第4話『異教徒の弓使いの少女』
ソイル国に来て2週間、ダヴィの身体に生傷は絶えない。今日も練習場の地面に転がる。
ハワードは木剣を
「今日はここまでだ」
彼が去っていくと、ダヴィは体を回して仰向けになった。地面に大の字になって、荒く呼吸を繰り返す。
この
初日の時のように、全身から血を噴き出すような事態はなくなったが、ハワードのような大男が小さなダヴィに剣を振るう姿は、訓練というよりも、いじめに近い。周囲の兵士から最初は動揺が見られたが、今では同情する者が増えた。
日課のように、ライルとスコットが駆け寄る。
「だんなあ、やっぱり逃げましょうよ」
スコットが膝をついて身をかがめながら、泣き言をいう。やせた細い顔に、情けない表情を浮かんでいる。ダヴィはじろりと彼に目をやった。
「それは、ダメだ……僕は逃げられない…………それで、今日の収穫は?」
「へえ、それでしたら」
「あ、ちょっと待って」
ダヴィは笑って、申し訳なさそうに言う。体がピクピクと
「ちょっとも動かないや。ごめん。いつものように部屋まで運んでくれるかな」
部屋のベッドまで運ばれたダヴィは、されるがままに治療を受ける。部屋に治療箱が常備されるようになった。
今日もまた包帯を巻かれた彼はベッドに横たわり、彼らの報告を聞く。
「この国の民が困っている問題は分かったかい?」
「まあ、色々と、聞き込みしましたぜ」
ライルは
「まずは、この街の東を流れる川が
「それは……難しい。解決までに時間がかかりすぎる」
「うーん、そうですか。だったら、冬場の食料が少なくなるっていうのも」
「何十年かかるかもしれない。それは無理だ」
ライルは
「一体ダンナは何を調べているんですか? 時間がかかり過ぎたらダメっていうのはなぜですかい?」
「僕が知りたいのは『女王が短期間で解決してあげられる国民の問題』だよ」
はあ、とライルは眉間にしわを寄せた表情を変えない。彼はダヴィの傷だらけの身体を見る。
「これだけのことをされて、あの女王を助けたいのですか。ダンナはマゾじゃないですよね?」
ダヴィは
「ふふふ……そうかも」
「マゾってなんだい、ライル?」
「後で教えてやるから、今は黙っとけ!」
「それで、他に何かなかった?」
ライルは丸い頭を傾けて考え込む。その時、スコットが声を上げた。
「なんか南の方で暴れまわっているやつらがいるってさ」
「暴れている?」
「集落を襲っているんだって。食堂のおばちゃんが言ってた」
ダヴィは彼の話に興味を示した。ベッドから少し身を持ち上げる。
「それは盗賊団ってこと? 君たちのような」
「いやあ、俺たちは集落は襲いませんでしたよ。あんまり収穫もなかったですし」
「なんでも異教徒だってさ」
「異教徒?」
――*――
北ロッス草原。ソイル国の大部分を占める大陸一の草原地帯だ。
北のアルプラザ山脈と南のバルツ山脈に雲が
耕作に適さず、多くの民は遊牧民として畜産に精を出している。羊や馬の食料となる草原を求めて日々移動する。そのため、この国では都市という集住文化が他国に比べて発達していない。
その結果、行政機関による統治がしっかりと機能しない。遊牧民たちは各部族ごとに分かれ、毎年一回ソイル王家に貢物を渡す。そして有事の際には、部族の大きさによって決められた兵数の
そのような
それが異教徒であり、彼らバクス族もその一つである。
「よーし、追い詰めたよ!」
10人の騎兵が数匹の狼の群れを追っていく。目の前は川だ。狼たちは慌てて引き返そうとする。
「ほら、お終いだよ!」
高い声を上げる一人の騎兵が器用に弓を引いて、矢を放つ。狼の身体に当たり、四つ足を折り曲げて地面でうめく。やがて動かなくなった。
「やった!」
「ジャンヌ様、あぶない!」
いつの間にか、一匹の狼が矢を放った騎兵のそばまで走ってきている。鋭い牙をむいて、飛び掛かった。
その時、ビュンと風を切る音が聞こえた。気が付くと、目の前の狼に矢が刺さっている。あと数秒で届くという距離で、狼は無念の死となった。
ホッと息を吐いた騎兵の、緑のバンダナを巻いた頭に、ゴンと拳が下りてくる。
頭を抱えて振り返ると、顔半分を髭で覆った男が目じりを吊り上げていた。
「バカヤロウ! 油断するなって言ってただろう!」
「うるさいなあ、ちょっと気を抜いただけじゃないか」
「それが、油断って言うんだ!」
二回目の拳を、彼女はさっとよける。三つ編みにした長い茶色の髪がふわりと揺れていた。その様子を見て、周囲の騎兵が笑った。
「ジャンヌ様が後を継ぐのは、まだまだ先ですなあ」
「まったくだ」
残りの狼は、彼らにあっさり倒されていた。狼の死体が転がっている上で、彼らの笑い声が草原に響く。
彼女は小さい顔を膨らませて、むくれる。
「笑ったな! 弓ではあたいが部族で一番上手いんだ。それでいいじゃないか」
「だめだ。それだけじゃねえんだ」
「なんでさ! この前だって、ソイル軍の騎士を倒したじゃんか!」
彼女は拳骨を振り下ろした騎兵に迫る。彼はこの部族の長・ロレック=バクスであり、彼女はその長女である。彼は娘に首を振る。
「やれやれ、数年前の可愛らしいお前はどこに行ったのやら。将来の夢はお嫁さんだったじゃないか」
周囲の部下がまた笑う。彼女はむきになって反論した。
「な、なんでそれを言うのさ!? 今は、ソイル軍を倒すのが、あたいの夢だよ!」
彼らバクス族も遊牧民である。普段は羊やヤギを飼い、狼が出たら駆逐する。周りの部族と変わらない生活をしている。
一つ違うのは、彼らが聖女を信仰しない、異教徒であるということだ。
その違いだけで聖女を信仰する国家から排除される。羊毛の売り先は制限されるし、周りからは
それに
ロレックは周囲の部族や行商人を襲撃し始めた。そしてソイル軍が来る前に逃げてしまう。この広い草原では探知されることは少ない。今ではソイル国中で恐れられる存在となっていた。
彼の跡継ぎにかける期待は大きい。彼女もその候補である。
「おやおや、頼もしいお言葉ですな」
「この分だと、次の襲撃でも付いてくるようですね」
ロレックは苦笑して、部下の言葉を聞いている。そして呟いた。
「俺らが略奪しているのは仕方ないことなんだ。お前にはもっと平穏な人生を歩んでほしいのだが」
「フンだ! あたいは弓で生きるって決めたんだ」
「まったく、婚期を逃しちまうぞ」
「うるさいなあ!」
彼女は赤い舌をベッと出して、父親に悪態をつく。
「それだったらいい男を見つけてきてさ。もっとも、ソイル国の王子じゃ物足りないよ。天下一の男を連れてきてよ!」
それを聞いて、ロレックは頭を抱え、部下たちはまた笑った。
ジャンヌは口をとがらせて、馬首を帰路へ向けた。草原の風が彼女の頬を撫でていく。
「この草原があたいの恋人さ」
彼女はこの時13歳。まだ世界も、恋も、知らない乙女であった。
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