第30話『意外な変化』

 ミュールが秋風と共にミラノスに戻ってきた。残暑が消えた頃、日に焼けた傷多い顔。相変わらず馬に乗れない彼は徒歩で帰ってきた。旧ウッド国の長い海岸線を巡回してきたというのに、全く疲れを見せない。そんな彼に憧れている、疲れた部下の背を叩いていたわう。彼は報告の為に城の中に入っていった。


 城の中にはルフェーブがいた。ミュールが執務室に入った時、彼はで大きな机の前に座って手紙を読んでいた。


 武骨な足音、そして扉を開ける無遠慮な音に、彼は顔を上げた。


「ミュール! お帰り」


 パッと明るくなるルフェーブの表情。すぐに眼鏡を直しつつ、元の冷静な表情に戻した。ミュールは彼の前に置かれた手紙を見てニヤリとした。


「なんだよ、それ。良い人のか?」


「そんなものではありません!」


 予想外の剣幕。ミュールは「わ、わるかった」と素直に謝った。彼の本当の想い人は知らない。いつ気づくのだろうか、とルフェーブはため息をもらす。


「リバールにいるジョムニからの報告書です。もうそろそろ始まりそうですよ」


 その言葉を聞いてミュールは顔をしかめた。顔についた傷跡が深くなる。手を頭の後ろで組んで盛大に息をつく。


「良いよなあ。俺も参加したかったぜ。こんなの雑用じゃねえかよ」


「おや? 海賊はやはり」


「ああ、全く現れなかったぜ。日に焼けるだけの散歩だった」


 ハリスと聖子女との会談。それ以降、クリア国の海岸を荒らしまわっていたホラン率いる海賊たちは姿を見せなくなった。海賊対策の為に行った巡回は空振りに終わる。それもそのはず、彼女たちの行く先が変わった。


「西のウォーター国・ウッド国に転進した噂は本当でしたか」


「ジョムニの言う通り、奴らあっちに攻め込むつもりか」


 更なる功績、更なる名誉を求めたハリスは、国外への勢力拡大へと走った。国内の政治安定化も図れていない中で、マリアンやトーマスは民への負担が大きいとして反対したが、ペトロとイオは賛同した。サロメは「どちらでも」と意見を明白にしなかった。どちらにせよハリスの勢力が拡大することは彼女の意に沿うことだ。


 ハリスの青い目は西へと向いた。目指すは友好国だったはずのウォーター国とウッド国。


「西でも戦争が始まりますね」


「ああ、そうだな」


 大陸中央から始まった世界の変革と大戦乱。その余波は東や西へ広がる。世界中の人々から平和が取り上げられる。その責任を噛みしめて、二人の肩に力が入る。


「さっさと終わりにしようぜ」


「そうですね。これでは聖女様に祈る暇もありませんよ」


 聖職者らしからぬルフェーブのジョークに、ミュールはケラケラ笑った。ルフェーブは穏やかに微笑み返す。そして話題は再び手元の報告書へ戻る。


「ジョムニも大分苦労しているようですよ」


「苦労? あいつらしくねえな。戦争の準備なんてニヤニヤしながらやりそうじゃねえか」


「そちらではなく、ダヴィ様の周りのことです」


 ルフェーブは頬づえをついて長い髪をかき上げる。苦い笑みをこぼして答えた。


「ジャンヌがダヴィ様の傍を離れないそうですよ」


「あー……そっちでも変わんねえのか」


「あれからしばらく経つのですけどね」


 ダヴィ暗殺未遂事件の後、ジャンヌは近衛隊長という職務を越えて、ダヴィにべったりとくっつくようになった。護衛、と彼女は言っている。だがダヴィの周囲は勿論、彼の一挙手一投足をチェックする様子は看守に近い。距離も近く、時折抱きついているのかと思うぐらいだ。


 ダヴィは風呂やトイレまで観察されることに頭を抱える。ルツやジョムニが何度かたしなめたが


『ダヴィは狙われているんだ。あたしが守らないと』


と使命感を持って言われると、誰も説得出来なかった。この報告書にも『ダヴィ様の宿舎の前に自分のベッドを持ってきて、出入り口で番犬のように目を光らせている。食事や来客時は、マントのように傍を離れない。あの遠慮がちだった頃が懐かしい』と書いている。ミュールは彼女の気持ちを察する。


「目の前でダヴィ様が殺されかけたんだ。トラウマにもなるだろう。あいつも案外真面目だからな」


「それだけじゃないような気もしますが」


 少し前までは無理に敬語を使っていたが、それも元の遠慮のない口調に戻った。昔の距離感に戻ったと言えるだろう。十代前半のダヴィを知らない二人にとっては羨ましい限りだ。


 ジョムニの文章にも『彼女だけが許された幼なじみのような関係性』として、その羨望が読み取れる。しかし彼の手紙は心配する次の文章で締めくくられていた。


『オリアナ様に見つかりたくない光景だ』


「ああ、確かに……」


「相手がジャンヌとはいえ……なあ」


 二人はジョムニに同意する。彼女とダヴィの間柄もかなり独特だ。ルツが極めてまともにみえるぐらい。


「怒ったオリアナ様は極力見たくない」


「だな。この前の暗殺騒ぎの時だって、俺もビビるぐらいに……」


「……どうだった?」


 二人はハッと顔を上げる。いつの間にか部屋の中にオリアナが立っていた。頬を覆うショートカットの髪の中に無表情な顔が浮かぶ。女性の中でも小柄な彼女に対して、長身の二人の背筋が伸びる。反射的にルフェーブは手紙をたたんだ。


「な、なんでもありません。どうしてこちらに?」


「なんか困りごとか! 喧嘩なら任せときな」


「違う……喧嘩ならいい“武器”が出来た……今は散歩中」


 彼女がパンパンと手を叩くと、部屋の中にスッと小さな足音で入ってきた。その姿に男たちは再びギョッと驚く。


「てめえは!」


 ダヴィを殺そうとした張本人・シン=アンジュが立っていた。黒髪のポニーテール。鋭い目つきはウッド国の将軍だったころと変わらぬ凛々しさを見せつける。変わったのは白いワンピースだけ身にまとい、腰に木剣だけを下げているところか。それでも危険なことには変わりない。目の前にいるオリアナなど一捻りで殺されてしまうだろう。


「オリアナ様、下がって!」


「牢屋から逃げやがったのか。大人しくしろ!」


 剣の柄に手をかけるミュール。ルフェーブは長い手を伸ばしてオリアナを庇おうとした。


 生温い残夏の空気に広がる殺気。シンの赤い唇から決意ある声が出る。


「ワン」


「…………」


「…………は?」


「シン……おすわり……」


 シンはゆっくりとしゃがんだ。両手を地面に付き、グッと視線を上に向ける。先ほどまでの凛とした目つきそのままだが、格好が伴わない。座ったままでまた「ワン」と鳴いた。


 口を半開きにして固まった男二人に、オリアナが「ふふふ」とほほ笑む。


「私の新しいペット……かわいい?」


「ペット……」


「兄様が殺すなって言うから……しょうがないから、人を一度辞めさせた」


 当然のことのように言い、ワンと返事をするシン。反発する様子は微塵もない。忠実な犬のごとく真っすぐな瞳で次の命令を待つ。


「苦労した……最初は『殺して』しか言わないの……やっとここまで成長してくれた」


 オリアナは彼女の頭を撫でる。犬と違うのは、撫でられている間の姿。彼女の顔は強ばり、小刻みに震えている。一国の将軍の成れの果て。彼女の調教がいかに凄まじかったか、想像することが出来ない。ルフェーブとミュールは絶句した。


「……ジャンヌのことは知っている」


「えっ」


 ルフェーブは彼らしくない声を漏らす。オリアナは気にせずに淡々と伝える。


「ジャンヌは私たちの姉妹のようなもの……兄様にじゃれているだけ……」


「そうですか……」


「一線を越えていない……越えたら……する」


 何を、と聞き返す前に、オリアナはスルスルと部屋を出ていく。その後をシンが立ち上がって続く。一切の迷いなく従う姿は、残された二人に恐怖を与えた。まだ北から冬の風は吹いていないのに、背中が寒い。勇気の塊と称されたミュールが呟く。


「敵にはなりたくねえ」

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