第36話 オールスター
今年のプロ野球も、ペナントレースの前半を終了した。
そしてやってくるのはオールスターだ。
このオールスターにおけるファン投票では、この二年は上杉が圧倒的に総合一位を取っていたのだが、今年は大介が一位となった。
やはり先発投手という点では、票が分散しやすいからだろう。
四月から三ヶ月連続で、打者部門の月間MVPを取っている大介が選ばれるのは、ルーキーと言っても当たり前のことである。
そして結局上杉も先発投手としては最高得票を得て、オールスターには出場する。
つまり究極の投手と究極の打者が、同じチームでプレイするわけである。
もっとも、心配はあった。
七月に入ってから、つまり神奈川との試合以来、大介は完全に絶不調に陥っていたからである。
神奈川との二連戦の成績を加えて、38打数でわずかに3安打。
それでも六月までの数字に加えれば、とんでもない成績となるのだが。
打率は0.340でリーグ三位に転落。ただし新人記録の0.341とはほぼ変わらず。
打点は86でまだリーグ一位。ここからある程度戻せば、新人記録の96打点は超えそうである。
本塁打は26本で、これもリーグ二位に転落。ただしあと五本打てば、新人記録タイである。
四球は74で鈍ったとは言え、これも新人記録の97は超えそうである。
盗塁は47でまだ首位。新人記録まではあと9盗塁。
なんだかんだ言いながらOPSは1.198で歴代のシーズントップテンに入っている。
だが打率やOPSは、ここからまだ調子を戻していかないといけない。
チームとしても順位を落とし、三位の広島が迫ってきている。
また大介はこのオールスターの余興の一つとして、ホームラン競争にも出ることになっている。
調子を落としているとはいえ、リーグ二位なのだから仕方がない。
ライガースから他に出場しているのは山田と柳本と西片で、金剛寺などはコンバートと故障の影響もあって監督推薦でも選ばれていない。
しかし先発のエース二人が選ばれているというのは、ライガースファンとしては嬉しいだろうが、首脳陣としては完全に選手を休ませたいので複雑である。
現在のホームラン競争は、定められた時間の間に、何本のホームランを打てるかという形式で行われる。
だがこれもポンポンとピッチャーは投げればいいというわけではなく、打ったボールが着地してから、次のボールを投げるという形式だ。
これは圧倒的に大介に有利であった。
なぜなら他のスラッガーのボールがフライ性で滞空時間が長いのに対して、大介の打球はライナー性で滞空時間が短い。
だが超絶スランプ中の大介に、そもそもちゃんとしたボールが打てるのかという心配はある。
そしてバッティングピッチャーに、大介は西片を選んだ。
「ヤナはともかく鉄人に頼めばやってくれただろうに」
そう言う西片ではあるが、高校時代は普通にピッチャー経験があり、センターの奥深くから大介への中継はストライク中継である。
「だって山田さん、オールスター初出場でしょ?」
「そりゃそうだが、お前もずいぶんと落ち着いてるな」
「甲子園とかワールドカップとか、色々あったんで……」
「そうか……」
ライガースの人間としては、大介入団以前と以後で、明らかに観客が増えているのが分かる。
嫉妬を感じないわけではないが、これで球団経営が良化し、クライマックスシリーズまで進めば、確実に自分の年俸も上がる。
そんな打算的な理由もあって、西片も大介を普通に可愛がっている。
何よりこいつは、そんな効率悪い練習はしません!と宣言しておきながら、誰よりも練習をする。
ファンとしては不安があった。
大介の直近の成績の、あまりのひどさは分かっているからだ。
ルーキーなんだからいくら客寄せパンダになると分かっていても、二軍で調整させてやるべきではという言葉もあった。
だが西片は、同じ球団の野手なので知っている。
ど真ん中ストレートの西片の球を、ぽんぽんと絶頂期と同じように、スタンドに運んでいく大介。
八本放り込んだところで、もういいかとバットを置く余裕がある。
なお、八本連続のホームランであった。
観客席は盛り上がるのと同時に、スランプとはなんだったのかという疑問が出てくる。
次の対戦でもあっさりと全てのボールをホームランにし、翌日の決勝への進出を決めた。
スランプであっても、打てる球なら簡単に打ってしまう。
西片はマシンや、球種を指定したバッピのボールなら、普通に柵越えをしている大介の姿を知っている。
そしてそれでは満足せずに、目をつぶったまま素振りを行っているのだ。
単純なスイングに関してだけなら、大介はいくらでもホームランを狙える。
そしてそれを、こうやって大観衆の前で見せ付けた。
オールスター本戦を前に、NAGOYANドームは盛り上がっている。
そもそもこの圧倒的にホームランが出にくいこの球場で、ポコポコホームランを打てるという方がおかしい。
明日の大阪ドームでの決戦を前にして、大介の優勝は決まったようなものである。
球場の空気が変わってしまった。
オールスターはピッチャーの投球回数の最大が決まっていることもあり、その意味ではMVPは野手から出る可能性が高そうにも思える。
だが、責任イニングを全て三振で終わらせたり、全てのアウトを三振で取ってしまったりすると、それも変わる。
この試合、上杉は先発ではない。暗黙の掟ではあるが、開催される球場の球団からピッチャーが選ばれていた場合、そのピッチャーが先発になる。
この試合、大介は三番のショートで出場している。
パの先発は福岡のエース武内。この間のカードでは当たらなかったので、初めての対決となる。
オールスターは基本的に、年俸査定には関連しない。
オールスター査定というのもあるらしいが、たとえば上杉クラスになると、九連続三振ぐらいしないと印象に残らない。
二年連続で三者凡退させている上杉は、これまでMVPを取っている。
ランナーが一塁、ワンナウトというところで大介に打順が回ってきた。
塁が埋まっているし、お祭り騒ぎのオールスターで、敬遠はさすがにありえない。
この武内もドラフトは三巡目指名ながら、二年目から五年連続で二桁勝利を上げているエース級である。
来年あたりポスティングでメジャーに挑戦するかとも言われているが、ならばさっさと打っておかないといけない。
ホームラン競争ではあれだけの成績を残したが、実戦ではどうなのか。
心配するファンは多いだろうが、大介の不調には純粋に理由がある。
バットの先端を、1cmだけ削ってもらったのだ。
元々標準よりもずっと長いバットを、しかも重い素材で作っていたので、スイングスピードが変わって上手く打てないというのが、その明白な理由というものであった。
だが、この打席はペナントレースと違ってヤマを張れる。
どうせ一年目の高卒ルーキーには、ストレートを初球に投げてくるのだろう。
初球、ど真ん中に159kmのストレートが投げられて、大介は軽くそれに合わせた。
きゅるきゅると回転したボールは、バックスクリーンに激突し、オールセはまず二点を先取した。
お前、不調じゃなかったのか、と色々な選手が目で問いかけている。
「不調ってのはなんだったんだ?」
直接声に出して問いかけたのは、監督推薦で広島から出場している福島であった。
去年も素晴らしい成績を残したこの中継ぎは、今年は先発でもわずかに投げたが、リリーフとして既に15ホールドを記録している。
回跨ぎの投球もして、登板数は多くなっている。ややそれで防御率は落ちているのだが。
大介としては不調と言うよりは、色々と考えながら打っていただけである。
二軍に落とされたら困るので、本当に大事なところでは打っていたが。
「バットを替えたんで、新しい打ち方を試してるだけなんすけどね。単に打つだけなら何も変わらないし」
同じチームでワールドカップを戦った福島でも、こいつの考えは理解不能だ。
ちなみにセの高卒ルーキーで一年目からオールスターに出場しているのは大介だけである。
パの方は上杉と島が出ていて、おそらく上杉は兄弟対決の場面で使われるだろう。
二打席目、追いついたパに対して、二人目のピッチャーから、今度はソロホームランの大介である。
新人がオールスターで二打席連続のホームランというのは前例がない。
セよりはどちらかというと打力に重きを置いた、得点力の高いチームが多い。
福岡はクリーンナップがそのままパの方で選出されていて、実際にセのピッチャーをそれなりに打ってくる。
そういうわけでまたリードをつめられ、同点になったところ、ランナー一二塁で大介である。
ここはさすがに歩かせるという手もある。
少なくともシーズン中であれば、それが正しい選択なのだろう。
だが力と力の勝負はさすがにしないまでも、難しいところを突いていくぐらいは当然である。
アウトローのボールに外れていく球を、大介は先っぽで引っ掛けた。
サードの頭を越えて、三塁線からファールグラウンドへとスピンがかかり、長打となっていく。
ボール球でも、ヒットに出来るコースであった。
二人が帰って、これで本日五打点である。
過去に新人ルーキーのサイクルヒットというのはあった。
試合の展開的に、五打席目が三番の大介には回ってきそうである。
そこで単打と三塁打を打てば、史上二人目のルーキーによるサイクルヒットの達成である。
だがこれは無理であった。
四打席目の大介が、この試合三本目のホームランを打ってしまったからである。
これで今度は一試合四本の新記録の可能性が出てきたのだが、五打席目は打った打球はフェンス直撃の二塁打。
打点こそ増やしたものの、ホームラン数の新記録は達成出来なかった。
もっとも一試合七打点というのは、新記録であったりしたのだが。
投手においては七回から上杉が投入。
今年もまた九人を凡退にし、そのうち七人から三振を奪った。
さすがの上杉もやはり八三振とか九三振は難しいのかとも思われるが、このペースであと九年続けたら、オールスターの通算奪三振記録を抜く。
全セは投打二人の怪物的活躍によって、一戦目を完勝したのであった。
二試合目は、大介はDHでの出場となった。
セ・リーグはDH制を使ってないし、交流戦でも普通にショートを守っていた大介である。
ならば初めてのDHかと言うと、ワールドカップで打撃に専念した試合がある。
シーズン中はともかく、こういった場面にこいつに投げるのはもう嫌だ。
パ・リーグの各球団のエースたちが、げんなりとした表情になっている。
それでも監督に言われればマウンドに登らなければいけないし、このお祭り騒ぎの中、露骨に逃げるわけにもいかない。
ならばお祭りらしく真っ向勝負、と挑んだピッチャーは、普通に打たれた。
前日達成出来なかった、一試合四ホームラン。ちなみにこの試合は、四打席しか回ってこなかった。
打撃に専念すれば、こいつの成績はもっとすごくなるのか。
パのフロントなどは、FA資格が発生した時には、ぜひ交渉をしようという気持ちになった。
特に地元の千葉などはそうであった。
オールスターMVPは、上杉にすら票が入らず、圧倒的な支持を得て大介が獲得した。
MVPの選手への賞金は300万円となっており、これを二試合で獲得してしまった。
またベストバッター賞は当然のように選ばれるため、一年目で1600万円が年俸の大介としては、素晴らしい臨時収入となった。
ライガースからオールスターMVPが出たのは、かれこれ12年ぶりのことであったという。
成績に責任を負わず、ただ自分の本能のままに打てばいい。
大介はあまり考えすぎないようにした。
もちろん試合を決める場面で打つことは大切であるが、ホームランにこだわりすぎると、打撃の成績自体が悪くなる。
バッティングというのは、ホームランの打ちそこないがヒットであるのか、ヒットの延長にホームランがあるのか。
少なくとも大介は、基本的にはホームランを狙っている。
だが狙うことと、こだわることは違う。
こだわってしまえば、ホームランに出来ないボールを見逃してしまう。
ホームランに出来ない球でも、ホームランを狙って打つ。それが結果的にヒットになるならばいい。
そんなわけでオールスターは、大介にとっては素晴らしい気分転換となったのである。
オールスター明け、いよいよシーズン後半となる。
これから打ちまくっていく予定の大介であるが、七月の後半にもなってくると、首脳陣のみならず選手たちもやや憂鬱になってくる。
理由は簡単で、アウェイでの試合が続いていくからだ。
甲子園が高校野球で使われる八月、ライガースはアウェイでの試合を強いられる。
大阪ドームが出来てからは比較的、地元に近い感覚で試合に挑めるようになったのだが、それでもこの期間の成績は悪い。
大介としては、単に暑くて疲労が出やすいだけではないのかとも思う。
それなら他の球団も条件は同じなのかもしれないが、ドーム球場は比較的練習でも基礎的な体力を消耗しない。
完全ドーム球場は、セが二つなのに対し、パは三つ。
案外夏場の練習環境での体力の消耗が、パの強さになっているのかもしれない。
もっともドーム設立以前から、ずっとパの方が成績は良かったのであるが。
アウェイでの後半初カードは、中京フェニックスが相手である。
ここで大介は、小爆発と大爆発を交互に入れた。
点を取るべき時に取る。それがバッターとしての基本だ。
よりにもよって大介の復調に合わせて対戦した、フェニックスの選手たちは泣いていい。
一気に落とした打率やOPS、それに足踏みしていたホームラン数など。
大介はまるで力を溜めていたかのように、このカードから打撃成績を上げていった。
アウェイのNAGOYANドームは、球団本拠地としては最もホームランが出にくい球場として有名であるが、この三連戦で大介は、毎試合の五本塁打。
つまりルーキータイ記録に並んだのである。
そして打率はまた急上昇し、打点も積み重なっていく。
前回もそうであったが、大介の復調のカードで当てられるフェニックスは、本当に気の毒である。
まあオールスター直前の三試合では、無安打に終わっていたので、下手に勝負しにいってしまったのも悪いのだが。
上杉との対決で狂った野球に対するスタンスは、オールスターというお祭りで完全に元に戻った。
今度は誰かの助言もなく、自分自身で立ち直ったのだ。
どんな選手にでも、やはりスランプというのはある。
だがそこから再び浮き上がれる者こそを、本当のプロ野球選手と呼べるのだろう。
ペナントレースはまだまだ50試合以上ある。
ここでどれだけの成績を残せるのか。
うたた寝をしていた獣が、また鋭い牙を、獲物に向けた。
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