第191話 確率の問題
平均的なピッチャーが継投して完封する可能性と、上杉が一点以上取られる可能性。
この二つの条件がライガースに都合よく働いた場合、ライガースに勝機が生まれる。
上杉の場合は高い奪三振率と、優秀な四球率を誇るため、ランナーを出して連打という手段よりは、チームの主砲が長打を打って、犠打でどうにか一点を取るという方が、点につながる可能性が高い。
まして大介や西郷レベルのスラッガーがいれば、ホームランを狙っていった方が確率は高いとさえ言える。
大介が勝負した場合の、ホームランになる確率。
15%というのは圧倒的に高い。
ただし上杉が相手の場合は、もちろん下方修正した方がいいだろう。
だが大介のこの数字は、あくまでもシーズン中の話。
ポストシーズンのプレイオフになると、明らかに大介の集中力は高まる。
昨年のクライマックスシリーズと日本シリーズにおける、大介の成績。
打率0.567 OPS1.916
30打数で六本のホームランを打っているのだから、単純に計算すれば勝負された打席におけるホームランの期待値は20%にもなる。
明らかにプレイオフや、WBCの成績を見た場合、打たなければいけない試合では、普段よりも高い数値を残している。
そして上杉と戦うというのは、打たなければいけない場面ばかりであるはずが、それでも他のどのピッチャーよりも打てていないのだ。
なお相手がいまいちこちらの情報を調べていないWBCでは、24打数の19安打でホームラン六本と、さらに頭のおかしな数字を残している。
今日の試合も一打席目には単打。
だがあの場面で必要なのは、ホームランだけであった。
バッターが二人続けて簡単に打ち取られているという状況ではあった。
その流れを止めたいと思ったが、上杉相手に流れを止めるのは、確率の低いホームランを狙っていくしかない。
一回の時点でノーヒットノーランを消してしまえたのは、確かにいいことだ。
だがそれは最低限すぎる仕事でもある。
大介の仕事は、もっと確かな成果を出さなければいけない。
即ち得点だ。
前にランナーがいるのなら、ヒットで帰ってくることも出来る。
逆に先頭打者であったりしたなら、出塁と盗塁で二塁まで行けば、金剛寺と西郷の打撃でかなりの確率で帰ってこられる。
ただ上杉相手であると、内野ゴロを打つことさえもかなり難しくなるが。
上杉はピッチャーとして壊れた性能を持っているが、それでも負ける時はある。
そしてホームランも、年に五本もないが打たれることはある。
スピードのある球はジャストミートした場合、遠くまで飛んで行くものだ。
おそらく上杉のボールを相手にしてなら、また大介は甲子園球場で場外ホームランを打てるかもしれない。
二打席目、大介は長打を狙っていったものの、差し込まれてレフトフライ。
内角の動く球を掬い上げるのは、大介でも難しい。
先頭打者だったのでどうにか出塁したかったのだが、上杉は大介とゾーンのみで勝負しても、勝つことが出来るほぼ唯一のピッチャーだ。
だがこの回はツーアウトながら、西郷の二打席目も回ってくる。
一打席目で内野を抜くヒットを打ち、対戦成績での連続三振はようやく終了した。
だがだからといって、上杉を完全に打てるようになったわけでもない。
上杉も西郷に対して、どの程度の力で抑えればいいか分かってきた。
叩き潰そうと力を振るっても、そうそう折れるような人間ではない。
今は技巧を凝らして、試合の勝利を目指す。
160km台で手元で動くボールは、西郷は武史で経験している。
だが上杉とはそれでも球速差がある。
インパクトの瞬間には自然と、ミスショットだと気付く。
内野ゴロでスリーアウト。
四回が終わって、両者共に無失点である。
五回までを投げて先発の若松は、ヒット五本を打たれてフォアボールのランナーまで出したのに、どうにか無失点で抑えた。
その好投の秘密はやはりムービングのボールにあるのだが、上杉のように手元で曲がるのを見極めることさえ難しい球速ではない。
だが甘いコースからわずかにずらしたり、厳しいコースからボールへ逃げていったりと、キャッチャーよりも自分で配球を考えているのだ。
社会人を通ってきた若松は、その選手としての全盛期が短い。
だからこそ必死に、一つでも勝ち星を拾っていきたい。
五回の裏のライガースの攻撃も、得点には至らなかった。
六回の表にまだ若松を投げさせるべきか。
六回の裏のライガースの攻撃は、九番、つまり若松からの打席となる。
ここで交代させてしまうと、そのピッチャーが裏の先頭打者となる。
あと一イニング投げさせて、裏の打順で代打。
そして七回から、かなり改善してきているリリーフ陣に継投する。
島野の考えは、かなり甘いものであったと言えよう。
ヒットを打たれてランナーが出てからこそが、若松の粘りが見られる。
だがそれは逆に言うと、ランナーを一人も出さないようなピッチングをしているわけではない。
「この回抑えられれば……」
そう考えていた島野であるが、世界はそう自分に都合よく回っているわけではないのである。
六回の表、スターズはランナーがない状態で、五番の西園に回ってくる。
去年大卒ルーキーとして一位指名された即戦力は、それでも去年はなかなか一軍には出てこなかった。
しかし二年目からは打撃が開花し、もうクリーンナップに居座っている。
そして勉強熱心な若松が、比較的データを持っていないバッターだ。
わずかに甘く入ったのか、ストレートを強打。
ボールがレフトスタンドに入って、やっとスターズは先制点を得た。
ここで切れてしまうか、と島野監督は心配したが、社会人から入ってくる選手というのは、とにかく色々な経験をしているためしぶとい。
失点は一点だけに抑えて、どうにか六回を投げきる。
まだまだ打線陣の薄いスターズ相手とはいえ、六回一失点は、本来なら充分な数字だ。
だが上杉が投げていると、意味が違ってくるのである。
代打に立った黒田が、呆気なく三振。
そして大介の前で、六回の裏の攻撃は終わる。
一点差で負けている場面だが、ライガースは勝ちパターンの継投をしていく。
そう、一点差ならまだ分からない。
ただ二点差になれば、上杉相手には絶望的だろう。
七回は大介の打席から。
下手をすれば、今日最後の打席となる。
ヒット二本で無得点と、今日もまた上杉は上杉である。
この打席が最後になる覚悟を決めて、大介は打席に入る。
わずか二本のヒットのうちの一本を打った大介。
先頭打者なので、今日はここから出塁を狙っていってもいい。
それにしても大介の前に、ランナーをためないのは上杉も安全策を採っていると考えるべきか。
単純に他のバッターまで、全くうてていないというのが原因のようでもあるが。
今年の上杉からは、不動の重さと共に、冷徹な思考も感じる。
この三年間優勝から遠ざかり、クライマックスシリーズで辛酸を舐めてきた。
ライガースの覇権を終わらせるのは、最強のピッチャーがいるスターズであるべきだ。
タイタンズが今年は調子がいいが、ライガースも上昇傾向。
そしてスターズは二位で首位を目指している。
上杉から勝ち星を上げれば、それは一勝以上の価値を持つ。
それはスターズとしても似たようなもので、上杉で勝てなければ、あまりにももったいなさすぎる。
ライガースの継投は、とりあえず七回は機能した。
八回と九回に、出来れば追加点を取っておいて、再建中のライガースリリーフ陣を攻撃するのが、スターズの狙うところである。
上杉は間違いなく化け物であるが、それでも疲れることはあるのだ。
一試合だけではなく、二試合三試合と完投などしていては、普通に疲れは溜まっていく。
もっともクローザーとしては峠がいるので、とりあえずそこだけは任せてもいい。
ただし一点差の競った試合で、一人でもランナーが出れば、九回に大介にまで打順が回る。
今日は完投完封予定の上杉である。
プロ入りして六年目、既に勝ち星は100勝を超えた。
圧倒的なそのピッチングは、地味にイニングイーターでもある。
峠はいいクローザーであるが、ライガースの打線の力を考えれば、打たれる可能性はないでもない。
だが上杉が投げるなら、ほぼ打たれないと考えていいだろう。
七回の裏は三者凡退で、試合は続いていく。
八回の表、スターズは追加点なし。
八回の裏、ライガースはランナー出ず。
九回の表、スターズは追加点なし。
そして九回の裏である。
ラストバッターであるピッチャーの位置には、シーズン序盤はスタメンに入っていた山本を送り出す。
ここで結果が残せれば、たとえ今はスタメンにはいなくても、やがてそのポジションを掴む可能性は高い。
金剛寺の引退は近いだろうし、グラントだってアメリカに帰る可能性もある。
その後に空くポジションを考えれば、まだまだチャンスはあると思える。
しかしプロは、毎年六人から10人ぐらいは、普通に新人が入ってくるのだ。
同程度の実力であれば、球団はより若い方を使う。
だからこそここで打って、良い印象を与えておきたい。
スタメンにいない今、山本は全力で自分の成績にのみ集中している。
生き残りを賭けた戦いだ。
上杉や大介のように、主力になって当たり前、チームを優勝させることを期待されるような選手ではない。
今は、まだ。
だがいずれは、チームの勝利のために、打つ選手になりたい。
そう思って食らいつくが、上杉の速球の前には、カットで粘るのが精一杯。
そして最後には高めに外れたストレートで、三振を奪われるのである。
ベンチの前でバットを握り、ずっと上杉の投球を見ている大介である。
毛利と大江、どちらかが塁に出てくれれば、大介に四打席目が回ってくる。
九回まで投げてわずかにヒット二本と、それはもう完封するのも当たり前だというピッチングの内容だ。
(俺まで回れば……)
今日は三打席で、二度外野フライを打っている。
次の四打席目には、アジャスト出来る可能性は高い。
なんとか塁に出てくれと考える大介は、この状況に憶えがある。
それはあの日、プロ野球のスーパースター選手団が、一人のアマチュアに封じられた日。
パーフェクトピッチを続ける直史が、わざと歩かせたフォアボール。
大介との対決を、あの舞台でつけようと。
思えばあれが、伝説の完成だったのか。
ただ上杉には、これから先にまだまだ、大介と対戦する機会がいくらでもある。
あえて危険を犯してまで、大介と我儘な対決をしようとする理由はない。
本当に戦うべき舞台は、シーズン中の一つの試合などと考えなくてもいい。
どうせ勝っていけば、クライマックスシリーズで対決する。
今は対等の条件で戦うためにも、まずはリーグ優勝を狙う。
ミートが上手く選球眼のいい毛利が、ゾーン内のストレートを振って三振。
長打も打てる大江が、どうにかバットに当てる。
だがその打球は高く上がったものの、内野の守備範囲内。
わずかに下がったショートが捕って、試合は終了した。
全体を見れば、上杉に圧倒された試合に見えるし、それは事実でもあるだろう。
だが島野は確実に、成果を感じていた。
先発の若松の粘り強いピッチングに、その後のリリーフ陣の無失点に抑えたこと。
ホームランで一点は取られたものの、投手陣の調子は良くなってきている。
出来ればここで勝てれば、本当にその勢いが投手陣全体に伝わったのだろうが。
この勝負は確かに敗北だ。
だが敗北から何も学ばないことこそ、プロにおいては問題なのだ。
一度負けたからといって、それでもう終わるわけではない。
シーズンはまだまだ続いていく。まだ三分の一も終わっていないのだ。
四月は大きく負け越したが、五月はここまで七勝七敗。
なかなか借金完済とはならないが、チーム事情は上向いているのは確かだ。
金剛寺が復帰して、代打で頼もしいバッターが使えるのも大きい。
これであとは、真田が戻ってくればというところか。
次の三連戦は、アウェイでのフェニックスとの試合。
あくまでも比較の話だが、フェニックスもチーム事情は上向いている。
Bクラスにはいるが、三位までの差は大きくない。
レックスが最下位になっているのが、補強が上手くいっていないということなのか。
ドラフトの新人では、ここ最近当たりの多いのが、レックスのはずなのだが。
大介個人の成績は、やや打率が落ちてきている。
まあ三打席に一本打っても、落ちていくのだから仕方がないか。
ただホームランも打点も、あとは自分がホームを踏むことも、多くなっているのが今年の傾向だ。
それにやや落ちたと言っても、まだまだぶっちぎりのトップなのである。
打撃三冠はおそらく、怪我でもしない限りこのまま取ってしまうのだろう。
盗塁がやや少なく、試合数以上に四死球で逃げられているのが、去年までと違う点か。
だが金剛寺が四番に戻ってくると、盗塁も積極的に仕掛けてきている。
普通に単打を打ったよりも、ホームランを打っている方が多い。
そんなおかしな成績を残しているのは、まあ例年通りと言うべきか。
上杉から三打席に一本打てば、それはすごいことだ。
だがそんなところで満足している、大介ではないのであった。
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