第28話『欲』

 ゴールド国の北部の中心都市・ニースは常に人にあふれている。市場が活況だから、という意味ばかりではない。この街には粗末な宿営所が多い。そこにはこの街が誇る商品・奴隷たちが詰め込まれている。


 今年の夏は長い。太り気味のマケインは首筋に伝う汗を何度も拭い、扇子をせわしなく仰ぐ。ニース城の三階にいる彼の目線は、奴隷たちが住まう宿営地に注がれている。


 その時、商人に鞭打たれる奴隷の姿が見えた。マケインの眉間にしわが寄る。


「おい。ほどほどにしろと、あの商人に伝えよ」


 彼の命令をすぐに兵士が伝えに行く。その足音を聞きながら、彼の視線は再び外へ向く。別に優しいからではない。


(これほど扱いにくい商品は無い)


 脱走、不服従、そして反乱。不満をためた奴隷たちは何をするか分からない。自分たちと同じ姿をした物を、品物として調達・管理・販売する。極めて精密な販売システムと繊細な管理体制を構築しなければ、大規模な取引は不可能だ。この見張り用の窓も、ニース家の当主を受け継いだ時、この屋敷に増設した。彼の覚悟の表れだ。先祖代々続くこの商売に、彼は誇りを感じる。


 彼自身の努力のかいもあって、売り上げは過去最高を達成した時期もあった。しかし最近は減少傾向にある。


 ダヴィが原因だ。


(奴隷解放令だと? 馬鹿め! 社会の混乱の元だ)


 奴隷販売を原則禁止して、現在保有している奴隷は順次クリア国政府が買い上げる。そして直轄する鉱山や大規模手工業で雇用する。この背景には人口増大による生産労働力の囲い込みの必要性が薄くなったことや、貨幣経済の浸透による農村身分制の崩壊・賃金労働制の確立などが挙げられる。ともあれ、その政策のためにマケインたち奴隷商人は排除された。クリア国の領土拡張により、ますます商業圏は失われつつある。


彼は憤る。


「鉱山労働力が欲しいと言いながら約束を反故にして私を騙すとは……今に見ておれ、ソイル国に蹂躙させてやる……」


 と大きな呟きを吐きつつ、彼は窓の外を観察し続ける。うっぷん晴らしに、奴隷の調練に出かける日も増えた。


 その時、城外から黒い粒が近づいてくるのが見えた。段々と大きくなってくると、兵士と車列のようだ。商人の隊列にしては規模が大きい。マケインが目を凝らして注視していると、この部屋に兵士が飛び込んできた。


「マケイン様! クリア国からの使者です」


「なに?」


 城門へ走ると、そこには何両もの馬車を従えた騎士たちがいた。クリア国の国旗が掲げられている。騎士は馬から降りると、マケインに深々とお辞儀する。


「遅くなりまして申し訳ございません。我が主、ダヴィ王からの契約金です」


「契約金?」


「一度お会いした際にお約束したご契約の件です」


 マケインは思い出す。ダヴィに会った時、ジョムニたちから奴隷売買の交渉をされた。破格の条件だったので小躍りしたが、あれも自分を騙してリバールを建設する策略だったと思っていた。だが、今になって履行してくるとは……。


 騎士は馬車の荷台の包みを解いた。大量の硬貨が積まれている。太陽の光を浴びて下品なまでに輝く。


「お確かめください。商品は後日のお渡しで結構です。そのように陛下から伝えるようにと指示を受けております」


「待て! どういうつもりだ?」


「そのようにおっしゃられても、我々は指示を受けただけで……ともかく、お渡ししましたぞ」


 と言って騎士たちはさっさと騎乗して去ってしまった。あとに残された大量の金銭。マケインの部下が確認して、全ての馬車に本物の硬貨が積まれていることを報告した。この量だと、マケインが聞いていた金額よりも多い。


「どうしますか?」


 マケインは考える。運び手は去ってしまった。これをクリア国まで運搬するのは危険で手間がかかる。


 そもそもこの代金の意味は何か? クリア国が今更自分に修好を求める理由は? 考えられるとすれば、マケインの背後にいるソイル国か。ソイル国と手を切れと伝えてきているのか。ダヴィがソイル国を恐れているならありうる。


(……良いのではないか)


 とマケインの本能が囁く。自分は騙されたのだ。ゴールド国内での評価は下がり、国王からの信頼も薄れている気がする。このくらいの対価を得ても、聖女様は許してくれるだろう。


 それに奴らがソイル国を脅威と感じるなら、それを利用するべきだ。クリア国とソイル国を天秤にかけて、一儲けしてやろう。


 商人として生き抜いてきたマケインは舌なめずりする。多額の金銭を前に、胸内の欲望がむくむくと膨れ上がる。自然と口が開いて指示を出す。


「この金を城へ運び込め」


 この瞬間、彼の命運は尽きる。大量の金銭の対価は、彼自身の命だった。


 ――*――


 ダヴィはリバールにいる。ジョムニたち首脳陣も一緒にいて、ゴールド国への工作活動を推し進めていた。


 一方でルフェーブはゴールド国に近いミラノスで政務をこなしていた。新しく編入された領地の宗教組織を改編するために努めている。国柄だろうか、商売気が多い宗教家が多い。中には祈祷よりも販売用の薬や酒類の生産に時間をかける司祭もいる。その組織の色を白く戻して、本来の正円教の清廉な姿へ変えることが彼の責務である。


 ルフェーブは机に向かい、何度も筆を止めて考える。今やクリア国の宗教政策を一手に引き受ける彼の責任は重い。特に占領後の人心安定には欠かせない重要施策だ。一歩間違えれば反乱を引き起こしかねない。


「ふう……」


 日陰とはいえ、彼の細やかな肌がうっすらと汗ばむ。墨が湿気でにじむ。何枚も何枚も紙を反故にする。大きく息をつく。


 このゴールド国の征服、修道院の賛同は得られていない。むしろ地方への権力拡大を狙う祭司庁が後押しした。むやみに犠牲が出ることを聖子女も良しとしていないと聞く。彼女個人のダヴィへの信頼だけで承諾しているだけだ。


 彼の仕事はこの教会の不満を封じ込める意味も持つ。国内と占領地両方に配慮しなければならない。文字一つ一つに繊細さが要求される。


 長い髪をかき上げて苦労している最中、部屋の扉がノックされた。


「ルフェーブ様、修道院のカリーナ典女から使者が。緊急です」


「緊急?」


 彼は筆を止めて姿勢を正した。しばらくして使者が入ってくる。聖職者らしく静かな歩行で入ってくるが、汗を拭く余裕はないのだろう。ルフェーブの部下が差し出したタオルを断わり、本題に入る。


「ゴールド国から聖子女様に使者が遣わされると連絡がありました」


「今のタイミングで? いつ頃ですか?」


「それが……もう到着しているかもしれません」


「なんと」


 ルフェーブは絶句する。聖子女様のスケジュールを伺うのだから、下手をすると一年以上前から交渉する必要がある。それを大国であるゴールド国が知らないはずがない。その慣例を無視して強引に会談を求める。無礼にもほどがある。


 ルフェーブも焦る。立ち上がり、部下に指示を出す。


「すぐにダヴィ様に知らせるんだ! 私はミラノスへ戻る!」


 使者を伴って出て行こうとした時、ふと立ち止まる。使者に尋ねる。


「ゴールド国からどなたが来たのか」


 使者は単語のみ発した。


「副王・ハリス=イコン」

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