三章 プロ一年目 記憶鮮明
第37話 頭のおかしな数字が並ぶ
かつてライガース暗黒時代、本拠地甲子園球場が夏の甲子園で使えない時、ライガースはロードでの連戦となり、成績を落としていった。
これをデス・ロードという。
なお本物の暗黒時代には、デス・ロードが始まる以前に、既に来季の話がされていたという、笑えない話もあったりする。
この数年のライガースは暗黒時代と言うほどではないが安定してBクラスに入っており、それだけに開幕からずっとAクラスを維持しているので、関西は全体が景気が良くなっている。
ライガースというのはそれだけの影響力を持つ集団なのだ。
大介としてもデス・ロードは、大阪ドームが出来て以来まだマシな成績になっていると言っても、甲子園のホームほどには勝率が良くない。
ならばそれまでにチームの成績に加えて、自分の成績も上げておけと、打って打って打ちまくった。
スランプとはなんだったのか。
七月に入ってから、32打席で三安打と一割を切っていた打率が、オールスター後には一気に上がっていった。
大介が打てばチームも勝つ。
オールスター明けは八連勝を含む12勝2敗、七月全体としても15勝10敗と見事に立て直した。
そして、またと言ってしまえばそれまでなのだが、大介は月間MVPに選ばれていた。
七月の上旬には、やっとルーキーによる月間MVPが途切れるかと、ホッとしながらも残念に思っていた記者たちは、どこか空恐ろしいものを感じながら投票をする。
思い返してみれば二年前の上杉もこんな感じだったのだが、彼は打線の援護がなくて取れなかった月があった。
大介の七月の成績は以下の通りである。
打率0.382 出塁率0.505 OPS1.439
打数 76
安打 29
本塁打 12
盗塁 11
四球 19
おかしい。
とあるスポーツ紙の編集部において、デスクを務めるその人物は、上がってきた数字を見ていた。
「おい、これ計算間違ってないか? なんでOPSがこんなに高いんだ?」
「それ訊いてくるの四人目ですよ。間違ってません。原因は安打の内容です」
示された数字を見て、瞬きをして二度見した。
「……普通のヒットよりホームランの方が多いのか?」
「自分でもおかしいと思って、映像から数え直しましたよ。間違いありません」
「いや、おかしいだろ!」
言いたくなる気持ちは分かるが、何度も再計算しなおしたのだ。
白石大介の七月の成績は、普通の単打よりもホームランの方が一本多かった。
「つまり白石は二塁打を打つよりも単打を打つ方が簡単で、単打を打つよりもホームランを打つことの方が簡単だと?」
「外野がものすごく深く守ってるから、三塁打はほとんどないし、二塁打にもなりにくいんですよ。まあ歴代OPSや打率と比べたら、月間ではもっと上の成績を残してる者もいましたけどね」
なお驚くべきはそれだけではない。
「今期の通算にしたらさすがに単打の方が多くなるんですけど、今度は二塁打よりホームランの方が多くなるんですよ」
何かの見間違えかとも思ったが、間違いではない。
これだけの高打率なのにどうして勝負されるのかと考察すると、盗塁数が関係してくる。
大介の現時点での盗塁数は56で、リーグトップ。パまで合わせても二位であるのだ。
つまり歩かせてしまっても、かなりの確率で二塁打になると考えていい。
「今季の通算はどうなってるんだ?」
「それもまあ、需要があると思って計算しましたよ」
数字がパソコンの画面に並ぶ。
打率0.373 出塁率0.506 OPS1.322
打数 332
安打 126
打点 116
本塁打 37
盗塁 56
四死球 91
少しは普通の数字になってきたと思ったが、打率がリーグトップになるし、打点も本塁打もトップである。
ちなみに新人記録は既に抜いている。
ただあまりにも四球で勝負を避けられることが多いので、安打数だけは記録を抜けないだろう。
なお四球で逃げられる回数も、王貞治が偉大すぎて抜けそうにはない。
少なくとも今季は。
「シーズン終了までこの調子を維持したら、OPSの日本記録を超えますね」
「……キャリア一年目の数字じゃないだろ、これは……」
ちなみに残りの試合は44試合。ホームランは50本に届くかもしれない。
「白石は高卒だから、この調子を毎年続けることが出来れば……」
「無理でしょ。金剛寺と助っ人外国人がいてくれるからこんな感じですけど、後ろに恐いバッターがいないと数字はもっと落ちますよ」
「しかしOPSがどうしてこんなに高いんだ? 長打率が高いのは分かるんだが」
「結果的にですけど、OPSに走力が反映されてるんですよ」
本来OPSには盗塁の力は含まれない。
だが歩かせても盗塁されるということで、勝負して長打を打たれている。なにせ歩かせれば間違いなく一塁ランナーに出るが、打率は四割に満たないからだ。
もっとも期待値的には、それでも歩かせた方がマシな場面はある。
だがそれも、二塁まで進めばホームに返してくれる後続がいると考えてのことだ。
将来的には多くのシーズン記録を抜くかもしれない。
とりあえず今季で、打点の記録を塗り替える可能性はある。
残りの44試合で45打点。それでNPB新記録だ。
ただ時代ごとの試合数で考えると、タイまでいったら実質抜いているのと同じだ。
なお王貞治のホームラン数を抜いた外国人が、試合数換算うんぬんを言われないのは、怪我で130試合にしか出ていなかったからでもある。
今季の成績を出してみると、上杉との対決の後に調子を落としている。
だがその後にすぐ復調してくることによって、チーム全体にもいい影響を与えている。
「ええなあ。俺の子供の頃なんて、ライガースは最下位指定席やったのに。五位で終わって来季は行けそうって喜んでた時代やで」
関西出身の記者が言う。それは本当に暗黒時代だ。
とにかく白石大介が凄いということは確かだ。
陽気で明るく、純粋に野球好き。隠さずに金が欲しいというところも高ポイント。
「今年の一番はこいつやな」
プロの世界で輝く大介。
しかし目前には、ライガースが調子を落とす、夏の季節が迫ってきていた。
大介は夏が好きである。
なぜなら、あの高校時代を思い出すから。
白富東は基本的に合理的な練習しか行わなかったが、体力や根性を軽視していたわけではない。
単純に夏、より気温の上がる甲子園のグラウンドで戦うだけの、メンタル的な裏付けは必要であった。
その甲子園の季節が、またやってくる。
母校は今年も、甲子園出場を決めていた。
県大会の決勝で武史がノーヒットノーランを達成していたらしいが、お前はそんなキャラじゃないだろ、と内心で呟く大介である。失礼な。
寮で新聞を読んで食事を終えた後、練習に入る大介。
入念にストレッチとアップを行い、それから素振りに入る。
ビデオで映像に撮りながら、スイングスピードなども測定する。
科学的な検証ではあるのだが、なんだかこれでは足りないとも思う。
上杉相手でも、お互いがストレート勝負だと分かっていたら打てるのだ。
だが昭和の野球でもあるまいし、心理戦までも含めた駆け引きが、ピッチャーとバッターの対決のキモであろう。
その意味では大介は、上杉からはホームランを打って勝ったと言ってもいい情況をつくったが、直史からは一度も勝ったことがない。
紅白戦でそれなりにヒットは打ったし、点も取ったことはもちろんある。
だが、直史の側のチームに勝ったことが一度もなかった。
練習試合でもとにかく、試合に負けるのが直史は大嫌いだったのだ。
肝心の本番のためには、自軍の主砲を不調に陥らせるわけにはいかない。
それが、直史が手を抜いていた理由だ。今ならはっきりと分かる。
紅白戦の中でも、常にバッティングピッチャーをしていたのだ。
あの高校最後の追い出し試合、秦野が大介を下級生チームの代打で出してくれた。
わずか一打席。ピッチャーフライ。
あれがおそらく、本気を出した直史と自分の実力差だ。
そして上杉との二度目の、公式戦での対決があれと同じものだった。
ピッチャーの本能としての奪三振。
それを捨てた上杉には、まだまだ通用しない。
「どーいう体力してるんだか」
二軍グラウンドで練習している大原は、大介の体力に驚愕を隠せない。
食事の時などには、大介は自嘲気味に言ったりする。
「俺は体が小さいから、エネルギーが有効に使えるんだよ」
それは理論的には正しいのかもしれないが、大原も練習中には補給食を用意している。
今年のライガースの若手は皆がそうで、大介もそれを普通に見ているが、人によってはそれは危険だから止めろということもある。
大介は高校時代に、自分の肉体のスペックを完全に測定されて、何に伸び代があるかなど、フィジカル面では既に何をすべきか分かっているのだ。
そんな大介でも、上杉には負ける。
大介だからこそ、上杉は勝ちに来ると言うべきか。
上杉は超人などと言われるが、それでもミスはある。
同じように大介だって、打ちそこないはいくらでもある。
だが大介と対戦するとき、上杉が集中力を乱すことはない。それだけのバッターだと認めているからだ。
大介は今、下半身の強化に挑んでいる。
シーズン中にするような練習ではないとも思うのだが、これをしないとクライマックスシリーズでは勝てないと思っているのだ。
ピッチャーも球速に大事なのは下半身と言われるが、バッティングだってそれは変わらない。
腕よりもずっと力のある足と腰、そのパワーを腕にまでしっかりつなげることが出来なければ、ホームランは打てない。
大介は基本的に、ミートしていないホームランはあまり好きではないのだが、ジャストミートしていない打球でホームランにする技術は必要と思っている。
そして大介は打撃を求められながらも、フットワークの練習は欠かさない。
棒立ちに近い体勢から、クロスステップで打球に追いつき、そこから柔らかく体を使って捕球し、肩の力で一塁に投げる。
場合によっては二塁に投げる併殺処理であるが、それをどれだけ速く正確に行えるかは重要だ。
高校時代、直史やジンは、とりあえずショートに打たせておけば大介がなんとかアウトにするだろうと考えていた。
実際に、一mぐらいジャンプしてライナーを捕ったり、間に合わないところへダイビングキャッチし、寝転んだまま肩だけで一塁に投げてアウトという場面はよくあった。
プロの世界でもこの守備は通用している。
金属バットを使っていないのに、打球の速度は上がっているが、それでも反応出来る範囲である。
大介は素振りを重視する。
極端な話、素振りは正しく行えば、最も打撃においては必要な練習だと思っている。
単純に回数を増やすことはしない。あと連続してぶんぶんと振り回すこともしない。
確かに回数を増やすことに意味はあるが、増やすために不充分なフォームから振っても意味がない。
素振りはスイングスピードを上げるのと共に、正しいフォームを身につけるためにも行う。
回数を増やすために間を置かずに振るだけでは、あまり意味がない。
もちろんただの筋トレ代わりならば、ある程度は意味もあるのかもしれないが。
相手をイメージして、それをさらに上方修正して振る。
えげつない音の素振りを見て、動揺する他の野手陣。
大介のバットは時々、ヘッドが加速するようにさえ見える。左打者がサウスポーの投げた外角を、ライトに放り込むのだから凄まじい。
大介の頭の中には、戦術メモリが存在する。
上杉が占める割合が一番多いが、二番目は直史である。
直史をイメージしながら右のピッチャーを当てはめていけば、大概は打てる。
左のピッチャーは速球派ならば武史、変化球は真田を基本に考える。
大介の相性が一番いいのは、右の速球派である。
タイタンズのエース加納は、変化球も優れているのだが、それでも自慢のストレートを投げることによって、大介に狙い打たれている。
今年のセのタイトルは、またピッチャーは上杉が独占すると思われている。
ただもしもあえて逃すタイトルがあるとしたら、それは勝率のタイトルではないかと言われている。
そしてその対抗馬が、ライガースの山田なのである。
上杉はここまで13勝1敗。
対して山田は9勝1敗。
勝ち星では全く及ばないが、ライガースが直接対決で土をつければ、あるいは取れるのではないか。
投球内容としては柳本の方が山田より上であり、上杉さえいなければといったところか。
山田に勝率は負けているが勝ち星では柳本が11勝で、上杉を追っている。
ただ柳本は完投が多く、終盤に疲労が出ないかは心配である。
上杉の方が完投数が多いのは言うまでもない。
八月に入って、ペナントレースもかなり現実的に優勝が見えてきた。
去年までは連続してブービーだったライガースが、トップに立っているのである。
今年こそは本命と見られていたタイタンズは、広島と熾烈な三位争いをしている。
出来ればシーズン戦で優勝しておきたいと考えるのは、首脳陣の当たり前の思考である。
ポストシーズンに入ってしまえば、上杉がフル稼働する。
二年連続で日本シリーズで三勝しているというのが、神奈川の上杉への依存度を示しているだろう。
その神奈川とクライマックスシリーズで当たるにおいて、より上杉が消耗しているであろう、ファイナルで当たりたいのは当然だ。
逆に言うと神奈川は、上杉をどれだけ温存出来るかで、三年連続の優勝への道がつながる。
つまるところシーズン優勝が、そのまま日本シリーズ進出へと高い確率でつながっているわけである。
もちろん選手が考えることも、シーズン優勝ではある。
だが首脳陣からは、シーズン優勝しなければ日本シリーズ進出も難しいだろうと思われているのだ。
一枚のピッチャーだけでは戦えないプロのシーズン制であるが、それでも上杉の支配力が圧倒的過ぎる。
だがこれを打ってくれそうな、打撃においての化け物がまた入ってきた。
下手をすればクライマックスシリーズで力を使い果たし、神奈川が日本シリーズで負ける可能性もある。
それぐらいならライガースを進出させて、万全の状態で日本シリーズを戦わせて欲しい。
まあそんな無駄な忖度は、シーズン戦で優勝してからのことである。
大介の空気を切り裂くようなスイング。
あれで打たれるピッチャーというのは、あれと対決しなければいけないピッチャーというのは、本当に可哀想だろう。
その音が優勝の大歓声に変わることを、首脳陣たちは夢見ている。
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