第65話 外国人合流

 大介がおかしなことをしている。

 バッティングコーチであっても、その実績を前にしては、とても何かアドバイスなどということは言えない。

 それほどの数字を叩き出した大介であるが、それでも確認しないといけないことはある。

「何してるんや?」

「ああ、ストライクゾーンを広めに取ろうと思って」

 神のようなレベルスイングが、外角を追いかけて泳いでしまっている。


 分からないでもない。

 あれだけの打撃成績を残してしまったバッターが、次の年からどのような対策をされるのか。

 下手をすればストライクゾーンの定義すら変わってしまうかもしれない。

 いや、さすがにそれはないとは思うが。


 大介に対しては、基本的に死球が効かない。

 あるいは打ってヒットにしてしまうし、だいたいは避けて球数を増やしてしまう。

 確実に歩かせるためには申告敬遠をすればいいのだが、それを甲子園ですると観客を完全に敵に回す。

 日本一恐ろしいライガースファンを舐めてはいけない。

 そして大介は外角を広く取り、泳ぎながらも腰の回転で、ボールをスタンドまで持っていくのだ。

 MLBのストライクゾーンは外角に広いと言われているが、こんなところまでホームランにされるのであれば、ピッチャーはもう投げる球がなくなる。

「メジャー基準で打つつもりなんか?」

「へ? いや、WBCとかはゾーンがあっち基準だから、それに合わせてるんすけど」

 ああ、と頷くところがあるコーチである。


 野球にも世界大会があるが、オリンピックから野球が抜けることが多い昨今、やはりWBCとプレミアが世界大会の二大巨塔だろう。

 その中でも、大介が意識しているのはWBCらしい。確かに今のところプレミアよりもWBCの方が、選手のレベルは高いものになる傾向がある。

「日米野球もあったら出てみたいんか?」

「あ~、でもアメリカのピッチャーって思ったよりたいしたことないし」

 おそらく大介だけが言える言葉である。

 ワールドカップで160kmピッチャーからホームランを連発し、去年はMLBでもローテーションに入る矢沢からあっさりと打っていた。

 矢沢が今年はMLBでまた契約を結んだのは、大介から逃げたからなどとも言われている。

 それはさすがに単純に、MLBの方が年俸が高かったのが理由だとは思うが。


 そう思うと、大介の将来のことは気になる。

 この小さな大打者がMLBに挑戦を示した時、止めることが出来るだろうか。

 大介は確かにフランチャイズプレイヤーになる器であるし、このまま日本で多くの記録を達成して欲しいという気持ちはある。

 おそらく不滅のホームラン世界記録を、抜ける可能性があるのは大介だけだ。


 ただ、同時にこうも思うのだ。

 日本からのスラッガーは活躍出来ないというMLBにおいて、大介が打つ姿を見てみたいとも。

 この才能が、このバッターが世界基準で見た場合、どの程度のレベルにあるのか。

 ワールドカップという未熟な才能のぶつかり合いではなく、本物の勝負の場で。

 ライガースのコーチとしては、当然ながらこの戦力を手放すなどという選択はありえない。

 だが一人の野球人として見たならば――。

「そういやコーチ、WBCってプロからしか選手出さないんですかね」

 素振りを終えて、大介が質問してくる。

「ん? まあそうやな。メジャーも含めて出てくるけど」

「大学からは選出されないんですか?」

「まあそんな必要はそもそも……佐藤か」

「あいつ、さらに化け物になってましたよ」

「さらにって、オフシーズンに会ったんか」

「20打席分ぐらい勝負したと思いますけど、ヒット性の当たりが二本と、一本だけネットに届いた以外は、たぶん抑えられました」

 コーチはその会話の内容に絶句する。


 プロ野球選手が学生と交流するのは、大学であればそれほどの問題にはならない。なるとしても学生側だ。

 それよりも大介が打てなかったという話の方が重要だ。

「佐藤はそんなに凄いんか?」

「今さら……高校時代140kmが出ない球速で、クローザー全部成功してたやつですよ」

「ああ、その後の方が派手なんで忘れとった」

 あの年のワールドカップは、とにかく大介が一番目立つワールドカップだった。

 三冠王を取ってMVPに選ばれていたが、直史も救援投手として表彰されていたのだ。


 最後のセンバツと夏は、他のピッチャーに先発を任せて、クローザーとして出ることが多かった。

 そのくせ先発として出てくれば、最後まで完封してしまうのだ。

 あの決勝戦、15回延長の次の日の九回完封は、プロの目から見ても伝説的なものであった。

 直史がプロ入りを選択していたら、おそらくピッチャーがほしい球団とで、大介の指名は割れていただろう。


 WBCか。

 来年の開催に向けて、既に下準備は始まっているのかもしれない。

 ライガースから出るとすれば、大介と柳本、山田あたりになるだろうか。

 中継ぎとして琴山辺りが選出する可能性もある。

 さすがに金剛寺は年齢的に調整も難しいので、候補には挙がらないだろう。


 これまではライガースの中だけを見てきた。

 しかし大介の視線の先には、世界が広がっている。

 ただ凄い投手と戦いたいというのなら、世界に出るのは当然だろう。

 だが、確かにいえることは一つ。

 上杉を超える投手など、世界にもいない。いるとしたらそれこそ、大介自身が認める者なのだろう。




 自分が上手くなるための優先順位は絶対に譲らない。

 一流選手ではなく、超一流選手に共通することだ。

 全員がぬるいアップをする間に、大介は既にアップを済ませて、自分の練習をする。

 ノックを受けるにあたっても、その後ろでただ待つのではなく、前に合わせて自分も動く。

 とにかくひたすら、短時間の中でもたくさん体を動かす。

 去年はここまではしていなかった。それでもショートとしてゴールデングラブ賞を取るだけの成績を上げた。


 既に目標とすべき選手がいない。

 もちろん細かいところでは、学ぶべきことは色々あるのだろう。

 だが周囲の選手が、大介の真似をしだす。

 そしてスタミナ切れでぶっ倒れるというのが、キャンプが始まってからの光景だ。


 純粋に肉体の能力が違う。

 自分のやってることは、自分に適したものであるので、他人に効果が出るのかは知らない。

 ただ、見て盗めなどと言われていた時代もあるので、それを否定するわけではない。

 大介のグラブ捌きなども、他の選手は参考にしている。


 大介の守備は、腰の位置が高い。棒立ちに近い。

 ノックの瞬間にすっと腰を沈めて、そこから打球に対して飛び込んでいく。

 回りこむにしろ逆シングルで捕るにしろ、そこから軸足で回転して、そのままファーストで送球する。

 速いし正確だ。これがゲッツーのためのセカンドへの送球だと、より相手のキャッチの位置を考えている。


 それに一歩目が早い。

 バットがボールをミートした瞬間には、その方向へと移動している。

 反射神経だけではなく、目がしっかりとノックのスイングを追っているのだ。

 だから難しいコースに飛んだ打球にも、簡単に追いつくことが出来る。

 難しいプレイを簡単に見せる。守備の真骨頂と言えよう。




 そして数日の後、獲得された外国人選手たちが合流する。

 普通ならばキャンプ入りに合わせての合流で、レイトナーなどはその通りに合流していたのだが、今年の契約は本当にギリギリであった。

 しかし条件は満たしている。


 日本かメジャーへの挑戦を考え、なかなか契約の決まらなかった台湾の俊足外野手。

 メジャーではパッとしないが3Aではホームランもアベレージも残す外野手。

 チーム都合で3Aに置かれそうになっていた、ベテランの先発ピッチャー。

 そして故障の後遺症で長いイニングは投げられないが、短いイニングを全力で抑えられるクローザー。

 スペックだけなら間違いなく注文どおりであるし、あとは日本の野球に適応できるかどうかだ。


 そしてその選手たちはおおよそ、大介のバッティングを見て目を丸くしている。

 一般的なホームラン性の打球とは違う、ライナー性の打球。

 それがバックスクリーンに向かって叩き込まれている。

 下手にライトやレフトに打つと、簡単に場外にまで飛んでしまうので。


 だいたいアメリカ出身の選手は、ナチュラルに日本のプロ野球を見下すか、そもそも関心がないことが多い。

 それに比べると台湾の選手は違う。

 お隣の国であるということもあるが、台湾に比べて日本の野球は、同質でありながらレベルの高いものだ。

 MLB志向もあるが日本のプロ野球も知っている彼は、去年のNPBに現れた最強打者も当然知っている。

「彼は去年ルーキーで59本のホームランを打って、打点と打率でトリプルクラウンを取った100年に一人のバッターだよ。事前に調べたりはしなかったのかい?」

 台湾人選手、黄志龍は知っている。

 そして彼は中国と日本語、それに英語まで話せるのだ。


「59本? 日本のシーズンは143試合だと聞いたが、それはポストシーズンのプレイオフを含めてか?」

「いや、ポストシーズンではそれとは別に、一試合で三本打っていた」

「……あの体格でか。まあサイン盗みも関係のないフリーバッティングだしな」

 昨年のロイなどと同じように、大介の名前はアメリカに、口伝で伝わっていく。

 そしてワールドカップの映像がまた出回ることになり、日本に小さな巨人がいると、話題になるのだ。




 キャンプに合わせて仕上げてきたなと思われていた大介であるが、その動きはキャンプに入ってからさらに良くなっていく。

 仕上げてきたな、と思わせた状態が、鈍っていた状態である。

 過去多くの対戦相手が経験してきた、こいつの上限はどこにあるんだという圧倒的な絶望感が、大介と対戦するピッチャーにはある。


 昨年までは打線に対して、上杉相手でも一点ぐらいは取ってくれよと思うピッチャーが多かった

 だが練習で大介相手にバッティングピッチャーをすると、自分たちが無茶を言っていったのが分かる。

 これは無理だ。抑えられるかどうかは運だ。

 それに本当に集中した時の大介は、さらにパフォーマンスが向上してくる。


 ピッチャーとバッターで、史上最強とも言われる選手が二人、同時代に存在する。

 これは興行的に見ればいいことなのかもしれないが、同時代の同リーグにいる選手にとってはたまらない。

 どんな選手であっても、絶好調が続くのはほんの数年。

 まして投手五冠や打者三冠など、毎年続く方がおかしいのだ。

 同じリーグである限り、タイトルが回ってくることはほぼない。

 そんな絶望感が、セ・リーグを支配しようとしていた。


 だがそんなはずはない。

 どれだけの大投手でも、どれだけの大打者でも、調子が落ちるときはあるし、やがては衰える。

 上杉がいくら剛腕と言っても、去年は少し休むことがあったし、大介も短いスランプはあった。

 それに野球は、ピッチャーとバッターだけで行うものでもないのだ。




 外国人たちは比較的、日本の野球にも馴染めそうであった。

 ただシーズンが開幕して、あの甲子園球場でプレイする中で、実力が発揮できるかはまた違う問題だ。

 台湾人の志龍はともかく、アメリカから呼んだ長距離砲は、やはりストライクゾーンの違いに戸惑っている。

 しかし本当ならピッチャーが出し入れする、外角低めへの対処が出来ていることは大きい。


 それに右打者だ。

 甲子園球場は本来であれば、左のプルヒッターには向いていない。

 大介は左で、そして引っ張って打つことも多いが、基本的には風の影響で、レフトに打つ方がホームランになりやすいのだ。

 だがそれも、例外というものはある。


 まず始まるのは紅白戦だ。

 そしてプロ野球の他球団だけではなく、大学の遠征してきているチームと戦うこともある。

 早稲谷との対戦もあると聞いた大介であるが、そもそも直史が来ているはずはないのである。

 ただ、樋口は来ていた。

 そして対戦もしたのであるが、まさか細田が先発してくるとは。


 高校時代に対戦した時とは、比べ物にならないほどに球速は上がっている。

 そしてあの斜めに大きく落ちるカーブ。大介は何度も引っ掛けてしまう。

 しかしカットしてどうにか粘り、右打席に安易に移ることはしない。


 これを見ていた、他球団のスコアラーは思うのである。

 白石大介を抑えるのは、この細田がいいのではないかと。

 高校時代の戦績から見ても、やはりサウスポーのスライドするボールに弱いのは、確かなことだ。

 それでも着実に凡退させることは難しいのであるが。




 三年生の時点で、既に細田はある程度プロに注目されていた。

 だが決定的に評価を高めたのは、この大介との対戦であったかもしれない。

 オープン戦の序盤は大介の成績が悪くなるのは去年と同じであったが、細田相手には結局、内野を抜けていくゴロ性のヒットが一本打てただけであった。

「細田か……」

「細田……」

 ライガースと当たるセの他球団のスカウトだけでなく、ライガースのスカウトさえも、この左打者に対してめっぽう強いピッチャーを、今後一年は注目していくことになる。

 そしてそれは、この年の秋のドラフトにつながっていくのである。


 大介としては、また面白くなってきたなと感じるだけだ。

 苦手な、打ちにくいピッチャーがいるということは、それだけ自分の技術に向上の余地があるのだ。

 白石大介という人間は、そんなポジティブな考え方をする。


 大卒ピッチャーは即戦力が求められるが、細田は140km台半ばのストレートを基本としながらも、このカーブを角度を変えて多投してくる。

 もちろん左バッターにはより打ちにくいのであるが、右バッターであったからといって打てるとも限らない。

 こうしてまた新たな評価が、スカウトの間でかわされるのである。

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