第31話 四割打者

 結局のところパ・リーグのチームが比較的強い理由はなんなのか。

 大介はそれなりに考えようとはしていたのだが、ここのところ周囲が激しく騒がしい。

 それもまあ、周囲のチームメイトから見ても無理はないことだ。

 大介の打率が四割に乗りそうなのだ


 千葉は地元的な雰囲気があり、積極的に勝負をしてきた。

 北海道はそれほどでもなかったが、福岡は打ち合いの中でやはりピッチャーはあまり四球で逃げなかった。

 それを打ちまくっていった結果、65試合が終わった時点で、打率は0.399となっている。

 218打数の87安打。四死球は62で、三振はまだたったの25個。

 つまり選球眼があり、三振が少なく、打つ場面で確実に打っていく。

 ホームランバッターほど三振も多くなるという最近の傾向を、完全に覆す内容である。


 大介としては四割を狙うつもりは一切ない。

 それどころかこの成績は、福岡の罠だとすら思っている。

 三連敗した福岡との試合。大介はプロに入って初めてのデッドボールを受けた。

 それも含めて福岡は、割と真っ向から勝負してきていた。

 わざと打率を四割近くにまで高めて、本来のバッティングを出来ないように悩ませる。

 そんなひねくれた作戦だと、かなり本気で思っている。


 シーズン開始からしばらく四割というのは、これまでもそれなりにいた。

 だが大介の場合は一度三割五分を切ってからの、再度の上昇なのである。

 しかしこれは千葉と福岡で、散々に打たせてもらえたからだ。

 また四球で逃げられる試合は多くなるだろう。それでも次の打席がヒットになれば、四割に達する。


 最終的に四割に行かなければ、わずか一時四割を打っても意味がない。

 それに優れたバッターというのは、打つべき時に打つ選手だ。

「でも六月の月間MVPはもらったようなもんじゃない?」

 そう尋ねてくる記者もいて、大介は難しい顔をせざるをえない。


 六月に入ってからの大介の打率は、なんと五割を超えている。

 これもまた時間が経てば、さすがに四割台までは落ちるだろう。月間打率なら四割を超えたバッターは過去にそれなりにいる。

 ただ大介は上杉と対決した後の数試合を除き、どんどんと成績を上げていっている。

 だから周囲が期待するのも分かるのだが、それは即ちまた上杉と対決すれば、小さなスランプに陥る可能性もあるということだ。

 そして他の部分ではフォアザチームを心がける大介だが、上杉との対決だけは、好きにやらせてもらう。

 それは自分だけではなく、ファンも上杉も、多くの人が望んでいることだろうからだ。




 大阪ドームを本拠地とする神戸オーシャンウェーブは、パの球団の中では一番バランスのいいチームと言われている。

 逆に言うと突出したストロングポイントがない。

 投手力と走力に優れた埼玉東鉄ジャガースと、打撃力に優れた福岡ハードバンクコンコルズに、どうしても差をつけられてしまうのだ。

 大介とすれば逆に、その平均的なチームを相手に、自分の現状を試しておきたい。


 一回の表に、その機会は巡ってきた。

 ツーアウトランナーなしの状況から、バッターは大介である。

 相手の投手も当然ながら、大介の打率については知っている。

 おまけにネット配信で見ている視聴者は、その打率が表示され、解説者も興奮しながら話している。


 まだ六月であり、バッティングの調子の浮き沈みというものはある。

 だが一度下げた打率を、ここでまた四割近くまで上げてきたというのが奇跡なのだ。

 ツーアウトランナーなしからは、当然ホームランを狙っていく場面か。

 あるいは続く金剛寺に期待して、素直に塁に出ておくか。

 大介の足を考えると、単打はほとんど二塁打になると言っていい。

 またランナーとして出ることで、金剛寺のバッティングを援護することにもなる。


 とりあえず打っていい場面だ。

 ここで島野監督はベンチの前に出てきて、フルスイングの動作をする。

 思わず笑ってしまった大介であるが、バッターボックスの手前でフルスイングしてみる。

 明らかに相手バッテリーの緊張感が伝わってくる。


 記録を作るからには、記録を作られた存在もいるわけだ。

 たとえば真田などは即戦力級のピッチャーであるが、大介に場外ホームランを打たれた人、としての印象が強い。

 さすがに最終的には三割台に落ち着くであろうこの時点の成績で、延々と言われることはないと思うのだが。


 狙ってみるか。

 大介は初めて、そう思った。

 外角に外れるボール球が二つ。期待値的に言うなら、これをホームラン狙いで打っても良かった。

 だが確実にヒットにするなら、もっと簡単な方法はある。

 たとえば内野も外野も深く守っているのだから、外野の前にポテンと腰の回転だけで落とすのもいい。

 それでも、こちらの方が印象的だろう。


 三球目のやはり外角のボール球。

 それに対してバットを寝かせた大介は、サード方向へのセーフティバントを敢行した。

 あまりにも予想外の選択に、キャッチャーは動きを止めたし、サードは慌てて前進する。

 ピッチャーも完全に予想外であった。そして大介は俊足である。


 ここまで既に40個の盗塁を決めているのに、なぜ足を絡めた選択肢がないのか。

 慌てたサードは弱い打球であるのに、わざわざ一度グラブで捕るというミスも犯した。

 そこから送球へ。だがファーストのミットにボールが収まる前に、大介は一塁を駆け抜ける。

 打率0.402。

 新たなる記録が誕生した。




 この試合、大介の打数は三であり、またも一度は歩かされた。

 そして他の二打席はファーストライナーとセンターフライで、結局打率は四割を切ることになる。

 普通に打っておけば良かったと思った大介であるが、歩かせる覚悟もしたコースにしか投げてこられないボールは、さすがに打つのは難しい。

(シーズン最多安打記録だけは、俺には無理だな)

 大介は、とにかく歩かされる。


 トリプルスリーの選手は、長打もあるためホームランバッターよりは、まだ安打を稼ぐ余地はある。

 だが高いレベルでのホームラン王競争も行っている大介は、盗塁で二塁まで進まれるにしても、それでも歩かせた方がマシである。

 勝負の機会が減れば、安打を打つ機会が減る。

 打率や打点まではともかく、安打数は200本を抜ける気がしない。


 試合自体は七回まで無失点だった柳本が、八回に一点を失ったところで交代。

 青山から足立のリレーで、4-1のスコアで勝利した。


 そして翌日の新聞では、一瞬だが打率を四割に乗せた大介の記事が大きく掲載された。

 日本のプロ野球ではその設立から、シーズンを通して四割を打った打者はいない。

 一番四割に近かったのは、タイタンズの助っ人外国人であろうか。規定打数を満たしていた上で四割にあったのは、一人だけである。

 首位打者のタイトルが取れるのは、規定打席に到達したバッターだけ。ここで大介が残りの試合を全休したりなどしたら、参考記録としてはどこかに残るかもしれないが、正式な記録にはならない。


 大介が規定打席に達するには、443打席が必要になる。

 そしてここまで、286打席の221打数なのだ。

 犠飛の数があまりない大介であるが、四打席に一度は歩かされている計算になる。

 実際に試合で回ってくる打数は三つとしたら、一試合に一本を打っても0.333の打率であり、これでも超一流であるのだが、どんどん四割からは遠ざかっていく。

 四割というのは、そんな異次元の話であるのだ。




 神戸との他の二試合でも、大介はヒットは打ったがそれでも打率は下がっていく。

 正直なところ、単にヒットを打つだけなら打てなくもなかったかもしれないが、問題は試合のどの場面で確実にヒットを打つかなのだ。

 多くの人が忘れている気がするが、大介は高卒のルーキーなのである。

 それに四割を期待するというのは、さすがに無茶である。

 ちゃんとヒットを打って打点は増やしているのに、テレビでまた打率は下がりましたと言われるのはキツイ。


 そんなものがプレッシャーになっているのか、最近の大介は長打がやや減っている。

 プロのトップ選手というのは、こういう状況の中でシーズンを通してプレイするのか。

 神戸との試合も勝ち越しはしたが、打力で圧倒という試合はなかった。

 だが次の三連戦からは、いよいよ山田が戻ってくる。


 そして少しずつ四割から遠ざかる大介であるが、全く下がっていないものもある。

 地味な記録に思えるかもしれないが、目端の利くマスコミや記者は気付いた。

 出塁率である。


 日本記録はこれまで、現行の算出方法によると、シーズンで0.532が最高であった。

 しかし神戸との試合を終えた段階で、大介の出塁率は0.527となっている。

 一試合に一度はほぼ歩かせられるので、残り三打席が回ってくるとしたら、一本ヒットで塁に出たら、確かに出塁率は五割になる。

 三度に一度ヒットを打ったら一流の世界で、それにフォアボールが重なってしまうと、こんな驚異的な数字になるのである。


 金剛寺も長い四番生活を送っているが、出塁率に関しては、五割はおろか四割でさえ超えたことは五度しかない。

 それも30代になる前から30代にかけての、選手として技術と肉体の総計がピークを迎える頃である。

 ちなみに大介は甲子園での打撃成績が、犠飛があったせいで打率の方が出塁率より高くなった、おかしな時期がある。




 月曜日は移動日であるが、大阪から甲子園に戻ってくるだけなので、それほど時間はかからない。

 大介は室内練習所とクラブハウスを行き来しながら、自分のバッティングを確認している。

 データ班ももちろんそれに協力しているのだが、これは単に仕事をしているだけとは感じられない。

 今自分は、歴史の目撃者となっている。そう感じるのだ。


 二年前の上杉のルーキー時代もすごかった。

 開幕で主力投手の遅れから、いきなり開幕戦からデビューして完封。

 その後の一年目のシーズンで、二度のノーヒットノーランを達成。

 終盤クローザーに回って勝ち星は増えなかったものの、シーズン全勝でセーブ機会でのセーブ失敗無し。

 去年こそ二度負けているが、上杉が相手というだけで、対戦相手は絶望したものだ。


 大介は毎試合出られる野手なので、集客力における貢献度は上杉より上だ。

 それに一試合ごとに打率やホームラン数の数字が変化するため、それを見ているだけでも面白い。

「何がおかしいんだろ……」

 大介は首を捻っているが、この数試合少し打撃に違和感があるらしい。

 どこに文句があるのかデータ班には分からないが、打球の軌道がいまいちしっくり来ないそうだ。


 画像解析などを見ても、問題とは思えない。

 だがやや長打が減っているのは確かだ。


 現在プロ野球界には、大介シフトというものが存在する。

 訳の分からない広角にホームランを打ち分けていく大介であるが、その打球がライナー性であることに注目したものだ。

 上手くミート出来れば、ライナー性の打球が伸びてホームランになるのだが、わずかにずれるとフェンス直撃で済む。

 これを外野で上手く捕球するために、最初から深く守っておくというものである。ホームランバッター相手にはそれほどおかしなものではない。

 だがこのシフトのせいで、大介は圧倒的に三塁打が打てなくなっている。

 わずか二本の三塁打は、レフト線をぎりぎりに着地し、その後スピンがかかって外野の処理に手間取ったものだけである。


 いったいこの選手は、何を目指しているのか。

 常人の理解出来ない領域に、大介はいる。


 大介にしても、別に今の状態が悪いとまでは思わないが、最高のパフォーマンスではないと感じている。

 それにここからさらに、上のレベルを目指せないものか。

 バッティングコーチに聞こうにも、自分でも不調だと感じる理由が分からないし、おそらく違和感を説明しても理解されないだろう。

 こういう時こそあの人を頼るべきか。


「忙しいだろうけど、こっちもこれが仕事だしな」

 セイバーへのメールを送る大介は、まだこの先の円熟の果てを見ている。

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