第165話 掴み取る居場所
大阪光陰の主戦力と言えば、ピッチャーは真田でバッターは後藤。
同学年ではそう言われていたし、毛利はそういった声も、実力で黙らせればいいと思っていた。
一年の秋からほぼスタメンとなり、大阪光陰のリードオフマンとして得点の機会をどんどんと演出した。
なのにあの甲子園の舞台では、どうしようもなく封じられてしまった。
佐藤兄弟のせいである。
今、あの時の戦友真田は負傷により戦線離脱し、仇敵とさえ言えた大介と、優勝を巡って共闘している。
不思議なこともあるものだと思うが、一番バッターとしては宿敵があちらのチームにはいる。
中村アレックス。白富東では一年の春から、ずっと不動の一番であった。
守備もバッティングも走塁も、全てが高いレベルにある毛利であったが、アレクはその全てで毛利を上回る。
唯一上回れるというのは戦術理解度ぐらいであろうが、それでもアレクの持つフォトジェニックな魅力には、毛利は及ばない。
高卒の新人が二年目でスタメンを獲得しているというのは、充分な成功と言えるだろう。
打率は三割に届かなかったが、先頭打者としては出塁率は高いものを誇っている。
盗塁も出来る足があり、センターとして充分すぎるほどの守備範囲を誇る。
ただ同じ年に、アレクがいたのだけが不幸と言えるだろうか。
あちらは一年目から新人王で、完全に主力になっていた。
実は毛利は一年目、ほとんど一軍の試合には出ていなかったため、今年まだ新人王に選ばれる資格を持っている。
だが去年のアレクと比べると、一軍のスタメンとしては充分に成績を残しているが、それでも新人王には届かない。
今年のセ・リーグの新人王は、おそらくレックスに入った毛利の後輩である緒方か、大卒で広島のローテに入った細田が取るだろう。
ここでもまた、毛利は運が悪いと言えるのか。
めぐり合わせに恵まれていない。
それだけは確かだと言える。
八回の裏、先頭打者として四打席目が回ってきた。
ピッチャー同士の対決はほぼ互角の内容であり、ホームランも一本ずつと、点差もわずかに一点差。
ライガースとしてはエースの山田で勝てないとなると、かなり苦しくなる。
種村は八回もまた続投。
エースクラスのピッチャーとして、完投を目指してくるのか。
(あんまり対戦したこと自体がないけど……)
とにかく自分が出なければ、大介がまともに勝負されない。
甲子園を舞台に大介を敬遠などしたら、ファンの野次が凄いだろう。
だが歩かせてもいいぐらいの気持ちで投げるなら、ホームランを避けるのは難しくない。
ランナーが一人でもいたら、大介は敬遠されるだろうか。
しかしクライマックスシリーズにおいては、金剛寺のホームランで試合が決まったのだ。
確実にヒットで出るというのは難しい。
だが単に出塁するだけなら、随分と難易度は低くなる。
打率は三割に届かないが、出塁率は四割を超える。
それが一番バッターとしての毛利の姿勢である。
ツーストライクからしっかりと粘って、フォアボールで出塁した。
種村の制球がやや落ちてきていることも理由の一つだろう。
ノーアウトのランナーが出たところで、種村は降板。
ジャガースの豊富なリリーフ陣との対決になる。
普通なら進塁打を頭においてバッティングをするところだが、二番の大江はそれは考えないし、首脳陣の指示もそれではない。
下手に一塁が空くと、より大介が歩かされる可能性は高まる。
なので大江には、とにかく内野ゴロだけは打たないように。
ヒットでランナーを増やすことを求められる。
毛利はそこそこのリードを取るが、スチールをしかけるつもりはない。
とにかく重要なのは、ランナーがいる状態でクリーンナップにつなげること。
大介と金剛寺なら、必ずなんとかしてくれる。
大江は粘った末に大きな外野フライを打ったが、タッチアップが出来るようなものでもない。
センターが後退してキャッチし、ワンナウト。
進塁打にもならなかったが、このシチュエーションならこれでいい。
大介が打席へ向かう。
ジャガースベンチからは監督が出てきた、投手の交代を告げた。
左の大介相手に、左のピッチャーを。
左打者だからと言って、大介はサウスポーに弱いわけではない。
だが当然のごとく、確率というのは偏るものである。
ほんのわずかだが打率も長打率も、サウスポー相手の方が悪い。
誤差の範囲であるが、他にも起用の理由はある。
シーズン中の交流戦では、当たったことのないピッチャーなのだ。
初見はピッチャー有利というのは、当たり前のように言われている。
そのあたりも考慮して、ピッチャーは左を持ってきたわけである。
大介としても当然ながら、このピッチャーのデータは頭に入っている。
単にサウスポーなだけではなく、左殺しのスライダーを使ってくる。
特にプレートの端から左打者の内角に投げてくるスライダーは、左殺しとして有名だ。
ただしこのボールは、わりとデッドボールにもなりやすい。
真田ほどの精度はないスライダーなのだ。
だがこんなピッチャーを出してくるということは、勝負にきているということだ。
(スライダーは一球見たい)
そう考えながら、打席に立つ。
他の球種なら、初球からでも打っていける。
初球は外角へボール球のストレート。
次の内角を活かすための組み立てだろう。
そして二球目がそのスライダー。
デッドボールかという軌道から、確かに曲がって内角ストライク。
左バッターにとって打ちにくいというのも、分かる気がする。
ワンストライクワンボール。
大介は脳裏に、ピッチャーのボールの軌道を描いていく。
この能力が大介は、大変に高い。
初見のピッチャーのボールでも打てるのは、この能力があるからだ。
勉強が出来ない代わりに大介は、こういったことに脳の機能を使っている。
情報が一定になれば、打てるのだ。
三球目はカーブで、これも膝元に沈んだ。
微妙な球であったが、これもストライクだ。
そして外角高め、打てなくはないが打っても力は伝わらない高さ。
見逃したことで平行カウントになる。
ここで次のボールは、おおよそ絞れてくる。
スライダーを使うなら、二球目と同じように内角を攻めてくるスライダー。
あるいはゾーンから外に逃げていく、ボール球になる振らせるスライダー。
もしくはそう見せて、内角ギリギリを攻めてくるストレート。
三パターンに絞る。
それ以外の球であれば、そのまま打ってしまうか、難しければカットする。
大切なのは外角のボール球を無理に打ちにいったりしないこと。
そして投げられたボールは、リリースの瞬間から大介の頭の中でイメージとのすりあわせが行われる。
この軌道はスライダー。
二球目と同じく、内角に入ってくる腰が引けそうになるスライダー。
大介は体を早く開くが、バットはまだトップを作った位置に残っている。
気配が変わる。
それはまさに殺気だ。
懐に充分に呼び込んだところで、それまで動いていなかったバットが上半身に連動し、最速の速さでボールにぶつかる。
打った瞬間に、誰もが分かった。
右中間、フェンスを越えて、スタンドの半ばまで。
高く右手を上げたガッツポーズ。
主砲の一発で、ライガースは逆転に成功。
結局この日、全ての打点を稼いだ大介であった。
打つべき時に打つべきホームランを打つ。
三番打者ではあるが、まさに四番の仕事であった。
(真田のスライダーよりは打ちやすかったな)
ベースを一周してベンチで手荒い歓迎を受けているが、まだ試合は終わっていない。
だが流れも勢いも、完全にライガースのものだ。
さらなる追加点こそ入らなかったものの、ここでライガースもクローザーのウェイドを投入。
つないでいって大量点を取るのが得意なジャガースであるが、この流れは止められない。
甲子園球場全体が、まさにライガースを後押ししていると言えよう。
ランナーを出すこともなく、三者凡退。
九回の裏を迎えることもなく、ライガースの勝利であった。
八回には点を取られて、かなり悪いムードであったのだが、それを一発で払拭するのがホームランだ。
勝ち越し点を取られたあと、逆転ホームランを打つ。
持ってる選手でないと出来ないことだろう。
ヒーローインタビューこそ全打点を叩き出した大介のものであるが、先発として一失点に抑えた山田も当然ながら殊勲者である。
また島野監督も、この劇的な逆転によって、チームがいい方向に向かっているな、ということは感じている。
チームが一丸となって、日本一を目指している。
この空気は過去の二年に感じたものと同じだ。
敗北したジャガースの方は、敗因を誰かに帰することはない。
大介を正面から力で封じることは、課題の一つではあったのだ。
それが失敗しただけで。
投球の組み立ては、やや安易であったかもしれない。
だがそれでも、あのコースなら打たれないと思ったのだ。
弱点をいつまでも弱点のままにしておく大介ではない。
だがサウスポーのスライド系の変化は、今でも苦手である。
ただ、来ると狙っていた。
来ると分かっているなら打てる。
あそこは外角を攻められたら、ホームランは打てなかった。
構えは普段と変わらなかっただろうが、完全にスライダーを狙っていたのだ。
もし外に投げられても、カットするぐらいの余裕はあっただろう。
だが、結果はこれである。
甲子園の熱狂は、ほとんど発狂したかのようであった。
小さなスラッガーの姿は、とてつもなく大きく見えた。
同点のホームランに、逆転のホームラン。
クライマックスシリーズでは、そんなに決定的な仕事をしていなかった大介だが、ここは完全にMVPである。
ここまで三試合で四本。
チームの得点七点のうち、五点が大介の打点である。
ヒーローインタビューでは、やはり山田と大介が呼ばれた。
一失点の山田に、三打点の大介。
この二人で、試合の決定的な役割を果たした。
もちろんチャンスを作った毛利や、最後を〆たウェイドの活躍も大きいが、目立つ者は限られている。
本当のヒーローというのは、まさにこういうものなのだ。
ベンチで荷物をまとめる毛利の肩を、叩いたのが大介であった。
そして右手を出してくる。毛利も右手を出すと、それをしっかりと握られた。
「あと二試合、このままの勢いで行こうぜ」
大介はチャンスにおいては、常に敬遠される可能性がある。
大介が敬遠されるとき、ランナーがいて前に進めるなら、それは毛利の役割であろう。
ヒットはいらない。ランナーとして出ればいい。
消極的に思われるかもしれないが、一番打者はまず、初回から出塁を最優先に考えていくべきだろう。
それで、今日の試合も勝ったのだから。
山田を今日の試合に使って、真田がいないライガースは、ここからはある程度の打撃戦になる可能性がある。
そこで一番重要なのは、大介の前にランナーをためておくということ。
出塁する自信は、毛利にはある。
「お前ら仲良くなってきたな」
金剛寺がそう茶化してきたが、一軍で丸々一シーズン、毛利は大介と過ごしてきた。
ランナーとしていれば、何度もホームまで帰してくれたものだ。
おそらく全力で走って帰ってくるよりも、悠々とベースを回って帰ってくる方が多かったはずである。
チームの一員として、完全に機能してきている。
毛利はようやく、プロでもやっていけると思えるようになった。
ライガースは次の試合、琴山が先発である。
防御率は三点台で、おおよそ六回か七回までを投げることが多い。
ライガースとしては真田が故障しなければ、琴山は日本シリーズ、セットアッパーとして使いたいところであった。
だがエースが欠けるということは、ここまで苦しいことなのか。
逆に言えばエースなしでも勝てるなら、その力はさらに大きなものとなっていく。
二勝一敗でリードした日本シリーズ。
勢いに任せて三連勝することを、ライガースは狙っている。
ライガースはこの二年間、地元で胴上げをしているのだから。
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