第50話 エンディング
プロ野球の球団に黄金期があるとしたら、当然暗黒期もある。
上杉以前の神奈川は最下位の常連であったし、大介が入団する前のライガースは二年連続五位など、朝の前には一番暗い夜が待っていることがあるらしい。
去年も今年も最下位が確定している中京フェニックスは、今が暗黒時代かもしれない。
そして下位にいることが多いのが、大京レックスである。
二年前は最下位、去年は四位、今年は五位と、悪い意味で安定している。
そんな中でも、投手力の補強には成功してきた。
左の先発として吉村を獲得、そして今年は豊田と金原。
金原は下位ドラフト最大の当たりだと言われている。
元々怪我さえなければ、上位になっていても当たり前の選手だ。一位指名まであっただろう。
だが怪我の治療と、怪我をしない正しいトレーニングの内容を明示して、故障について触れ回るなどまでして、レックスが取っていった。
この二年で使える150kmの高卒投手を三人も得たという、大京レックス。
なのに順位は前年を下回ったわけだが、各種成績は良化している。
単純に五位だったライガースが爆発的に躍進しただけである。
そのレックスにおける、最強のピッチャー。
東条善。上杉以前には、二年連続で防御率のタイトルを取っていた。
守備もいまいちなレックスにおいて、防御率のタイトルを取るということは、三振奪取率も高いことを意味する。
最優秀防御率のタイトルを得ながら、勝率で五割を下回ったこともある、チームに恵まれなかった男である。
「でも上杉さん以外では、一番戦ってみたかったピッチャーなんだよな」
投手王国と言われる埼玉や、球界の盟主を自認するタイタンズの加納よりも、大介が対決したかった理由。
それは単純に、球が速いからである。
現在のNPBにおいて160kmオーバーが投げられるピッチャーは三人しかいない。
上杉、今年ルーキーで公式戦では記録していない大滝、そしてこの東条の三人である。
加納や柳本は150km台後半のストレートを投げることはあるが、一試合の中でもほんの数球である。
東条にしても、せいぜい一試合に数球投げる試合が、あることはあるという程度だ。
それでも強力なストレートと組み合わせたスプリットで、奪三振王も取っている。ただこちらの回数は一度である。
まだ24歳のこの若きエースがさらなる段階に至った時、それはMLBへの道が開かれることになるのだろう。
「まあ単に速いだけならいくらでも打てるけどな」
試合前の最後の柔軟を黒田と組みながら、大介はそんなことを言った。
実際にワールドカップで外国の160km、正確には161kmも出していた投手から、ことごとくホームランを打ってきたのが大介である。
甲子園では160kmを投げる大滝を三打席は粉砕し、そして今年、上杉が世界記録かと言われるストレートを投げて、それをホームランにしたのが大介である。
160kmなら打てる。
マシンの160kmなら、実際プロでは打てる者は多いのだが、人間の160kmを打てるバッターはそう多くない。
それは慣れれば打てるというのと同じ理屈であり、マシンは人間に比べて、日々の調子は変わらないからだ。
「まあ甲子園で上杉を見てた俺でも、普通に驚いたからな」
ただ計測される球速と、体感ではそれなりに差があることも確かだ。
上杉は間違いなく化け物で、おそらく日本野球史上最強のピッチャーである。
記録の上ではノーヒットノーランやパーフェクトをする直史の方がおかしいが、そういった記録でも圧倒的に、上杉の方が奪三振は上である。
直史が相変わらず大学でもおかしな記録を作り続けているが、舞台の違うプロの世界から見れば、遊んでいるかのように思える。
黒田もまた、直史を認めている。
あの、甲子園行きを決めた県大会決勝、自分は間違いなく負けていた。
試合内容も負けていた。だがそれでも勝って甲子園に行けた。
プロの世界でこうやって立って、そして大介と一緒にプレイしている不思議を、黒田は感じる。
やっていることは同じ野球なのに、舞台が変われば世間の見方が変わる。
それに生活も変わった。今自分は、野球をして食っているのだと、明確に感じることがある。
高校生だった頃は、なんだかんだ窮屈であっても、守られていたのだ。
ただあまりに締め付けすぎたために、プロに入って大活躍しても、一気にそこで勘違いしてしまって、結局は身を持ち崩す選手というのはいる。
若い時には調子に乗るぐらいで丁度いいなどという人もいるが、少なくとも黒田は金剛寺や大介を見て、調子に乗ろうなどとは思えない。
西片ほど生活臭にまみれるのもちょっとアレだが。
シーズン最終戦、レックスとの143試合目が、神宮球場で行われる。
偶然というべきか、今この球場では東京六大学の秋のリーグ戦が行われており、直史がまた色々とスポーツ紙の一覧を飾るようなことをしているのだ。
大介と同じチームにいた、あの限界知らずのエースは、どこへ向かっているのか。
大記録達成の、わずかな可能性に期待する応援団は、関東だけでなく関西からの遠征組もいるはずだ。
それに大介は高校二年の秋、ここの神宮大会で優勝した。
あの死ぬほど地味な白富東のユニフォーム姿を、この球場で披露しているのだ。
その大介は、一回の表から東条と対決する。
白石に打たれない方法はただ一つ、白石と勝負しないことである。
そんな冗談とも言えない冗談があるが、セ・リーグの代表的なピッチャーでまだ大介と対戦していないのは、本当にこの東条ぐらいである。
シーズン最終戦、そして相手がライガースということもあって、神宮球場は超満員だ。
上杉がプロ入りして、主に神奈川を中心に観戦者は増大し、神奈川スタジアムは回収して収容人数を増やした。
大介の場合は毎日出られる野手なので、さらに観衆は多くなる。甲子園球場もまた改修の予定はあったのだが、少し前倒しして行おうかという話も出ている。これも大介のおかげだ。
これだけのスーパースターが叩かれないのは、もちろん大介の明快な人格や、野球に対する真摯な態度も理由であるが、その経済的な価値が高いがゆえに、マスコミなども下手なゴシップを出せないのだ。
そんな大介と初めて対戦する東条は、とりあえず一回の表、西片と石井を三振で片付けた。
長身。マウンドさばきはどこかしら、傲慢ささえ感じさせる風格。
ドイツ人の血が混じっているそうで、彫りの深い端正な顔立ちをしているが、冷徹さを感じさせもする。
中学時代は全くの無名だったが、強豪校に一般入試で入って、三年間で身長が30cm伸びて、全国制覇を果たしたとかいう伝説も持っている。
傲慢ではあるが、驕ってはいない。
大介に投げた一球目は、スローカーブだった。
(おお)
感心したまま見送れば、ちゃんとゾーン内に入っていた。
(カーブって、そういや一応球種にあったか)
滅多に使わない球を使うところに、大介への高い警戒が伺える。
この打席でホームランが打てなければ、記録更新は99.9999%なくなる。
今の時点でも99%ありえないのだが。
二球目、今度は低めに速い球。
だがスイング開始時に違和感。バットを止めれば、すとんとボールゾーンに球が落ちた。
このスピードのスプリットが、これだけ変化するのか。
それはまあ、奪三振王も取れるはずである。
三球目もスプリットだったが、変化量は少なくゾーンを通った。
ただこれはボールの宣告。審判の見極めも難しいだろう。
(やっぱりこれ、スプリットでも色んな落とし方してくるよな)
通常は変化量とスピードが反比例の関係にあるのだが、東条のスプリットはスピードを一定で変化量を変えてくる。
逆に厄介だ。しかし、これの攻略法は分かっている。
事前に映像解析などで知っているということもあるが、こういうボールは体験しているのだ。
スピードを変えずに、あえてバットに当たる程度の変化量にするか、空振りさせるかの変化量の調整。
直史がジンと一緒にやっていたことだ。
つくづく大介は思う。
プロでも直史以上のピッチャーは、上杉しかいない。
五球目、高め。
ここから大きな落差で落ちてくる。
大介は反応だけではなく読みも使って、このボールが一度は来るだろうと狙っていた。
レベルスイングでは間に合わない。手首を返してスイングの軌道を変える。
ボールはライトへ。だが大介は走塁を放棄してベンチに戻る。
打球はライトがフェンス際でキャッチした。
かくして本塁打記録の更新は、限りなく0に近い可能性となった。
あの球を、初めて見てあそこまで持っていくのか。
ホームランの出やすい神宮で打ち取ったので、東条の勝利とは言える。
だが感じたのは、やはり恐怖である。
セ・リーグのピッチャーなので、東条は上杉と打席で対決したことがあるが、あれに似た絶望に支配されそうになる。
上杉の場合は元々打てないと割り切ることが出来るが、大介とは勝負していかないといけない。
単純に己の成績を考えるだけならば、逃げ気味に歩かせればいい。
だが来年以降も、この怪物と戦い続けるならば、ここで勝負をしないという選択はない。
まあ、明らかに満塁策を取った方がいい時などは、監督の指示に従うしかないが。
それでもおそらく、今日の試合はそんな指示は出ない。
援護の少ないピッチャーと言われる東条であるが、それはレックスのピッチャーの多くが言われることである。
勝ち星はともかく貯金の数を言うなら、去年は新人の吉村が二位だったのだ。
しかし今日の試合は、味方もそれなりに援護してくれている。
ただ東条も、強力になったライガースの打線を相手に、無失点とはなかなかいかない。
ライガースの安定感のあるピッチャー山田であるが、今年は途中での戦線離脱があったにも関わらず、このシーズン最終盤でやや調整をしている。
この試合に勝つことよりも、クライマックスシリーズを戦うことの方が重要なのだ。
今季の先のことを考えなくてもいい選手と、これからがいよいよメインイベントを控えている選手の差と言おうか。
ただ山田は調整以外にも、考えていることが一つある。
同点で延長戦に持ち込めば、大介の打数が増えるということだ。
普段であればそんなことは考えないが、色々と記録がかかっているだけに、そんなことにまで気が回ってしまう。
第一打席で打てなかった時点で、ほぼ記録更新は絶望的になった。
大介としてもそれは分かっているのだが、周囲が納得しない。
そして三回、ツーアウトからまた大介の打席が回ってくる。
スコアは2-1でレックスのリード。
(まあここはホームランでも同点だしな)
大介は今度は、東条ではなくキャッチャーの丸川のことを考えながら打席に入る。
キャッチャーは選手寿命が長いというか、なかなかポジションを奪われることがないと言われる。
積み上げていくものが、一番多いポジションだからだろう。
ライガースの島本の40歳というのもたいがいであるが、神奈川の尾田も36歳だし、この丸川もそれよりは若いが32歳である。
だが同じような理由で、若いキャッチャーというのはなかなか定着しない。
打撃において傑出していれば、パ・リーグならばDHとして使われるかもしれないが、それでも他のポジションにコンバートされることは多い。
丸川は打力は普通のキャッチャーで、つまりキャッチャーとしての実力が高い。
そのリードを考えながら、大介は打席に立つ。
(一打席目で警戒しただろうから、初球は外してくるかな)
大介もレックス自体とは今シーズンずっと戦っているので、丸川のリード自体は分かっている。
だがキャッチャーはピッチャーに合わせて配球を考えるのだし、バッターと状況に合わせてリードをする。
丸川の正捕手としての立場を考えれば、大介を封じて、いい印象を残したままシーズンを終わらせたいであろう。
初球はアウトローに外してきた。警戒している。
大介としても狙い球が違う。
(カーブは使うにしても、ゾーンに入れてくるのは怖いだろ。あとはスプリットを見極めて、ストレートを狙う)
この試合でもここまで、157kmを出してきている。
ただ球速自体は、全く脅威ではない。大介は上杉基準に慣れすぎた。
なので低めに緩急差をつけた後の、高めの釣りだまストレートに手をだした。
レベルスイングから、ぐんぐんと伸びていった打球は、場外へ消えていった。
「速いと飛ぶな~」
のんびりと言って大介は、ベース一周を開始した。
同点で延長を意識しても、そうそう上手くはいかない。
第三打席はスコアが3-3、そしてまたもツーアウトランナー無しの五回の表に回ってきた。
東条としてもホームランを打たれたショックはないではないが、それよりも他のバッターで確実にアウトを取っていくことに注力している。
だが今年のライガース打線は強い。
助っ人外国人が当たったということもあるが、若手のバッターが伸びてきている。
ただ東条として思うのは、他の打者の成績も伸びているのは、おそらく大介に力を注力しすぎて、力の配分を間違えているからだ。
今日のようにランナー無しの状態で対決するなら、試合結果への影響は最低限に抑えられる。
打線の状態からして、今日は延長に到達しなくても、大介に五打席目は回ってくる可能性が高い。。
この打席も含めて三本ホームランを打ったら、日本記録更新。
しかしそんなことが可能だろうか。
丸川のリードに納得して、東条は大介に投げる。
この試合は来季以降の、大介対策のための実験場と割り切っている。
ピッチャーとしての本能で、どうしてもしとめてやりたいと思ってしまうが、ただの真っ向勝負では、得られるものがない。
緩急をつけた後ならどうなのか。
そしてカーブの後の渾身のストレートを、バックスクリーンに運ばれた。
本日二本目、59号のホームランである。
奇跡が起こるのだろうか。
五回の表が終わった時点で、あと二打席、大介に回るためには、三人が出塁する必要がある。
そのうちの一打席が大介だとすれば、二人、出塁しなければいけない。
不可能なことではない。むしろ充分にありうる。
だが東条が普段通りのピッチングをするなら、難しいとも言える。
ライガースの先発山田は、こんなことを考えてはいけないとは分かっていても、この試合を延長までもつれこませたいと思っている。
自分の防御率を悪化させてもいい。
今季のライガースが躍進したのは、明らかに大介のおかげだ。来年以降もこの怪物は、己の記録と戦い続けるだろう。
今年もリーグ最多の四死球を与えられていたが、来年以降はルーキーシーズンの名札が外れて、さらに歩かされることは多くなるだろう。
大介の能力は変わらなくても、同じ機会がまたあるとは限らない。
山田のエゴではあるが、ライガースの首脳陣も黙認だ。
伝説の生まれる瞬間を見てみたい。
ライガースのシーズン本塁打記録を更新し、プロ野球のシーズン打点記録を更新した。
可能性が低くても、ホームランの記録が更新されるところを見てみたい。
そんな甘くはないだろうな、と大介は思っている。
大介は割りと満遍なくホームランを打っていて、一試合に複数のホームランを打ったのは、この試合を合わせても四試合だけである。
そして一試合に三本のホームランを打ったことはない。
まあプロ入り前を思い出せば、甲子園で五打席連続を打っていたりするが。
七回の表、ワンナウトランナーなし。
大介の四打席目である。
もう真っ向勝負はないだろうが、確実に打ち取れる配球を考えてくるかもしれない。
四球目の緩急をつけたカーブを、大介は掬い上げた。
センターが定位置からわずかに下がって、グラブを出す。
その中に、フライのボールが収まった。
奇跡は起こらなかった。
(まだだ!)
傲慢なのは承知の上で、山田は企てている。
延長戦まで引っ張れば、大介に六打席目が回ってくる可能性はある。
残り二打席、どうにか大介に回せることが出来れば。
山田以外にも、同じことを考えた者はいたかもしれない。
一軍のスタメンに出るような者は皆、今年のライガースの活躍は、大介が中心となって起こったのだと確信している。
しかしいくら大介が野球に愛された人間でも、全てが都合よく回るはずもない。
五打席目は、確かに回ってきた。だがそこで大介の打った球は、タイムリーツーベースで三打点を奪い、レックスを突き放すことになってしまったのだ。
さすがにこうなってしまうと、山田としても無茶なことはしようとは思わない。
自分の防御率を下げるという以外にも、そこまでやって記録を出すのは、何か違うと思う。
レックスにしても東条を降板させ、他のピッチャーに敗戦処理を任せる。
山田もまた、あとは他のピッチャーに任せる。
最後の試合で勝ち星を増やせたのが、ありがたいと言えばありがたいことであった。
かくして、激動のペナントレースは終了した。
そしてクライマックスシリーズが始まる。
×××
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