第146話 克服

 シーズン戦は残り38試合で、大介のホームラン数はついに50本に到達している。

 ルーキーイヤーは127試合目、二年目は121試合目で、50本に到達している。

 それを考えれば九試合を欠場しながらも、105試合目で50本に到達しているというのは、いかに去年に比べても尋常ではないペースか分かるというものだ。

 いつかはホームラン記録を更新するんだろうなとは思われていたが、少し打率を落としてみれば、こんなにも簡単にそれに手が届く。

 もちろん尋常ではない鍛錬はしているのだろうが、他の多くの同業者にすると、バグりすぎて羨ましい限りである。


 そんな化け物であっても、弱点や天敵は存在する。

 サウスポー投手の、スライダー方向の変化球。

 高校時代は今はチームメイトの真田から、スライダーをなかなか打てなかった。

 だが元々は、細田のカーブが苦手だったのだ。


 高い位置から落ちて、斜めに入ってくるカーブ。

 背の低い大介にとっては、上手くゾーンに入れられると、点でボールを打たなければいけなくなる。

 だから誰にも言わないが、直史の投げる変化球の中では、ドロップカーブがスルーよりも嫌いだったりする。


 そんな大介のプチトラウマになっている細田は、時々ヒットは打たれるものの、連打は許さない。

 サウスポーのピッチャーには、ランナーが二塁に進むと球威が落ちるタイプがいるのだが、さすがに細田はそんな繊細な神経はしていない。

(やっぱり相性だけじゃなくて、本当にいいピッチャーだったんだよな)

 四回の裏、先頭打者は大介である。

 ここまで細田は二本のヒットに抑えて、ライガースは先発の二階堂が三失点。

 球数も少なく、このままなら細田は完投のペースである。


 先頭打者の大介を歩かせれば、サウスポーの細田からでも盗塁は決めてくる。

 細田は体が大きいこともあって、クイックがあまり早くないのだ。

 なので下手にランナーに出すよりは、ホームランを打たれてもそれほどダメージは少ないと、ベンチは判断する。


 細田はいい意味で無神経なピッチャーだ。

 ホームランを打たれても動揺することなく、満塁のピンチでも動揺しない。

 なのでその能力の最大値を、常に発揮できる。

 プレッシャー知らずのそのピッチングは、技術の優劣よりも重要なものなのだ。


 大介に対しては、ストレートはボール球で投げて、ストライクのカウントはカーブで取ってくる。

 サウスポーが左バッターの内角にカーブを投げるのは、かなり難しいものなのだ。

 技術的にも難しいが、当てないように投げるという、メンタルが必要となる。

 細田のメンタルは、当たったらごめんなさいという、軽いものだ。

 だがそれでちゃんと、大介の胸元や膝元にカーブを投げてくる。


 魔球と呼ばれるほどの変化球を持つピッチャーはいる。

 直史のスルーがそうであるし、真田のスライダーがそうだ。

 その分類だと細田のカーブも、充分に魔球であるのか。

 だが、組んだ相手が悪かったし、大介を甘く見すぎていた。


 フルカウントからの六球目。

 膝元に落ちてきたカーブを、大介はゴルフスイングで振りぬいた。

「甲子園なら推し戻されるか」

 だが今日はホームゲームではあるが、大阪ドームを使っている。

 スコーンとぎりぎり、ライトスタンドに入った。


 反撃の一発。

 そして過去との決別の一発でもある。




 細田のメンタルの頑丈さは、まったくもってたいしたものであった。

 そもそも大卒のピッチャーであれば、一年目から負けることには慣れているものだ。

 高校と違ってバッターの平均レベルは高く、リーグ戦なので負けても取り返しがきく。

 さらに言うと細田は、大学入学時点では、まだ140kmも出ない細い身体であった。


 だが三年の頃には左のピッチャーとして主戦力となり、さらにそこからドラフトで指名されるほどのピッチャーになった。

 ホームランを打たれても動揺しない鈍感力で、淡々と投げ続ける。

 基本的にはカーブとストレートだけの組み合わせなのだが、カーブの変化が三種類ほどある。

 変化量と球速で、しっかりと緩急も取ってくるのだ。

 それと比較するためか、たまに投げてくるストレートが、詰まってしまうことが多い。


 広島が一点を追加して、またも三点差となった、大介の第三打席。

 細田のカーブは速度と角度を変えて、ゾーン内に投げられる。

 ストレートは完全に見せ球で、打ってもフェアグラウンドには飛びそうにない。

 だがランナーのいないこの状況で、細田は勝負をしにきてくれている。


 チームとしてはリードしていて、おそらく今日の二階堂の調子から、まだ何点か取られるだろう。

 そして次の回あたりから、広島はリリーフを投入してくる。

 リーグでもトップクラスのセットアッパーになった福島は、八回に投げることが多い。

 点差があるとはいえ、果たして大介と勝負してくれるかどうか。


 まず、この打席だ。

 頭の上から斜めに落ちてくるかのように錯覚する、細田のカーブ。

 これは、ぎゅるぎゅると回転して、大きく力強く曲がってくる。

 大介はその軌道に、またもゴルフスイングでバットを叩きつける。


 ボールは高く上がった。

 これは甲子園なら、浜風に吹かれてかなり飛距離が変わる。

 細田を相手にした場合、甲子園ではあまりホームランを狙えないのかもしれない。

 スタンドに入ったボールを見送った細田は、それでも涼しい顔をしていた。




 広島との三連戦の初戦、大介は三本連続のホームランを打った。

 それでも三点しか入らず、試合としては負けてしまった。

 そういうこともある。

 二階堂がぽろぽろと失点していたからで、やはり先発ローテに入るのは難しいか。

 先発が炎上してしまった時の第二先発などでは、それなりに結果が残っているのだが。


 次のローテからは山田が帰ってくるので、また敗戦処理やロングリリーフが役割となる。

 そういった試合でもしっかりイニングを投げてくれれば、それなりに年俸は上がるのだ。

 それよりもこの試合で三本のホームランを打ったことで、大介のシーズン通算本塁打は53本となった。

 まだ30試合以上も残っている段階なのにである。


 ただそれでも、打率は一年目や二年目に比べると落ちている。

 OPSの低下はないので、やはりホームランの成績への加算が大きい。

 ただ大介としては、まだまだ打ち足りない。

 サイクルヒットなども打ちたいし、意外なことに猛打賞も少ないのだ。

 なぜならばホームランの確率が高すぎるため、勝負を避けられることが多いので。


 しかしそうなるとまた、盗塁の数が増えてくる。

 打率も高いホームランバッターが勝負を避けられないためには、足の速さが絶対条件だと思う。

 歩かされても二塁へ盗塁し、さらに三盗まで決めてしまったり、ピッチャーに与えるプレッシャーが大きければ、もう対戦することさえ嫌になる。

 ソロならばさっさと打ってもらって、他のバッターを抑えた方がいいとさえ思われている。




 三連戦でさらにもう一本のホームランを打ち、54本。

 そろそろマスコミ全般が騒がしくなってきた。

 まだシーズンは八月の半ばで、残り試合は35試合。

 大介のペースが続くと、記録が更新どころか、70本に到達してもおかしくはない。

 しかもこれは、九試合を欠場しての記録なのだ。


 ホームランというのは、いくら優れたバッターであっても、自分の力だけでは量産できない。

 勝負してくれるピッチャーというのが、どうしても必要なのだ。

 ただ大介は、その点では幸運である。


 かつて50本を超えたあたりからは、外国人選手は徹底的な敬遠攻めにあうことが少なくなかった。

 偉大なホームラン王の記録を超えさせたくないという気持ちがあり、特にその記録を保持しているチームのピッチャーは、徹底的に敬遠したものである。

 だが大介の場合は、現在のホームラン記録の保持者は外国人なため、むしろそれを日本人が塗り替えることは、プロ野球界全体から求められていると言ってもいい。

 さらに言うなら大介は、その体格の小ささが逆に、ピッチャーが勝負を避けることをファンが許さない。

 野球選手の場合、他の要素が似たようなものであれば、体格に優れた方を評価するのが普通である。

 これはピッチャーの上杉の場合もそうなのだ。上杉はほぼ190cmもある巨漢である。

 だが大介は170cmもないし、かといって体重もそこまで重くはない。


 勝負を避けられにくいこと。

 それが大介にとっての、ホームランバッターでの才能と言えるのだろう。

 あとは今年の場合は、もうここまでホームラン数が増えてしまったら、どうせ記録は破られる。

 ならば試合の勝敗と無縁のところでは、勝負させていった方がいいだろう。

 ただでさえ報復のようなビーンボールを投げても、普通にヒットにしたり、下手をすればホームランにするのだから、もうどうしようもない。


 残り七本で、日本新記録。

 これが破れないとしたら、怪我ぐらいしか原因はないだろう。

 今年の大介はプロ入り初めて、怪我らしい怪我で休場した。

 真っ当な勝負をして、その衝撃で手首を捻挫したというのだから、上杉のとんでもなさが間接的に証明された。




 次の三連戦は、アウェイでのフェニックス戦である。

 日本で一番ホームランが出にくい球場ということだが、大介にとってはあまり関係がない。

 フェンスギリギリというホームランもないではないが、基本的にはライナー性の打球で、スタンド中段に叩き込むのが、彼のスタイルである。

 

 気の早い球団関係者は、ぜひ記念となる61号ホームランは、甲子園で打ってほしいと言ってきたりする。

 そんな無茶な、というのが大介の感想だ。

 大介は別に、記念になるような打席に、狙ってホームランを打っているわけではない。

 基本的には全てホームラン狙いであり、ヒットで勝てるような試合であれば、ヒットを狙っていくのだ。

 もっとも上杉レベルが相手となれば、そうそう簡単にいくものでもないが。


 周囲のマスコミだけならず、チームメイトまで、どこかぴりぴりした空気を感じ始める。

 だが大介としては、やることはいつもと変わらない。

 ずっと変わらない。ずっとずっと変わらない。

 

 シーズンは残り35試合で、記録の達成は間違いないであろうと思われている。

 だがそれも重要であるが、今年はまだペナントレースの行方が、決まっていないのだ。

 金剛寺や山田が抜けたこともあって、チームの勢いが止まったというのが大きい。

 それでも例年なら優勝して当たり前の勝率であるのだが、神奈川がとにかく、上杉を酷使して勝ちにきているのだ。

(さっさと優勝決めて、それから記録は考えたらいいだろ)

 そして大介は名古屋の大地に立ったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る