第219話 中毒

 SBC千葉にて、大介は調整を行っている。

 ついでというわけではないが、真田もついてきていた。

 純粋に自分の調子を元に戻すために。


 野球選手はおおよそ、年俸が二億になると、その前後の年俸推移次第だが、野球だけで食っていける。

 一生を選手時代の年俸だけで過ごせるというわけだ。

 そんなものは生活のレベルにもよるし、配偶者がいるかどうかだとか、子供が何人いるかでも色々と変わってくる。

 だがとりあえず、超一流の目安は二億、というのが現在のNPBである。


 真田は今年の成績で、そこに届く予定であった。

 だが確かに増加はしたものの、期待したほどではない。

 中継ぎというのはこういうものか、と思ったのだという。

 中継ぎうんぬんではなく、活躍出来る時間が短く、また起用法が限定されてしまったからだと、大介は思うが。


 だが確かに、ちょっとケチだなとは思った。

 真田は中盤以降、同点の場面で継投して失点を防ぎ、その間に打線が援護し勝ち星を八つもつけていた。

 だがやはり査定的には、これはホールドの数と変わらないのだという。

 先発として投げて、しっかりと試合を作る。

 やはりピッチャーの王道はそちらであるらしい。


 二人には大原も同行している。

 最高のシーズンを送った大原は、600万から3000万、3000万から9000万と、二年間で15倍に年俸が増えている。

 税金が大変になるから、使いすぎるなよとは周囲にも注意されている。

 だがとりあえず車は乗り換えた。

 インセンティブを合わせると大原の10倍にもなりそうな大介であるが、国産車を大切に乗っている。

 対して大原は野球選手の大好きなポルシェでもなく、トヨタのクラウンにしたそうな。

 別に文句はないのだが、大介のプリウスより倍ほども高い車である。

 まあ、お前は二台持っているだろと言われたらそれまでなのだが。


 ちなみに織田の勧誘などはなく、普通に昔から好きな車であったらしい。

 クラウンが好きな車というのは、よく分からない大介である。そもそも車には興味がないのだが。




 来年は今年ほどの活躍は出来ないだろうな、と大原は冷静に見ている。

 確かにチーム内で勝ち頭で、貯金も大量に作った。

 だが防御率自体は、山田やキッドの方がずっと優れている。

 それでもたくさん勝ち、そして貯金が多く作れた理由は、チームナンバーワンどころか、リーグでもナンバーツーのイニングイーターっぷりであった。


 長いイニングを投げていれば、今年のライガースの打線であれば、途中でどうにか追いついたり、逆転したりが出来た。

 そこでリリーフを投入し、逃げ切るという継投策がハマったのだ。

 しかし勝率やイニングイーターっぷりの価値が、それで薄れるはずもない。

 イニングを食えるピッチャーというのは、勝ち負けが五分五分であっても、貴重なものなのである。

 

 とりあえず目下の目標は、来年の開幕までに、真田を完全に復調させること。

 そして大原に関しては、さらにピッチングの精度を上げていくこと。

 毎年のように新球種に挑んでいるが、結局使うのはチェンジアップとスライダー。

 あとは小さなスライダーとも言えるカットボールだ。


 大原のボールはキレこそあるのだが、ホップ成分はそれほど優れているとは言えない。

 つまり回転軸が地面と平行でないのだ。

 だからこそそれなりに当たるのだが、逆にそれがわずかに動いて、ジャストミートを避けているということはある。

 これに加えるとしたらツーシーム。

 何度か試してはいるのだが、自然と大事な場面では使わなくなっている。


 千葉にいる間は、これをどうにかしなければいけない。

 リハビリ的に頑張る真田にも増して、大原はオフだからといって、休んだりはしない。

 なお真田は大原の実家に泊めてもらっている。

 大原もプロ入りしてから、実家の部屋がほぼ物置になっていたそうだが。




 三人に共通することは、来年こそは、という気持ちである。

 当たり前のようにプロ入り初年から日本一になってきたが、今年はリーグ優勝こそ遂げたものの、日本一には届かなかった。

 主力の故障などというアクシデントもあったが、それでも悔しさは残る。

 特に大介などは、自分の目の前で優勝が決まるのを見てしまった。

 回ってくれば打つ。絶対に打てたはずだ。

 だがジャガースは、全力でもって試合を終わらせた。


 ドラフトで即戦力級と言われるピッチャーなどを取り、投手陣の層を厚くすることは考えているフロントである。

 だが実際のところ、アマチュアでどれだけの実績を残していても、プロでは通用しないということが多いのだ。

 それに打線においては、金剛寺が心配である。

 一時的な視力の衰えと言われていたが、果たして本当に元に戻るのか。

 山田の怪我にしても、投げられない期間が長ければ、それだけ復帰にも時間がかかる。


 投打の主力が抜けてしまって、果たしてどうなるのか。

 金剛寺に関しては年齢も考えると、このまま引退すらありえる。

「つか、監督が来年も続けるかが問題でしょ」

 大介と大原は、普通に来年も島野だと考えていた。

 実績的に言うならば、三年連続でリーグ優勝と日本一を果たし、今年もリーグ優勝に日本シリーズまで勝ち進んだ。

 敗北の原因は怪我人が出てしまったことだと、だいたいの専門家は擁護している。

 ただ今年が契約年度の最終年であったことは確かだ。


 そんなことを話しながら、ロビーで一休み。

 適当にテレビの番組を見ていると、周囲の視線が痛い。

 甲子園では普通に声をかけてきたファンであったが、こちらでは真田などは馴染みがない。

 一応会員規約として、センター利用のスポーツ選手などへの過剰な接触は禁止されている。


「お」

 テレビ番組で、記者会見がなされていた。

 ライガースの島野と、金剛寺が一緒である。

「え、マジ引退か」

 そう思っていたが、そこまで簡単なものでもなかった。

 金剛寺を選手権ヘッドコーチとし、島野監督はとりあえず一年延長というものらしい。

「これは、来年で金剛寺さん引退かな」

「それでそのままオジキが監督って?」

「ああ~、なるほど~」


 同じチームであっても、首脳部人事などは耳にしないものである。

 事情通の者が、いないわけではないのだが。

 ただそれらとは、関東と関西で離れている。

 スマホの方に他のチームメイトから、番組に関しての話題でメッセージが飛んでくる。

 

 とりあえずほっとしたのは、もちろん戦力的なことも大きいが、それよりは金剛寺がベンチにいてくれるということであろう。

 大介は主砲であるが、チーム全体を率いていくというタイプではない。

 経歴的に西郷あたりが適任なのだろうが、さすがにまだルーキーイヤーが終わっただけである。

 ちなみに新人王は、セでは西郷が獲得していて、パでは悟である。




 金剛寺がどんな形であれ、チームに残留したことは大きい。

 ただここからはライガース人事は、色々と動いていくことになる。

 助っ人外国人は切られなかったが、さらにまだ獲得を目指しているとか、そういったことは聞く。

 今年はとにかくレイトナーが不調であったのだ。

 他には新人に関して、どの程度の期待が持てるか。


 この三人はさすがに主戦力なので、トレートに出されることはないだろう。

 大介は出そうものなら、球団フロントが襲撃されかねないし、大原はチーム一のイニングイーター、真田も復活すれば先発の左のエースである。

 ドラフトではピッチャーを中心に八人を獲得した。

 あとは金剛寺の衰えを、首脳陣とフロントがどう認識しているかだ。

 もっとも金剛寺は去年、チームへの合流は遅れたが、それでも20本のホームランを打っている。


 だが現実的に考えると、毎年ある程度は休んでしまう選手を、完全にアテには出来ないという見方もあるだろう。

 それはもちろん西郷の加入によって、クリーンナップのレベルは保てたわけだが。

「来年はどうなるかな」

 大原の言葉に、大介と真田は普通に考え込む。

 ドラフトの目玉となったのは、大学で直史の相棒として活躍した樋口だ。

 そしてこの夏、甲子園でパーフェクトペースで白富東を破った、大阪光陰の蓮池。

 ただしこの試合でパンクし、国体やその後の練習でも、投げている姿は見られなかった。


 真田はOBとして聞いていたが、一応怪我は治ってはいるらしい。

 だからこそ一位指名で埼玉は一本釣りしたのだろうが、他の11球団はリスクがあると見たわけが。

 考えてみれば蓮池は打撃も優れているので、もしダメならば野手ということも考えているのかもしれない。

 甲子園でホームランも打っているし、真田としては後輩のことだけに、気にはなっていたのだ。


 今年も終わろうとしている。

 真田は実家の長野に帰るし、大原も年末までは練習漬けにはならない。

 その中で大介だけが、ストイックにバットを振り続けている。



 

 その日、SBCを訪れた人々は、ぎょっと驚いたかもしれない。

 師走も末、大介も母の実家に戻っていたが、車に乗せて元チームメイトを連れて来る。

 センターの職員だけには話をしてあるが、久しぶりのこのバッテリーである。

「この面子なら学校の施設使っても良かったんじゃないの?」

 ジンはそう言うが、大介は大介なりに、ちゃんと考えているのだ。

「今の俺とナオの立場だと、周りがうるさくなりすぎるだろ」

 帰省していた直史は、大掃除を終えたところを連れ出されたのである。


 直史はまだ大学院があるため東京に住み、年明けからはクラブチームの練習に参加する。

 大学生活でも三年目の春までが、直史が本当に全盛期を保っていたと、大介は考えている。

 四年の秋には、それ以上の実績を残しているのだが。


 大学よりもさらに、実戦からは遠ざかることになる。

 さすがに直史が小器用であっても、これからは大介のレベルにはもう達することはないだろう。

 今が限界で、ここからは下がるばかり。

 そんな直史ではあるが、バッティングピッチャーとしての能力は、二人が一番よく知っている。


 ジンは卒業後、帝都一のコーチ陣として就職先を決めている。

 既に大学時代から、帝都一と帝都大は、付属校というだけあって、練習試合などもしているのだ。

 ジンはこれから指導者としての人生が始まるわけだが、高校時代から既に同じことをしていた気がしないでもない。

「久しぶりだなあ」

 プロテクター一式を持って、キャッチャーボックスに入る。


 立ったままのジンに、何球か投げてみる直史。

 懐かしい景色が、そこに再現されている。

 そして打つ気満々でバッターボックスに入る大介。

 練習試合ですらない、ただのガチ勝負ではあるが、フリーバッティング。

 直史としてはここは、大介の調子を復調させることを第一に考えている。




 真剣勝負の舞台は、もう作った。

 プロの日本代表が、大学の選抜に負けたのだ。

 ただの負け方ではなく、ひどい負け方だった。

 ノーヒットノーランではあるが、事実上のパーフェクト。

 それから何度大学選抜に勝とうが、意味はなかった。

 あのバッテリーと大介は四度対決し、そして四度封じられた。

 ここで打ったとしても、その過去はなかったころにはならない。


 直史にとってはここで、大介と勝負するつもりはない。

 秋の神宮が終わってから、直史はほとんど練習をしていなかったのだ。

 来年参加するクラブチームには行ったが、本格的な参加はまだ。

 そんな直史のボールが打てないのだとしたら、さすがに大介はまずいだろう。


 妹たちの将来を任せるためにも、立ち直らせる必要がある。

 だからといって完全に手を抜いて投げても、練習にはならない。

 それに大介の外角を攻めるためには、直史の手持ちの球であると、それほど強力な球はないのだ。


 とりあえずプレートもしっかり使って、高速シンカーを試してみた。

 これが左打者に対しては、逃げるボールにはなる。

 だがスピードを重視しているため、変化量はそれほど大きくない。

 見逃すのかと思った大介が、そこから軽くバットを振った。

 すると外角低めにコントロールされたボールをジャストミートし、直史の頭の上を抜けていった。

「単に外だけだと打てるからさ。普通にカウント付けて勝負してくれよ」

 なるほど、今の大介にとっては、直史のボールであっても、来ると分かっていれば打てるということか。


 勝敗を気にしなくてもいい、単純に技術と投球術だけの勝負。

 ジンのリードもまた、高校時代のものを使う。

 直史が大学に入ってから、特に磨いたのはストレートとスライダー。

 ジンは敵としてではあるが、それを間近で見ていた。


 試合でもない。言うなればこれは、草野球的なピッチャーとバッターの勝負。

 カウントだけは数えながら、何打席分も勝負する。

 これがおそらく、こうやってしっかりと投げて対決する、最後の機会になるだろう。

 その中でどうしても、ジンも直史も、大介を打ち取ることに真剣になってしまう。

 現時点日本最強の打者に対して、全力で勝負できる。

 そんな機会を持てるアマチュアのバッテリーが、他にいるというのか。


 大介は上手く、強くなっていた。

 毎年嘘のような成績を残していたが、優勝できなかった今年が、一番傑出した数字を残していた。

 三冠王なだけではなく、その全ての数字が過去の最高値に並ぶほど。

 そんなバッターは、直史の全力のボールでも、かなりの確立でジャストミートする。

(こいつシーズン中は絶対に手抜いてるだろ)

 直史が思ったとおり、この大介はプレイオフ状態の大介だ。

 逃げない直史相手であれば、それだけしっかりと戦うことが出来る。


 おそらく野球の、一番原初的な、三人でのプレイ。

 直史の体力の限界まで、三人はそうやって遊んでいるのであった。

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