第248話 最強の左

 いずれは、という声はあった。

 上杉が最強の時代は、今も続いている。

 ただ最強の選手であっても、シーズンを通して常に最強とは限らない。


 まさかこんなに早く、という声はあっただろう。

 セ・リーグのピッチャーの月間MVPは、去年は全て上杉が獲得した。

 それが今年は、四月から他者に奪還されたのだ。


 あまりにも強い選手一人に、MVPが独占されるのも面白くない。

 そんな言葉と共に、大介も同じことだが、少し調子が悪いと、成績で優っていても選ばれないことがある。

 ただこの月は、上杉の調子が悪かったわけではない。

 6先発の5勝0敗と、誰もが認めるような数字を残している。

 なので単純に、これを上回るピッチャーがいたというだけだ。


 もはや言うまでもなく、それは佐藤武史であった。

 6先発6勝0敗。

 開幕戦のノーヒットノーランを含む、完封が四回。

 50イニングを投げて、奪われた点はわずかに二点。

 ライバルとも言われる真田は3勝1敗、同じライガースなら山田が4勝0敗と、他にもいい成績を残すピッチャーはいた。

 だが投げた試合で全て勝ち、そして全てがハイクオリティスタート。


 上杉一強の時代は、大介の誕生によって覆された。

 だがピッチャーとしての上杉に対抗することは、真田たちなどでも無理であった。

 それを、大卒ルーキーのピッチャーが上回るというこの奇跡。

 野球の神様は、ドラマを求めているらしい。




 四月が終わった時点で、ライガースは20勝9敗、レックスは19勝10敗と、完全にセではこの二チームが抜け出している。

 去年の経験からライガースは痛感し、レックスも分析は完了している。

 ペナントレースを制してアドバンテージのない状態で、スターズと戦うわけにはいかない。

 上杉がフル稼働しても、どうにか消耗させるために、アドバンテージが必要なのだ。


 戦力としてはスターズは、今のところやはり、打撃面での補強が上手くいったとはいえない。

 だがトレードや外国人の獲得デッドラインまでに、どれだけの補強をしてくるか。

 スターズは今、育成がやや微妙である。

 しかし外国人は、そこそこいい活躍をする選手を取ってきたりする。

 そこまでの時間に、どうやって打撃を鍛えて得点力を上げるか。

 それがスターズの課題となっている。


 そして意外と言えば意外なのかもしれないが、今年は最下位争いを、カップスとタイタンズが争っている。

 タイタンズは今季も大型補強を繰り返したが、ベテラン多目という戦力が、裏目に出たと言っていい。

 特にピッチャーは、先発陣がぼろぼろに故障などで離脱した。

 Bクラスだった去年を考え、キャンプからメニューを変えたらしいが、それでベテランが上手く調整しきれなかったらしい。

 これまで中継ぎや、二軍だったピッチャーが多く使われている。

 先発に回された岩崎などは、この調子なら二桁勝てるんじゃないかと、ひそかに投手陣の復帰の遅れを願っている。

 自分の成績にこだわらなければいけない立場の選手とは、そういうものである。


 この四月、野手の部門ではまた当然のごとく、大介が月間MVPに選ばれている。

 打率は四割を超えて、三月終盤の試合も含まれるので試合数は多くなるが、それでもホームランは14本。

 そして自らの持つ月間46打点記録には及ばなかったものの、唯一大介のみが持っている、月間40打点以上を四度目に記録した42打点。

 塁に出たときの得点能力も優れているが、今年は特に、得点圏で確実に打点を稼いでいる。

 盗塁もホームラン以上の数を記録し、おそらくまた盗塁王のタイトルをつかむのではないかと、ある意味もうどうしようもない大活躍である。


 上杉に加えて、武史にも抑えられた。

 それなのに全体的には、成績が上がっている。

 つまりこれは、刺激であったのだ。

 マンネリ化し、自分自身との戦いが主になっていた大介が、新たに戦うべき相手を見つけた。

 それが全般的に、パフォーマンスの向上につながっているのだろう。


 高校時代には対戦できなかった上杉に、高校時代は同じチームで緊張感のある対戦はなかった武史。

 正直なところ、左殺しではあっても、真田が他の球団に行っていれば、左のスライダー攻略は、もう済んでいたような気もする。

 ただこんなライガースを相手に、レックスは三勝二敗と勝ち越しているのだ。

 トップレベルのエースを当てれば、大介が打ってもどうにか勝つことが出来る。

 それが樋口の証明した、統計的な事実である。




 大介は正直、敬遠ばかりをされることには、うんざりとしていたのは間違いない。

 ルールだから仕方がないと言われればそうだが、申告敬遠があっては抗議のための空振りさえ認められない。

 ネットなどでは敬遠数の制限をするべきでは、などという意見も出ていた。

 また敬遠のボールは球数に計算せず、申告敬遠は廃止せよという声もある。


 強打者がチャンスに、敬遠されるというのも、それはそれで見所であったと昔からのファンは言う。

 だが申告敬遠は、ベンチからの申告ただ一つ。

 どうせ敬遠球はそれほど力を入れるわけでもないので、球数制限から除外しろというのはある意味分かる。

 また申告敬遠によって、試合時間の短縮となるとも言われているが、それは本当に観客が願うことなのか。

 それにデータを見てみれば、ほぼ変わらなかったという結果は出ている。

 テレビ局としては、出来れば少しでも短縮してほしいというのは、確かにあるのかもしれないが。


 今季の大介は、また面白い記録を作っている。

 それは出塁記録だ。

 大介が打席に入ると、だいたいそれは何かの記録の更新になっていくのだが、今季の大介は一試合を除いて、四月の試合で出塁を果たしていた。

 その一つが、武史と対戦したあの試合だったのだ。

 二度目の対戦カードでは、武史がローテをずらしたので当たらなかった。 

 ローテが体調不良で先発不可となり、中五日での登板となった。

 それはそこまで不思議ではないが、大介はあれは、ライガースとの対決を避けたからではと思っている。


 勝てる駒を、勝てないかもしれない駒に当てることはない。

 レックスは去年こそAクラスに終わったものの、まだまだ弱いというイメージが強い。

 この雰囲気を味方にして、勝てるところで勝つというのは、真っ当な考えではあるだろう。

 長いシーズン、どうせまた対決する機会は回ってくる。

 このシーズンの序盤においては、まだそれだけの余裕があるのだ。


 首脳陣は正捕手としての樋口の上申を、ほぼ聞き届けたと言っていい。

 武史がピッチャーとしての本能を発揮し、強いチームと戦いたいと思わないタイプなのは、既に分かっている。

 ライガース相手には一度完封しているのだから、格付け自体はそこそこついている。

 もっともルーキーのピッチャーは、研究されればシーズン後半は打たれることにもなる。


 上杉以来、という言葉で武史は表現されている。

 上杉以来の超速球派投手。

 奪三振については、少なくとも今年の上杉よりは上である。

 佐藤直史が結局プロの世界に来なかったのは残念だが、その分まで弟の方が盛り上げてくれる。

 ちなみに武史は兄の話題を出されるたびに、苦笑してしまうのである。

「今投げ合っても勝てないような気はしますね。でもまあ、もう一年ぐらいすれば、さすがに勝てると思いますよ。ずっと投げていない人間と、ずっと投げている人間を比べるわけにもいかないでしょうし」

 残している実績に比して、かなり控えめのコメントである。

 だが武史にとっては、単純に、それが事実だと思われるのだ。


 プロの世界で武史が感じるのは、試合に勝つことはそこそこ簡単だが、優勝は難しいということだ。

 アマチュアの時代、具体的には大学の時は、土曜日に先発で勝っておけば、日曜日に負けてもまた月曜日に登板し、勝ち点を得ることが出来た。

 だがプロの世界では、上杉はおかしなことをやっているが、平均的に中六日で投げるのである。


 先発が楽だなと感じるのは、試合の翌日はほぼ完全にオフで、二日目も軽いキャッチボールなどで済ませることだ。

 武史の感覚が異常なのであるが、先発ピッチャーというのはそれなりに休まないと、回復しきらないのだ。

 20世紀の野球を見るだけでも、今よりは先発で投げる回数が多かった。

 試合数は少なかったのに、一人のピッチャーが先発で投げる回数は多かったのだ。


 目にした中では、MLBであれば中四日か中五日で投げることが多いという情報がある。

 ただこちらは厳密に投球制限がされていて、一試合あたりに投げる球数が少ない。

 最も日本の場合も、かなり球数は少なくなってきているのだが。

 MLBのローテーションピッチャーにとって一番必要なのは、耐久力と回復力ではないのかな、と武史は思った。




 ライガースの空気が微妙であることを、もちろん首脳陣は分かっている。 

 チーム状態自体はいい。課題はあるが、それもそこそこ対処できている。

 社会人出身とはいえ、植村がまさに即戦力で、クローザーを成功させているのには驚きであった。

 ただしいくら経験豊富でも、シーズンは長い。

 後半にこの成績が保てるのなら、確かに本物と言えよう。


 問題となっているのは真田だ。

 今年は6先発で3勝1敗。

 エースとして五試合でハイクオリティスタートと、完璧なピッチングを見せている。

 既に完封もしていて、負けたのはあくまでも相手が悪かったからだ。


 ただ絶対評価ではなく、相対評価で真田は見てしまっている。

 高校時代、ついに勝てなかった佐藤兄弟。

 自分にとってのライバルは、兄の方だと思っていた。

 だが実際には弟の方に、完全に負けているではないか。


 それに加えて、バッテリーを組んでいるのが樋口である。

 自分はまだ入学する前であったが、上杉のあの伝説の決勝戦。

 大阪光陰が、試合に勝って上杉に負けたと言われたあの試合。

 上杉と組んでいたキャッチャーが、今度は武史と組んでいる。


 武史と投げ合って負けたあの試合。

 確かに一点を取られたのは自分であるが、こちらも一点ぐらいは取ってくれてもよかったろうに。

 それを口にしたら、エースとしては終わりだ。

 だが態度のどこかには出てしまい、それで雰囲気が悪くなるのを察してしまう。


 もっと鈍感でいられたら、真田は幸せだったろう。

 しかし繊細でいて、同時で大胆でいることが、真田のピッチャーとしての資質だ。

 そこをどうにかするというのも無理な話なのである。

「やっぱ今日は中止だな」

 登板翌日の完全オフの日、散歩だけをしてきた真田は、寮に戻ってきていた。

 そして選手たちも、二軍グラウンドから戻ってくる。


 昨日の試合も終盤にもつれて、真田は勝ち星を消されてしまっていた。

 もちろんちゃんと査定では、見事なピッチングをしていたことは記録される。

 だが真田がほしいのは、勝利の数なのだ。


 上杉に負けていることは、なんとなく許容してしまっている自分がいた。

 だが同じ年の武史に負けることが、これだけ悔しいとは。

 大学に行かず、そのままプロ入りし、一年目から新人王。

 故障した一年はあったが、その年も中継ぎとして活動しながら、同点のままでイニングを終えて、味方が点を取って八勝もついてしまった。

 プロ入り四年間で、57勝8敗というのは、控えめに言っても充分に化け物であろう。

 ただ上杉という、七年間で158勝10敗という、それ以上の化け物がいたのが、真田の不幸であったのか。

 

 頂点に近い人間には、頂点に近い人間としての苦悩がある。

 なぜ自分は、頂点ではないのかと。

 下を見て満足出来るなら、ここまで上がってきてはいない。

 だが上に上がれば上がるほど、さらに少し上がることさえ、大変なものになってきてしまう。




 試合の中止が決まり、大介はこちらの寮の方にやってきていた。

 なんだかんだ言って設備は、こちらの方が充実している。

 そしてそこで、島本に声をかけられた。

 真田の機嫌が悪くなっている、と。

「いや知らんがな」

 と大介は言ってしまったが、勝敗はそうそう簡単につくものではない。

 次に武史が投げてきたら、おそらく打てるだろうとは思っている。


 真田の心中について、大介が思うことは少ない。

 それは二人の役割が、究極のところでは違うからだろう。

「大介、お前自分より上だって思うバッターに会ったことあるか?」

「そりゃ子供の頃は、上の人間ばかりでしたよ」

「自分より上のバッターがいないと思ったのはいつの時だ?」

「……高二の夏ですかね。なんとなくですけど」

 それでもまだあの時は、西郷や織田など、豪快な強打者や、巧打の才能を目にしていた。


 大介の基準としては、直史を打てる者。

 あるいは上杉を打てる者だが、そんな者はいない。

 去年は堀越に首位打者を取られたが、今年は圧倒的にリードしている。


 大介はいずれ、戦う相手がいなくなる。

 ピッチャーではなく、バッターとして。

 その時にどう考えるのか、島本としては不安だ。

 首脳陣としては、大介には残っていてほしい。

 しかしこの小さな箱庭で、大介がいつまで我慢していられるものか。

 幸いにも上杉という、世界最強の速球ピッチャーが日本にはいる。

 だがもしも上杉が故障でもしてしまったら、という心配はある。


 大介としても、自分に匹敵する者が、バッターで出てこないのはなんだかな、とは思っていた。

 ただバッティングというのは、平均的な数字を残せばいいというものでもない。

 高校二年の夏の甲子園、もしもあの大会でMVPを選ぶとしたら、優勝したチームで逆転サヨナラホームランを打った、樋口になるだろう。

 そういうこともあるから、大介はさほどバッターには、ライバルという者がいるとは感じないのだ。


 真田が無理をするかもしれない。

 島本の危惧は、大介にも分からないではない。

「まあ打って少しでも楽にしてやるしかないですよね」

「頼むぞ」

 粛々と雨が降る中、大介は素振りを再開した。

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