第29話『盲目なる』
金歴554年晩夏。ミラノス、騒然とす。聖子女に前触れなく面会を求める者が現れる。それは一年半近く前に、強引に面談した無礼者と同一人物。
ハリス=イコン。碧眼の奇跡の男。その肩書は一変していた。
「副王とは……まあ……」
カリーナ典女は絶句する。宗教界を含め政治の世界を長年見てきた彼女でも、世界で最も特異な外見をしているとはいえ、ここまで出世した者を見たことがなかった。ダヴィ登場前は世界の中心だったファルム国のNO.2。一介の浪人が二年足らずでよくものし上がったものだ。会談の準備でごった返す聖堂の端でため息をつく。同じく準備を手伝っていたルフェーブに愚痴をこぼしていた。
「この“副王”もただの隠れ蓑。実際は彼がファルム国を牛耳っていると聞きます」
「そんな、まさか」
彼の指摘にカリーナは再び衝撃を受ける。時代はあまりにも変わり過ぎた。
その変化を与えた張本人の行方を彼女は気にする。
「ダヴィ殿はどこに?」
「今はゴールド国です。次の作戦の為に離れられないと」
「彼がいたら心強いのですが……ハリス……ファルム副王はその隙を狙ったのでしょうか」
「分かりません。聖子女様との会談を邪魔すると思っているのでしょうか」
実を言えば、以前ダボットに重傷を負わせて激怒されたことから、ダヴィに会いたくなかった。そんなハリスの負い目を二人は知る由も無かった。
「そもそも、今度の会談の目的はなんでしょうか」
ルフェーブの疑問にお互い首を傾げる。常識が通じない相手だ。近づいてくる嵐を目にした気分になる。カリーナは手を組んで祈る。
「どうか無事に終わるように……おお、聖女様……」
――*――
石造りの聖堂の中は涼しい。熱さ残る風が隙間から入り込んでも、一瞬で冷やされてしまうようだ。高いドームの天井が細かい音も反響させる。息遣いさえ遠慮してしまう。巨大な聖女像が正面の階段の上に立ち、その前にベールをかけられた椅子が置かれている。
それを階下から見つめる男性。その袖をマリアンが引く。
「お越しになられました。お座りください」
「うん……」
ハリスはもう少し見ていたかった。聖子女の姿をより長く、この青い目に収めておきたかった。しかし再びマリアンに袖を引かれて、膝をついて頭を下げる。スルスルと衣切れの音と微かな足音が聞こえ、カリーナ典女の声が聖堂に響く。
「聖子女様のお越しです」
ハリスとその部下、そして彼らを囲むように立ち並ぶ司教・司祭たちが一斉に頭を下げる。一瞬の静寂。カリーナは声をかける。
「頭を上げられよ」
ハリスは顔を上げて息を吐く。無意識に息を止めていた。こういう堅苦しい礼儀は慣れていない。近頃は人に頭を下げることも減った。
彼が見上げると、座っている聖子女の前にはベールがかけられたままだった。マリアンが「畏れ多くも」と言葉を始める
「聖子女様におかれてはご健勝のことと拝見し、恐悦至極に存じます。しかしながらファルム国の現状をご存じないかと思います。ハリス=イコン様は以前のような代理人ではございません。副王を拝命した大国の代表者でございます。どうかお顔をご覧致したく……」
階上の影が動く。傍に控えていたカリーナが伏し目がちに動く。ベールをゆっくりと上げていく。銀色の長い髪が姿を現した。
「おお」
ハリスの目が輝く。以前と異なり、様々な女性の顔を眺めてきたが、彼女に勝る美しさはいない。彼は再認識した。
聖子女は見えぬ目を正面に向ける。沈黙がしばらく流れた後、カリーナが口を開いた。
「この度は何用にて……」
「俺と結婚しないか!」
空気が固まった。聖堂内の時間が止まる。聖堂に並ぶ一同、そしてカリーナ、隣にいたマリアンも何を聞いたか、全く理解が出来なかった。
最も冷静で、最も神聖な声が、野生の獣のような血走る目に語りかける。
「そなた、それは余に申したのか?」
ハリスは膝をついていた姿勢を解いて立ち上がった。そして聖女の代理に向かって叫ぶ。
「お、おれは、ハリスだ! ゼロの生まれ変わりだ! あなたと結婚する権利がある」
「権利とは?」
「ふさわしい男だ。ふさわしい名誉と地位も手に入れた! さあ、俺と一緒になろう!」
再び静まりかえる聖堂。今まで聖子女に求婚するなど、無礼千万なこと。この世に生きる者としてやってはいけないこと。あまりにも常識外な出来事に、一同の顔色が抜けた。
参列していたルフェーブが眼鏡を動かし動揺を抑えようとする。彼も白い顔をより白くしていた。独り顔が赤い、金髪碧眼の男を見つめて呟く。
「彼はこの世の人か……?」
しばらく口をパクパクと動かしていたカリーナが、急に金切り声を上げる。
「なんと……なんと! 何たることを! 聖下になんてことを! ハリス=イコン、今自分で何を言ったのか分かっているのですか」
「うるさい! 俺に指図するな! 俺が話をしたいのはあなただけだ。二人だけで話そう」
「ハリス……様……」
彼の目にはマリアンさえ映っていない。この聖堂の誰も、巨大な聖女像さえ見えていない。銀色に輝く聖子女の姿だけが彼の心をとらえる。聖子女は静かに尋ねた。
「余を好む理由はなんぞや?」
「あなたが聖子女だからだ! 俺にふさわしい」
「ふさわしいか……」
聖子女は再び黙る。聖堂の静けさに、彼は耐えかねた。声を震わせて階下から叫ぶ。
「俺ではいけないのか。なぜだ! 何が足りていない」
「そういう問題では」
「こたえてくれ!」
また口を開こうとするカリーナを、聖子女が手で制した。彼女はゆったりとしたドレスを翻し、スッと立ち上がる。階上の真ん中で、聖女像と同じ姿勢となる。
「余は聖女様の現身である。その隣に立つ者を選ぶことは、余の意志を越えたところにある」
全世界から注視される存在。彼女の背筋が曲がったことはない。ハリスに伝える。
「言葉なき太陽や月に聞けとは言わぬ。王たちの賛同では不十分」
「では、どうすれば」
「民草に尋ねよ。自分たちを導く存在を選ばせよ」
ハリスは仁王立ちで自信をもって答える。
「俺は皆から愛されている。尊敬されている。それならば資格がある」
「愛されることが導くことか」
「なに?」
この世は非情だ。ダヴィのゴールド国侵攻も褒められたものではない。私欲、と非難する者も、聖子女の周りに多い。彼女自身も抗議したい気持ちを抑えている。
それでも彼女は信じている。彼の信念の堅さを。残酷と憎まれようと、世界を変えていく決意を。彼の中にあふれるカオスに、彼女も魅了された。
「何も見えない未来に進む強さが、人々の灯となる」
盲目の彼女が見えた光は、目の前の彼には無い。以前会った時とあえて同じことを伝える。
「余の耳に評判を届かせ、余の肌身に人々の歓喜を響かせよ。乱れた世界を収めた者の隣にいるのが、余の使命であろう」
それだけ言うと、彼女はカリーナに手を引かれて去った。残されたハリスは下唇を噛む。
「まだまだ……ということか」
「ハリス様……」
マリアンが心配するも、彼の青い瞳は空いた席を見つめたまま。彼の心がまた変わっていく。マリアンは強烈な不安に襲われた。
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