第11話『ゴルト森林南の戦い』

 ゴルト森林。大陸北西に広がる針葉樹が大半を占めるこの大森林は、ウォーター国とソイル国をへだてる国境の役割を果たしている。遊牧民国家であるソイル国の騎馬は湿った森林の地面を好まず、さらに森林内の細い街道では行軍に適さず、彼らの南下を防いでいる。


 しかしこの深い針葉樹林を越えてくる一団もいる。ソイル国内の草原に冬の凍える風が吹きすさぶと、草木が枯れ、彼らの食料源である羊などを養えない。食料に窮した遊牧民の一団が無理やり森林を越えて、ウォーター国内の村や町に略奪に来るのである。ソイル国王はそれを黙認している。


 ウォーター国はその侵攻の度に、撃退の軍を出す。ここ数十年変わらない、ゴルト森林の冬の光景である。


 その略奪に来たヤレー族の遊牧民の首領のもとに、対峙たいじしているウォーター軍から書状が届いた。曇り空の下、暗い天幕の中で、ソイル国王から男爵位をもらっている鎧姿の首領が椅子に座りながら、その書状を開いた。


 内容は卑屈ひくつそのものであった。


『拝啓 偉大なるヤレー族の首領殿


 遠路はるばる我々の国内にいらっしゃったこと、その苦労お察し申し上げる……この冬はわが国でも寒さが厳しく、あなた方が来訪しようとしている村々が貯蔵している食料は恐らく少ないであろう……私はまだ若干十六歳であり、あなたの優秀な息子たちよりも若いはずだ……正直、強大なあなた方の騎馬隊が怖くて仕方なく、夜もろくに眠れていない……願わくば、あなた方と戦わずに済む幸運を切に思う。食料がないというなら、こちらである程度はご用意しよう。敬具


 小さき国の王子より』


 一国の王子が出す手紙ではない。この書面を読めば、普通なら失笑するか、少なくともあなどるのは間違いない。


 ところが、この首領の反応は違った。激怒だ。


「おのれ! またこのような手に引っかかると思うなよ。皆の者、敵はシャルルだ! 迎え撃つぞ」


 ヤレー族の陣から多くの炊事の煙が上がるのを見て、ウォーター軍のモランの表情が曇った。ゴルト森林の中に広がる平地に、冷たい北風が足元から吹き上がるように流れ、モランの隣にいるシャルルの金色の髪が舞い上がる。その度にシャルルは手ぐしで元に戻す。


「シャルル様、作戦は失敗しましたな。敵は警戒していますぞ」


「それでよい」


「はい?」


 同じく炊事の煙を見つめるシャルルは、自信たっぷりな表情を崩さず、笑みさえも浮かべていた。


 実は、卑屈な手紙を出して敵をあなどらせる策略は、去年行った。その時は作戦通り油断させることに成功し、夜襲をかけて殲滅せんめつした。その時の遊牧民の一団は生活を維持できなくなり、他の遊牧民に吸収されたと聞く。そして、その敗戦の情報がソイル国内に出回っていると、シャルルは把握している。


 二匹目のどじょうを狙う作戦が成功するとは思っていない。シャルルの狙いは他にあった。


「こうやって我々を警戒していれば、近隣の村を襲う時間が無くなるだろう。元々食料が無いから襲来した連中だ。持ち合わせている食料は少ないに違いない」


「ここに我々がいる現状が、村を襲うことへの抑止力になるのですな」


「見よ、あの炊事の姿を。あれだけ炊き出していれば、余計に食料は減るだろうな」


 楽しそうに敵を眺めるシャルルを見て、モランはおそれをいただく。坊主頭の強面こわもてに驚きさえ浮かべた。


(息子とそこまで年齢が違わないのに、歴戦の将軍のような判断力と冷静さを思わせる。この方が年を重ねたら、どうなるか……)


 シャルルにすごみを感じたのは、彼が十歳の時である。十六歳で結婚した彼の兄、ヘンリーの結婚式のパーティでの出来事だ。モランは親しくもない貴族に愛想笑いを浮かべていると、急にそでを引かれた。


 振り向くと、透き通るような金色の髪と白い肌を持つ少年が立っていた。


『兄に青磁の皿を贈った者を知りたい。一緒に探してほしい』


 モランは彼の乳母の弟にあたる。シャルルを甥っ子のように可愛がっていた彼は、彼の頼みを聞いて、新興貴族であるアルマを紹介した。そしてアルマが丁寧に国外の青磁の生産地やそれを売る商人の関係を説明したのだった。


 ところが、シャルルの鋭い質問に、やがて答えに詰まるようになる。そして目の前の少年はにやりと笑うのだ。


『リシュ公。その青磁、国内でも作れないか』


 パーティーが終わった後、モランとアルマは彼を青磁販売者のもとに連れていく羽目になった。ついには、彼は口先だけで販売業者・生産者をウォーター国内への招致に成功し、アルマに巨利をもたらす。わずか十歳の子供が、である。


 あの頃から、モランとアルマの心は、彼に握られてしまった。


 また一段と風が強くなった。体感温度が下がっていく。


「シャルル様、見ていてもしょうがないでしょう。天幕の中へ」


「そうだな……おや?」


 シャルルたちが天幕の中へ下がろうとしたその時、敵がいる方角から声が聞こえた。目を凝らすと、騎馬兵が一騎、わめき散らしている。その馬も人も、大きな躯体くたいをしている。


「シャルル! 私は前年、お前に滅ぼされたサッテ族首領ロハン=サッテが息子、ギョス=サッテだ! 貴様への恨みを晴らすため、ヤレー族の軍に参陣した。貴様の首を一族の墓の前に捧げてやる。いざ、勝負しろ!」


 ギョスと名乗った男の後ろには、ぞろぞろとヤレー族の騎兵が並び立つ。彼らは「臆病者」だとか「早く出てこい」とはやし立てる。


 シャルルはその光景を見て、怒るよりも笑った。モランの表情はますます渋くなる。


「怒らせすぎたか。やれやれ、これは予想外だ」


「ソイル国内にも王子の名は広まっていますな」


「悪名としてだがな。さて」


 シャルルは近くにいた兵士に、自分の馬を引いてくるように命じた。モランは驚いて声が大きくなる。


「何をしているのですか、シャルル様! 出られるのですか?!」


「ここらで悪名を高めておくのも悪くない。モラン、兵を準備させておけ」


 ――*――


 シャルルは颯爽さっそうと馬に乗ると、陣の門を飛び出し、大きな斧を持つギョスの前に対峙たいじした。彼を取り囲まれないように、ウォーター軍の兵士たちが彼の後ろに慌てて整列する。


 ウォーター軍とヤレー族軍で形成した円の中で、シャルルとギョスが向かい合う。ギョスは目を血走らせているのに対して、シャルルは普段と変わらない涼しい顔をしていた。長い髪を整える余裕すらあった。


「貴様を殺す!」


随分ずいぶんと物騒だな。そんななまくら斧で、この首が落とせるかな」


「ほざくな!」


 馬を手綱で叩いて、ギョスはシャルルに向かって走り出す。斧を持つ手に力を籠め、ギョスはシャルルの首に視線を集中させた。


 シャルルはようやく自分の両刃剣を鞘から抜いた。体に力を込めた様子はなく、向かってくるギョスをジッと眺めていた。


 ギョスが彼の武器がシャルルに届く位置まで迫った。


「もらった!」


 ギョスが斧を振るった。


 ところが首を切った感触はなく、馬を駆け抜けさせる。ギョスは振り向いた時、自分の左腕に激痛を感じた。彼は顔を歪ませながら驚く。知覚しないうちに、鎧の隙間から自分の左ひじの腱が切られて、大量の血が噴き出している。


「うがっ、があ!」


「あれだけ視線が俺の首に向かれていれば、その狙いを外すことぐらい造作もないことだ」


 とシャルルは言い、自分の剣についた血を振り落とす。彼は冷静によけてから、伸び切ったギョスの左腕の隙間に対して、正確に剣先を打ち込んだのだ。


 ギョスは目の前の若者が、武人であることに気が付いた。


(あの一瞬で、俺の斧の軌道を見切ったというのか?!)


「戦場では感情に身を置いてはならない。来世への教訓として覚えておけ!」


 今度はシャルルがギョスに迫る。ろくに防御もできない大男の首に、シャルルは長い腕を伸ばし、やすやすと剣を突き刺した。


 空中を赤い血が舞い、声もなくギョスは馬から転げ落ち、絶命した。


 明らかに、ヤレー族に動揺が走るのが分かる。彼らの感情が伝わり、馬たちも足元がおぼつかなくなる。シャルルは剣を高く掲げ、自軍に命じる。


「敵の武勇の士は俺が倒した。後は雑魚だけだ。者ども、突撃!」


 シャルルの声に弾かれ、士気高くウォーター軍はヤレー族に殺到した。一方で動揺を抑えられないヤレー族は、そのまま押されていく。ウォーター軍は彼らよりも人数が多い。ヤレー族が逆転する見込みは薄い。


 シャルルも一緒に突撃し、何人か切り裂いたところで、追いついてきたモランに呼び止められた。


「シャルル様! 敵は総崩れ。これ以上は無用です」


「早かったな。先ほどのギョスは、彼らの中でも信頼を得ていた勇者だったのだろう」


「それがあっさりと殺されたのですから、同情しますな」


 戦いが決まった戦場は、理性がかき消え、人間の暗い欲望がむき出しになる。人を殺すことが容認された空間である。負けた方はなんとしても生き残らなければならない。


 目をぎらぎらと光らせたウォーター軍の兵士が向かう先で、人の声とは思えない悲鳴が風に乗って聞こえてくる。


 この中で理性を保っている数少ない人間の一人であるモランは、ぼそりと呟いた。


「勝ったとしても、無意味な戦場だ」


 この戦いは防衛戦である。ウォーター国軍とはいえ、中央から派遣されたのはシャルルら五十名もおらず、ほとんどが近隣貴族の軍で構成されている。勝っても領土が増えない。中央から派遣された身としては、ロクな恩賞が望めない、骨折り損のくたびれ儲けと感じざるを得ない。


 しかしシャルルは満足げだ。黄金の髪が輝きを増す。


「無益ではあるが、私にとって無意味ではない」


 シャルルが軍事面で有名になってきたのは、こうした小さな紛争で勝ち続けてきたからだ。シャルルはこの戦いでも名誉を欲した。


「三男坊。母親は平民出身で、しかもこの世にいない。出自の悪い私に、貴族の支持が集まるとは思えない。私がのし上がるには、平民たちの支持が必要なのだ」


 先日の襲撃のような兄たちの粛正しゅくせいに怯え、一生を王城の部屋の片隅で震えて過ごす。そんな未来をシャルルは決して望まない。


「見よ、ここから私の伝説が始まるのだ。歴史書にこの名を刻んでやる」


 シャルルは、風ですさまじく形を変える雲間から覗く太陽に、剣を掲げて宣言する。


 モランが熱い視線をシャルルに向ける。冬のゴルト森林の冷たい空気も心地よく感じさせるほど、熱いものが彼の中に流れている。モランはそう感じた。


「一生、ついていきます。シャルル様」


「俺の夢のために、頼むぞ」


 野望のかたまり。この戦場で最も理性的であるはずの二人は、誰よりも大きな欲望を秘めていた。


 シャルルが大陸中を巻き込む活躍をするまで、あと数年はかかる。まだこの時、金色の龍は雌伏していた。

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