第107話 新しいSS

 柳本は、プライドの高い男である。

 だがそのプライドの高さを、誰かを引き摺り下ろして満たそうとか、下を見下して満たそうとか、そういう非生産的なことを考えたことはない。

 自分は自分だ。

 自分が納得出来たなら、次のステージへ向かう。

 そして去年優勝して、ここでもう次のステージへ行っていいかとも思った。


 それを一年先延ばしにしたのは、見たいものがあったからだ。

 白石大介。

 あのルーキーが、どこまで到達するのか。

 そして、はるか自分の先にいるあいつと戦い、どういう結果を残すのか。


 野球に限らずスポーツや芸術など表現の世界には、ターニングポイントとなる人間がいる。

 間違いなくその特異点を、自分は見た。

 上杉だけしかまともに勝負されなくなったら、大介は日本を出るだろう。

 世界で最も高いレベルの、アメリカの世界へと。


 その時大介を止められる者は、おそらく一人もいない。

 上杉はおそらく、世界一のピッチャーである。柳本はそう感じている。

 だがその上杉一人だけで、大介が満足していられるのか。

 勝負を避けられすぎた。

 フォアボールにしてもデッドボールにしても、内側に入ってきたなら普通にヒットにはしてしまう。

 外へ外へと、どんどん打てる範囲を広げている。

 そもそも他のバッターが使っているより、5cmほども長いバットを使っているのが異常なのだ。

 ひょっとしたら来年には、もっと長いバットを使うようになるかもしれない。

 大介のバットコントロールは異常である。


 むしろアメリカに行く方が、恐ろしいバッターを見なくて済むとか。

(ここで勝てばいい)

 そう思いながら投げて、三回まではノーヒットで抑える。

 ただ味方が点を入れてくれないと、いくら0で抑えてもどうしようもない。




 ライガースもコンコルズも、本当は打撃の方が優れたチームである。

 特にコンコルズは戦力の世代更新に成功して、おおよそ七年ほどで野手のスタメンが入れ替わる。

 同じ選手をもっと長く見たいというファンもいるのだろうが、そこは興行的なものを気にする必要がある。


 例外もあるが基本的にファンは、強くなければ応援しにくいのだ。

 福岡などは球団が移転しているので、先祖代々のタイタンズファンやライガースファンなどはいない。

 その意味では今季も最下位のフェニックスは、よくファンが支えているものである。

 そもそもパ・リーグはセ・リーグよりも強いことに、己の存在価値を賭けているような感じがするので、交流戦にしろ日本シリーズにしろ、気合が違うのである。


 元ジャガースの柳本も、それははっきりと分かるのだ。

 パの選手が強いのは、セの選手に対して嫉妬しているからだ。

 なんで弱いお前たちの方が、人気があって露出も多いんだ。

 これは特に露出の多い、タイタンズやライガースに対して最も顕著に表れる。

 三連敗した後に一気に我武者羅に勝ちにきたのは、強さを己の存在証明としているからだ。


 だからこそ、自分が投げて勝つ。

 日本シリーズでピッチャーが投げて二勝すれば、おそらくMVPも取れるだろう。

 今のままなら大介が取るだろうが。




 柳本の気迫のピッチングに対し、福岡は確実に投手リレーで勝つつもりらしい。

 三回の大介の打席は、またもツーアウトから回ってきた。

 ここでピッチャーが交代する。

(左か)

 普段ならリリーフで一イニングか、多くても二イニングの回またぎで投げるピッチャーだ。

 ただホールドを20個もしているので、単なる中継ぎと甘く見るわけにもいかない。


 スリークォーターからクロスファイアー気味に投げてくる。

 外に外にと投げてくるので、なかなかこれを打つのは難しい。

 内角に投げてくるのを打ってが、ライトへの特大のファール。

 しとめそこなった。


 そこからは外のボール球を多投された。

 結局はフォアボールで、またも歩かされた。

 甲子園球場のブーイングはひどいものとなる。

(さて、じゃあ盗塁といきたいとこだけど)

 金剛寺に対しても、このまま左が投げるらしい。

 まあ左投手は別に左打者に対してだけでなく、右打者にもある程度有利なものであるが。


 金剛寺は大きなレフトフライを打ったが、ファールグラウンドでキャッチアウト。

「ええでー! 次はスタンドに放り込んだれー!」

「オジキが試合を決めるんやでー!」

 そう声援をかけられているが、金剛地の表情は苦い。


 大介を封じ込め、さらにライガース打線を封じこめることに、福岡は全力を賭けている。

 想像以上にその覚悟は重い。

(ロースコアになるな)

 金剛寺はそれを覚悟していた。




 ロースコアどころか、点の入らない試合になった。

 福岡としては、もう少しぐらいは点が入る展開を予想していた。

 だが今年の柳本は、開幕と途中欠場こそあったものの、勝率や防御率は改善している。

 途中で離脱していた分、ここで活躍しようというつもりなのか。ローテは守れなかったとはいえ、20登板して13勝なら、確実に年俸も上がるだろうに。

 事情を知らない福岡から見れば、柳本の必死さのみが伝わる。


 柳本としても、試合前の島野の言葉を重く実感している。

 完投能力があると言っても、柳本の体力は上杉ほどの怪物ではない。

 どこかで抜いて投げなければいけない。セ・リーグだったらピッチャー相手だ。

 今日は甲子園なので、向こうもDHが使えない。だがそこで楽が出来るかと言うと、代打を出してくるので辛い。


 本当に、チーム力の全てを出し切ってきている。

 それだけに柳本も、全力を出さなければ抑えきれない。

(九回まではもたないな)

 島野の分析は正しかった、と言うしかない。

 だがその代わりに、福岡の強力打線を、無失点で抑える。


 試合は進み、柳本の体力も消耗していく。

 球威自体はあるが、ややコントロールが落ちてきた。

 柳本の場合はスタミナ切れは、球威よりも先にコントロールに出てくるのだ。

 今年離脱があったため、微妙に下半身の調整が完全ではなかった影響だ。

 それでも20登板で13勝もしてしまうのだから、現役では化け物レベルのピッチャーである。


 六回の表、わずかに浮いた球が、痛恨の一打を浴びる。

 甲子園球場が大観衆の嘆きの声に埋め尽くされるが、柳本はまだ崩れない。

 後続に打たれることもなく、六回を被安打三、四死球一の素晴らしいピッチングでマウンドを降りる。

 だがこれで、ライガースの採れる作戦は一つしかなくなった。

 



 予定通りではあるが、柳本が完封をしてくれるのなら、もちろんその方が良かったのだ。

 あるいはこちらの打線が、一点以上を取っていれば。

 いやそれでも、コントロールが乱れ始めた柳本は、一点を取られた時点で代えるべきだったのか。


 六回の裏にもライガースの点は入らず、1-0のまま七回の終盤に入る。

 そしてマウンドには真田が登る。

 三年前の上杉を思わせる、16勝1敗という異次元の成績。

 もっとも来年からは研究されて、少しずつ成績は落ちていくのかもしれない。

 ただ高卒投手が一年目でキャリアハイというのは、さすがに珍しい。

 大卒や社会人出身ならばまだあるのだが。


 シリーズ第三戦で登板したので、中三日ということになる。

 ただ早めに上がったため、疲労はしっかりと抜けている。

 この七回も右打者にポテンヒットを打たれたが、他は三振で打ち取る。

 魔球スライダー以外に、大きなカーブ。

 そして肘への負担を考えて使っていなかった、シンカーもシリーズ最終戦のつもりで使い出す。


 白石が打って、真田が投げる。

 新しいSSコンビが誕生しようとしている。




 そして七回の裏には、ワンナウトからその真田の打席が回ってきた。

 ピッチャーだからと甘く見た相手から、体のバネを使ったスイングでセンターオーバー。

 大阪光陰で、そして後藤がいたからこそ四番を打っていなかっただけで、普通の甲子園常連校なら四番の能力はあるのだ。

 ワンナウト二塁で、先頭の志龍に回る。

 ここでどうにか、勝負を決めたい。


 一点差なのだ。

 ただ真田は、あまり投げなかったから中三日で使われているが、それでも中三日なことには変わりはない。

 出来れば延長は避けたい。


 狙い球を絞って、志龍は打っていった。

 三遊間を抜けた打球で、真田は三塁ストップ。

 ホームに帰れたかは微妙であるし、ピッチャーの真田を走らせたくはなかった。

 そして打順は、二番の石井。


 何人の人間が気付いただろうか。

 石井が塁に出れば、ワンナウトで満塁になる。

 1-0からでは、さすがに大介からは逃げられない。

 少なくとも石井は気付いていた。


 完全な待球策。

 何をしてでも塁に出るという覚悟が石井にはある。

 福岡首脳陣も覚悟を決めている。

 この回の頭から、クローザーのクラウンに準備をさせ始めている。

 大量点差などでセーブ機会があまりなかったクラウンだが、その防御率はパのクローザーの中でもナンバーワン。

 ランナーを出す割合を示す、WHIPでも0.47と、クローザーとしては決定的な制圧力を持っている。


 石井が塁に出た。

 ワンナウト満塁で、バッターは三番白石大介。

 一打同点、あるいは一気に逆転のチャンス。

 歩かせてしまっても同点であり、福岡もさすがに使えるピッチャーは少なくなってきている。


 ここで福岡は、禁断の一手。

 クローザーのクラウンがマウンドに登る。




 クローザーをクローザーとしてではなく、ほとんどワンポイントとして使うこの暴挙。

 だがこの状況ならば仕方がない。

 それに出来れば次の回だけでも行ってくれれば、金剛寺やグラントといって、大介の後ろの強打者も封じられる。

 だがクラウンは、右のピッチャーなのだ。


(こいつか)

 サイドスローに近いスリークォーターから、最速158kmのストレートと、カットボールにツーシーム、スプリットと速い変化球。

 そして落ちるチェンジアップを混ぜてくる。

 初見は投手絶対有利。

 前の二試合、大介とは対戦がない。


 この打席で一番悪いのはダブルプレイ。

 そしてその次が三振で、ほとんど差のない第三位が内野フライ。

 外野フライを打っていても、タッチアップで同点になる。

 長打もいらない。短打でも同点。


 五打席目が回ってくるかもしれない。

 ただそれは、ここで打っておくという前提が必要になる。

(ヒットで一点か)

 外野の頭を越えれば、それで逆転になる。

(まあ、高校時代は散々に叩き潰してきたからな)

 真田を楽にしてやろう。




 初球は外角のツーシームであった。

 頭の中のイメージと、実際のボールをアジャストする。

 そしてそれを他の球種のイメージへと、コピー&ペースト。

(打てるな)

 大介は確信した。


 二球目、胸元に突き刺さるような、角度のあるストレート。

 腰を引くこともなく、不動で大介はそれを見送る。

 ボール球であり、普通のバッターなら腰が引けてしまうだろう。

「よし」

 見切った。


 カウントワンワンで、速球のスピードを確認し、変化球の変化量を確認した。

 もちろんまだカットボールとスプリットは見ていないのだが、対応は可能だろう。

 チェンジアップを投げてきたら厄介なのだろうが。それでも最低ヒットには出来る。

 それより最悪でも、犠牲フライにはなる。


 飛ばせばいい。

 そう考える大介に投げられたのは、ストレートの後のチェンジアップ。

 大介はやや前のめりになり――バッターボックスの中で小さくステップした。

 落ちてくるボールを、掬い上げた。

 それはセンターの一番深いところに飛ぶ。


 センターフライ。多くの者がそう思った。

 しかしわずかに動いたセンターは、全速力で後退していく。

 伸びている。

 恐ろしく伸びている。


 大介はそっとバットを置くと、ゆっくりベースランニングを始めた。

 まだ他のベースのランナーは動いていないというのに。


 やっと落ちてきたボールは、フェンスを軽く越えて、バックスクリーンでコーンと跳ねた。

 満塁ホームラン。

 グランドスラムで、ライガースは逆転に成功する。




 思えば、自分は優勝したことがない。

 真田は思う。世界大会での優勝投手でありながら、自分は優勝をしたことがないと。

 この甲子園で、優勝したことがないのだ。


 スーパールーキーが一年目で、日本シリーズの優勝マウンドに立つ。

 甲子園の優勝マウンドに立つ。

 出来すぎだ、と思う。

 ベンチに戻ってきた大介は、九回の裏に打てたら、もっとドラマチックなサヨナラホームランになったろうなと言っていたが。

 もう九回の裏はいらない。


 左打者はストレートを釣り球にして、スライダーで打ち取っていく。

 右バッターにはスライダーで胸元を抉ってから、ストレートか高速シンカーの組み合わせで打ち取っていく。

 凡退の中に、鋭く三振も奪っていく。

 代打攻勢にも気にしない。いくら事前に分析していようと、そうそうまともに打てるものではない。


 4-1のスコアは圧倒的だ。

 シーズン防御率が二を切る真田が、三イニングに集中して投げるのだ。

 もうランナーも出さない。

 ホームランを打たれても一点。その覚悟で果敢に攻めていく。


 真田のスライダーは大介でさえ、完全に攻略したとは言えないものであった。

 そのスライダーをメインにして、九回を迎える。

 三振。続いて三振。

 最後のバッターに対しては、スライダーの後のストレート。

 ピッチャーへの高々と上がったフライ。

 駆け寄ってくるファーストとサードを制し、真田は自らのグラブを掲げる。


 マウンドのど真ん中、全く動かない位置。 

 そこで真田は、最後のボールをキャッチした。

 スリーアウト。試合終了。

 ライガース、二年連続で日本一を達成。




 柳本と山田と真田がそれぞれ一勝を上げ、この二勝目も二人で分け合ったゆえに、MVPはピッチャーからは出ない。

 当然のようにこの試合を決めた大介が、日本シリーズMVPとなった。

 16打数8安打6ホームランの13打点。ついでに五盗塁。

 打率0.500 出塁率0.680 OPS2.43

 期待値的に言えば、全打席でヒットを打たれるよりもひどい。

 八本のヒットのうち、七本が長打であり、六本がホームラン。

 ホームラン以外は狙わないと豪語する人間は多いが、まさにホームラン以外はオマケ。

 またも人外の成績を残した、今年の大介であった。

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