第32話 さらに上を目指して
山田鉄人は、白石大介が羨ましい。
もっとはっきり言ってしまえば、他の多くの野球選手が妬ましい。
彼が羨ましいとも妬ましいとも感じないのは、この舞台まで昇って来れなかった者。
つまり一軍を経験できなかった、哀れな者たち。
かつての自分と同じ場所に、まだいる者たち。
数知れない屍の中に一つ、二つ、数えるほどにしか存在しない、生き残った者。
育成上がりとはそういうものだ。
中学軟式からちょっとだけ強い公立の高校に進み、そこからは学校推薦で大学に入った。
地方の全日本にも出ない無名大学の、それも二番手のピッチャー。
スカウトの目に止まったのは、本当にわずかな偶然であった。
実績がないので育成枠での指名となり、一年目は基礎技術の研磨に使われた。
そして二年目に14勝し、育成の星となった。
だが三年目の今年、初めて故障者リストに入った。
高校や大学時代まではトーナメントを上に勝ちあがることがなく、それで勤続疲労がなかったということはある。
大学時代も基礎トレばかりで、体はしっかり育っていた。
ライガースの指導陣から見れば、伸び代しかない選手。それが山田であったのだ。
今年は本拠地の開幕から、対戦投手と打線の援護が上手く合い、七先発で五勝無敗。
そこまではチームのトップで、同じチームの柳本が運悪く打たれたのと、上杉が大介に打たれたので、ハーラーダービーのトップに立っていた。
だが五試合目あたりから調子が悪いと思ったら、肘に痛みが走った。
これまでになかった、故障。
頭の中が真っ白になったが、それでもひどいものではなく、一ヶ月強の時間は経過したが、一軍のマウンドに帰って来た。帰って来れた。
二軍で一度だけ調整登板したが、一番危惧していた、肘を庇ってボールがいかないということはなかった。
開幕から序盤のピッチングが出来れば、今年もキャリアハイを更新出来る。
山田鉄人はスーパースターではない。
だが育成の星と言われれば、少し嫌だが肯定せざるをえない。
そんな山田は大介を羨ましいとは思うが、嫌いだとは全く思わない。
それは金のことを素直に口にするからだ。
六億円の貯金を目指すという言葉は、よく耳にした。
契約金なしの育成で取られた山田と違い、最大額の契約金一億と出来高5000万で入団した男。
何かに金を使うのかと思えば、トレーニング器具や特注のバットにばかり金をかけているが、その生活は質素なものだ。
寮にいる時はいっぱいおかわりをして、時計を買ったり靴を買ったりといった、自分を飾ることがない。
その辺にいる高校球児。そんな感じだ。
せいぜいの贅沢が、お高い焼肉ぐらいであるという。
分かる。分かるのだ。
山田も育成時代、周りの人間がどんどん自信を失ったり、逆にドラフト上位の選手が身に合わない贅沢を憶えて、金遣いが荒くなるのを見てきた。
プロ入り三年目、実質は二年目の今年、山田は一気に年俸が6000万まで上がった。
だがチームがもっと勝っていれば、さらに年俸は上がっていくだろう。
大卒の人間が、一般企業ではなくプロの世界で食っていく。
就職すらある程度考えていた山田からすると、自分の体は唯一にして最大の資本だ。
(打ってくれよ~。俺の年俸のために~)
そう思う山田から見ても、打線の若返りは見事なものだと思う。
大介と助っ人外国人のロイを除いたとしても、守備負担が少なくなったからか石井が打率を伸ばし、二番らしい二番になっている。
高卒三年目の黒田は大介と同じ千葉県出身で、大介のチームを決勝で破って甲子園に出場し、そこでホームランを三本打って、一気にドラフトの注目株となった。
一年目も二年目もわずかに一軍の試合には出ていたが、見るべき数字は残さなかった。
だが大介の入団がきっかけになったのか、今年は一軍に入っても数字を残している。
そして去年は怪我でほとんど出られなかった大卒二年目の大江が、黒田と同じように三割近くの打率と、それなりの長打力を持っている。
山田にとっては一番信頼感が持てる、島本は怪我から復帰はしたものの、マスクを被っていない。
風間と滝沢を併用しながら、その技術と経験を積ませようとしている。
ピッチャーも椎名と藤田という、ライガースの黄金時代を築いたタイトルホルダー二人が、二軍に落ちている。
琴山が先発として復活し、青山に外国人で中継ぎの核を作り、足立へつなげる勝利のパターン。
ライガースは変わっている。
強い方向に変わっている。
大介は本来、チームを盛り上げるようなタイプではない。
だが彼のプレイが、とにかく華々しいのだ。
内野の中でも名手が守ると言われるショートの守備に就き、打撃では特に打率で独走状態。
高卒新人でありながら、三冠王の期待が現実的だ。
そして三冠を達成したら、同時にトリプルスリーももう達成するだけの盗塁をしている。
上杉も高卒一年目に無敗という、たいがいおかしな成績を残した。
それでも新人の沢村賞というのは前例がある。基本的には毎年選ばれることが多い。
だが三冠王は、厳密に条件が設定されている。
最後の三冠王が出てから、もう随分と出ていない。
だが……今の時点では、まだ可能性があるという程度だが、大介が三冠王を獲得したら、史上初の新人三冠王であり、唯一の10代での三冠王となる。
おそらくこの記録は永久に破られない。
もちろん大介は誕生日が早めにくるので、可能性としては理屈の上では存在するが。
山田はそんなことも考えながらも、自分に出来ることは何かをしっかり考える。
単純なことで、点を取られないことだ。
リードされている場面、あるいは点差の微妙な場面では、大介はホームランではなくヒットを選ぶ可能性がある。
何も気にせずにホームランを狙わせる環境を整える。
それがピッチャーにとって出来るのは、とにかく相手に点を取られないことだけだ。
この三連戦、相手は東北満点ファルコンズ。
去年は最下位でこそなかったものの、最下位とさほど差のない五位であり、今年のシーズンが開幕しても、特に打力での補強がうまくいかなかった。
故障明けの山田としては、比較的気楽に投げられる相手だ。
初回から勢い良く腕を振っていく。ペース配分は考えなくていいと言われている。
まずは無失点で初回を抑えて、今度はこちらの攻撃だ。
一度球場の外から、一軍の試合を見てみた。
それで感じた。大介とは勝負したくない。
ベンチの中で、あるいはローテーションの中で、味方としてはずっと見ていた。
キャンプの紅白試合では、敵として観察したこともある。
だが一ヶ月一軍から離れて、やっと客観的に見ることが出来た。
どこからどう見ても、化け物である。
三振はしない。高い確率でヒットを打って打点をつける。
単打でも盗塁をして、スコアリングポジションまで進んでしまう。
ランナーがいないから勝負をしたら、割と頻繁にホームランを打つ。
かといって四球で歩かせても、やっぱり盗塁してくる。
何より打率と出塁率がえげつない。
さんざん新聞でも騒がれているが、四割を切ったといってもまだ、四割に戻すペースでヒットを重ねている。
ここまで圧倒的な成績を残していれば、どの球団も徹底して分析をしてくるはずなのだが、まだ決定的な攻略法は出てこない。
大介の得点と打点は、チーム内でも圧倒的な割合を占めている。
おそらく違うチームにいれば、怪我を祈るぐらいのことしか出来なかっただろう。
プロ野球選手はプロではあるが、スポーツマンシップはそれほど持っていない。
強打者に対しては際どい内角攻めも行う。大介は体が小さいので、外角を打つためにベース寄りに立つので、内角を攻めるとストライクのコースでもかなり厳しいコースになる。
だが下手に内角を攻めると、体を早く開いてバットを遅く振るというフォームで、スタンドまで持っていってしまう。
今年はまだ新人であるし、なにしろあの体格だ。プロで生き残ってきたピッチャーは面子を賭けて、ある程度は勝負してくるだろう。
だがクレバーに成績を残すことを考えれば、たとえ盗塁されると思っても、敬遠してしまうことは多くなるだろう。
山田は対戦することはないとは思っても、自分ならどう攻略するかは考える。
なぜならもし弱点を見つけた場合、それを教えてさらに強大な戦力になってもらうためだ。
もっともバッターに限らずピッチャーも、弱点はあった上でそれよりも必要なストロングポイントがあるので、下手に万能性を求めると、それが失われてしまうことがある。
プロは弱点を減らすことも大事だが、それよりも大事なのは、他の者が追いつけないストロングポイントを持つことだ。
そういう意味では山田も、自分のストロングポイントは分かっている。
(スプリットの数は減らさないとな)
肘にダメージがあったのは、おそらくそれだろうと思っている。
だが決め球は着実に使わなければ、プロの世界では生き残れない。
成績を残すためには、懸命の力が必要だ。
しかしやりすぎると故障する。これは忘れてはいけない。
試合は二打席敬遠された大介が、珍しく無安打に終わったものの、一度はホームにまで帰って来た。
山田は五回までを投げて、無失点。今日のところはお役御免である。
その後のピッチャーは点は取られたが、同点にまでされることはなく、山田の勝ち投手の権利はそのまま。
復帰第一線で、六勝目を挙げたのである。
この試合、大介はセンター返しの打球を二つアウトにされたが、四球で出てから盗塁し、ホームを一度踏んだ。
しばらく一軍から遠ざかっていた山田としては、大介が点に絡むことが多いな、と改めて思う、
だが初回の攻撃では、大介が封じられることがある。
復帰した西片は、問題なく高い打率と出塁率で、得点機会を作り出す。
今年から二番に入ってきた石井は、それなりに打率もあるが、まず進塁打を確実に決めてくる。
だがワンナウト二塁からでは、大介を歩かせて一塁を埋めるというパターンが多い。
四番の金剛寺も五番のロイも、長打はある。打率も低くない。
それでも一回の表はこのパターンから封じられることがある。
バッターは三打席に一度打てれば合格なのだから。
今日の大介はヒットは出なかったが、得点には貢献した。
二打席も四球で歩かされれば、残りの二打席で打てないのも無理はない。
だが今日も盗塁は一つ積み重ねた。
少ない年なら現時点で、盗塁王になってもおかしくはない。
ライバルになりうる西片が、怪我で欠場した期間があったのも大きい。
去年と同じ数字なら、いきなり盗塁王かもしれないが、そこは足のスペシャリストたちが、必死で対抗してくるだろう。
バッターは打っていないと調子を落としていく。
おそらくどの球団も相談などはしていないのだろうが、大介に対しては必ずと言っていいほど歩かせてくる打席が一試合に一度はある。
全く歩かせる気がなく勝負したのは、それこそ上杉ぐらいだろう。
東北との初戦の次の朝、大介は早くから起きて素振りをしている。
バッターに必要なものは、記憶力とイメージの具体化だ。
いや、スポーツ選手ならば、全てのものに共通しているのかもしれないが。
プロ野球選手というのはその試合時間から、どうしても遅く寝て遅く起きる生活のリズムになってしまう。
仕事の時間に合わせて生活の習慣を変えるというのは、プロ野球選手のみならず当たり前のことだ。
睡眠を摂ることは必要なことであり、大介も無理に早起きをしているわけではない。
高校時代にセイバーから学んだこと。
それはまだ検証が不充分であったが、人間は一日に二度の睡眠を摂取するのが自然らしいということである。
シエスタといって外国では仕事の日でも昼寝の時間を作っていたりするが、大介もある程度これを取り入れている。
午前中にある程度練習をして、昼食の後に少し眠る。
食べてすぐ寝ると牛になると言われているが、スポーツ選手にとって昼食後の睡眠には根拠がある。
なぜなら消化吸収にエネルギーが取られるため、運動するのには向いていないのだ。
白富東でも休み中の練習は、お昼寝休憩があったものだ。
眠りから覚めた大介に、山田は声をかける。
「大介、少し打席に立ってくれないか?」
「昨日先発したのに、今日投げるんですか?」
「五回までだったからな。調整程度に投げておきたい」
強打者を打席においてピッチング練習をすること。
逆にエース級ピッチャーの球を、打たないまでも打席で見ること。
これは双方に有益な練習である。
山田は軽くと言ったが、一通りの変化球までも含めて50球ほどを投げた。
これで大介のメモリには、さらに新しいピッチャーの肖像が刻まれる。
100%新人王は取れる可能性がなかったピッチャーと、既にほぼ100%新人王を確定させているバッターは、そうやって楽しみながら練習をしていた。
そしてその光景は、チーム全体に良い影響を与えていくのである。
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