第226話 スランプとの戦い

 白石大介がスランプだと言われても、納得する者は少ないだろう。

 確かに数値的に言えば、過去の成績と比較してあまり良くないと思えるかもしれない。

 だが出塁率を見れば過去のどのシーズンよりも上であったりする。

 それでも四月の打者三冠の成績を見てみれば、これまでにない不調だと分かるだろう。


 打率0.333 リーグ四位

 打点27 リーグ一位

 ホームラン9 リーグ一位タイ


 とにかく打率が悪すぎる。もちろん比較対象は前年までの四割近い打率だ。

 だがヒットを25本しか打っていないのに、46個も四死球があるというのは、明らかに異常である。

 このまま六ヶ月で単純計算したら、250個以上の四死球が今年は出ることになる。

 それだけ歩かせられていて、打点王というのも異常であるが。

 

 チャンスの時には、しっかり打つ。

 ボール球でも無理矢理打って、打点を稼いでしまう。

 それがなければ四球の数は、さらに多くなっていただろう。


 大介は学校の勉強は苦手であったが、地頭が悪いわけではない。

 それにメンタルのバランスは強固であるので、この事態にも必要以上の焦りは感じていない。

 逆に言えば、必要な焦りは感じている。

 去年もこれほどではないが似たような時期が序盤であった。

 やはり高打率で、打点を稼げる金剛寺がいないのが悪いのか。

 今年は大介は、盗塁の数も減らしている。

 下手に一塁を空けると、西郷までも敬遠されるからだ。

 グラントがホームランはともかく、打率がイマイチなのも悪い。

 数値的にはそれほどでもないのだが、印象だけ言うと併殺が多く思われてしまう。


 そしてこの敬遠されすぎ問題は、かなり世間でも問題になってきた。

 ファンはたとえ打たれても、自軍のエースには真っ向勝負を挑んで欲しいものである。

 もちろん優勝がかかっていたり、試合終盤の本当に競った場面では、歩かせることもあるだろう。

 だがシーズン序盤の四月の段階で、敬遠を含めた四球46というのは多過ぎだ。

 他席の三分の一は、逃げられていることになる。


 これに関しては新聞や雑誌、何よりネットにおいて大論争が起こった。

 そして野球ファンのみならず、一般世間からも注目を浴びていく。

 野球というのは他の人口の多いスポーツの中でも、かなり珍しいタイプの競技ではある。

 ピッチャーとバッターの一対一の対決から、プレイが始まるのだ。

 その中の一方のバッターが、極端に勝負を避けられてしまっている。

 大介のような、小柄なバッターが。


 現在のルールにおいては、敬遠は問題ではない。

 試合時間の短縮などから、申告敬遠などというものも生まれている。

 だがルールに反していないからといって、そんなものを続けていたら、野球というスポーズ自体に歪みが出てくる。

 そして最後にはコミッショナーが、昨今の無制限な敬遠を問題と考え、まずは球団の現場で、配慮を要求するという玉虫色の声明を出した。

 これで少しは事態が良化するか、少なくとも牽制にはなっただろう。

 まるで状況が変わらなければ、さらなる実効的な対処が必要になるだろう。


 ただ、問題はそこではなかった。

 あまりにも勝負を避けられていた結果、大介は不振に陥っていたのである。




 バッティングというのは集中力が重要である。

 勝負を避けられ続けてしまった大介は、明らかにその集中を欠くことになっていた。

 フリーバッティングなどとは違う、読み合いを含めた勝負。

 この勘所を、あまりにもまともな勝負がなかったため、忘れてしまったと言うべきか。


 五月に入って世間のバッシングを受けたライガース以外の球団は、申告敬遠の数を大幅に減らしていった。

 それでも一試合に一回程度は、歩かされてしまうのが珍しくない。

 しかしちゃんとゾーン内で勝負されても、大介のミスショットが続くようになったのだ。


 この年も開幕から、上杉に止められるまでは25試合連続で出塁をしていた大介である。

 だが五月に入ってから、他球団のピッチャーの球を、三振まではしないまでも、ミスショットすることが多くなった。

 マシンやバッピの球ならば飛ばせるのだが、勝負にきている現役のピッチャーの球は違う。

 最後の一伸びやキレが、明らかに練習とは違うのだ。

 真剣勝負を避けられ続け、ボール球を狙って打っていった大介は、真っ向勝負の球に弱くなっていた。

 それは実は、上杉とのこの年二度目の勝負から、なんとなくは感じていたものだ。


(やべえな)

 打率がだんだんと落ちていくのは、当然ながら大介も分かっている。

 ミートが上手くいかない。所謂当て勘というものが、上手く働いていないのだ。

 最高の経験は実戦であるとも言うが、やはり最高の練習も実戦であるのか。

 一応試合には出てきて、一試合に一本ぐらいはヒットが打てても、満足なバッティングはなかなか出来ないものだ。

 大介はとりあえず、長打を狙わないようにした。

 確実にミートして、まずはヒットが打てるようにする。

 だがそんなことを考えると、逆にヒットも野手の正面に飛ぶようになる。




 大介の打率がどんどんと落ちていった。

 こんなに一気に落ちるものなのかと、周囲が驚くぐらいには。

 打点はそこそこ稼げるが、ホームランが出ない。

 すると今度は一般大衆は、ちゃんとした勝負になっているのに、打てなくなった大介を責めるのである。

 ここではむしろ球界の人間の方が、大介を養護する声が多かった。


 スランプである。

 以前にも二度ほどこういうことはあったが、まさかここまで悪くなるとは思わなかった。

 それでもゴロを打って、内野安打を稼いだりすることが出来るのが大介である。

 だが本人すらも、そんな内野安打よりは、飛ばすスイングをしなければいけないと分かっている。


 目を瞑ったまま、想定しているピッチャーのボールを打とうとする。

 だがそのボールのコースが、ミートする前に消えてしまう。

 イメージが上手く湧かないというのは、身体を動かすスポーツとしては致命的だ。

 首脳陣としてもこれは心配だが、実戦を積ませて復調を待つ以外に、何か出来ることもない。

 二軍で調整と言っても、二軍レベルのピッチャーを相手にして、調子が上がるのかは分からないのだ。


 首脳陣でも口を出せない。

 幸いなことにチーム自体は、勝率五割以上をキープしている。

 だが後半戦に向けてペナントレースを制するには、必ず大介の長打が必要になる。

 それが分かっているからこそ、辛抱して使い続けるのである。




 そういった姿勢にも、限界がある。

 交流戦前、ついに大介の打率が三割を切った。

 ホームラン数も三位まで落ち、打点も首位を明け渡す。

 並の三番バッターとしてなら、これでも充分な数字である。

 しかしまともにゾーンで勝負してこられても打てないというのは、出塁率も落ちるということである。

 

 これだけはさすがに、四月分の貯金があるのでトップのままだが、塁にも出られないので、盗塁の数も増えていかない。

 ここまで分かりやすいスランプは、そうそう見られるものではない。

 世間の声としては、大介への同情が大半である。

 だが叩く声もそろそろ、出てきてもおかしくはない。


 ついに島野は大介を呼び出した。

「交流戦の間、二軍で調整してみるか?」

 そう言われた大介であるが、首を横に振る。

「むしろ普段はあまり勝負しないピッチャーと、しっかり対戦してみたいです」

「分かった。じゃあ他の者にも言っておく」


 四月の敬遠地獄時代には、ほぼ五分であった勝率。

 それが大介がスランプに陥ったあとも、普通に同じぐらいを保っているのは不思議である。

 金剛寺もまだスタメンに出ることはない。

 また今年は安定していた先発陣も、いまいちな調子となる。

 一つにはイニングイーターであった大原が、しっかりとそれなりの投球をしながらも、援護がつきにくいというものがあった。

 やはり大介の打点がないと、全体的な得点力が落ちるのだ。

 今年は逆に投手陣が安定していた。

 真田が復調し、山田も間に合ったのが大きい。

 大原は勝ち星が伸びないが、しっかりとローテを回して、試合が壊れるほどには失点しない。


 他にもキッド、山倉、琴山あたりがしっかりと、先発のローテを回している、

 飛田と若松が残りのローテ一枠の座を争ったりするが、リリーフ陣も悪くない。

 ただその中ではクローザーのウェイドが、一点差で勝っていた試合を三つ、最終回で逆転されるということはあった。

 それでも数字を見ていれば、投手陣には文句を言えない。




 五月の下旬、交流戦がスタートする。

 ここまで来ると大介のスランプも、さすがに洒落にならないことになってきた。

 しかしあれだけのことをやれば、空前絶後のバッターであっても、スランプに追い込むことは出来るのだ。

 なんだかんだ言いながら、大介はこれまで、まだしも勝負されてきた方だったのだ。

 大介が身長180cmもあるスラッガーであったら、この状況はもっと早くにあったのかもしれない。


 とりあえず大介としては、一軍でピッチャーを相手に、打席を重ねていかなければいけない。

 なんとか塁に出ること自体は出来ていて、OPSも0.7はどうにか維持している。

 しかしこれは去年までのOPSの半分ぐらいである。

 単純に大介のバッターとしての価値が、半分になってしまったと考えればいいのだろうか。


 そして島野を含めた首脳陣は、大介を二軍や控えとすることはしなかったが、打順は替えた。

 さすがにここまで打てないと、ランナーがいても上手く帰せなくなったのだ。

 それでもちゃんと出塁しているのだから、他の球団の三番と比較しても、それほど悪くはないのだが。


 今はとにかく自由に打たせて、インパクトのタイミングを取り戻してもらうしかない。

 得点に絡むことが多い三番よりは、自由に打てる下位打線へ、という考えのものである。

 大介は高校入学以来、ほとんどの試合を三番で打ってきた。

 ごくわずかな例外としては、一番を打ったこともある。

 だが明らかな下位打線というのは、初めてのことである。


 それに傷ついている暇などはない。

 プロ野球選手というのは、成績を残せなくなったら終わりなのだ。

 少なくとも今年のこれまでのバッティング成績では、来年は減俸を提示されても拒めない。

 幸いと言うべきか、守備のほうではスランプはない。

 これで送球のイップスにでもなってしまえば、それこそ本当にどうしようもないのだが。


 素振りのスイングスピードには変化はない。

 だから問題なのは、ミートの瞬間なのだ。

 これまでずっと続けてきた、神技のごときレベルスイングを封印して、スイングからいじった方がいいのかもしれない。

 だがその打ち方で、大介の体で飛ぶのかは疑問である。




 基本的には、好きに打っていいと言われる大介。

 六番打者となった大介の後ろには、石井と島本。

 どちらもあまり、バッティングを期待された選手ではない。


 周囲の認識がおかしくなっているが、大介の打率はまだ、ぎりぎり三割にいかないところで留まっている。

 ボール球を見切る選球眼はあるので、本当なら一番バッターが一番いいのだろう。

 大介を一番にし、同じく出塁率の高い毛利を二番。

 そこから大江、西郷、グラントとつないでいった方が、おそらく点になる可能性は高い。

 だが首脳陣は大介を、そんなポジションで使おうとは思わない。


 大介はスラッガーなのだ。

 長打を打ってなんぼ、盗塁だの出塁率だのは、重要視すべき項目ではない。

 もちろん5ツールプレイヤーとして、傑出した力は持っている。

 しかし今後のことも考えると、シーズン中にどうしても、元の感覚を取り戻してもらわないと困る。


 大介以外に上杉から、狙ってホームランを打てる選手がいるものか。

 そしてプレイオフには、クリーンナップに戻って、去年のような鬼の働きをしてもらわなければいけない。


 求められているものが違うのだ。

 大介もそれは分かっている。

 六番になってからは、これが最初の試合。

 相手は同じ関西の、神戸オーシャンウェーブ。

 二軍同士の関わりからも、大阪ドームを借りることがあることからも、お馴染みの球団である。

 ここを相手に、どうやって大介がプレイしていくか。


 スランプというのは、本当に怖い。

 これまでにもスランプらしきものはあったが、今回のこれは段違いである。

 これこそが本当のスランプと言うべきであったのかもしれない。

 何よりホームランの数が、どんどんと井口や西郷、外国人に離されていっている。

 焦り、戸惑い、怒り。

 オープン戦が好調だっただけに、逆にシーズンの敬遠祭りには参った。

 だがそこから完全に調子を落としたのは、間違いなく自分の責任なのである。


 何をすれば、また元のように打てるようになるのか。

 それでもチーム屈指の打撃力を誇る大介は、爆発の時を待ちながら、この日の打席に入るのであった。

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