第223話 舶来品信仰

 プロ野球選手になることとメジャーリーガーになること、これはどちらの方が大変か。

 プロ野球選手を一軍の選手と限定するとしても、それでもメジャーリーガーになる方が、よほど難しい。

 単純にNPbの中からもトップレベルの選手しか渡米しないではないかという、表層的な事実は別にしても、なんと言ってもメジャーリーガーはそのデビューが、平均で25歳ぐらいだったりするのだ。


 MLBは契約すれば、まずメジャー傘下のルーキーリーグから出発する。

 これぐらいであると給料は普通の職業よりもよほど安く、日本の育成の方がよほど良かったりする。

 そしてAやAAと上がっていき、その頂点がMLBなのだ。

 アメリカではプロ野球選手という言葉ではなく、メジャーリーガーかそうでないかで判別をする。

 AAAまでは金を貰ってプレイするプロではあるが、とてもスターと呼べる存在ではないのだ。


 そしてメジャーとしてもAAAなどで今年も昇格しない選手などは、日本に送ることはある。

 だいたい日本のNPBのレベルはMLBとAAAの中間などと言われて、小遣い稼ぎに日本へやってきて、どこが中間やねん!(なぜか関西弁)という感想を残して去っていくメジャーリーガーもいる。

 またAAAから昇格がなかった者を、日本で使うこともある。

 MLBの方が給料はいいというのは、正しくはあるが完全に正しいわけでもない。

 年俸についてなんだかだと言える年齢までは、むしろ日本の方が年俸が高いのは、以前にもあったとおりである。


 弱冠20歳のこの青年は、ジェイソン・オニールという黒人のピッチャーであった。

 身長は高く、大介よりも頭一つは大きいか。

 こういうところだけは心の狭い大介は、まずこれでこいつのことを嫌いになる理由が出来た。

 チームに合流したのはキャンプから本土へ戻る直前。

 チームはこいつのために、3LDKの高級マンションを用意したという。




「どういうピッチャーなんすか?」

 大介の問いに対して、島本は難しい顔をする。

「まあ……見ていれば分かると思うが」

 よってブルペンで投げるその様子を、見物する大介である。


 オニールは見るからに速球派のパワーピッチャーである。

 実際に軽く投げるだけでも、相当の球威を感じさせた。

 手足が長く、特に手が長い。

 あれで投げ下ろしてくるなら、確かに打つのは大変かな、と思わないでもない。


 風間が座って、そこに投げ込みを行う。

 鞭のようにしなる腕から、投げられるストレート。

 今でも充分に速いが、おそらくギアはもっと上だろう。

「150kmは出てますよね」

「あっちでは100マイル出すピッチャーとして有名だったからな」

「だいたい161kmってとこですか」

 別にたいしたことはない。


 現在のプロ野球界において、160kmオーバーを投げられる日本人選手は二人しかいない。

 正確にはもう少しいるのだが、ちゃんと試合の中で、160kmオーバーを使えるピッチャーが少ないのだ。

 そして手の長さから、リリーフポイントはさらに前。

 これはおそらく球速以上に、攻略することは厄介だろう。

 まあ味方なので、相手はご愁傷様といったところか。


 ただ、大介の敵ではない。

 そう思ったので、もう少し見ていくことにする。

 この程度のレベルのピッチャーであれば、日本には打てるバッターはいる。たくさんいる。

 球速だけで取ってきたなら、まだ熟成がたりないところである。


 あとは変化球である。

 変化球の組み合わせ次第では、このピッチャーは化けるだろう。

 大介はそう思って見ていたのだが、最後に数球投げたのは、カットボール。

 そしてカーブであった。

「おお」

 思わず楽しそうな声が出てしまった大介である。


 大介は当然ながら、世界で一番のカーブを投げるのは、直史だと思っている。

 それは直史が何種類ものカーブを持ち、完全に投げ分けることが出来るからだ。

 投げ分けた数種類のカーブは、どれもが一級品。

 だがオニールのカーブは、その一種類だけなのだろうが、直史のカーブを凌駕していた。


 理屈としては、身長と腕の長さだ。

 高い位置でリリースし、頭の上から降ってくる。

 物理的に、直史には不可能なボールなのである。

(細田のに似てるけど……)

 あれよりも上か。


 球種は三つだけである。

 だがカットボールとカーブのコンビネーションだけで、おおよその打者は打ち取ることが出来るだろう。

 シーズンに向けて調整して、球速がMAXにもなれば、ローテの一角を占めるようになるだろう。

(けどあんなコントロールで大丈夫なのか?)

 コントロールが悪いというか、全て高めに浮いてしまっている。

 昨今は高めの釣り球のストレートで空振りを取るというのが、一つのトレンドにはなっている。

 だがそれは低めにちゃんとコントロール出来ることが大前提だ。

(念のために調べてみるか)

 と言っても知っていそうな人間に確認するだけなのだが。




 ジェイソン・オニールが日本にやってきた理由の一つは、やはり金である。

 マイナーとは別格の報酬を誇る日本のプロ野球は、若手のメジャーリーガーや、マイナーリーグの選手にとっては、実はいい稼ぎ場なのである。

 かつては都落ちと言われたものだが、21世紀以降は、日本のピッチャーはかなりMLBでも認知されている。

 日本で名前を上げてから、MLBへ。

 これは一度MLBで評価を落とした者が、日本でもう一花咲かせるのと似た感じであろうか。


 だがオニールにとってはもう一つ、もっとはっきりした目的がある。

 彼はかつて、ワールドカップを見たことがあるのだ。

 そう、カナダにて行われた、U-18ワールドカップを。

 アメリカとカナダはスポーツ中継などは、かなりの部分が同じものになっている。

 MLBの球団にも、カナダに本拠地を置くチームがあるぐらいだ。


 生まれて初めて、予告ホームランなどというものを見た。

 そしてあれっきり、世界のどこを見ても、成功した予告ホームランを見たことはない。

 予告しておいて失敗する恥晒しは、けっこうあのあと、一時的に増えたのだが。

 つまるところ彼は、単純に大介のファンだったのである。

「そんな面白いピッチャーなら他の球団に連れて行った方が、俺も楽しめたのに」

『今の白石君が楽しめるほどのピッチャーじゃないから、ライガースに入れたのよ』

 セイバーの評価は辛い。


 沖縄から甲子園に戻ってきて、オープン戦が始まっている。

 練習試合の時から、ライガースの選手はいい調子である。

 左右のエースとも言える山田と真田が、どちらも復調しているのだ。

 だが全てが計算通りに行くわけではない。

 金剛寺はまだ仕上がっていないし、オニールが案外打たれている。

 しかもパターンが決まっていて、粘られたところに投げるストレートが浮いてしまって、それを打たれているのだ。

 球速は150km台後半に達するのだが、それでも打たれる。

「まあ、そりゃそうだわなあ」

 それが大介の感想である。




 日本のピッチャーがMLBに行って活躍するようになって、もうかなりの時間が経過している。

 しかしその中には、日本でも成功してMLBで成功する者、日本で成功してMLBで失敗する者、そして日本ではそこそこしか成功しなかったのに、なぜかMLBで成功している者がごくわずかにいる。

 別におかしな話ではない。

 オニールの場合はコントロールが安定しないのと、クイックが未熟なのが理由である。

 正直なところ今回は、スカウトの判断が外れたとしか言いようがない。

 ただ海外スカウトの目から見れば、アメリカ時代のオニールはもっとまともなコントロールをしていた。

 セットポジションからのクイックは、確かに苦手であったが。


 ただ問題なのは、コントロールなのである。

 そしてそのコントロール難の原因は、大介は既に知らされている。

 セイバーがオニールを日本に連れてこなかった原因である。


 まだ肌寒い三月に、オニールはピッチング練習をしている。

 肩は消耗品ということで、厳密に投球制限をして行っている。

 実際のところは、鍛えないと球は速くならないと、大介は考えている。

 直史の、無茶苦茶なピッチング練習を見ていたので。


 悩みながらオニールを見守っている、バッテリーコーチの島本に話しかける。

「島本さん、ちょっとオニールのこといいですか?」

「何か気付いたのか?」

 島本はさすがに、ピッチングとキャッチングについては、大介もそれほど精通していないと認識している。

 だが大介にしても、これは自分で気が付いたことではない。


 オニールも自分の名前を口にしたのが、あの大介であると気付いた。

 ダイ、つまり死という意味の名前を持つ、現役では世界最強かもしれないスラッガー。

 言葉の壁があるためなかなか話す機会もないが、話してみたいとはずっと思っていたのだ。

 キャンプ中ということで、なかなか話しかける機会もなかったのだが。


「握り、見せてもらっていいすかね?」

「握り?」

 通訳に従って、オニールはボールの握りを見せる。

「じゃあこのボールなら?」

 大介の持ってきたボールに、島本は違和感を覚えた。

 だがオニールの方は、そのボールを握って微笑んだ。

「これは……MLBのボールじゃないのか?」

「そうっす。そんでこいつってめっちゃ手もでかいじゃないすか」

「……そういうことなのか?」

 さすがに島本も、ヒントを与えられればあっさりと分かる。


 MLBと日本のボールを比べると、日本のボールの方が投げやすいと、多くのメジャーに挑戦したピッチャーは言う。

 もちろん同じ野球で使うボールなので、そう大きな違いがあるわけではない。

 だが逆に言うと細かいところでは、けっこうな違いがあるのだ。

 ちなみに世界大会の多くは、日本のボールが基準になっている。




 日本のボールとMLBのボールを比べて、違うところは大きく三つ。

 大きさ、縫い目の高さ、滑りやすいさである。

 しっかりと指のかかる日本のボールの方が、日本育ちのピッチャーは投げやすいという。

 メジャーからの助っ人さえ、日本のボールの方が投げやすいというピッチャーは多い。

 だがごくまれに、MLBのボールの方が、投げやすい人間もいるのである。


 オニールの制球難の原因は、ボールが小さいため深く握ってしまうことだ。

 もう少し浅めに握れば、低めにもコントロール出来るだろう。

「あとはMLBの方がマウンドの傾斜はあるとか、そもそもマウンドが堅いとかも聞きましたけどね」

 そのあたりはオニールの場合、あまり自分でも感じていなかったのだが。

「しかしどうする? 試合ではもちろん日本の公式球しか使えないぞ」

「まあ四六時中ずっと握ってもらって慣れてもらうのと、あとはフォームの修正でしょうけど、これはさすがに俺の手には余りますんで」

「しかしよく気付いたな」

「まあMLBとNPBで使うボールの違いを、ちょっと聞いてみただけです」

 二人ほどに。一人はセイバーであり、もう一人はWBCでMLBのボールを使った直史だ。


 島本はベテランであり、間違いなく一線をずっと戦ってきたキャッチャーだ。

 だがMLBに挑戦したことはなく、WBCの選手にも選ばれたことはない。

 なので日本人ピッチャーやバッターがMLBのボールに苦心しているのはよく聞いても、逆のパターンはあまり聞いてこなかったのだ。

「これはもう、慣れてもらうしかないか」

 島本は頭を抱える。

 おそらくこれは、開幕には間に合わないのではないか。


 そんな島本の姿を見ながら、オニールの通訳が大介に話かける。

「あの、ジェイソンがあなたと、対決してみたいと言ってますが」

「俺と?」

 勝負してみたいかなとは思っていたが、その必要もないだろうと考えていた大介である。

 そもそも日本のボールでは、オニールの力は出し切れない。

「是非にと」

「ほ~ん、じゃあメジャーのボールで試してみるか」

「おいこら、勝手なことをするな」

 島本としては当然の話だが、大介にも言い分はある。

「このままじゃ使い物にならないでしょ。ショック療法でメジャー流は諦めてもらって、さっさと日本式に慣れてもらった方がいいと思うんですけどね」

「う~ん、それは……」

 言い分としては、納得出来ないものでもない。

 何よりオニールが、ものすごく乗り気である。

 ただ島本には、ここからの展開が完全に予想出来ていた。


 


 室内練習場から、甲子園のグラウンドへ。

 もうすぐ行われるセンバツに向けて、もうあまり長い間、ここを使うことは出来ない。

 オニールはその調子が戻らないことから、ずっと秘密の練習として隔離されていた。

 だが大介がそれを伴って、グラウンドに現れたわけである。

 取材に来ていたマスコミは、当然ながら注目する。


 島本から話を聞いた島野は、悩んではみたが許可を出した。

 オニールを開幕一軍に入れるかどうかは、今のところかなり怪しい。

 もしもボールが原因であると言うなら、それを慣らすことを考えれば、もう試しておいた方がいいだろう。

 ただその試験をわざわざ、MLBのボールを使って行うということが分からないが。

「そもそもなんで大介は、MLBのボールなんか持ってたんや?」

「それこそ慣れるためじゃないかと」

「……メジャーかあ。わしのおる間はライガースにおってほしいけどなあ」

 ともあれ許可は出す島野である。


 100マイル、おおよそ160kmオーバーと考えれば間違いはない。

 そのピッチャーが大介と戦っても、スピードだけなら勝負にならないのは、島野たちも分かっている。

 日本には大介の他に、もう一人怪物と言われる選手が存在する。

 上杉のスピードボールに慣れた大介ならば、普通に打てるだろう。


 オニールとしては、これはテストになるのかもしれないが、同時に投げてみたい相手に、馴染んだボールで投げられるというのが嬉しい。

 キャッチャーもしっかり座って、島本が審判の位置に立つ。

 室内で充分に暖まっていたオニールは、指にしっかりとかかるボールを投げた。

 スピードガンは161kmを表示したが、もはやお約束のように、大介はそれを弾き返した。

 ボールはよく飛んで、バックスクリーンへ。

 そしてビジョンが破壊された。


 試合でもなく練習中に何やってんですか、となぜか叱られる大介である。

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