第209話 傷だらけの獣

 アドバンテージの一勝を含めて、三勝三敗で迎えた、クライマックスシリーズファイナルステージ。

 事実上の今年の、お互いのエース格のピッチャーが先発となった。

 第一戦でも同じであった、ライガースの山田と、タイタンズの本多。

 そして両軍、リリーフも初回から準備万端である。

 立ち上がりが悪ければ、即交代という非情の体制。

 スターズなどとは違った、全ピッチャーを動員する、完全な総力戦となっている。


 どちらのピッチャーが上か。

 育成上がりで、既に完成形となった山田。

 ドラフト一位から手こずったものの、まだまだ先のある本多。

 これがあと三年後なら、おそらく本多であったろう。

 だがこの時点では、まだ山田の経験や執念が、本多を上回っていると考えるべきか。


 山田の防御率、与四死球率、WHIPなどの数値は、ほとんどがチームナンバーワンである。

 唯一完投能力では、大原がかなり上回っている。

 ただこの試合はシーズン中の、出来るだけリリーフ陣も消耗させないような、平凡な一つの試合とは違う。

 全てのリリーフ陣だけではなく、本来は先発のピッチャーですが、立ち上がりの悪くないピッチャーは、敗戦処理のピッチャーの代わりに入っている。

 さすがに立ち上がりの悪い大原は、使われることはないだろうが。


 一回の表のタイタンズの攻撃に対し、山田はフォアボールを一つは出したものの、無失点で抑えた。

 球数はやや多めであるが、立ち上がりはいい。

 対する本多も、完全に本気である。

 いけるところまで全力で、途中まででもガス欠するまで、パーフェクトを狙っていく。

 そう思ってツーアウトを取ったところで、大介の打席が回ってくるわけだが。


 なんだかんだと言いながら、このファイナルステージで大介は、17打数14安打8打点3本塁打。

 打率八割というのは、最後の夏の甲子園の数字に近い。

 たった一人で得点出来る、決戦兵器。

 その大介相手に、本多は勝負をかけた。


 初球から伝家の宝刀フォークを使い、バットコントロールで打った大介であるが、三塁線を越えてファールになる。

 フェンスに当たった打球音がドカンと激しく、下半身が崩れながら打ったフォームで、どうしてあんな打球になるのか、本多も冷や汗を隠せない。

(フォークでダメなら、これでどうよ!) 

 インハイストレートは、またも振りぬかれた。

 完全にスタンド入りの飛距離であったが、ライトのポールのわずかに右。

 大観衆が溜め息をつく。


 158kmのストレートを、あっさりとあの打球にしてしまう。

 まあ上杉の170kmオーバーを打てるのだから、ストレートなどは意味がないのか。

 ただ、本多は例外を知っている。

 170kmオーバーのストレートを打つ大介から、160km以下のストレートでアウトは取れるのだ。


 カウントはツーストライクで、普通なら外に一つ外す場面。

 だが本多はそのサインに首を振る。

(おいおい、ならどうしろってんだ)

(懐に飛び込まないと、必ず殺される)

 このあたりの本多の直感は鋭い。

 分かっていても勝負にいってしまうことはあるが、ここはそんな場面ではないだろう。


 さらにもう一段階、ギアを上に上げる。

 そしてそこから、同じコースへ。

 インハイストレート。じっと待った大介は、それをセンターに向けて弾き返す。

(ミスったな)

 センターがわずかに後退し、キャッチアウト。

 ホップ成分がわずかに増えていて、ミートの瞬間には殺し損ねたと確信していた。




 両軍共に一回の攻防が終わり、三球勝負をした本多に、ライガースファンからさえ賞賛の声が上がる。

 本多はタイタンズにはもったいないピッチャーだ。そんな声である。

 確かに本多は気質的にも、あまりタイタンズ向きではないのだが。

 それが高卒ながら即戦力と認められながら、最初は戸惑った原因でもある。


 コーチの言うことなど聞いていてはいけない。

 プロはあくまで、自分だけが自分に責任を持っている。

 らしくもなく、本多はプロ入り後しばらく、ブレていたのだ。

 本来なら自分の直感に完全に従い、相手と気を合わせていく天才型。

 もちろん基本のコンビネーションなどはあるが、それを土台に自分で組み立てられるのが本多であるのだ。


 投手戦になりそうな予感。

 ライガースのブルペン陣は緊張感はそのままに、いったん肩を作るのをやめる。

 山田も本多も、おそらくはこのシーズンでベストととも言える内容だ。

 そして選手自身が、その自覚がある。


 タイタンズの五番フォスター相手に、山田は真っ向から投げていく。

 バットに当たりはするが、前には飛ばない。

 力と力の勝負。

 ようやく前に飛ばした打球は、ピッチャーライナー。

 これはセンターに抜けていくと思った山田だが、足が届く。


 スパイクで蹴飛ばしたボールは、上手くショートの大介の前に浮いていく。

 ほっとした山田だが、姿勢を保持していた地面が滑った。

 声にならない痛みとともに、何かが切れる音がした。




 監督やコーチが集まり、球場内が騒然とする。

 マウンドの上の山田は、体をごろごろと動かすが、痛みが消えることはない。

 ブルペンでは慌てて他のピッチャーが準備を始め、そして山田は声も出せない激痛の中から、手でバツを作った。

(終わった)

 野球人生が、とまではいかない。

 だが膝の痛みと、あの何かが千切れる音。

 腱か靭帯か、あるいはどちらもが逝った。 

 間違いなく今季は、日本シリーズにも投げることは出来ない。


 気合や根性でどうにかなるレベルではない。

 担架によって運ばれる山田の姿は、色々な意味でショックなものであった。

 島野としてもこの展開はさすがに予想外だ。

 山田が、エースが投げられない。

(これは、あかんか)

 おそらくこの試合で勝っても、日本シリーズでは負ける。

 エースが離脱するということは、それだけ大きなことなのだ。


 だが、ただでは負けない。

 たとえ勝てなくても、日本シリーズは諦めない。

 この試合には他にも、多くのピッチャーが用意しているのだ。

「誰がいける?」

「琴山あたりが」

「よっしゃ、まだ試合は終わっとらんで」

 ワンナウトランナーなし。

 山田の執念のワンナウトを、無駄にするわけにはいかない。




 シーズン中にだって、起こりうることだ。

 山田は育成上がりのため、守備でもアウトを取るという意識が強い。

 あくまで結果論ではあるが、先頭のランナーを出してしまう方が、まだマシであった。

 フォスターは鈍足なのだ。


 ここで緊急リリーフして、点を取られるわけにはいかない。

 琴山もまた、ペース配分は度外視して、全力の球を、慎重に投げ込んでいく。

 山田の負傷退場は、明らかにマイナス。

 だがそのマイナスを、プラスに躍動させられるかどうかが、他の選手にはかかっている。


 続く打者二人を抑えた琴山。

 プレイオフ査定が、今季の彼には重要なことなのだ。


 二回の裏、ライガースの攻撃。

 まだあせるような状況ではないが、本多の前にランナーが出ていない。

 四番の金剛寺は、今年か来年が、最終年だとは思っていた。

 ならば有終の美を飾りたい。


 外角はまだはっきりと見分けられる。

 内角をこそカットしていって、打てる球を投げるように追い込む。

 クリーンヒットはいらない。

 食らい付いていって、なんとしてでも塁に出る。


 今年のシーズン、特に終盤は金剛寺が、内角をミスショットする場面が多かった。

 衰えの中でも、特にどうしようもない部分、

 視力がボールの動きについていけていない。

 それを予想して三戦目までは、大介が塁に出たあとをしっかりと抑えていった。

 第四戦と第五戦は、とにかく粘る場面が多かった。

 チャンスを拡大し、五番の西郷と六番のグラントに託す。

 四番としての姿勢ではなかったかもしれないが、着実に機会は作っていたのだ。


 内角攻めをされていることは分かっている。

 それでもカットして、相手の投げる球をなくしてしまう。

 それが今の金剛寺の、最も嫌らしい四番としての姿だ。

 だが本多の若い力は、それをも屈服させる。

 インハイのストレート。

 打ったボールが自打球となって、金剛寺の顔面を直撃した。




 投打の要となる二人。

 最強の戦力は、大介であったり真田であったりする。

 しかし精神的な支柱は、やはり金剛寺なのだ。

 シーズン序盤、金剛寺がいない間には、ずっと負け越していたライガース。

 多くのレジェンドが去ったライガースの、最後の一人。


 ベンチの中で治療を受ける金剛寺は、単に痛みだけならば、いくらでも耐えられる。

 だが、耐えるだけではどうしようもないこともある。

 顔面の中でも、特に砕けやすい箇所の多い目の付近。

 明らかに視力に影響が出ている。

(潮時か)

 金剛寺は自分で判断が出来る。

「黒田、今のライガースの四番は、チームに奉仕する四番だ」

 監督ではなく、チームのキャプテンとして。

「勝つために行ってこい」

 そしてメンバーがまたも代わる。


 試合の序盤で、中心選手が二人も離脱した。

 本当ならば絶望的な状況なのだろうが、ライガースの士気は落ちていない。

 体のどこかに痛みがあろうが、それを無視して戦い続ける。

 狂戦士のような空気が、今のライガースを包んでいる。


 三連敗のあとの連勝。

 この試合に勝ってしまえば、勢いで日本シリーズまで勝ちそうな気もする。

 島野は金剛寺が、かろうじて打率と出塁率を維持しているが、今シーズン序盤の不調を知っている。

 シーズンオフの間に、どうには疲れを抜いた。

 だが目がボールについていけなくなったのだ。

 今季の成績によっては引退、あるいは来年限りで引退と決めていた。

 幸いにもライガースの打線には、若い力が育ってきている。


 氷を顔に当てながら、ベンチに座る金剛寺。

 ただそれだけで、ライガースの士気は向上する。

(甲子園でここまでアウェイか)

 高校時代、地元のチームと戦った時も、これほどのアウェイではなかった。

 一軍に定着してから、クライマックスシリーズを甲子園で戦うのは初めてのこと。

 むしろライガースを応援する大声援の方が、本多に強い力を与えてくれる。


 飛行機が飛べるのは、強い追い風があるからではない。

 むしろ向かい風があるからこそ、そこに揚力が発生する。

 鳥は向かい風に向かってはばたく。

 その力によって、より高みへと飛んで行くのだ。




 大観衆、そして試合の流れ。

 負傷して離脱したチームメイトの想い。

 そういった全てを背負っていても、本多は負けるわけにはいかない。

 いや、もっと単純に負けたくない。


 上杉に負けてから、ずっと王座奪還を狙っていたタイタンズ。

 だがその上杉を倒しても、ライガースが存在する。

 選手年俸の総計では、実は大介がいるために、それほどライガースと差があるわけではない。

 しかしライガースは個の力が、上手くまとまってチーム全体を強くしている。


 大介がいるからだ。

 大介はチームの打力の中心ではあるが、精神的な支柱とまではいかない。

 だがその一撃は、試合だけではなく、シーズンの中でのチームの動向さえも左右する。

(勝負!)

 そう思って投げたフォークは、見逃せばワンバンするほどの軌道。

 だがその低めを、大介はゴルフスイングで痛打した。


 ボールは高く、そして遠くへと飛んで行く。

 バックスクリーンの、スコアビジョンのさらに上。

 いくらなんでもそれはないという、センター方向への場外ホームランには、惜しくもならなかった。

 跳ね返ってきたボールはグラウンドに戻り、そして大歓声が上がった。


 あそこまでフォークを飛ばせるものなのか。

 確かに角度的には、一番飛ばせるスイングになるのかもしれない。

 だがボール自体に反発力がなければ、あそこまでは飛ばないはずなのだ。

(くそったれ)

 本多に後悔はなく、たださらに闘志を燃やすのみ。


 大介のソロホームランで、まずはライガースが一点先制。

 特大のホームランは、この試合をさらに盛り上げて行くことになる。

 本多は強烈な一打を浴びながらも、まだ心は折れない。

 後続を確実にしとめて、試合は終盤へと進んでいく。


 二つの巨大な力が、お互いを削りながらも勝負は決着が近付いてくる。

 ライガースの継投は上手く機能し、タイタンズに得点を与えない。

 山田が離脱したことによる、残ったピッチャーたちが自分の担当イニングだけを、必死で投げるという展開。

 第五戦に似たこれこそが、むしろライガースの今の陣容では最適だったのか。

 本多はまたランナーを出すが、その後始末は自分でつける。

 初回から飛ばしてきて、さすがにスタミナが切れてきた。


 タイタンズもまた、豪華なリリーフ陣の継投に入る。

 点差はわずか一点。お互いにヒットは五本以下。

 打って勝つのではなく、守って勝つという状況。

 そして八回の裏には、大介の第四打席が回ってくるのであった。

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