第95話 シーズン最終戦

 上杉勝也が化け物であることは、誰もが知っている。

 たとえば過去の記録を見れば、プロ野球においては年間に、30勝を上げるピッチャーもいたわけである。

 だがそのピッチャーの中に、年間無敗の者が何人いたか?


 日本記録は、24勝無敗である。

 上杉はここまで、28先発して24勝無敗と、その記録に並んでいる。

 防御率、イニング数、奪三振、完投、完封など、全てを達成しているため、投手五冠をまたも達成しているというわけだ。

 今日の試合に勝てば、歴史を塗り替える25勝無敗の記録が打ちたてられる。

 プロ入り四年目にして、NPBのピッチャーとしては究極の領域に至ったと言っていい。


 それに対して大介は、これまた前人未踏の領域に入っている。

 打率はここまで0.406と、この試合で四打数無安打でも、まだ0.403までしか下がらない。

 打点186のホームランが56と、昨年の記録を破れるかどうかは微妙なところだ。

 いや、正直ホームランは無理であろう。

 だが打点は可能性がある。三試合で五打点、大介ならば可能である。

 相手のピッチャーが対戦してくれれば。


 記録達成の妨害どうこうではなく、ピッチャーにとって普通に打たれるのは嫌だろう。

 ただそれでランナーがいなかったりしたら、ある程度は勝負しないと、納得出来ないのがプロの世界である。

 その意味では上杉は、真っ向から勝負してくれる。

 今年は三本しかホームランを打たれていないが、その内の一本が大介である。


 初回のライガースの攻撃で、またあっさりと先頭打者を切ろうとしたら、初球を出会い頭で打たれた。

 上杉にしては珍しい、先頭打者でパーフェクトの可能性が消えたという試合。

 だが二番の石井は三球三振で、大介の打席となる。


 ここでホームランを打てれば、ほんのわずかではあるが、打点とホームランの記録達成の可能性が残る。

 そして打率も上がるわけで、まさか先頭の志龍に打たれたのはわざとかと思わないでもない。

 もちろん上杉は、そんな真似はしない。

 だが大介との勝負を気にしていて、気が散っていたのは確かだろう。


 これは、そんな自分に与えられた罰である。

 ホームランでなくても、長打を打たれれば一点が入る。

 そしたら世間が期待している、記録の達成は不可能になる。


 神奈川は相変わらず、打線の援護は少ない。

 上杉が投げると、特に守備に注意がいってしまう。下手をすればノーヒットノーランどころかパーフェクトになるからだ。エラーをしてはいけないという意識が強い。

 だが今年の上杉はほどほどに抜いて投げているため、ノーヒットノーランはない。

 もちろんそんなもの、ほとんどのピッチャーにとっては、プロ野球生活で一度か二度達成出来ればそれですごいのだが。

 上杉はパーフェクトも含めて、三回達成している。

 四年目で三回だ。

 今後投球技術を磨いていけば、その回数はさらに増えていくかもしれない。

 あるいは抜いて投げることをおぼえて、30勝を達成するのが先か。


 だがとりあえず、そんなことを考えながら、抑えられるバッターではない。




 インハイに170kmを投げてきた。

 そしてそれを打って、ポールのすぐ横を通過するファールフライ。

 揺れるような神奈川スタジアムで、二人はお互いに集中する。


 二球目は抜いてくるかと思ったが、また速い球。

 アウトローのその球は、わずかに外れていた。

「トライク!」

 このヘボ審判!


 勝負に水を差されたような感じがしたが、こういうこともあるのが野球だ。

 そもそも上杉のボールなんてまともな審判には見えていないだろうから、キャッチャーが上手ければストライクゾーンは広がるのだ。

(遅い球が来るよな)

 それが、ゾーンに入るかどうかが問題だ。


 いくら大介でも、上杉のボールはある程度予測しておかないと打てない。

 それを打たせないのが、神奈川の正捕手尾田のリードなのだろう。

 大介の一年目のデータを使って、ある程度の傾向をつかむ。

 年齢による衰えはあるが、いまだにNPBナンバーワン捕手と言われるだけのことはある。

 まあ捕手に関しては、ほとんどの球団が高齢化しているということはある。

 フェニックスの東は若手ナンバーワンなどと言われていたが、この数年は怪我に悩まされているし、あとは北海道の山下が若いだけで、あとは全員30歳以上になっている。

 ライガースの未熟者は除く。


 上下か、内外か、緩急か。

 おおよそを見極めなければ、打てるものではない。

 そして読みで打つには、尾田の経験値には勝てるとも思えない。


 大介は考えるのをやめた。

 フラットな状態で、ただ反応することだけ。

 そしてその脱力した構えを見て、キャッチャーの尾田は提案する。

 高速チェンジアップを、大きく外に外す。それからストレートを高めに投げれば、おそらく反応しきれない。

 上杉は頷き、まずチェンジアップを外す。

 大介はピクリとも動かず、ボールさえ見ていたかも怪しい。


 勝負のストレートを要求すると、上杉は首を振った。

 尾田はうむ? と内心で首を傾げる。

 ここでストレートを使わないとなると、おそらく大介は反応で打てる。

 するともう一球外すか。

(カーブ?)

(それで)

 チェンジアップよりもさらに遅いカーブを、外に外す。


 あるいはこれは、大介であれば打てたかもしれない。

 だが体が、このボールはいらないと判断する。

 まだ打つべき時ではない。


 遅い球を二球続けて平行カウントになった。

 ここで勝負するのが上杉である。

 インハイ、アウトロー、高めに少し外した球。

 どれであっても真っ向勝負ではあるし、上杉の性格的にありうる。

 カーブなどをど真ん中に投げられても、呆気に取られて打てないかもしれないが、大介は反射で打つ。

(考える……)

 クリアになる。何も、本当に何もない。

 真っ白な空間の中には、上杉の姿さえない。


 そこに、真っ赤な炎が現れた。

 上杉の持つイメージだ。大介の感覚を強引に引き戻す。

(やべ)

 投げられた171kmの、下を叩いた。

 100m以上は上に浮き上がったボールは、風に戻されたかスピンの影響か、ファールグラウンドでキャッチャーが捕球した。




 大介と上杉の勝負だけで、観客が満足するこの試合。

 山田もひっそりと五回までを無失点のピッチングで、あとは調整とばかりにリリーフ陣に託す。

 大介があそこで一点を取ってくれなかった時点で、この試合はほぼ負けだと思っている。


 ライガースのリリーフ陣も、自分たちが点さえやらなければ、上杉の記録の達成は阻止出来ると奮起する。

 上杉も自分の記録に固執しすぎてはまずいとは分かっている。

 大介から空振り三振は取れないながらも、強烈な内野ゴロと外野へのライナーで、四打席は抑えた。

 もっとも外野へのボールは、ちょっと運河悪ければ、ヒットになっていてもおかしくはない。


 試合は結局、九回まで0-0で展開する。

 ここまで投げて無援護の上杉も気の毒であるが、今年先発からほぼ外されて、色々と溜まっていた飛田が三イニングをしっかり抑えたのが大きい。

 延長に突入して、上杉も交代する。

 シーズン記録は破れなかったが、内容からすると完全に、怪物の領域さえ突破してしまった。

 援護の少なさに歯噛みするのは、神奈川の打線陣である。

 今年のドラフトは去年までにもまして、打てる即戦力を狙っていかなければいけないだろう。


 そして上杉以外のピッチャーが投げるということは、大介を回避しなければ、高確率で点が入るということ。

 今年の後半からセットアッパーとして定着していたピッチャーは、五打席目の大介の前にランナーを出してしまう。

 勝負を避けるか、それとも勝負して散るか、どちらかを選べ。

 勝負して勝つという選択肢は現実的ではない。

 だが神奈川としては、順位も決定している今、あえて打たれていってもいい。

 大介との勝負は、いい経験になると思うのだ。


 胸元に鋭く投げられたボールを、大介は角度をつけて打ち返した。

 切れてくれ、というピッチャーの願いは虚しく、打球はライトスタンドの広告に当たった。

 あと少しで場外ホームランという打球で、一気に三打点がついた。

(よっしゃ、これで1000万ゲットへあと一歩!)

 なお試合はその裏、クローザーのオークレイが今季二度目のセーブに失敗し、神奈川が勝利した。

 こういうこともある。




 残り試合は、甲子園での一試合と、NAGOYANドームでの一試合。

 天候で順延になっていたこの試合、移動の間に休養日が置けるほど、今年の日程消化も順調であった。

 そして事実上、大介の打率四割到達も決定した。


 残り二試合で、八打席を凡退しても、0.4009となる。

 九打席を凡退すると、丁度0.400となる。

 甲子園での試合で、それを祝おうという話になっている。

 まあ確かに残り一試合を怪我で欠場しても、そのまま首位打者は決定である。


 だが大介の成績を見ていて、チームメイトなどは感心する。

「全試合フルイニング出場かよ……」

 今年100試合以上をスタメンした黒田が、完全に呆れていた。

「去年は一試合、途中で交代しちゃったからね」

 それでも全試合出場である。

 高卒ルーキーが開幕スタメンでクリーンナップを打ち、そしてスランプらしいスランプも短期間で解決し、全試合出場した。

 これが二年連続である。

 大介は確かにとんでもない記録を残し続けているが、その根底にあるのは耐久力であろう。


 プロ野球選手というのは、案外スタミナはないし、実際のところ必要ともされていない。

 ただ肉体の耐久力を高めるためのトレーニングが、スタミナも備えさせるだけだ。

 もっともトレーニングのしすぎで、耐久力をスカスカにさせる馬鹿は、選手にも指導者にも大勢いる。


 大介の場合はそもそも、肉体の消費量が少ない。

 小さい体なので、それも当たり前だ。そのくせぎっしりと筋肉はあるが、その筋肉は衝撃を吸収する柔らかいものだ。

 大食いであり、消化力が高く、蓄積も効率がいい。

 このあたりの肉体の特徴は、さすがに才能と言っていい。

 骨密度なども高く、そして治癒力も高い。

 あえて人外の領域を言うならば、一番おかしいのはその治癒力である。

 治癒力が高いからトレーニングも可能であるし、骨が折れても亀裂骨折程度であれば、二日で治る。

 本当に、一度解剖してもらうべきだろう。




 甲子園最終戦は、広島との対決。

 そしてライガースの先発は高橋である。


 五回までしか投げない老人とか言われながら、今年の勝敗は五分。

 それに四勝がついている。来年も契約は更改されるだろう。

 なんだかんだ言って、先発で10試合以上を投げているのだ。

 リリーフ陣に負担がかかるとは言われるが、その分を他の先発が長いイニングを投げている。


 そんな高橋はこの日も、甲子園最終戦で、気迫のピッチングを繰り広げる。

 ライガースの応援団も高橋相手には、どこか悲愴なものを感じる。

 200勝投手。

 このまま上杉がMLBに行かずにいれば、確実に達成できそうな数ではある。

 だが他のピッチャーを見ても、200勝を達成出来そうなのは何人いるのか。


 柳本はジャガース時代に、勝ちがあまりつかない年があった。

 加納は大卒であるし、去年から勝ち星が減っている。

 日米通算でいいのなら、去年ジャガースにいた矢沢が、どうにか達成しそうではある。

 あとは高卒からの投手では、それこそ真田か。




 この日も高橋は、勝ち星がつかない状態で、マウンドを降りた。

 試合の展開としては点の取り合いであるが、まだここまで大介にはヒットが出ていない。

 ただ一打席は歩いたため、これで四割は達成した。

 それこそこの試合と明日の試合が、延長までやって全ての出席を凡退しない限り。


 大介としても、これだけで済ませる気はない。

(延長になって打席が多く回ってきたら、むしろありがたいしな)

 広島は順位も確定してしまったので、大介との勝負を避ける理由はない。

 後から色々と言われないよう、エースの三浦を持ってきて、大介とも無理のない範囲で勝負してこようとする。

 ただ今年の三浦は試合によって出来が極端であり、この試合はストレートは走っていたが、制球が微妙であった。


 デッドボールで怪我でもしたら、プレイオフにどう影響するか。

 だが大介は、打てるボールは打ってしまう。

 ホームランはさすがに更新不可能と見たが、打点はいける。

 そして確実に打点を増やすのはホームランだ。


 6-6で迎えた最終回、大介に五打席目が回ってきた。

 今日はここまで一打席を歩かされて、あとは凡退している。

 荒れ球のために大介も、上手く捉え切れていない。

 だが荒れ球とは、変に甘いコースにも投げられてしまうものである。


 甘く入った内角を、振り切ったスピードが早すぎた。

 ホームラン性の打球がポールの外へ出て、観客席から大きな溜め息が洩れる。

 仕方のないことだが、甘い球を見て力が入ってしまった。

(ランナーがいないから、ホームランしかないんだけどな)

 外角の球を正面に弾き返したら、センターフライ。

 この日はヒットが一本も出ず、その次の回でライガースはサヨナラで試合を制した。


 大介の打率は0.404となり、次の試合で四打席凡退をしても、四割達成である。

 一本もヒットの出ない試合での達成はしまらないものがあったが、それでもこの日、偉大な記録が日本球史に刻まれたのであった。

 シーズン最終戦は、NAGOYANドームでの対戦となる。




 シーズン最終戦は、気楽な気持ちの大介であった。

 ただ本人は、狙っているものがある。

 打点だ。

 ここまで189打点で、去年の190打点に迫っている。

 ランナーのいる場面で、回ってきてくれと祈る大介である。


 しかしフェニックスとしても、無駄に勝負などしたくない。

 だが遠征してきたライガースファンのみならず、地元のフェニックスファンからでさえ、大介と対決しろとの圧力がある。

 フェニックスはランナーがいる状態で、大介と対決したくなどない。

 だがピッチャー自身が勝負したいと思っているなら、その限りではない。


 プロ二年目の大卒ピッチャーが、途中からリリーフで登板してくる。

 最終戦で最下位が決まっているフェニックスとしては、もう若手のピッチャーを試す場面なのである。

 そしてピッチャーとしては、大介を打ち取るということは、大きな勲章になる。


 まあそれは間違っていないのだが、自分に都合がよくいくと、どうして思うのか。

 一塁にランナーがいるため、確かに勝負していく場面ではあったのだが。


 アウトローのストレートを振り切って、ライト方向に持っていった。

 ホームランが出にくいといっても、ここまで飛べば関係ない。

 スタンド中段へのホームランで、これで打点二がつく。


 半世紀以上更新されていなかった記録を、大介はルーキーの年に破った。

 そしてその記録を、二年目で破ってしまった。

 打率四割というオマケ付きで。

(ホームランは無理だったな)

 さすがにこの試合残りの打席をマトモに勝負してくる者はいなかった。

 だが三冠王は、来年以降はホームランを積極的に狙っていこうと考えるのであった。


×××


 ※ 今年のMLB、トラウトがバグってるな……。

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