第11話『ピエロの決意』

 ソイル国の民衆の服装は、カラフルだ。普段の市場を歩くだけでも、様々な色の服に出会うことが出来る。


 その理由は、彼らの服の素材にある。一般の民衆でも、肌着以外は毛皮を衣服に使うことが多い。なぜなら輸入しなければならない麻や絹よりも、毛皮の方が手に入りやすいからだ。その毛皮の地の色、つまり様々な動物の肌の柄が衣服に反映される。


 このお祭りではさらに一層、街の通りは彩り豊かになっていた。しかし、その中でも白いドレスと金色の長い髪は目立つ。観光客は急ぎながらも、トリシャの姿に見とれていた。


「ふん、目立ちたがりめ」


 トリシャの後ろを歩くジャンヌが悪態あくたいをつく。だが、鹿の毛皮で作られた茶色の服を羽織るジャンヌを見ると、ひがんでいるように見えた。


 そんな気持ちを読み取ったのか、ジャンヌはビンスをにらんだ。


「なにさ」


「いや、何でもねえよ」


 それよりも、と目の前の2人を見る。トリシャがそれはもう楽しそうに、ダヴィの手を握りながら歩いていた。


「ねえ、ダヴィ! あれ見に行こうよ!」


「引っ張らないでよ、トリシャ」


 うんざりといった表情をするダヴィとは対照的に、彼女は満面の笑みである。浮かれすぎて、もうすぐ腕を組んでしまうのかと思うぐらいに。


 彼女に想いを寄せるビンスが、面白いわけがない。


「おい、ダヴィ! くっつきすぎだろ!」


「ムダじゃない?」


「ああ?」


「あたいだって分かるさ。あの女、あんたは眼中にないよ」


 トリシャは全く後ろの2人を見ず、彼女の視線はずっとダヴィに向けられている。その中の感情を読み解くのは、ビンスでさえ容易たやすくできた。彼は苦々しく弟分をにらむ。


ひがみね」


 ビンスの鋭い視線が、今度はジャンヌに向けられる。頭2つ分の身長差におくさず、ジャンヌは淡々と彼に感想を述べた。


「あの女が好きなのかもしれないけど、今はほっといたほうが良いだろうね」


「あ? なんでだよ?」


「だって、あんなに幸せそうだもの」


「…………」


 長い籠城戦から帰ってきたダヴィは、すぐにソイル国に旅立ってしまった。トリシャはろくにダヴィとおしゃべりさえ出来なかったのだ。


 だからこそ、彼女の感情の爆発もひとしおなのである。


 実は、ビンスはこの前、トリシャに告白した。ダヴィが帰還して、彼女が自分の本音に気がついてからだった。そして、彼女の答えは、予想通り「NO」だった。


『わたし、ダヴィが好きなの。弟としてではなく、男として』


 彼女の言葉を、心が受け入れを拒否した。分かっている。分かっているが、感情が追いつかない。ビンスは唇をかむ。


 まだ人を好きになったことのないジャンヌが、ボソッと苦言する。


「恋なんて面倒なことをするからよ」


 押しつぶされそうな人ごみの中で、ビンスは寂しさを感じる。そして彼女の言葉にこう返した。


「まったくだな」


 ――*――


「そうか。そんなことが」


 翌日の公演を終えた後、妙に元気がなかったビンスを心配して、ミケロが声をかけた。そして彼がボツボツと答えた内容に、頷きながら納得する。


 その態度に、ビンスが顔をしかめた。白粉を落としたピエロが不満げに呟く。


「全部分かったような顔をしやがって」


「全部分かっていたさ。分かっていなかったのはお前と、当の本人たちだけだ」


「そうかよ……」


 ビンスはため息をつく。とっくの昔に勝負はついていた。しかも芸では圧倒的に自分より下手な弟分にである。やるせない。そんな気持ちを抱えて、彼は頭を振った。彼女のために整えていたツーブロックの髪が乱れる。


 ミケロは同情する。先ほどの公演でも、そんな動揺を隠しながら、ビンスは最高のパフォーマンスを見せた。初めてサーカスを観に来た客の度肝を抜き、一瞬でとりこにしてしまった。動物相手に鞭を振るう自分にはない魅力が、ビンスにはある。


 しかしながら、そんなビンスを上回る不思議な魅力が、彼にはあるのだ。


 それを話しだしたのは、他でもない、ビンスの口であった。


「あいつ、変わったな」


「ダヴィのことか?」


「ああ。心がでっかくなったよ」


 サーカス団『虹色の奇跡』は、この公演の一週間前にソイル国にたどり着いた。ダヴィが彼らの練習に加わったのはそれからだ。


 ビンスは劇の打ち合わせのために、何度かダヴィと話す機会があった。その度に驚かされたのが、ダヴィの態度の変化である。


「昔はあいつと話していると、じいさんと話しているようでイラっとしたんだ。でもよ、今はあいつと話すと、不思議と自分を語っちまうんだ」


 ダヴィは昔から聞き上手だった。相手の言葉に適切な相槌を打ち、相手が喋りやすい環境を作り出す。彼の得意分野である靴磨きと同じように、心地よさをもたらす。しかし、ビンスにとってはそれが老練な小手先のテクニックに思えて、不愉快に感じることもしばしばであった。


 だが、今のダヴィは違う。例えるなら、彼は大きな穴だ。


「自分の言葉がダヴィに吸い込まれていくようなんだ。あいつは何にも言ってないのによ。阿呆みたいに、ジッとこっちを見てくるだけなんだ。でも、俺は次々と言葉を発せずにはいられなくなる。気が付くと、自分の奥底に眠っていた思いも打ち明けていた」


 他の団員も同じ感想を持ったらしい。昨日の練習後、一番話したいであろうトリシャを差し置いて、多くの団員がダヴィのもとに押し寄せたのだ。さながら、評判の占い師のようである。


 ミケロも素直にダヴィの変化を感心していた。傷だらけの太い腕を組む。


「確かに、ダヴィは変わった。いろんな経験を経てな。いいことだろう」


 団長のロミーが言うには「人が見てはいけないこと、経験してはいけないことをやってしまったからだ」と苦々しく言ったが、彼の器が大きくなったとは評価している。


 ビンスにとっては差を開けられたようで、焦燥感しょうそうかんにかられる結果となった。


 そんな彼を、年長のミケロがなぐさめる。


「そう落ち込むな。すぐに新しい恋が見つかるだろう。それに、今後もトリシャと一番一緒にいるのは俺たちだ。トリシャの気持ちも変わるかもしれない」


「いや、それはないだろうさ」


 断言するビンスを、ミケロはいぶかしんだ。ビンスはというと、少し笑っていた。


「俺さ、トリシャが好きになったのがダヴィで良かったと、ちょっと思っているんだ」


「なんでだ?」


「だってよ」


 ビンスはピエロの衣装のまま、ぼそりと呟いた。自分の才能を存分に発揮してもかなわないものがある。もうすぐ20歳になる彼は、それを理解しつつあった。


 自分にはないものが、彼にはある。それがはっきりと分かった、この一週間であった。


「あいつは人をきつける力がある。そんなあいつに負けたから、俺は満足なんだ」


「ビンス……」


「でもよ、芸じゃ負けねえぜ。見てろよ、ダヴィ! お前よりも多くの人を楽しませてやるんだ!」


 ダヴィは歴史書という記録に残る人物となる。ビンスはどんなに芸が達者になっても、記録には残らないだろう。


 でも、彼の姿は人々の記憶に残る。ビンス=オルコットは子供たちが憧れた面白いピエロとして、多くの人の心に残り続けるのだ。


 若い彼の決意を聞いて、ミケロは熊のような大きな手で彼の頭を撫でた。なにすんだよ、と悪態をつかれながらも、彼は撫でることを止めなかった。


 彼の決意は、このサーカス団の信念そのものである。若いホープの熱い思いに、ミケロは目を細めて、彼の将来を期待するのだった。

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