第213話 人間の限界

 スマホの呼び出し音がして、シャワーを浴びたばかりであった大介は、それを手に取る。

 珍しいが珍しすぎはしない人物の名前に、通信オン。

「もしもし」

『どうしたんだお前、なんであんなバッティングになってるんだ?』

「いや、俺も分からないんだけど、テレビで見て何がおかしいか分かった?」

『ミートのインパクトがズレてることは分かったが、原因は?』

「それが分かってたら修正してるよ」

 父からの電話は、だいたいいつも大介がピンチの時に来る。


 テレビであっても打った直後のスロー動画から、おかしな部分は分かったらしい。

『トップを小さく作ったの、あれは意識的か?』

「一打席目からおかしかったっけ? 二打席目からは意識的にしてたけど」

『一打席目からおかしかったぞ』

 一打席目は、スタンドまでは届かなかったものの、当たり自体は良かった。

 だが大介としては、あの瞬間から既に、手応えはおかしかったのだ。

『どこか怪我とかしてないか?』

「いや、それは大丈夫なんだけど」

 今まではどこかがちょっとぐらい痛くても、普通に打ってしまってはいた。


 肋骨が折れた時も打てた。

 そして今は、どこにも痛みはない。

『トップが小さく見えるのは、スイングスピードが下がることにつながるな』

「それで手応えが小さかったのかな」

『今、昨日の映像見てるけど、この時点で少しおかしいな』

 わざわざ録画していてくれるのか。

 まあ日本シリーズなので、野球のコーチがそれを見ていることは、全くおかしくないのだが。


 大介の父である大庭は、明倫館を甲子園に連れて行った後、しばらくはシニアのコーチをするはずであった。

 その間に選手を育てて、また甲子園を目指すというのが計画であったのだ。

 しかし大庭目当ての選手が部活でストライキを起こしたため、結局両方のコーチをしているという経緯がある。

 白富東が甲子園に出場して以降の成績を見ると、白富東は六年間の間に、優勝五回準優勝二回という、とんでもない成績を残している。

 これに続くのが大阪光陰で、優勝準優勝共に四回。

 12大会の決勝にまで進んだ24チームのうち、半分以上をこの二校で占めていたわけである。なんともひどい時代であった。

 だが明倫館も優勝一度と準優勝を二度しており、間違いなく大庭は名将でありコーチとしても優れている。

 ただその父の目をしても、このスランプもどきの原因は分からない。


 もっとも、とりあえずの解決方法は、大介にも分かった。

「とりあえず次は右で打ってみるわ」

『それもいいかもしれないな』

 通話を切ると、髪の水分をガシガシと取って、ベッドに寝転がる。

 幸いと言っていいのか、明日一日が移動日で休みである。もちろん移動に時間は取られるが。

 埼玉で行われる三連戦、もちろん全て負ければ、それで敗退が決定する。

 最低でも一度は勝たなければ、甲子園には戻ってこれない。


 過去の三年間は、全て甲子園で優勝を決めてきた。

 だからと言うわけではないが、甲子園にまで粘れば、なんとか勝てるような気がする。

 そのためにも、三試合の内に一つは勝たないといけない。

 ただ殴り合いであると、上手くはいかない気がする。

 今日の試合はキッドと正也の、ほぼ互角の成績を残した二人の対決であった。

 大介の打撃で打点は付かなかったが、ホームはちゃんと踏んでいる。

 なので全く貢献していないというわけではないのだが。




 ライガースの次の先発は、山倉である。

 今年もローテーションとして完全に機能し、24先発で8勝5敗。

 なお勝ち星だけならば、途中からリリーフに回った真田も同じだけを上げている。

 同点の場面からマウンドに登って、そこから味方が点を取ってくれるという、回跨ぎはそれほどなかったのに、これも幸運な勝ち星である。

 ちなみに今年の真田は、先発では一勝もしていない。


 今日の試合はキッドが五回までを投げて三失点であった。

 その後をリリーフ陣が投げて三失点なので、なかなかに微妙な感じである。

 左打者相手には、圧倒的に真田が強かったが。

 左の多いジャガース相手には、次の次あたりでいきなり先発転換とかは出来ないものだろうか。

(まあ今年は左の多い場面でしか使われてないもんな)

 ただしリリーフした試合では一度も負け投手になっていないという、これまた大原とは違った、運の良さがあったりする。


 次の試合はピッチャーの質では、ライガースが劣るとは島野も分かっている。

 いっそのこと真田はフィールディングもいいので、左バッターの時にだけ投げさせて、それ以外はサードあたりを守らせて、右打者は他のピッチャーに。

(いやいや、そしたらピッチャーが何枚必要になるんや)

 ベンチを全員動かしても足りない。

 ちなみに高校野球では、上総総合の鶴橋などはけっこうやっている。秦野もこの傾向はあった。国立もした。

 そもそも第二戦の通り、真田は左打者相手に怪物級の数字を残すのだ。終盤に必要なリリーフである。


 馬鹿なことを考えたが、そこは継投でどうにかするしかないだろう。

 そのタイミングはピッチングコーチの意見を聞きながら決める。

 確実にいえるのは、最終回にクリーンナップに回っても、真田を温存出来たら勝てるだろうということだ。

 参謀となるコーチ陣は大勢いる。

 だがハゲるほど考えるのは、監督の役目である。

(ちゅーか今季で勇退して、島本あたりに監督やってもらえんやろか)

 島本は今季も、序盤壊滅状態であった投手陣を、どうにか立て直してくれた。

 現役時代の末期よりは、今の方が輝いている。

 ただ監督をするには、他のコーチの年齢の高さがある。


 島野の長期政権は、自然とコーチ陣の年齢層も高いものにしてしまっていた。

 とりあえずあと一年、というものだったのが、大介のせいで三年も伸びたとも言う。

 このあたりフロントの構想などは、優勝が続いたことにより、棚上げされることになった。

 どちらかというとフロントに強い要求をする監督ではなく、現場の仕事に徹していた。

 だが三年連続日本一の名刺があれば、今後の仕事には困らないだろう。


 今年は確かに、難しい状況だ。

 だが優勝できなくても、大介が色々とおかしなことをやってくれたおかげで、ライガースの年度収益は、歴代最高を更新し続けている。

 日本シリーズも、既に二度は地元で出来た。

 優勝できたら関連会社のバーゲンがあるので、そちらもどうにかしてほしいというのが、親会社の願いではあるだろう。

 だが山田と金剛寺の離脱で、負ける言い訳が出来てしまった。

 ライガースの黄金期を迎えるためには、首脳陣もある程度変わった方がいいだろう。

 あるいは金剛寺の治療次第では、いきなり監督をやってもらってもいいかもしれない。

 島本の方が年上であるが、あの二人ならそのあたりは気にしない。


 既に負けた後のことを考えている。

 この時点で既に、島野の中には覚悟があったと言えるだろう。




 場所を埼玉に移動し、第三戦を迎える。

 埼玉ドームで練習中、大介は右打席で打っていた。

 コーチ陣に言われて左に戻しても振ってみるのだが、少なくとも練習では上手くボールは飛んで行く。

(なんかどっちでも大丈夫だな)

 本番では違うのかもしれないが、出来れば練習の時点で変化が見えてほしかった。


 今日はちゃんと飛ばすなと、周囲は思っている。

 大介もフリー打撃では、ちゃんと手応えがある。

 だが試合になれば分からない。

 フリーではちゃんと、打てるところにしか投げてこないからだ。

 それでも二戦目は、正也以外も打てるコースに投げてきたものだが。


 練習時間を終わり、球場内の通路を歩く。

「だ~れだ」

 大介の背後に回り、気配もなく目を塞ぐことも出来る人間など、そうはいない。

 なので特定はたやすいのだが、どうやってここまで来れたのかが問題である。

「どっちかは分からん。だけどどうやってここまで入ってきたんだ?」

 ツインズがそこにいた。

 しかし大介よ、いまだにどちらがどちらか分からないのか。


「VIP席取ったのさ」

「セイバーさんの伝手で」

「またあの人か」

 埼玉ドームは比較的新しい球場なので、しっかりとVIPルームは備えている。

 ただしシーズン中の普通の試合ならともかく、日本シリーズでの一戦となれば、単に金があるだけでは取れないものであるが。

 しかしさらにまだ練習の時間であるのに、どうやってここまで潜り込んだのやら。


 不思議なものである。

 もちろん大介はセイバーに、恩というか親しみと、感謝を感じてはいる。

 だが高校を卒業してからも、色々な所でその気配を感じる。

 秦野が普通に学生野球のコーチをしているのとは違う。

 だが以前に、一度だが甲子園で解説者をやっていたことがあった。完全にデータ任せの解説であったが。

 高校野球にも、まだ関心を残している。

 だがどうやら影響力は、プロの方に移しているらしい。


 考えてみればアレクはセイバーの肝煎りの選手なのだから、埼玉との関係が出来てもおかしくはない。

 なるほど彼女に頼めば、たいがいのことはかなえてくれるわけか。

 試合を見に来るとは言っていたが、それ以外は何も言っていなかった二人である。

 なんでも映画の撮影で、しばらくは忙しかったそうであるが。


 ただ、この二人なら分かるかもしれない。

「俺の不調の原因、分からないか?」

「気付いてなかったの?」

 それこそ意外、という顔を二人はした。

「体軸が曲がってるから」

「それはそうかもしれないが、けっこうそんな打ち方してるだろ?」

「全然違う」

 プロでも気付かなかったことを、二人は気付いている。

 それは二人が野球のプロとは異なるが、体を動かすことに関しては、ある意味プロ野球選手よりも通じていたからだろう。


 二人いるので、片方がマネをして、片方がそれを支える。

「これがいい時の大介君の、打ってるフォーム」

「それでこれが、この間からのフォーム」

 なるほど、かなり極端にしてもらったので、はっきりと分かった。

 腰の部分が折れているかどうかだ。




 タイタンズ戦においては、核兵器級の爆発をした大介の打撃である。

 特に後半の三戦で、五本のホームランを打っていた。

 その時の打撃フォームは、体を投げ出すように打っていた。

 本当ならば打撃は、足を最後に踏ん張ることによって、上半身を回転させるのだ。

 しかし大介は腰の回転だけで、バットを振ってしまうことがある。

 よく、あれではいずれ故障する、などとは色々な専門家に言われるものであるが。


 確かに、大介でも故障はするのかもしれない。

 そうならないために、今のスイングは完全には力が乗っていない。

 理屈は、多分分かった。

 そしてフリー打撃で打てたのは、そんな身を投げ出すようなスイングをしていなかったからである。

 だが実戦においては、外角に逃げる球を打っていく。

 そのクセが外角以外でも出てしまっているのか。


「サンキューな」

 それだけを言うと大介は、スコアラーの元へと走っていく。

 忙しい中をわざわざ応援に来たツインズは放置である。

 だがそういうところが好きなのだが。


 ツインズは己の力によって、生きていくことが出来る。

 だから男に生活力などは求めない。

 求めるのは、とにかく自分をも飲み込む圧倒的なもの。

 それを持っている人間は、日本全土を見ても、それほどいるものではない。

 苦笑して、またスタジアムの中を見物に戻る二人であった。




 スコアラーに声をかけ、映像を用意してもらう大介である。

 なるほど確かに、わずかに腰が傾いているか。

 ただユニフォームを着た状態で、よくそれが分かったものであるが。


 簡単に言うと、手打ちになっている。

 普段と比べればということで、なかなか気付く者はいないだろう。

 しかし分かれば、対処もあるはずだ。

 もっとも今日の試合は間に合わないが。


 そこで大介は監督を捕まえて、現在の不調の理屈を説明し、解決策を示した。

 はっきり言ってタイタンズ戦の終盤から、この特徴は出ていた。

 それをジャガースとの対決までに、修正できていなかったというのが、かなり致命的である。

 ここで右打席にしても、どうやら今日の試合には間に合わない。

 それどころかこちらでは間に合わず、どうにか第六戦以降にまで決戦を引き伸ばす必要があるだろう。


 そんな大介であっても、ちゃんと機能することは出来る。

 ホームランを狙わなくていいのなら、恐怖のアベレージバッターになれるのだ。

 過去に、ホームランを捨てれば四割打てると言われたバッターは多い。

 だが四割打てる大介が、ホームランを捨てたらどうなるか。

 ただでさえオールスターやプレイオフでは、打撃成績が向上する大介である。

 出塁にだけ神経を注ぐなら、出塁率は八割ほどになるのではないか。


 つまり、一番大介である。

 長打力を、この試合は捨てる。

 だが必ず出塁して、チャンスを作る。

 最強のスラッガーが、最強のリードオフマンになるだけである。

 だがそれを、意識的にやるか無意識的にやるかで、試合のプランはかなり変わってくる。

 島野は頷いた。


 負けるかもしれない、とは思っていた。

 だが負けようとは思っていない。

 第三戦を前に、ライガースはさらなる機能不全の要素を持ってしまう。

 それでもまだ、戦う意識は捨てていないのである。

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