第124話 閑話 佐藤が投げるなら
準決勝とその後の記者会見を見て、深夜にもかかわらず多くの人間が、日本代表監督の島野へと連絡をつけにきた。
上杉は大丈夫なのかと。
それに対しては島野一人ではおいつかなかったが、さすがに日本側のチーム編成の会長と、神奈川の監督に対しては、島野が対応せざるをえなかった。
上杉の負傷は島野の責任ではないが、ここからもし上杉に無理をさせたら、それは島野の責任である。
当然ながらそんなことは出来ないので、ちゃんと説明と約束をする島野である。
そんな上杉の負傷は、内々の話であるはずが、おおよそ正しく日本には伝わってきていた。
「アメリカチーム……メジャートップの選手はいないとか言ってるけど、成績的にはトップクラスのやつもいるんだな」
真田が画面を見ながら呟く。
よく勘違いされるが、実力基準と言われるMLBの選手の年俸は、意外なことにある程度の年功序列がある。
もっとも正確には、安定して成績を残せる選手が、どんどんと年俸が上がっていくというものだが。
ライガースの牙王寮において、パソコンを持っている毛利の部屋で、アメリカチームのことを調べている選手たち。
甲子園が間もなく使えなくなる春であるが、基本的に二軍のグラウンドは使えるのだ。
もっともこの日、毛利の部屋に来ていたのは、開幕一軍が決定したメンバーだけである。
真田と毛利の大阪光陰出身者に、飛田、山本、大原、黒田の六人である。
ちなみに大江は去年で退寮したが、時々寮には遊びに来る。
黒田は別に寮を出ても構わないのだが、まだ一人暮らしには抵抗があるらしい。まあ高校時代からずっと寮生活だったので無理もない。
「予選……じゃなかった。リーグ戦ではだいたいどの試合でも10点以上取っていて、ピッチャーよりもバッターが強い感じか」
キャンプではピッチャーの方が仕上がりは早いと言われているが、アメリカはピッチャーはそれほど出さず、バッターを送り込んできたわけだ。
まあ故障が怖いのは、ピッチャーの方が大きいのかもしれない。
野手はあくまで、キャンプの調整代わりであるのか。
それにしても強い。
準決勝でメキシコと戦うわけだが、おそらく勝つのはアメリカだろう。
完全に投手を温存して、決勝に挑むことが出来る。
日本も準決勝で50球以上を投げたピッチャーがいないため、全員を総動員で使うことが出来る。
ただし日本の投手陣の力は、上杉が半分を占めていると言ってもいい。
純粋にピッチャーとしての能力もだが、後ろに上杉がいてくれるというのが、シーズン中は恐ろしすぎる対戦相手であっても、代表となると頼もしすぎる味方なのだ。
あれほど信頼出来るピッチャーは、他にはいないだろう。
ただ飛田と山本は心配しているが、その他のメンバーはあまり心配していない。
真田と毛利、そして大原と黒田。
この四人に共通しているのは、圧倒的な敗北感。
高校時代に佐藤直史に、完全に封じられている。
黒田のみは試合には勝っていたが、四番としては完全に封じられていた。
最後の三年の夏、甲子園のベスト4まで行けた。
だがあの試合の本当の勝者は、白富東であったろう。
エースの吉村はバテバテで、四番の黒田がノーヒット。
エラーで勝てたものの、なかなかそれを実感出来なかったものである。
おそらく一番、敗北感を強く感じているのは真田だ。
一年の夏と二年の夏、共に敗北した。
その二試合の両方で、直史は実質的にパーフェクトのノーヒットノーランを達成している。
「白石が打って、佐藤が投げれば勝てるんじゃないか?」
大原としては、まともに勝負にならなかった高校時代を思い出させる、トラウマの中の一人である。
先日の壮行試合の結果は、圧倒的なものであった。
プロの心を折るような、パーフェクト以上のノーヒットノーラン。
モニタを見ながらも、各自でスマホで調べたりする。
「九回を投げて……103球でノーヒットノーランってひどいなこれ!?」
黒田は日本代表が、一人のアマチュアに負けている事実を、改めて確認した。
考えてみれば140kmも出ない球速でありながら、全国ベスト4のチームを二点で抑えたのだ。
それから成長して、プロの若手中心とは言え、日本代表をほぼ自分一人で封じ込んだ。
「俺らが二度目のパーフェクトやられた時も、九回までで97球しか投げてないからな」
「待て待て。なんだか佐藤家の戦績とかいうサイト発見したぞ」
どうやら大学入学後に、直史の投げた成績を記録しているらしい。
それによると、公式戦だけで完全試合を九回も達成している。
ノーヒットノーランも三回。
そしてノーヒットノーランでもないが、マダックスを三回達成している。
マダックスというのはアメリカ発祥のピッチャーの投球内容のことで、100球以内の完封のことである。
「つーかあいつ、単にパーフェクトやるだけじゃなく、100球以内のパーフェクトも多いような」
完全試合のうち、五回が100球以内での達成だ。
練習試合では意外とヒットを打たれているが、失点はしていない。
おそらく公式戦のための実験などを、勝ち負け以上の意味がない練習試合で試していたのだろう。
その練習試合でも、普通にパーフェクトは混じっている。
単純に打たせて取るというタイプでもない。
九回を完投した試合では、一試合を除いて二桁以上の三振を奪っている。
ただこの成績は、あまりにもおかしいだろう。
「なんか……こいつ本当に人間かっていう数字しか並んでないぞ?」
毛利はやはり、自分たちが戦った相手が、人間ではなかったことを再確認した。
結論が出た。
佐藤直史は、相手のデータが揃っていて、守備がちゃんとしていれば、アメリカ相手でも100球以内の完封は可能だ。
たとえ九回までに球数が到達しても、さすがにそこまで完璧に投げれば、チームメイトにも良い影響を、アメリカ相手には恐怖を与えているだろう。
決勝の先発は直史だ。
そして七回ぐらいまでに、大介がホームランを打つ。
そしたら球数制限に達して誰かに後を任せるのでも、かなり余裕をもって抑えられるのではないだろうか。
高校時代のワールドカップでは、12イニングを投げてパーフェクトであった。
クローザーと先発の違いはあるが、パーフェクトはともかく完封は可能ではないのか。
下手にパーフェクト狙いよりは、打たせて取ることを徹底して、完封をした方がいいのではないか。
それこそまさにマダックスだ。
一番少ない球数での完全試合は、84球。
一番少ない球数での完封は80球。
「待て。どうして全打者三球三振よりも少ない完封なんか出来るんだ?」
真田と同期入団で、大卒の山本は、一軍のキャンプに帯同していた。
今年は外野の枠を争う立場である。
「それはつまり、初球とか二球目でアウトにするんだろうけど……お前出来るか? 俺は出来ない」
素直なところは大原の美徳である。
「出来ねーよ。つーか、上杉さんでも無理だろ。つーか、世界で出来るのあいつだけじゃねえのか」
真田としても、ピッチャーとして優れているのがどちらかは、さすがに数字ではっきりと分かっている。
ただプロの世界に来てくれれば、さすがに負けるだろうと思っている。
上杉と違って直史の肉体の耐久力は、それほど傑出していない。
調子が悪くても投げなければいけないのが、プロのローテピッチャーであるのだ。
それにしても、自信家の真田でさえ、80球以内の完封など、世迷いごととしか思えない。
「100球以内の完封、あいつなら出来ると思う」
ベストメンバーではないが、それなりの主力級を用意したアメリカチームを、100球で完封する。
自分には出来ない。と言うか普通に考えて可能なことではない。
ちょっと運のいい打球が転がったり、内野の頭を越えれば、それでヒットになってしまうのだ。
しかしNPBのトップレベルを集めたメンバーなのに、上杉一人の負傷で、ここまであたふたとしてしまうものなのか。
参加しているわけでもない日本の選手でさえこうなのだから、現地ではどれだけの混乱が起こっているのか。
「まあ佐藤と樋口は動揺してないんじゃないかな。あとは織田とかも」
真田の挙げた選手には、共通項がある。
それはU-18ワールドカップで優勝した時のメンバーだ。
佐藤、樋口のバッテリーに、白石、織田、玉縄、福島。
ワールドカップでは、パーフェクトに抑えた。
あれとは対戦相手のレベルが違うと言っても、直史のレベルも上がっている。
直史が投げて、大介が打つ。
高校時代の最強のチームの再現だ。
それに加えて樋口がいるとなれば、リード面においてもバッティング面においても、かなりの追加戦力になる。
樋口の勝負強さは、高校時代から有名であった。
もっともその樋口も抑えてしまうのが、直史であったのだが。
日本がもし決勝で負けるとしたら、それは油断や実力ではなく、動揺であるだろう。士気の崩壊とも言える。
上杉というピッチャーはそれだけ、爆発的な力を持っているのだ。
実際にクライマックスシリーズにおいて、この二年ライガースに負けている神奈川であるが、上杉の投げた試合では負けていない。
勝ちか最低でも引き分け。シーズン中にはさすがに疲れが溜まったりと、それなりに点を取られることもあるが、勝つべき試合にはきちんと勝つのだ。
高校時代にはテレビの向こうの人間であった上杉だが、高校に入学した時にはその爪跡は、大阪光陰のあちこちに残っていた。
ルールに守られた結果の勝利。試合には勝って勝負に負けた。
春のセンバツで文句なしで勝っても、まだそんな声が残っていたのだ。
いや、あの言われ方が嫌だったからこそ、センバツまでの三連覇が可能だったのかもしれない。
そんな最強の大阪光陰を、やはりパーフェクトで破ってくれたのが、白富東なわけだが。
問題とするところは数点ある。
まずはチーム全体の士気と動揺。これは監督やコーチ陣がどうにかすることだ。
そして相手の攻撃への対処。これは直史が完封したとしても、九回まではもたないか、延長戦に入る可能性がある。
あとはアメリカのピッチャーを打ち崩すことが出来るかだ。
これも上杉の影響が大きいかもしれない。
全般的に、日本チームに不運が付きまとっているように感じるが、原因は上杉の怪我一つである。
そのたった一つのことで、チーム全体が混乱状態に陥るのか。
上杉は神奈川に限らず、どのチームにおいても最高のプレイヤーだが、それが失われた時の影響が大きすぎる。
最大の武器であるのと同時に、最大の弱点でもあるのだ。
不思議な話であるが、直史が欠場するとなった場合は、これほどの影響はないように思える。
実際にあの、大阪光陰を完封した夏の翌日、決勝では投げられなかったものの、ぎりぎりまで白富東は春日山に勝っていた。
サヨナラで負けはしたが、直史の負傷の事実は隠されていた。
「つーかさ、今から上杉さんは軽傷で、決勝でもクローザーとして投げる予定だとか言ったら、それだけでベンチは安心するんじゃないか?」
「「「確かに」」」
真田の作戦というほどでもない、方便とでも言うべき嘘。
日本代表の島野に教えてやればいいのではないか。
「コーチか寮長あたりから、監督に伝えられないのかな?」
「今も一応報道管制はしかれてるし、元々そのつもりなんじゃないか?」
とりあえず島野に、この嘘も方便というのを伝えるべきだろう。
果たしてこれが、島野にまでちゃんと伝わり、採用されたのか。
あるいは最初から、そのつもりでいたのだろうか。
翌日の新聞には上杉が病院に運ばれたことは書かれたが、同時に怪我などというものはなく、場所が場所だったために、念のために診てもらっただけという報道がされた。
もちろん真実のところが、もう一度真田たちのところまで降りてくることはなかった。
あるいは本当に、最初の情報が大袈裟であったという可能性すらある。
練習のグラウンドでは、軽くランニングをした後に、キャッチボールをする姿までテレビに映されたのだ。
怪我の情報は確かなはずである。たぶん、きっと、めいびい。
だがキャッチボールをする上杉は、まるで何も問題などないという風に、手に包帯も巻いてなければ、溌剌と体を動かす様子を見せてくる。
本格的なピッチング練習はしなかったが、昨日は試合で投げて、明日も試合で投げるとなれば、それも確かな調整法であろう。
上杉は投げられるのか、投げられないのか。
日本の全野球ファンが、その姿にはホッとしたことだろう。
プロ野球ファンにはアンチ上杉が多いが、それは他の球団のファンだから上杉が嫌いなだけであって、本当の意味で上杉を憎む者などいないのだ。
対戦したキューバもホッとしただろうし、対戦するアメリカも、残念だという心情と同時に、ベストな状態の日本と戦えることを楽しみにする。
こいつらは上杉の170kmでも打てると思っているらしい。
確かに過去、169kmのストレートをヒットにしている選手はいるのだが。
この日に行われたWBC準決勝、もう一試合はトップレベルのメジャーリーガーを擁しながらも、ピッチャーの層の差で、メキシコはアメリカを相手に敗退した。
これにて決勝は日本対アメリカ。
世界ランキング一位と二位による、世界一を決めるには充分なカードになったわけである。
「あ~! 俺も出たかった~!」
牙風寮では真田が、またしつこくそんなことを喚いていた。
四年後に頑張ってもらいたいものである。
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