第120話 閑話 観戦者たち
全国のお茶の間に、日本とキューバによる開幕戦が届けられる。
ネット配信の規模が大きくなった近年であるが、それでもこの大会のこの試合は、確実に視聴率が取れると判断されている。
プロ野球もキャンプ中ではあるが、練習はお休みしてテレビで観戦である。
遠く沖縄から、東京を望む。
これが第二ラウンドの決勝トーナメントであると、アメリカの西海岸で行われる。
アメリカは他に二箇所で、第一ラウンドのリーグ戦を行っている。四箇所のうちの二箇所を自前で、そして決勝もまた自国の別球場で行うのだから、どれだけの興行収入を見込んでいるのか。
日本でやった方が、盛り上がるとも思うのだが。
過去には第一ラウンド、第二ラウンドを日本で行い、決勝トーナメントはアメリカということもあった。
だが日程の都合上、試合数も考えてこの方式になっている。
試合数が増えればそれだけ観客の興行収入も伸びるのだが、これは日米の選手会やオーナーが大反対し、さすがになくなったものである。
選手への負担に加えて、プロのシーズンを迎える前に、疲労を溜めるのはとても許容出来なかった。
それに試合を増やしても、日本やアメリカなどの強豪が、一方的にランキング10位以下の国を蹂躙することは、あまり楽しいものでもない。
大画面のテレビを、それぞれが寛いだ姿で見つめる。
よほどの不運がない限り、この大会は優勝出来ると、参加してはいないが自信を持っている。
上杉と大介がいるのだ。
加えて佐藤直史が参加したのだから、負けるはずがない。
そう、投手の運用を失敗でもしない限りは。
負けるとしたらおそらく準決勝。
決勝に向けて上杉は温存するはずなので、そこで負ける可能性が出てくる。
相手がどこであっても、上杉が使えないというだけで、日本の敗北の確率は上がってしまうのだ。
「つーか他にどこが上がってくるんだ?」
新聞を広げて、予想をする選手もいる。
順当に考えると、このA組からは日本とキューバが、本命と対抗と見なされている。
ただもしも負けるとしたら、それは日本の野球が研究されしつくされている場合だ。
かつてオリンピックにおいて、オーストラリアが日本を破り決勝に進んだこともあるように、野球はそれなりにやってみないと分からない。
甲子園を経験している人間は、誰だってそんな実感があるはずだ。
A組からは日本とキューバ。
B組からは台湾と韓国。
C組からはアメリカと、他のどこか。
D組は、これまた予想がしにくい。
A組の日本とキューバは鉄板だと言われているが、イタリアとオーストラリアも意外と強い。
特にオーストラリアには、少数だが現役のメジャーリーガーがいる。
B組もアジア二国が有力だが、オランダとスペインもやはりメジャーリーガーを輩出している。
C組はさすがにアメリカは本命だが、カナダ、ドミニカ、コロンビアの二位争いは厳しそうだ。
D組はメキシコ、ベネズエラ、プエルトリコの三国が有力である。
どこが勝つのか。
A組とB組の上位二国ずつが出て、決勝に進出するトーナメントを行う。
これは日本や韓国、台湾が有力であるので、日本の球場を使ってもいいだろうに。
しかし決勝トーナメントは全てアメリカである。
確かに長距離の移動の直後に試合をするなど、全力を出すことは難しいだろうから、決勝トーナメント全体をアメリカでやってもらった方が選手は楽だ。
もっとも興行的には、日本チームの試合は日本でやるべきだと思うが。
だが実際にそんなことをやって、まずありえないが日本が第一ラウンドで負けたら、それはそれは悲しいことになるだろう。
日本のNPBでプレイしている選手の中には、母国の代表となって参加している者もいる。
初戦の相手のキューバにも、NPB選手はいるのだ。
どこが勝ち残るかというと、短期決戦に優れているのは日本である。
だが短期決戦用に、自国の最高のピッチャーを他の国が日本に当ててくれば、意外と苦戦もするだろう。
とりあえず勝ち残るためならば、日本以外の国から確実に勝ちを拾った方がいいのだが。
開会式も終えて、開幕戦の日本VSキューバ戦が始まる。
キューバだけぽっかりと、南北アメリカの国であるのに、日本に送られているのは理由がある。
歴史的に見るとキューバは、冷戦時代はアメリカにとって喉元に突きつけられた短剣であった。
それも関係してか、キューバ人が普通にMLBでプレイするのは難しく、むしろ日本でならばプレイするのが簡単な時代もあった。
昨今は両国の和解も進み、キューバ人が普通にMLBでプレイしてはいる。
だが過去の伝手を使って、キューバ人の3A選手などを、日本に連れて来るのは今でも続いているのだ。
MLBが自国のトップ選手を出さず、日本はメジャーリーガー以外の自国のトップ選手を出す。
どちらが勝つと言えるのだろう。
会場である東京ドームは、熱気に包まれている。
そこから断絶したところにいるのは、VIP席を用意したセイバー。正確には用意されたものである。
「ウエスギが投げるのは嬉しいが、サトーは投げるのかね?」
「試合の展開次第ですが、投げる可能性はありますね」
セイバーとしてはMLBのスカウトではなく、代理人のこの男には、大介の方にこそ注目してほしいものだ。
代理人。選手の代わりに年俸の交渉を行ったり、CMなどの契約を請け負ったりする存在。
日本においても年俸交渉などで、代理人を置く選手は増えている。
大介などはオーナーが直接面会を望んだりするので、今のところは使っていないが。
トッププレイヤーを複数抱える代理人は、MLBのみならずアメリカのプロスポーツにおいては、大きな力を有する。
代理人の取り分は、年俸などの5%。
年俸が10億円に届くような選手がいくらでもいるMLBであれば、一人を抱えているだけでも、5000万の収入となる。
そして代理人のおいしいところは、有力選手を抱えることによって、有望な新人とも契約を結びやすくなるということだ。
あの選手はこれだけの金額を要求している。それはそれとしてこの売り出し中の若手は、これだけの金額はどうだろう、とそんな感じだ。
日本の場合はそこまで露骨ではないが、球団側も長く代理人を置いての交渉は避けていた。
現在の日本のプロ野球の場合も、案外代理人を使わないことがある。
それぞれのチームが細かい成績まで全てを査定し、客観的な数字を上げてくるからだ。
もちろんそんな数字での査定が無意味な、スーパースターもいる。
代理人の善悪は問わない。
だがプロスポーツにおいては、確実に大きな役割を果たしている。
なお強いて言えば大介の代理人は、芸能事務所である。
野球の直接の年俸交渉など以外の仕事は、そちらに任せてある。
基本的にはあまりCMなどには出たくないのが大介である。
自分が割と節操なしな立場にあることは自覚しているのだ。
「シライシには興味はありませんか?」
「あれはドーピングをしてるだろう」
セイバーが水を向けると、あっさりとそう言い放つ。
同じ部屋にいた早乙女の気配が剣呑なものとなるが、セイバーはあっさりと受け流す。
「なるほど、ドーピングをしていれば、170kmのストレートも打てるわけですか」
「……WBCのドーピングの検査はオリンピックに準ずるものだ。ウエスギもシライシも、それほどの成績が残せるとは思えんね」
日本人は基本的に、ドーピングはしない。
それは遵法精神とかよりももっと原始的な、何かちょっと気持ちが悪い、という程度の拒否感があるからだ。
この大会、完全に運営のドーピング検査は、日本の場合は大介と上杉を重点的に調べる予定だ。
毎試合尿を検査される大介としては、心外とまでは思わないが面倒だとは思う。
ドーピングに寛容なのはアメリカだけだと言いたい。というか、日本人の場合は意図してドーピングなどは行わない。
おおよそサプリメントの成分に対する理解の不足などが、その原因となっている。
まあ90年代のMLBはどいつもこいつもドーピングをしていたので、日本人もそうだと思いたくなる気持ちは分かる。
しねーよ。日本人甘く見るな。
白石大介の場合は、ならばいつの頃からドーピングをしていたのか。
上杉はどうだ? なんならその弟はどうだ?
ぶっちゃけ漢方薬などの服用で、陽性反応が出るなどといったことはある。
だが大介はドーピングもしていないし、サイン盗みもしていない。
スポーツ選手が見れば、そのミート力は完全に、パワーではなくテクニックによるものだと分かるはずだ。
しかしナチュラルに備わっている大介の空間認識能力や反射神経、動体視力をドーピングと疑うのは分かる。
勘違いしている人間も多いが、野球におけるドーピングで、バッターが重要視するのは腕や足や背中といった、分かりやすい部分の筋肉ではない。
もちろん普段からそういった筋肉を高めるためのトレーニングはしているが、一番劇的に働くのは、眼球に関する筋肉へのドーピングだと言う。
これによって速球を映像としてはっきりと捉え、バッティングの成績を向上させるのだという。
確かに大介の体格などを見れば、そういったドーピングでもしない限り、ホームランの量産は出来ないと思える。
だが、セイバーは大介がドーピングをしていないのを知っている。
正確に言えば、大介の肉体は生来、遺伝子的に既にドーピングに近い状態にあるのだ。
骨折からの治療期間のように、大介の肉体は、極めて回復力や治癒力が高い。
パワーも爆発的なものであり、動体視力は優れている。
これは高校時代に、血液検査でセイバーが確認したものだ。
ナチュラルボーンソルジャー。
戦士ではないが、大介はそういう肉体の特徴を持って生まれている。
あれだ、あれ。
ミオスタチン肥大で生まれた人間が、ドーピングはしていなくても、驚異的な肉体を持つのと同じである。
生まれつき肉体的素質に恵まれていた。もしも大介が階級制のスポーツをしていれば、間違いなく何をしてもトップに立ったろう。
なお運動能力の神経系が優れているのは、佐藤兄妹なども同じような遺伝的理由がある。
セイバーとしては別に、この男の誤解を解こうとは思わない。
もし本当に将来的に大介が代理人を必要とするようなことがあれば、自分自らが乗り出すからだ。
そもそもこの男は、上杉が海外志向が全くないのと、直史がプロ志向が全くない情報を収集していない。
一応代理人としては一流な、あくまでもビジネス的な視点から、日本の選手を見て欲しかったのだ。
まあ他の二人に関してはともかく、直史をどう評価するかは大変に興味がある。
直史の場合は他の二人と違って、ドーピングの必要なタイプの選手でないことは明らかだからだ。
パワーではなくテクニック。
日本最高レベルの投球術を、どう見るのか。
審判がプレイボールをコールする。
今、短くも激しい大会が、始まった。
×××
4.5 開始しております。
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