第203話 荒ぶる魂

 甘く見ていたわけではない。

 ただ、計算しすぎていたのは確かだ。

 今年はこれまで、ずっと抑えていた。

 それが慢心だと、打たれてから気付いた。


 バックスクリーンに直撃したボールがビジョンを破壊したのは、高校時代に一度とプロ入りしてから一度。

 つまりこれが三度目になる。

(やっぱりストレートに力がないと、反発力で飛んでいかないんだな)

 ガッツポーズをしてベースを一周した大介に、敵地神奈川スタジアムであるにも関わらず、大歓声が巻き起こる。

 第65号ホームラン。

 自分の持つホームラン記録まであと二本。

 残り試合数的に、無理な数ではない。

 それに何より、上杉から打ったというのが大きい。


 今季の上杉は、四本しかホームランを打たれていなかった。

 これが五本目になるが、たいていのホームランはリードした終盤、ある程度力を抜いて投げて、六番か七番あたりの、打率の割りにホームランの多いバッターに打たれていた。

 言うなれば甘く見て投げて打たれていたのだ。登板数の多い上杉としては、勝ち星を増やしてリリーフ陣の消耗を防ぐためには、どうしても必要なことであった。

 それには慣れてしまっていても、今の打席とは関係ない。全くの別物だ。

 初回からほぼMAXの173kmが出ていて、それを打たれたのだ。


 高めに浮いたというよりは、力の入ったバックスピンの高めであった。

 普通の打者ならあれは、完全に空振りしてしまうのだ。

 普通ではなく、単なる強打者というのでもない。

 神に近いバッティングのバッターに、あの球は迂闊であったと言うべきか。


 ふつふつと怒りが湧いてくる。

 それは大介に対するものではない。自分に対するものだ。

 どれだけ傲慢であったのか。

 下手な計算をして、勝てる相手ではないと分かっていただろうに。

 呼吸と共に、筋肉が肥大していく。

 ここからが本当の勝負だ。




 初回攻撃。

 上杉は終盤まで、球威が衰えないピッチャーだ。

 この分業制の時代にも、130球ぐらいで平然と完投してしまう。

 そしてそんな完投の時は、たいがい完封もしてしまうのだ。

 なので初回にどう打っていくかが、重要になる。

 

 大介が一点を取った。

 続けてもう一点、難しいが取れれば、今の大原の流れ的に、ライガースが勝てるのではないか。

 終盤までリードして、八回までつなぐ。

 そこから真田とウェイドで、どうにか勝ち星をつけてくれれば。


 大原はここまで一敗で、上杉が二敗。

 上杉を三敗にすれば、勝率で大原が優位になる。

 独占されていた先発投手のタイトルを、上杉から奪い取る。

 それはクライマックスシリーズにおいても、影響を及ぼすかもしれない。


 だが打席に立った金剛寺が見たのは、仁王のように怒りの表情を浮かべた上杉。

 ランナーのいないそこから投げるボールは、珍しくも力強さと共に、荒々しさを感じさせる。

 170kmオーバーのストレート。

 だが普段と違い、ムービングを混ぜてこない。

(怒りで頭に血が上ったか)

 まだ若い、と考える金剛寺は、その170kmオーバーにバットを合わせる。

 そして砕けたバットの破片と共に、ボールは上杉の足元に転がった。




 高校時代県内の大会で負けてばかりの大原は、なかなか自分以上の球速のピッチャーと出会うことがなかった。

 一つ上の吉村も、ほぼ大原と同じであったし、岩崎も同じぐらいであった。

 それがあっけなく崩れるのを見たのは、武史が平気で150km台後半を投げたころか。

 大原の卒業後には、甲子園で160km台をポンポンと投げていて、あんな化け物がまだ覚醒していなかったのかと思ったが、既にプロに入っていた大原は、球速だけなら自分よりも速いピッチャーを、たくさん見ることになる。

 だがそれに比べても、上杉は別格過ぎる。


 高校時代に高校生最速を出し、プロ入り一年目には日本人最速を出した。

 そして三年目には、世界最速のピッチャーとなった。

 恐ろしいのはその自己の記録を、さらに上回ったことだろうか。


 調子がいい時に全力を出したら、MAXが出るというのとは違う。

 普通に力を入れて投げたら、170kmが出てしまうのだ。

 コントロールも良くて変化球もあって、緩急まで使ってくる。

 世界の歴史に残る化け物であるが、武史も大学では167kmなどというボールを投げている。

 球速では全く敵わない。

 MLBに行ったが柳本や東条、同じチームの中でも山田のMAXストレートは大原を上回るし、助っ人外国人のキッドも160km近くを出してくる。

 だが真田を見れば分かることだが、重要なのは球質であって球速ではないのだ。


 大原もスライダーを使うが、真田のそれとは全く違う。

 ただ単に横に曲がるだけの球であり、真田のような決め球とは違うのだ。

 ストレートの力で押していくが、変化球でコンビネーションを作る。

 それで三振が取れたり、打ち損じになったりする。

 だがそうであっても、それなりに点は取られてしまうのだ。


 今の自分の成績は、統計的な偏りだと思っている。

 タイトルが狙える位置だと言うが、ここから連敗してあっさりとその可能性がなくなっても不思議ではない。

 それに自分が投げる時は、大介のホームランが出やすいのも自覚している。

 まあ大介は打って欲しい時には、勝負されたらほぼほぼ打ってくれるのだが。




 大原は打たれることを恐れない。

 恐れるのは、自分のピッチングが出来ていないことだ。

 腕をしっかりと振って、キャッチャーのミットにボールを投げ込む。

 その中ではどうしても、ヒットを打たれることもあるだろう。

 ヒットが重なって、それなりに点数を取られることもある。

 

 スターズはいまだに、平均的には得点力の低いチームだ。

 それでも今年、大原は完封をしたことがない。

 防御率は三点台なのだから、普通に考えればもう何試合かは負けていてもおかしくない。

 だが今年のライガースは、長いイニングを投げたピッチャーには、勝ち星を付けやすくなっているのだ。


 上杉と投げあって勝つ。

 完封とまではいかなくても、七回までをどうにか無失点に抑える。

 全力を出していても、難しいことである。


 とにかく自分の仕事は、七回までだ。

 たとえそこまで0でも、あとはリリーフ陣に任せる。

 九回を投げぬくペースで、とても抑えられるとは思えない。

 フォアボールには気をつけて、しっかりと低めに集める。

 だがそんないいコースでも、ぽかりと打たれてしまうのが、プロの世界なのである。


 そして試合の中盤、わずかに制球の乱れた大原は、そこそこ安牌の八番打者を塁に出してしまった。

 ラストバッターはピッチャーの上杉である。

 上杉はピッチャーだが、プロのレベルでも普通にバッターとして通用する打撃を持っている。

 今までに自分が完封して、自分だけの打点で勝ったという試合が何度もある。

 もういっそのこと、投げない時はファーストあたりで出場しろよという声もあるが、上杉のピッチングのパフォーマンスを見れば、休みは重要だと分かる。

 他のピッチャーが中六日が多いのに、上杉は中四日か中五日で投げてくるのだ。


 だからこの打席でも、大原は油断していたわけではない。

 ただ単に、わずかに失投しただけなのだ。

 甘いところに入ったボールを、上杉は全力で叩いた。

 ボールは伸びて、大介が放り込んだところの、少し下にまで飛んで行った。

 ビジョンこそ破壊しないが、バックスクリーンへの逆転弾。

 これで大原に、二つ目の黒星がつく条件が出てきた。




 大原を続投させるべきなのか。

 五回の時点に二安打しか打たれていないのに、それにホームランが絡んでいるので二失点となってしまった。

 ここからせめて同点に追いつけば、黒星を消すことは出来る。


 七回までだ。

 七回には大介の第三打席があるので、そこで判断することが出来る。

 そう考えていた島野は、やはり少し自分に都合よく考えていたと言えるだろう。

 六回の裏にも、ソロホームランを打たれた。

 これでスコアは、3-1とスターズの二点リードに変わった。


 失敗と言っていいのだろうか。

 どのみち大原でなくても、この一点は取られていたのかもしれない。

 だが一点差なら、どうにか同点に出来ていたかもしれない。


 仮定の話ばかりをするが、大原はこの六回でマウンドを降りた。

 今季二敗目が、大原に記録された。

 そしてその後、ライガースはこれ以上の失点は防いだものの、一点も追加点は取れなかった。

 大介がヒットを打ったのが、せめてもの意地と言えるだろうか。

 だが四打席目には三振し、最後のバッターにもなってしまった。


 上杉一人に負けた試合になった。

 大介は四打数二安打で、ホームランも一本打ったが、それでも試合には負けた。

 上杉は被安打二本、フォアボール一つのほぼ完璧なピッチング。

 やはり三点目の追加点が大きかった。


 これで圧倒的に勝ち星で上回る、上杉の方が勝率でも大原を上回る。

 投手タイトルを四年連続で全て取るかという、上杉の覇道が見えてくる。

 ペナントレース自体は、まだライガースが首位にいる。

 そしてスターズとはもう直接対決がないだけに、スターズの自力優勝は消えてしまった。


 ライガースも優勝を左右するのは、タイタンズとの三連戦を残すのみである。

 これで全敗したら、順位が入れ替わる。

 逆にこの三連戦で三タテで勝てば、おおよそリーグ優勝は決まる。


 今年はセ・リーグは完全に、AクラスとBクラスの成績がはっきりしたシーズンであった。

 もっともBクラスの中でも、広島は勝率五割と、かなりの検討をしていたのであるが。

 先取も監督も、もちろん目の前の試合は大事であるが、意識はかなりクライマックスシリーズを見据えたものになってきている。

 個人タイトルは、もう大介がどこまで、自分の記録を抜くかということに興味が集中している。


 そんな時であった。

 広島が意地を見せて、上杉に三敗目をつけたのは。

 こうしてまた大原の、タイトルの可能性が出てきたのである。

 上杉が三敗目をした時点で、彼の成績は22勝3敗。

 そして大原は14勝2敗である。


 勝率ではわずかに上杉が上回っている。

 だがスターズは残りの試合が少なく、上杉が先発する機会があと一度しかない。

 クライマックスシリーズのことを考えても、無理に二試合詰め込むことは難しい。

 対して雨にたたられたライガースは、大原に二度の先発が回ってくる。

 そこで二つ勝てば、16勝2敗となる。上杉が23勝3敗にしても、わずかに大原が上回ることになるのだ。


 中三日と中二日などで投げれば、上杉は24勝3敗まで伸ばしてこれるかもしれない。

 だがそれでも大原が16勝2敗とすれば、勝率は同率で一位となる。

 上杉がそこまで投げてくるかは、正直微妙なところである。

 上杉が残り一勝もしなかった場合も、大原が一勝してもう一つで負けがつかなければ、やはり勝率でわずかに上回る。

 しかし上杉が23勝3敗とすると、15勝2敗では足りない。


 つまるところ大原は、残りの二試合で二勝しなければいけない。

 そうすれば上杉が24勝3敗にしても、同率でタイトルが取れることになる。

 これにはライガースの首脳陣も興奮した。

 出来れば単独での受賞となり、上杉の完全制覇記録を途切れさせてほしい。

 それにタイトル一つを取れなくても、どうせ沢村賞は上杉である。




「残りはタイタンズとレックスの二試合の予定か……」

 チームが盛り上がっているので、自分も協力しようかと考えている大介である。

 いや、お前は自分の記録に集中した方がいいぞ。


 現在の大介は、打率0.403 打点184 ホームラン65本となっている。

 全て自分が持つ記録、0.404 打点191 ホームラン67本を、九試合あるので更新出来る可能性があるのだ。

 というか、全ての記録を更新して三冠王になれば、もう人間扱いはされないだろう。

 なおスターズの次のレックス戦で二つの四球を選び、既にシーズン最多四球の記録は更新している。

 体に当たるデッドボールは全て避けているので、最多四死球の記録は超えないが。


 これだけ勝負を避けられてきたのも、これだけの打率とホームランを残していれば当たり前である。

 期待値的には200打点70ホームランになっても全くおかしくない。

 四球の数が170個に届くかもしれないが。


 打率、打点、ホームラン、出塁率、OPSといったところで、毎年のように記録を更新し続けてきた大介。

 だがこの五つ全てを同時に更新出来たなら、それはもう神の領域に入ったと言っていい。

(それでも打てないピッチャーはいるんだけどな)

 毎年伸びているのは数字だけではない。

 数字に直結する、身体的な数値や、ピッチャーとの駆け引きも、大介は成長している。

 去年よりも確実に強くなっている。

 同時に上杉も、投球術を磨いているが。


 プロ野球も大きな騒動であるが、今年は大学野球も大きな盛り上がりを見せるだろう。

 直史の大学生活、最後のシーズンであるからだ。

(あいつならリーグ戦全試合完全試合とかしてもおかしくないよなあ)

 不滅の記録に、迫っている。

 そのくせ本人は、まだずっと先を見ている。

 神のごときスラッガーは、まだ当分、その歩みを止めることはないだろう。

 何せ道の先には、明確な背中が見えているのだ。

 その背中は、バッターの背中ではないのだが。

(上杉さんが同じ時代にいてくれたのは幸いだよな)

 有頂天になることもなく、慢心することもなく、ずっと自分の技術を磨いて、相手の心理を洞察していく。この道に終わりはないだろう。

 野球もまた、一つのスポーツではなく、道なのかもしれない。

 それを極めることになるのは、まだずっと先のようである。

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