第258話 超人の世界

 上杉がやっと一つ負けたのに、武史はまだ負けていない。

 大介の記憶からすると、どちらが上かというと、上杉の方であるのだが。

 普通に対戦しただけでも、かなりの体力を消耗する。

 ところが武史との対決では、普通に打っていけるのだ。


 武史はおそらく、今後どれだけの成績を残しても、絶対的なエースとは思われないのではないか。

 なかなか対戦はないものの、武史の投げた試合を見ていると、打てなくはないだろうと思えてくるのだ。

 対戦した数試合を思い出したも、上杉は時々凄みのある、スイングさえ出来ないストレートを投げてくる。

 武史のストレートも、空振りを奪うのは充分なものだが、スイングさえ出来ないというほどのものではない。


 自分の記録の競争相手は、自分自身しかいない。

 だが上杉と武史は、お互いに争っている。

 そしてやはりあの離脱期間が大きく、武史の方が多くの点で上杉を上回っている。

 ただ上杉にしても、チームの成績をよくするために、登板回数を増やしている。

 またそれで自分が投げすぎないよう、完投する数は減らしている。

 チームの打線の援護というのも、もちろん関係しているだろう。

 だが残った数字が、武史を上杉の上としてしまっている。


 見る人間が見れば、まだまだ上杉の方が上だということは分かる。

 チーム事情の苦しさなどを、スターズは全て上杉に任せすぎてしまっているのだ。

 本来ならもっとフロントが動いて、戦力を補強しなければいけない。

 上杉以外の投手陣も、かなり不満は持っているだろう。

 監督が変わっても、これはチーム全体の戦力の問題だ。

 もちろん現場の育成も問題はあるだろうが、それ以上に新戦力の獲得で失敗しているのだ。


 上杉が、エースとしてチームを引っ張りすぎている。

 思えばこれは、高校時代の再現なのかもしれない。

 一年の夏からほとんど自分一人の力で、チームを甲子園に連れて行ったエース。

 今も登板間隔を詰めて、自分の成績よりも、チームの順位を優先している。


 エゴが足りない。

 大介や上杉のような人間には、また武史のような人間にもないが、エゴがもっと必要なのだ。

 たとえば樋口のように、チームよりも自分の成績を優先するような。

 もっともチームの正捕手になってしまえば、チームを勝たせないと、かなり批判されてしまうが。

 窮地を抑えたらピッチャーの功績、打たれて負ければキャッチャーのリードのせい、などと言われることもある。悲惨だ。




 八月も半ばを過ぎると、ペナントレースの疲労に加えて、暑さによる疲労も加わってくる。

 疲労からミスが発生し、それがミスだけならいいが、集中力の低下から、怪我をして戦線離脱ということも生じてくる。

 大介にとってみれば、夏がやってきて初めて、今年も野球の季節だなと思ったりする。

 体力お化けであるだけではなく、酷暑耐性まで持つのが大介だ。

 相手のピッチャーがパフォーマンスを落としてくれば、遠慮なく打ってしまう大介だ。

 

 打率はほぼ四割を、ホームランは70本ペースを。

 ずっと保ち続けているのが、今の大介である。

 こちらのバッティング記録が去年よりも注目度が薄いのは、ピッチャー対決の方が盛り上がっているからだろう。

 ここまでずっと、ほぼ意図的に避けていただろうと思われる、上杉と武史の対決。

 それがこの八月には実現したのである。


 ただ結果としては、大介がある程度予想したように、面白くないものに終わってしまった。

 いや、結果だけを見ればそうなだけで、おそらくリアルタイムで体験していた者は、さぞや楽しかったであろう。

 九回までを両者が投げて、上杉は被安打一の準パーフェクトで、武史も被安打一の四球一でほぼ準パーフェクト。

 ここでレックスは武史を交代させるが、スターズは上杉がそのまま続投。

 リリーフ陣を打ってスターズが勝利するのだが、さすがにここいらは上杉を投げさせすぎだと思う。


 上杉ももう少し、自分の扱いに何かを言ったらどうだろうか。

 そもそも上杉は今年で、国内FA権を取得する。

 郷土愛が強い上杉は、神奈川を第二の故郷ぐらいには思っているかもしれないが、かといって諾々と球団に従うわけでもないだろう。

 年俸は上がっていくのだろうが、上杉は金だけのために投げるタイプではない。

 そのあたりは同じ怪物でも、大介とは違うところである。




 そんなことをしている間に、八月も終わった。

 大介は相変わらず、と言いたいところであるが、この月はチームバッティングに徹したため、やや長打が少なくなった。

 最多安打以外のタイトルはトップを走っているが、ホームランの数がやや伸び悩んだ。

 五試合ホームランが出なくて、スランプなどと言われもした。


 大介の場合はホームランを打つ場合、固め打ちが圧倒的に少ない。

 その試合に一本打ってしまうと、次の打席からは大いに警戒されてしまうからだ。

 だからほんの数試合ホームランが出なくても、スランプなどと変なことを言われる。

 ただ今年も、ホームラン記録の更新には難しいのではと思われるのも無理はない。

 121試合が終わった時点で、58本というのは、もちろん圧倒的なトップである。

 だが七月までは二試合に一本のホームランを打っていたのが、八月は伸び悩んだ。

 基準がおかしいかもしれないが、大介基準だと事実である。


 残り22試合で11本を打ったら、69本となる。

 見事に70本まで、あと一本足りないという数字になるのだ。

 ただそれでもほんのわずかな波が、ここに追加されたなら。

 70本は、届かない数字ではない。


 なおこの時点で、チームもレックスを逆転した。

 残り試合数がレックスの方が多く、そして0.5ゲーム差。

 九月に残っている直接対決は、三連戦と二連戦。

 この五試合の結果がそのまま、ペナントレースの優勝を決めそうである。




 大介がそんな記録を残しているのにも関わらず、世間の関心はピッチャーの成績の方に集まっている。

 上杉が19先発の14勝1敗。

 武史が22先発の19勝0敗。

 上杉はやはり、あの怪我の離脱が大きかった。あれがなければもっと余裕ある起用が出来て、勝ち星を増やせたことは間違いない。

 そもそも防御率やWHIPの値にはそれほど差がないのに、武史の方が圧倒的に勝っているのがおかしいのだ。

 二点取られただけで負けがついてしまっては、ピッチャーだって嫌になる。

 明らかに上杉は、その超人性がゆえに、頼られすぎている。


 ここは武史の性格が、完全にプラスに働いている。

 何点かリードしていても、どこかでやらかして点を取られる可能性がある。

 そんな不安が武史には感じられるし、実際に完封一歩手前でホームランを打たれる試合が、何度かあったのだ。

 それでも圧倒的に強いピッチャーではあるのだが……他のピッチャーと比べても、どうしても信頼しきれないのはどうしてなのだろう。


 武史がこの先負け星がつくとしたら、圧倒的なピッチャーとの投げ合いで敗北を喫するか、あるいは圧倒的な打撃のチームに打ち崩されるか。

 だがレックスは間違いなくリーグ戦を勝ち残るべく、勝てる試合を確実に拾っていく体勢だ。

 スターズの場合は上杉ならほぼ勝てるので、上杉の登板間隔だけを気にしている。

 そんな考えだから、上杉が二点取られたら、試合に負けてしまったりもするのだが。

 防御率が余裕で1を切るピッチャーが、たまたま二点を取られたら負ける。

 これは明らかに打線陣の責任であろう。

 それを全く口にせず、投げ続けるのが上杉であるのだが。


 本来ならば、上杉が武史に劣る部分はない。

 だが今年は、怪我の影響があった。

 あれで少しでも投げられなかった期間を取り戻すため、間隔を詰めて投げている。

 そのため投手タイトルのうち、勝利数、防御率、奪三振数、最高勝率、完封数の投手五冠全てを、武史が取ってしまっている。

 怪我が泣ければ、とは去年の大介も言われたことだ。

 だが投げたイニングなども、武史が上回っている。

 怪我をせずに投げるということが、どれだけ大切かを示すようである。


 ここから武史は、一度だけなら負けても最高勝率のタイトルが取れるだろう。

 勝ち星にしても、上杉が間隔を詰めているといっても、五勝の差がある。

 総合的に勝ち星を増やすために、上杉はある程度打たせて取るピッチングをしている。

 なので防御率もやや高くなり、武史に負けてしまっているわけである。


 昨年の投手五冠を取った上杉が、まさか次の年は一つのタイトルも取れないのか。

 それこそ野球の不思議であり、武史が何かを持っている、という証でもあるのか。

 これは、もし上杉がどこかの部門で逆転しても、最優秀バッテリーは武史と樋口で決まりだな、とは大介も思う。

 レギュラーシーズンではおそらく、レックスを叩き潰すことは難しい。

 だがプレイオフのクライマックスシリーズでは、必ず勝負することとなる。

 そこで対決することを考えて、武史が出来るだけライガースと当たらないようにしているのか。

 確かに対戦数が少なければ少ないほど、ピッチャーの方が有利だとは言われているが。

 



 このシーズン、プロ野球ファンが楽しんでいるのは、いくつもの記録である。

 大介はまだ、打率の更なる更新や、ホームラン記録の更新が残されている。

 おそらくは三冠王はもう問題ない。たとえ怪我をしても、規定打席には到達しているからだ。


 そして武史が、プロ入り一年目でどこまで勝てるのか。

 かつての上杉のように、いや一年目は上杉でも、勝利数ではトップに立てなかった。

 つまり武史が投手五冠を達成したら、史上初めての純然たるルーキーによる、投手五冠の達成となる。


 ルーキーの開幕投手でノーヒットノーランなども、初めてのことであった。

 これらから見ても、武史があるいは、兄以上に何かを持っているのだと分かる。

 ここから逆転があるとしたら、それは上杉次第である。

 純粋な投げ合いでは、勝負なしになることが分かった。

 ならばあとは、ライガース相手に武史が投げたら、どうなることだろうか。


 レックスは醒めたチームだ。

 特にキャッチャーの樋口が醒めている。

 多少逃げても記録を達成すれば、その記録に付随することはおおよそが忘却される。

 脚注などは多くの人間は、読んだりしないのだ。

 そして重要なのは、武史を上手く使って、シーズン優勝をすること。

 個人の記録も大切だが、東京の人気のない方と揶揄されるレックスとしては、スーパースターの誕生と、チームのシーズン優勝は、両方が必要なものである。

 人気が出てこそ、選手の年俸を上げることが出来る。

 チームが勝って二位で終わるのがいい、などとは言わない。


 九月はまだ暑さが残る時期。

 今年の大介は、例年に比較すればの話であるが、暑さの中で伸びなかった。

 だがしっかりと数字は残し、チームの順位も僅差ではあるがトップに持ってきた。

 主力が一人抜けたら、一気に決まるかもしれない。

 そんな九月が、まだ残っている。

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