打席である。


 大介のホームランは、比較的固め打ちが少ない。

 一試合に二本以上のホームランを打ったことが三回しかない。

 普通は一試合に二本以上も打つのが難しいという、常識的な話は別とする。

 そして三本以上を打ったのはオールスターだけだ。

 ルーキーに三本も打たれるわけにはいかないので、当然二本も打たれたら逃げる。


 島野はまるで監督という職業を忘れたかのように、ウキウキと色んなデータを調べている。

 気持ちは分かる。

 甲子園で散々記録を作ってきた高校球児が、プロデビューして一年目。

 正直来期はクビかと思っていた島野は、チームが単に勝つだけではなく、若返りを果たせたことで、来期も戦えるという確信を得た。

 チームとしてだけではなく個人としても、嬉しいのは当たり前だろう。




 問題はデス・ロードをどう乗り切るかだ。

 おそらく神奈川はここから上杉の無双状態が始まる。

 しかしローテーションを守らないと、さすがの上杉でも失投などはある。去年もちゃんと負けているのだ。

 上杉は投手であるから、全ての試合に出られるというわけではない。

 二年前のクローザー九連投で無敗の七セーブというのは、さすがに今年はやらないと思いたい。

 上杉の投げない試合で、確実に神奈川に勝っていく。

 別に示し合わさなくても、他のチームも上杉以外で神奈川には勝とうと思うだろう。


 おそらく、と島野は考える。

 ライガースが日本シリーズまで進むには、リーグ戦の優勝は不可欠だ。

 クライマックスシリーズのファーストステージで上杉に休まれたくないというのもあるが、最初から勝ち星の利がある。

 神奈川に一位を取られれば、おそらくまた負ける。


 八月はただでさえ体力を消耗するし、選手たちもシーズンの中で疲れてくる。

 こういう時にベテランの多いライガースは、ペース配分が上手いのでありがたい。

 あとはこの季節、今年は調子の悪いタイタンズがどう動くのか、それも重要な要素だ。

 四位の広島までは、優勝はまだ狙える位置にあると言っていい。

「選手のタイトル、チームの勝利、チームの優勝、「全部」やらなくっちゃあならないってのが「監督」のつらいところやでえ」

 ただ今年は、首脳陣のチームワークもいいのだ。


 たとえばタイタンズなどには、早稲谷閥と慶応閥というのが存在したりする。

 監督の出身や、ドラフトで取りにいく選手によって、現場の人事が一新されたりすることがある。

 実はライガースも早稲谷派閥らしきものがあるのだが、それよりもさらに巨大な、言わばライガース派閥が存在する。

 ようするにライガースに来れば、全て身内なのである。

 現在のライガースの首脳陣は、二軍まで合わせれば10人をはるかに超えるコーチがいるが、仲がいいとまではいかないが、全てが優勝を目指している。

 球団によってはコーチが監督への昇格を狙って、足を引っ張ることもある。あとは学歴でなかなか監督にはなれなかったりもする。

 だが、今年のライガースは強い。


 大介は、強いて言うなれば甲子園閥だ。

 関東の東京出身であるが、中学までは東京、肝心の高校時代は千葉で、高校もそれまでのプロ野球輩出者がいない。

 さらに言うなら中学時代は部活軟式の出身で、名門シニアとのつながりなどもない。

 だから大介は高校時代の知り合いや同期、それから甲子園出場組の中に入り、ルーキーでありながら一軍に入っており、どのグループとも仲がいい。

 野球やってりゃ全て仲間、というのが大介の考えである。

 もちろんそこに、プロの熾烈な生き残り競争は存在するのだが。




 夏場の試合に加え、九月のシーズン終盤になると、試合の消化具合によって移動が多くなったりもする。

 出来ればそれまでに優勝をほぼ決定させ、残りを消化試合にしつつ、各選手のタイトルを狙って行きたい。

 特に大介の三冠は、最優先事項だ。

 空前絶後の大記録であるし、そして大介にとっても一度しかないチャンスである。

 ひょっとしたら後には大介以上の人間が出てくるのかもしれないが、それでも一年目で三冠王を狙えるチャンスは今年だけなのだ。

 天皇賞や有馬記念には何度か挑戦出来るが、ダービー馬になるチャンスは一度しかない。


 監督やコーチだけではなく、球団にはスコアラーなどの情報分析班もいる。

 この人たちは単年契約の監督などと違い、球団職員である場合が多い。

 八月の時点でここまで優勝が意識にあるのは、この10年ほどはなかったことだ。


 二軍の監督などから、そこそこ新人たちの具合も聞こえてくる。

 今年のルーキーは一軍出場こそ大介と山倉の二人だけであるが、二軍の試合の方ではそこそこ結果を出していたり、最初から試合に出る気もなく、ひたすらトレーニングと練習をしている者もいるのだとか。

 一人突出した選手がいると、孤立するか周りを巻き込むかのどちらかになる。

 神奈川がそうであったように、ライガースも一人の選手が、チームに勢いをつけている。

 大介は周りを率いるタイプではないが、先頭に立って導いてはいる。

 甲子園での勝ち方を知っていて、優勝の味を知っている。




 そんなライガースはホテルのロビーで、甲子園の試合を見ていたりする。

 野球はあくまで仕事で、甲子園に拒否反応を示す者もいるが、ライガースはそもそも甲子園が本拠地なのだ。甲子園を嫌うことは不可能である。

 ガタイのいい男共が集まって、試合を真剣に見つめる。

「あと一人……」

 誰かが言って、ごくりと唾を飲む。


 そして――。

「「「あーっ!」」」

 絶叫が響いた。

「うわ~、マジか~」

「これはひどい」

「ありえへん」


 大介としても後輩の大ポカで、自分が恥ずかしくなってくる。

 佐藤武史、完全試合をあと一人のところで逃す。

 しかも自分でボールを蹴ってしまったので、他の誰の責任でもない。

 見ている方は爆笑であるが、同時にもったいないとも思ったものである。


 単にエラーをするだけなら、溜め息だけで済んだだろう。

 しかし慌ててボールを握りそこない、そこからボールを蹴ってしまってキャッチャーがナイスセービングという。

 笑ってしまう珍プレイである。

「これ絶対、年末に放送されるやつやで」

「まあ他の誰かがミスしたわけやないから、そこだけは救いやな」

 それにパーフェクトは逃してしまったが、ノーヒットノーランは達成した。

 去年の武史も達成寸前まで行きながら、状況が状況だったので交代を告げられたものである。


 もちろんこの出来事は、翌日のスポーツ新聞でも大きく取り上げられた。

『佐藤武 甲子園でキック披露! なおシュートはGK……ではなくキャッチャーの倉田が見事にセーブし得点には至らなかった』

 ほとんどイジメのような記事であったが、スポーツ新聞というのはこういうものである。

 ただ武史はこの件では、マスコミ嫌いにはならなかった。

 むしろ次の日にはあっけらかんと復活していて、練習グラウンドで普通にストレッチなどをしていたものである。


「ええな~、佐藤の弟。甲子園向けの体質やで~」

 そんな評価を受けたりもする。

「大介、お前なんとか言ってうちに連れてこいや。先発三本柱にしたら、めっちゃ強うなるやん」

「タンパリングしてたらあかんでしょう」

 最近、少し関西弁が混じってきた大介である。


 タンパリング。ドラフト会議以前の、学生に対する接触のことである。

 あくまでも球団関係者は、ドラフト会議で交渉権を得る前に、選手と入団交渉などをしてはいけないというルールである。

 しかし大介は個人的に、佐藤家と仲がいいのである。

「いや……あいつそもそも、高校卒業したら野球辞めるんじゃないですかね?」

 大介の観点からも、武史の評価はそういうものであったのだった。

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