第225話 歪む世界

 大介の調子が悪い。

 いや悪いというのはあくまで過去比較であるし、そもそも数字が伸びない原因は明確なのだ。

 開幕から全てのチームとのカードが一巡し、15試合が終わった。

 大介の打率は0.390と相変わらずおかしいものである。

 だが出塁率は0.597とそれよりもさらにおかしくなっている。

 過去のデータを見てみれば、大介のシーズン出塁率が一番高かったのは、去年の0.570である。

 つまり今年は、敬遠やそれに近いフォアボールが極端に多いということである。

 

 62打席で21個の四球、もしくは敬遠。

 つまり三打席に一度の割合で敬遠されているのだ。

 三割打てれば一流打者という世界。

 即ち三打席に一度は必ず出塁している大介は、その時点で一流ということであろう。

 これに四割近い打率がプラスする。

 だがチーム全体の調子は、いまいち波に乗れていない。

 八勝七敗なので、勝率が五割を切っているわけではない。

 ただ去年二敗しかしなかった大原が既に二敗していたり、明らかに打線の援護が去年とは違うバランスである。

 

 レックスだけは比較的勝負してきたが、上杉以外が投げる時はスターズも、基本的には勝負を避けてくる。

 ノーアウト二塁で大介に回れば、ほぼ確実に申告敬遠。

 甲子園のみならず敵方本拠地でさえ、遠征したライガースファン以外さえもが大ブーイングである。

 グラウンドに物が投げ込まれることを見ることが連日。

 さすがの大介もフラストレーションが溜まってくる。


 まともに勝負して打ち取られたのが、ほとんど上杉だけというのは例年と同じ。

 全打席を勝負してきたら、ほぼ確実に打って勝てるのだ。

 ホームランにしてもランナーが複数いれば、まず勝負されることはない。

 さすがに満塁で、ほぼ敬遠に近いようなボールは、無理に打って打点を稼いだが。


 15試合でホームラン6本の18打点というのは立派なものである。

 だがここまで勝負されないと、いっそのことバットを持たずにバッターボックスに入ってもいいのではないかと思う。

 今は申告敬遠があって、本当に良かったなと思う。

 だがそろそろピッチャーはともかく、申告敬遠を出す監督の方は、ライガースファンに襲われてもおかしくない気がする。

 いや、本当に冗談ではなく。

 スポーツ新聞においては、申告敬遠は本当に必要なのか、などという記事まで出てきてしまう。

 一人のバッターに対して、これほどまでにフォアボールが増えている。

 単純計算ならば日本記録を更新した去年よりも、さらに早いペースで大介のフォアボールは増えているのだ。


 最初は勝負を避けられるのも、仕方がないかと思っていた大介である。

 去年の不調はボール球を無理に打ちにいったことだと、原因らしきものが分かっているからだ。

 だが大介を歩かせて、ついでに西郷も歩かせるというパターンが増えてくる。

 それでも西郷はまだ、打率が三割に到達していないだけ、そこそこ勝負してもらえるのである。

 



 大介は基本的には、ルールを守る人間である。

 だがこの事態にはさすがに呆れてきた。

「ルールを破ってるわけじゃないですけど、お客さんに見てもらえる野球をしてると胸を張って言えるんですかね」

 さすがにこれぐらいは言ってしまうし、誰もこれを言いすぎだとは思わないし、むしろ擁護の声の方が大きかった。

 現代はマスコミが勝手に、世間の声を作れる時代ではない。

 それに確かにスポーツマスコミなども、現状を良しとはしていないのである。


 上杉は全く大介との勝負を避けていない。

 既にこの年も一度の対戦があり、大介は四打数一安打と、非常におとなしい成績に終わった。

 上杉と大介が、とにかく突出しすぎている。

 もちろんそれ以外にも、かなりの実力者は存在する。

 大介と同じチームであれば、真田と西郷の二人は、間違いなくベストナイン候補だ。

 と言うか、去年西郷はベストナインに選ばれたのだが。なおゴールデングラブは取れなかった。


 西郷というスラッガーが後ろにいてなお、大介との勝負が避けられる。

 いくらなんでもまずいと、球界のご意見番などは苦言を呈する。

 確かにプロの世界は、勝ち負けが人生に直結する真剣勝負だが、同時にこれは興行でもあるのだ。

 このまま大介を敬遠しまくって、打率はともかくホームランや打点のタイトルが取れなかったとする。

 野球ファンはそれで納得出来るのだろうか。


 タイトル争いになって、勝負を避けられまくるのも、ファンとしては興ざめなのである。

 それがまだまだタイトルは決しない、シーズン序盤からこの仕打ち。

 大介に打たれたくないからといって、これはやりすぎではないのか。


 全球団が包囲網を敷いて、とにかく大介の打数を少なくしようとしている。

 オープン戦などではちゃんとボール球は選んでいった大介であるが、シーズン戦ではボール球も振っていかざるをえない。

 西郷はほぼ三割を打っていて、しかも長打力はある。

 だが単に歩かされるだけの打席など、面白いはずもないではないか。




 そしてついにレックスとの二度目の三連戦のカード、大介は暴挙に出る。

 ワンナウト二三塁で、これは明らかに大介を歩かせて満塁策という場面。

 バッターボックスに立った大介は、バットを持っていなかった。


 舞台は甲子園球場である。

 なお長いプロ野球の歴史において、こういったパフォーマンスを行ったのは大介が初めてではない。

 ただしその頃は申告敬遠もなく、バットを持たないバッターに対しても、バッテリーはしっかりと敬遠をした。

 美学が残っていた時代であるのだ。


 甲子園球場は沸き立ったが、当然のようにレックスは申告敬遠。

 大介はバットを置くおこともなく、そのまま一塁に進んだのである。

 まあここでゾーンに投げてきたりしたら、それこそ二球目から大介はバットを握ったであろうから、これは仕方がない。

 バットを持たない大介であっても、勝負を避けることに忌避感は持っていない吉村であったが、さすがにこれは球場中が敵になる。

 続く西郷のグランドスラムが出て、この日の勝敗は決定した。




 ルールの改正が必要なのではないだろうか。

 NPB初の四割打者が、今年はもうガンガンと盗塁も決めている。

 球界の人間が恐れているのは、大介が盗塁の記録さえも塗り替えてしまうこと。

 基本的に大介は、勝負してもらった打席の多い試合では、あまり走ろうとしない。

 だが歩かされたらかなりの確率で、盗塁を決めてくる。

 

 盗塁のシーズン記録を、大介が塗り替える可能性が出てきた。

 そんなことになったら打者の最高記録を、主要なものは全て大介が保持することになる。

 この状態は歪以外の何者でもないだろう。


 ピッチャーに関しても上杉は、投手の主要タイトル四つ以外にも、多くのタイトルを毎年取っている。

 もう上杉がいる限り、他のピッチャーは沢村賞を取れないのかもしれない。そんなことまで言われている。

 だが上杉は、ちゃんとバッターと勝負をしにいっている。

 大介相手にも四打席を真っ向勝負して、単打一つに抑えたものだ。

 だが勝負していかなければいけないピッチャーに比べると、申告敬遠をされたらもう、塁上で色々と動くしかないバッターはかなり悲惨なのである。

 しかもそこそこゾーンから外れたボール球でも無理に打っていくので、打率自体も下がってくる。

 一人の突出したバッターのために、ルールを改正する必要があるのではないか。


 これは大介に対する忖度と言うよりは、大介が今のルールでは不利すぎるからだ。

 スーパースターが一人いれば、それを盛り上げていかなければいけないのが、NPB全体の意見である。

 しかしだからと言って、大介に勝負させることを義務化するわけにもいかない。

 また大介が打てなくても、ライガースはそれなりに勝っているのだ。

 ただ、19試合が消化された時点で四位と、明らかにひどい数字になっている。


 いくら大介が恐ろしいバッターでも、後ろにも恐ろしいバッターがいれば、勝負はしづらくなる。

 ここで四番の西郷の重要度が上がるのだが、西郷もかなり勝負を回避される。

 それなりにちゃんと打っているのに、なぜか打っていない印象を持たれてしまう。

 西郷もまた、不運なバッターであろう。




 ルールが大介に合わせて改正されるなど、さすがに無茶な話である。

 ただそれとは全く別に、勝負を避けるピッチャーと、勝負をさせない監督に、批判の声が向かって行く。

 プロの名前剥奪だ。そんなことなら辞めちまえと、特に甲子園のファンは罵声の種類が多くなってくる。

 下手にチームが負けだすと、味方の選手にもその罵声は飛ぶので、正直やめてほしいのだが。


 しかしこの反応を受けて、翌日の三連戦の二戦目、レックスは勝負をさせてしまった。

 サウスポーでスライダーを使える金原だったからというのもあるが、大介は四打数の三安打二ホームランと、一気に爆発してしまう。

 これを見て第三戦では、やはり勝負を避けられることになるのだが。


 一試合に二打席か、下手をすれば一打席しか、バッティングの機会が与えられない。

 こんな状況では当然名がら、大介の各種記録は伸びていかない。

 最高出塁率だけは当たり前のようにトップであるが、それ以外がひどいものだ。

 いや打率は逆の意味でひどいものになってしまったが。


 前年68本、ほぼ二試合に一本のペースで打っていたのに、今年は21試合を消化して、八本塁打の24打点。

 おかしいと言ってはいけない。普通ならこのペースでも、50本以上のホームランを打ってホームラン王になれる。

 だが大介の60本以上のホームランに慣れてしまったファンには、明らかに物足りない。

 大介のせいではないが、大介の影響が大きい。

 そして苛立って盗塁をするので、このペースだと盗塁の記録も出てしまいそうだ。


 打率は四割を超え、出塁率は六割を超え、OPSは1.6を超える。

 これはホームランや打点は重ねていくものだから仕方ないが、確率の数値の成績がひどいものになりそうだ。

 だがもちろんこのままの成績で終わるとは、大介は思っていない。


 これだけ勝負を避けられていては、いずれ必ず勝負勘が鈍ってくる。

 その時にいざ勝負されて、ちゃんと打てるものかどうか。

 迷いの中で大介は、フラストレーションをためまくる。

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