第141話 暑いけど熱くはない夏

 高校時代は夏となると、一年で一番暑いが、それ以上に熱い季節であった。

 だがプロ入りしてからは、あまり熱量を感じない。

 むしろ開幕と、シーズン終盤の記録達成で色々と盛り上がっていくのを感じる。

 ただ大介はやはり、夏に強い。


 六月の末になると、丁度シーズンの残り試合数も折り返し地点となる。

 大介はこの時点で、34本のホームランを打っている。

 怪我で離脱していたことと、スランプだったことを考えるなら、後半でまず記録更新は出来そうである。

 もっとも、さらに深刻で長いスランプが来ないとも限らないが。


 オールスターも投票の行方は見えている。

 全体一位が大介、二位が上杉だ。

 上杉もまた前半戦だけで17先発と、化け物と言うにもまだ足りない、圧倒的な成績を残している。

 17先発で14勝1敗。前半だけで下手をすれば最多勝の勝ち星を稼いでいる。

 下手をすれば30勝が見えてくるほどの内容だ。

 これまでの二年間と違って、シーズン終盤に優勝争いをしていたら、ものすごい勢いで登板を増やしてくるかもしれない。

 普通なら壊れるような使われ方をして壊れず、それでいて結果を残すのが上杉だ。

 大介と同じく、まだ遠い先のことではあるが、絶対に抜けないだろうと思われていた記録を、更新する可能性が出てきた。

 高卒で入ってきたのは、大介だけではない。

 プロ入り五年目の途中で、99勝に達している。

 各球団のエース級でも、10年はかけて達する勝ち星だ。

 そして単なる勝ち星なら、昭和の使われ方をしたピッチャーの中に、上回る者はいる。

 だが上杉は防御率、勝率、奪三振率で、圧倒的に歴代一位の成績を残している。

 もちろんここから怪我などで劣化する可能性はあるが、100勝を達成した時点で史上最も偉大な投手は、今後100年経過しても、上杉以上の存在は現れないだろう。


 そんな上杉の記録も、もちろん注目はされている。

 ただ上杉はシーズン期間中に安定した成績を残すことを考えているため、ルーキーの頃などに比べると、少し奪三振率はおちているし、リリーフが疲れていないときは七回ほどまでを投げて後を任せている。

 そこでリリーフが大崩れして、勝ちが消えた試合もある。

 二度のノーヒットノーランを初年で達成し、大介を擁するライガース相手にパーフェクトも達成。

 間違いなく日本一のピッチャーだ、と評価されていた。今年の三月までは。


 直史による、WBC決勝での完封試合。

 球数制限の中で、達成した記録である。

 上杉に向かって、自分と直史とのどちらが上か、という勇気のある質問をしたマスコミがいた。

 さすがの上杉も表情の消えた怖い顔をしたが、自分にはあの決勝のような投球は出来ないと言った。

 同じように直史の場合はあっけらかんと、一試合だけに限ればチームメイト次第だろうが、シーズンを通してなら絶対に上杉には叶わないと言った。

 どちらが上か下かはあまり意味がなく、試合に勝てるかどうかが問題なのだ。


 上杉と比べると大介の打撃成績は、とても分かりやすい。

 プロ最速、最年少で100本塁打を達成して以降も、打点の記録などはどんどんと更新していっている。最速記録は全て更新していると言っていい。最年少記録は誕生日が早めのため、最初は更新出来ないことがあった。

 しかしそれも一年目までの話で、二年目からは五月生まれの不利など関係なく、史上最年少記録をどんどん更新していった。

 ただ意外とこの成績には偏りがないため、連続打点や連続ホームランなどの記録がない。

 なおボール球をホームランにした数では、既に歴代十傑に入るぐらいの成績を残している。


 この三年目、ルーキーイヤーや二年目に比べてフォアボールが減っているのは、盗塁の数が増えているからだ。

 そう、盗塁されてしまうことが多いため、下手に歩かせられないのだ。

 長打を恐れて歩かせても、高い確率で二塁までは盗塁してしまうのなら、それではほとんど意味がない。

 サウスポーからは三盗もしており、成功確率も極めて高い。

 そんな大介が塁にいることで、ピッチャーも次のバッターに集中できない。

 バッターとしてだけではなく、ランナーとしても厄介すぎる存在だ。




 甲子園にてレックスを迎えて行われる三連戦。

 まずレックスに移籍した西片が、こちらの様子を探りに来る。もちろん逆に、あちらの様子を探るチャンスでもあるのだが。

 ライガースは今年のドラフト指名からは、まだ一軍の主力クラスという選手は出ていない。

 対するレックスはこの数年、ドラフトであまり外したことがない。しかも、即戦力として使ってくる。

 特に一位指名と下位指名は、一位指名でチームに必要な人材に手を出し、期待値込みで下位の選手を指名する。


 FAや外国人の補強はそれほど必死ではないが、最近は育成で、特に高卒下位指名が成功している印象だ。

 もっともそれらは育成に成功していると言うよりは、あまり注目されなかった有望株を、下位指名で取るのに成功しているとも言える。

 甲子園で燃え尽きたと思われていた金原、地方大会ベスト8の佐竹。

 他には大阪光陰の緒方などを、ピッチャーではなく野手で取ったところなども、独特なドラフトと言われている。


 緒方は甲子園の優勝投手である。

 ただいいピッチャーではあるが、球速もそれほど飛びぬけたものではなく、体格にも優れたところは見えない。

 本人も大学進学を第一志望にはしつつ、一応はプロ志望届を出していたら、二位指名でレックスに野手として指名されたわけである。

 球速もそこそこあるし、何よりストレートの伸びなどの、球質は良かった。

 大学四年間でどれだけ成長するか、見守りたいというスカウトはいた。

 だがいきなり野手で指名するとは。

 確かに真田がエースであった時は、三番ショートとしてスタメンに入っていた。甲子園でホームランも打っている。


 一年目は体作りと思っていたら、キャンプで成果を出して、開幕から一軍、そしてショートに入ることが多くなった。

 緒方もまた、体格の割には打てる選手だ。

 ショートとしては機敏であり、プロの打球を相手にしても、エラーが少ない。

 この対決でも六番ショートとして、打順を上げてきている。




 ライガースの先発は山田、レックスの先発は金原。

 高校時代は甲子園で燃えつき、再起不能とまで言われた。

 だがそれを八位で指名して、壊れたはずの一年目から一軍の試合には出て、勝ち星を上げていた。

 無理はさせずに一年目と二年目を過ごし、今年が三年目。

 大介相手でもかなり真っ向から向かってくる金原は、ストレートが160km近く出るようになってきた。

 ただ球速だけでは、抑えられないのが大介である。

 そして金原は高校時代に肘を痛めた原因とも言われる、スライダーを負担が少ないフォームで投げてくる。


 サウスポーのスライダー。

 金原のそれは真田のように大きく曲がるものではないが、キレよく鋭く曲がってくる。

 もっとも大介は遠慮なく、スタンドにそのボールを放り込んだが。


 大介以外はほとんどを単打までに抑えたこの試合、緒方がホームランを打って、新人王に近付いていく。

 打率は三割あるし、シーズン序盤はスタメンで使われていなかったのに、もうすぐ二桁本塁打である。

「なんであいつ、あの体格でホームラン打てるのかな」

 お前が言うな、と誰かに言われそうなことを大介は言った。

 ただ緒方も大介と同じく、プロ野球選手としては小柄であり、かと言って飛ばすためのパワーになる筋肉を持っているようにも見えない。


 大介と同じ打球でホームランを量産する選手は、NPBにはいない。

 緒方の場合はまずミートを重視し、それが上手く芯を食えば、外野の頭を越えていくといった感じなのだ。

 だが単純なアベレージヒッターでもなく、ちゃんと長打も打てる。

 高校時代は最終学年にピッチャーであったため、その印象ばかりが強かった。

 だがそれを別にして見ると、野手としては打球への反応が早く、そして送球のミスがない。

 打撃力も考えるとその本質は、間違いなくピッチャーではなくバッターだ。


 試合は結局、3-2でライガースが勝利した。

 だが緒方が猛打賞で、それが大介の印象には残った。




 翌日、レックスの選手たちが集まるクラブハウスに、大介の姿があった。

 緒方にかけた言葉が「お前、普通の野球選手と体の使い方違わね?」であった。

 自分はそもそも人間かどうかも怪しい成績を残しているくせに、何を言っているのかという話である。

 高校時代の先輩である真田や毛利に聞いても良かったのだが、こういうことは人を間に挟むと伝達が不充分になるものだ。


「僕は子供の頃から、合気道をやってたんですけど、正確には合気柔術なんですよね」

 その何が違うのか、分からない大介である。

「たぶん言語化してないだけで、白石さんもやってると思うんですけど」

 合気道の要諦の一つは、相手の呼吸を読むことにある。

 そこから相手が呼吸を吸う時に、投げる。

 それはピッチングの時のコツであり、バッティングはタイミングを相手に合わせて、バットを振るのだ。


 それは確かに、大介もしている。

 だが同時に、それだけでもないと思えるのだ。

「あとは体軸ですかね」

 バッティングをする時には、自分の体の中に、一本の柱があると考えるのだ。

 その柱を傾けながらも、一回転することによってスイングに勢いをつける。

 この柱のブレがなければ、ボールをジャストミートするのが簡単になる。スイングの最初から最後まで、ボールから目を切らなくてすむのだ。


 体軸トレーニングは、大介も普通にやっている。

 高校時代から体軸の正しさと、その強靭さはセイバーも驚いていた。

「合気道やるとそうなるのか」

「合気道だけじゃなくて、摺り足の武道はそうなんだと思いますけど」

 ちょっと試してみましょうか、と言って椅子などを壁際に寄せる。

 既に見ているらしきレックスの面々は、何が始まるのか分かっていてニヤニヤと笑っている。


 これだけの空間。

「それじゃあ白石さん、僕に殴りかかってください」

「え、大丈夫なのか?」

 大介は普通に、パンチ力もスピードもあるのだが。

「力もスピードもあんまり関係ないですから。ただぶん投げるで、そこで下手に踏ん張らないでくださいね」

 そこまで言われながらも、やや手加減してパンチを放つ。

 それを両手で捌くように握った緒方は、体重移動だけで大介を投げた。


 一般人じゃなくても格闘や武道の経験者でなければ、そのまま普通に背中から倒れこむ。

 それを腕を引いて、衝撃を与えないようにするのが、緒方の身につけた武術である。

 だが大介は投げられている途中で体をひねり、足から着地した。

「すげえな。なんだか吸い込まれるみたいに投げられたぞ」

「いや、空中で回転してちゃんと着地できるって、普通はいないんですけど。何か柔道とか柔術とかしてました?」

「いや。でもまあ、これぐらいなら出来るやつはいるだろ」

 運動神経抜群の者がそろったプロ野球選手でも、緒方のこの投げを防いだのは、レックスの中では吉村だけであるらしい。

 高校時代も後藤でさえも投げられて、真田だけは防いだのだとか。

 人畜無害そうな緒方が、けっこう荒っぽいプロ野球の中で生きていけるのは、純粋に腕っ節が強いかららしい。

(ひょっとしてプロ野球選手のなかで喧嘩やらせたら、こいつが一番強いのか?)

 そんなことも考える大介である。




 緒方の持っている身体制御の技術は、既に大介が備えているものが多かった。

 だが一つ参考になったのは、バランス感覚と重心である。

 大介は右打席でも打てるぐらいに、素振りを右でもやっている。

 実はこれは緒方もやっていた、さらに左手でのキャッチボールもしているのだそうな。

 さすがに直史のように、バッピとして通用するような、変化球までは投げられないらしいが。


 重心を高く持つか、低く持つか。

 過去に言われてきた野球の常識は、日本では低く持つというものだった。

 だがこれは野球以外でも、腰を落として構えるというのが常識であった。


 欧米流の身体操作では、これは常識ではない。

 MLBの試合を見て入れば分かることだし、最近では日本の守備もそうなっているのだが、変に低く重心を構えたようにはしていない。

 どうも日本のスポーツというのは、軍事教練の一環の流れを受け継いでしまっているのか、下半身の強化を重視しすぎるらしい。

 大介としては下半身よりも、全体をバランスよく使うことが大事で、直史などもそう考えていた。

(そういや、王貞治が一本足打法のトレーニングの一つとして、真剣を使ったスイングで紙を切るってことをやってたんだったか)

 さすがにそんなことはしない大介であるが、肉体の制御について、まだMLBでも到達していない領域に、自分はいるのかもしれない。


 ただセイバーも、スポーツトレーニングにおいて、日本の古武術の体の使い方が、参考にされているなどとは言っていた。

 理論をちゃんと分析してみれば、それもちゃんとした道理の中にあるのだろう。

 その理論をまた、発見できていないだけで。

(自覚できれば、俺はもっと野球が上手くなれる)

 これ以上打たないでくれというピッチャーの悲鳴が聞こえそうだが、そんなことは知ったことではないのが大介であった。


 大京レックスとの三連戦が終了し、試合は全体の半数を超える74試合を消化。

 大介はレックスとの三連戦の最終戦、二本のホームランを打っている。

 これでなんと、36号ホームランである。

 ホームラン記録の更新は、かなり現実的になっている。

 もっともその前に、やはり立ち上がる存在がいるのであるが。


 次の戦いは、神奈川スタジアムでのアウェイの対戦。

 ここまでに中六日ではなく、四日か五日というペースで投げている上杉が、おそらく二戦目か三戦目に投げてくる。

 オールスター前の、神奈川との最後の三連戦。

 上杉との対決は、今年は二戦して二敗なのだ。

 オールスター後の後半戦に向けて、そろそろ勝っておきたい。


 今年もまた、夢の球宴がやってくる。

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