第161話 屈みこむ

 クライマックスシリーズの投打の主役は、それぞれ真田と金剛寺であったと言えよう。

 大介も17打数の9安打、3打点の1ホームランという活躍ではあったのだが、ここぞという時に打てなかったり、上杉から打ったホームランを、本人が逆転して取り戻したりと、珍しく印象が弱そうに見えた。

 実際にリアルタイムで見ていたら、上杉との対決は全て、紙一重の勝負であったことが分かるだろうが。


 MVPが二勝、しかも九回ツーアウトまでノーヒットノーランの試合と、上杉と投げ合って勝った試合の、二つを取っている真田が選ばれたのは当然だろう。

 ただ去年はともかく、ルーキーイヤーの一年目は、やはりスターズとの対決はあまり良い数字を残していなかったのだ。

 焦燥感の中で無理なトレーニングをしたりすることはない。

 だが日本シリーズでは、やはり成績を残さないといけないだろう。


 それにライガースとしては、悪い知らせも来てしまっている。

 完封したその次の日、真田がキャッチボールをしていたら突然うずくまった。

 完全ノースローのはずであったのに、キャッチボールぐらいならいいだろうと、まあ直史もしていることである。

 ただ直史の場合は、先にストレッチや柔軟をしっかりと行うが。


 診断の結果は、なんと脇腹の肉離れ。

 本人も初めてそんなところはやってしまった怪我であるが、全治には三週間がかかる。

 つまり日本シリーズは全部真田なし、ということである。

 強靭な我を持つ真田であったが、さすがにこれは落ち込んだ。

 自分の体への信頼感が薄れたとでも言おうか。

 投げまくって肩が重くなったことはあっても、こんな変なところを痛めたことはない。

 今年14勝して、10個以上の貯金を作ったエースが、投げられなくなったのである。


 ピッチャーというのは、どうしてもどこかを痛めてしまうものなのだ。

 去年だってシーズン中、そこそこの期間を真田は離脱した。

 しかしプロ入りわずか二年で30勝したピッチャーが、こんなに呆気なく怪我をしてしまう。

 さすがにキャッチボール程度で脇腹の肉離れなど、誰も想像していなかった。

 だが首脳陣としてはそもそも、九回まで完封した真田には、少し長めの休みを与えて、日本シリーズでは後半に投げてもらうつもりだったのだ。


 怪我をしてしまったのはもう仕方がない。

 それにパ・リーグを勝ち上がってきた埼玉は、神奈川のようなピッチャー偏重のチームではない。

 ある程度の点の取り合い。

 それはむしろライガースにとっては望むところだ。

「まああんな簡単に肉離れってことは、体がもう無理って言ってるってことだな。二年目の若手に頼りきりにならず、ベテランでどうにか回していくか」

 自分もまだ若手であるが、この中ではエース格と言われる山田の台詞である。




 首脳陣はスターズとの対戦で、かなり投手陣が消耗していることは分かっている。

 だからアウェイになる埼玉での最初の二連戦は、あまり期待していない。

 だがそれだけに、これまで使っていなかった選手も、冒険的に使っていける。


 第一戦の先発は、大原を抜擢する。

 この一年ローテを守り、勝ち星の数ならチーム内でも二位だ。

 ただし同じ勝ち星の山倉と違って、負け星も多い。

 だが大原の特徴は、序盤で少し点を取られても、ガンガン投げて完投してしまうというスタイル。

 リリーフ陣は真田の獅子奮迅の活躍で、第五戦を休むことが出来た。

 だがそもそも全般的に、あまり信用が置けないのだ。

 真田が使えなくなった以上、継投策で勝つべき試合は勝つしかない。

 逆に言うと完投能力とスタミナのある大原は、第一戦ともう一試合ぐらいは使っていく。


 今年はパ・リーグ側から始まる日本シリーズ。

 第一戦と第二戦を敵地で落としても、そこから本拠地で三連勝をするぐらいの気概はある。

 そしてまた埼玉に行けば、二試合のうちのどちらかを勝って優勝する。

 しかし少し心配なのは、ライガースはこの二年の優勝を、両方とも甲子園で決めていることだ。

 本当の最後の勝負である優勝決定戦を、相手チームのスタジアムで迎えていつも通りのパフォーマンスが発揮できるだろうか。

 今年の交流戦は地元で対決したし、埼玉ドームは交通のアクセスが悪い。

 真田の故障以外にも、少しずつ不安な要素が重なっている。




 そういった心配ももちろん了解した上で、大介は練習に励んでいた。

 上杉相手に一本のホームランは打ったが、それ以外ではあまりいいところがなかったクライマックスシリーズ。

 何かがまだ足りない。

 あるいは……スイッチが切り替わっていなかったのか。


 シーズン中にコンディションを崩さない程度の集中力で、勝たなければいけない勝負に挑んでいたのか。

 何かがずれているような気がする。

 あるいは単純に、上杉の力がさらに上がっていたのか。


 球場の片隅で、ただ素振りを続ける大介。

 だがその様子をちゃんとビデオに撮っておき、数回ごとに確認する。

(ここじゃ分からん)

 クラブハウスに持っていって、細かい解析を行ってもらう。


 だがその結果も、特に変化はなしと出る。

 つまるところ何かが原因のスランプとかではなく、純粋に上杉の能力上昇に、自分がついていけなかったということか。

 ただし金剛寺はホームランを打った。

 あれはおそらく、自分を打ち取った後の、上杉のわずかな油断だと大介は思っている。

 ただ油断にしても、165kmを投げて打たれるとは、さすがの上杉も思っていなかったろう。




 大介はひたすら、オーバーワークを心配されるほど、素振りを繰り返した。

 頭の中に上杉のイメージは残っている。

 ただ他のバッターへの投球などを参考にしようとしても、上杉は普段、160km台半ばのストレートまでしか投げていない。

 大介にはほとんど170kmオーバーなのを思うと、明らかに他のバッターには手を抜いている。

 それでも結果は出ているし、結果を出すためには抜くところを抜かなければいけないのだろうが。


(いや、抜く?)

 一つ思い当たった大介は、もう一度フォームではなく、一つの要素だけを調べてもらった。

 そしたら確かに、その傾向があった。

 数値として出ているので、これは明らかに原因である。

 スイングスピードが遅くなっていた。


 スピードは、そのままパワーに変化する。

 そしてスイングスピードが速いということは、よりぎりぎりまでボールを見極められるということだ。

 ただ肩に力が入っていると、それは必要なスピードを生むのには邪魔になる。


 たとえば上杉だった、スピードボールを投げる時は、むしろその足を上げるあたりまでは、ゆっくりとした動作になるのだ。

 瞬発的な力は、脱力の後の一瞬の筋肉の収縮によって生み出される。

 上杉を打てなかったのは、一つにはそれもあったのだろう。

 バットはただ、支えるためだけに保持していないといけない。

 中にはむしろ、全身に力を入れた状態から、爆発的なパワーを生み出す者もいるという。

 だが大介はそういうタイプではないのだ。


 無に近いような脱力から、一瞬で全ての筋肉を爆発させる。

 一回あたりの素振りに、通常の数倍の時間をかけている。

 だがそれを見た他の選手は、スイングのすさまじさに圧倒される。


 これだけのスイングを続けて、よく体が壊れないな、とは他の選手のみならず首脳陣も考える。

 だがこれは、大介は小さいことが、いい方向に働いている。

 筋肉と体重のバランスは、小さいほうが取りやすい。

 だいたいパワーの源である筋肉は重いため、長身の選手などはその重さに、腱や靭帯、そして骨が耐えられなくなる。

 だが大介は小柄なので、負担がそこまではかからない。

 そもそも190cmとかを超えるような巨体の持ち主であると、一般的には手や足のサイズも、それなりに太くならなければいけない。

 スポーツ選手の持つ筋肉は、パフォーマンスを発揮するのには充分でも、体を守るほどの頑健さにはつながっていない。


 素振りばかりしていると、ウエイトトレーニングをしないかと誘われることもあるのだが、大介は基本的に、シーズン中にはそういったトレーニングはしない。

 高校時代にセイバーから、大介の場合はウエイトトレーニングよりも、ストレッチや柔軟をしっかりとするべきだと言われていた。

 直史がそうであったので、大介も自然とそうしていた。

 単純に筋肉をつけても、それを連動させることが出来なければ、最終的な出力には結びつかない。

 MLBではシーズン前にはりきって筋肉をつけてきたが調子が上がらず、疲労もあって筋肉が痩せてきてから、調子が上がるというパターンもあるらしい。

 筋肉は選手によって、必要な量が違う。

 またそのプレイスタイルにも、影響はしているだろう。


 大介は機動力を持ち、そしてショートを守っている。

 そのためにはある程度の身軽さが絶対に必要なのだ。

 バランスを考えた上で、筋肉をつけなければいけない。




 今年の日本シリーズに進んできたパのチームは、埼玉東鉄ジャガース。

 本拠地はそのまま埼玉であり、今年はまずこちらで二試合が行われる。

 ライガースが甲子園で優勝を決めようと思うなら、最低でもこちらで一勝はしておかなければいけない。

 第一戦は大原、第二戦は山倉が先発の予定である。

 そして地元甲子園に戻れば、山田に投げてもらう。


 本当ならこの甲子園の第二戦目あたりで、真田も投げる予定だったのだ。

 それが故障で離脱となったわけだが、すると首脳陣としては、ピッチャーの起用が難しい問題となってくる。

 もっとも真田の体をマッサージしたトレーナーは、今年はもし秋のキャンプがあっても、真田は参加させるべきではないと言った。

 たとえ肉離れがなくても、真田の体はあちこちが、悲鳴を上げる直前だったと言われたのだ。


 ルーキーイヤーから先発ローテにすぐ組み込まれ、そしてオフにも休まずに練習漬け。

 精神力で乗り切った二年目であるが、明らかに疲労が溜まりすぎている。

 若いから無理をしてでも大丈夫という意識があるのかもしれないが、真田の場合はそれほど体が大きくなく、全身を連動させてピッチングを行っている。

 そのため全身に均等に、疲労がたまっているというのだ。


 脇腹という変なところの怪我は、あくまで一番先にそこが表面に出てきたというだけ。

 今年は既に出番はないが、ここから二ヶ月は完全に安静にすべしと言われてしまった。

 ピッチャーというのは、どこかしらすぐに故障してしまうものだ。

 だがそれを小さな怪我で済ませるか、それとも大事にしてしまうかは、その時の治療次第。

 真田は大介以上に、オーバーワークである。

 なお大介は心配した同僚が、トレーナーの元に引っ張っていっても、全く問題ないという診断である。

 生まれつきの頑健さが、そして徹底的に成された柔軟が、体を怪我から守っている。

 無事是名馬という言葉もあるように、やはりスポーツ選手は、怪我をしないことが重要なのである。




 そして、やってきました埼玉県。

 思えば大介のルーキーイヤーも、相手はジャガースであった。

 ドーム球場ではあるが完全密閉型ではないこの球場で、まずは第一戦が行われる。


 普段通りにキャッチボールをして、普段通りにバッティングをして、普段通りにノックを受ける。

 数日の休みの間に、大介の調整は完了している。

 そしてその大介を訪ねてきたのはアレクであった。

 

 一年目から新人王、そして二年目には打率とホームラン、盗塁の三部門で上位に入ったアレクは、もう立派な埼玉の主戦力である。

 埼玉にはバランス型のバッターが多いのだが、その中でも過去にトリプルスリーを達成した選手と、ほぼ互角の成績を残した一年であった。

 おそらく来年にはまた、成績を伸ばすのではないか。

 将来的にはMLBへ行くことを目的としているアレクは、日本でまず結果を残さなければいけない。

 ジャガースはその点では、かなり恵まれた球団だ。

 ただし球団施設、スタジアムの施設については、色々と文句も出ているようだが。


「もう三連覇なんてしたら優勝が偏りすぎるから、今年は譲ってよ」

 気安く言ってくるアレクであるが、大介としてもそんな訳にはいかないのである。

「俺は優勝してMVPになったら年俸上がるから、そういうわけにはいかないなあ」

 アレクの本質は、日本語を流暢に話していても、ブラジル人である。

 明るいラテンのノリを持っているが、同時にその下町での育ちでもある。

 知り合いがそこそこの頻度で死ぬことがある。

 そんなところで生まれたアレクは、表面的には明るい性格であるが、本質はハングリーなのだ。


 それでもやはり、あの白富東での三年間は素晴らしかったと、アレクは思う。

 五回の出場機会の全てで甲子園に出場し、四度の優勝と一度の準優勝を果たした。

 アレクがもうちょっと背が高く、もうちょっとジャンプ力があれば、あの決勝の一打をキャッチアウトに出来たかもしれないとは、いまだに思ったりもする。

 もちろんそれは、夢想である。


 高校時代の仲間と、日本シリーズで戦う。

 大介としては、なかなか人生というのは、複雑に絡み合っているのだな、という印象が強い。


 ともあれこれから始まる日本シリーズ。

 ライガースの三連覇か、それともジャガースが王者を倒すのか。

 プロ野球のシーズンもいよいよ最後の段階に入る。

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