第27話『ダヴィの脅迫』

 第二次リバール攻防戦が終結してしばらくも経たないうちに、ゴールド王の使者が突然ミラノスに現れた。汗がにじむ盛夏のことである。


 クリア国の人臣の多くは戦争後の人質交換のためと認識したが、そうではない。遣使の目的はダヴィとゴールド王の会談を実現させるためだ。


「どういうことさ?」


 ジャンヌは疑問を口にする。他のメンバーも首を傾げた。まさか降伏ではあるまい。今更会談とは。


 しかし一人だけ自信を顔の皮膚に張り付かせて微笑む人がいた。車いすに乗ったジョムニだ。


「工作した甲斐がありました」


 彼は単に軍隊の指揮の為に、リバールにいたわけではない。第一次リバール攻防戦で大敗した南部三大貴族を調略していた。敗戦で満身創痍になっていた彼らは、徐々に影響力を増すクリア国により、領民に不穏な空気が流れていることを気づいていた。


 その足元の弱体化を根拠に、ジョムニは陰に陽に揺さぶりをかけた。クリア国に支配が移れば税金が安くなる実績の噂を広めて、領民の反抗的態度も煽った。そして三貴族それぞれに“脅迫”を繰り返した。第二次リバール攻防戦でソイル軍の援軍も役に立たなかったことが、彼らの焦燥感を煽り立てた。


 そしてついに領民も領地も投げだして、命一つ拾うために彼らは降伏した。これでゴールド国の四分の一はクリア国に併呑された。


「自分の右足がもがれたら、誰だって驚くでしょう。降伏ではないにしろ、講和を模索するのは当然です」


「会うべきか」


「会ってみても良いでしょう。ゴールド王は賢俊と名高い。私もお会いしてみたいです」


 敵の大将に会うというのにこの余裕。人を飲んでかかるジョムニの様子に、ダヴィは彼らしいと苦笑する。だが、ダヴィも会ってみたい。この状況で会談を申し入れたということは、ある程度柔軟さも見える。かつてのウッド王とは違う。


(トップ同士しか分からない話もあるだろう)


 会談の場はゴールド国だった場所、今はクリア国の支配下にあるリーバル近郊の野外と定められた。両軍の兵士が到着し、会談場所を設営する。戦争中の相手だ。お互いに小細工していないか目を光らせて物を運ぶ。


 そして北と西からそれぞれ数台の馬車が到着した。クリア国の旗を掲げた方の扉が開く。金の耳輪が下りるときに輝いた。


「ちょうど良い頃合いだ」


 とダヴィが空を見上げて呟く。大きな入道雲は遠く去り、煌々と日光が降り注ぐ。服の下に汗が伝うが、南からの風が肌を乾かす。晴れやかな会談になりそうだ。


 テントが張られている。ダヴィがその入り口に近づくと、もう一つの馬車から長身の男が出てきた。テントの前にやってくる。


「クリア王ですな」


 黒髪に細身の顔。見覚えがある。


(マセノに似ている)


 違うのは目元や口周りの皺か。マセノとそっくりの目は、息子よりも深い色をしている。経験で培った知性が皺すら魅力的に見せる。さすがは一国の王たるや、と感じた。


 ダヴィが感心する一方で、ゴールド王は戸惑っていた。


(見えぬ)


 若い。しかし柔和な笑顔は老練ささえ感じる。これからこの戦争の行方を左右する会談を行うというのに、気負った雰囲気はない。感情が読めない。海千山千の貴族たちと渡り合ってきたゴールド王でも見たことがない人種だ。


(これは、手ごわい……)


 彼を小童と評したマケインは一体何を見たのか。目の前の青年に底知れぬ恐ろしさを感じた。


「どうぞ、お入りください」


 さらりと下手に出たダヴィ。ゴールド王はわざとゆっくり首を縦に動かして、胸を張ってテントの中に入るが、ダヴィに操られた気がする。不快さを感じた。


 二人の王たちはテントに入る。設置されていた椅子にダヴィとゴールド王は座り、向かい合った。その後ろにそれぞれの家臣が並び、陣営ごとに綺麗に分かれた。ジョムニとアキレスがダヴィの両隣に並ぶ。


 話の口火を切ろうとした部下を手で制して、ゴールド王は自ら話し出す。


「挨拶は抜きにして、本題から入りたい。正直に言うと、私がここに訪れたことは国内では秘密にしている」


「敵国との交渉に反対する方がいるのですか?」


「交渉に反対する者は少ない。しかし内容が問題だ。先日伝えた通り、この交渉は他言無用にしてもらいたい」


 ゴールド王は発言したジョムニを含めてクリア国一行に睨みを利かす。ダヴィは深く頷いた。


「結構です。ここにいるのは信頼のおける者だけです。秘密は守られるでしょう」


「分かった。それでは単刀直入に言う」


 ゴールド王は一息吸い込むと、自ら噛みしめるように言った。


「西部を割譲する。この条件で和睦してほしい」


「なっ」


 とアキレスが驚く。まさかの提案だ。


(『黄金の七家』の一角が、先祖代々の領土を手放すとは)


 数百年、国境に変化がなかったのには理由がある。金獅子王の遺法への盲目的な崇拝だ。貨幣・言語・組織……そして身分制度。これらが自分たちの地位を守ってきたことを彼らは本能的に知っていた。だからこそ愚直なまでに守り続ける。国境もその一つだ。干渉はしつつも、七大国は国境を大きく変えようとしなかった。


 それをゴールド王は破るという。それも自ら譲渡することで。


「これで我が国の二分の一は貴公のものだ。どうかな」


 と憎しみを微かに感じさせる口調で伝えるゴールド王。ダヴィは無表情のまま。


 沈黙を破ったのは、クリア国の若き軍師の大笑いだった。


「ハハハハハ!」


 奇妙な声の響きに、全員の視線が集まる。ただ一人、ジョムニの意図を察したダヴィだけが苦笑する。


「何がおかしいのかな」


 ゴールド国の側近がたしなめる様に聞いてくる。ジョムニはようやく笑い声を引っ込めて答えた。


「確かに、国の四分の一を割譲するとは、大勇断と言えましょう。しかし、残り二分の一はどうするおつもりですか? ソイル国に渡すのか。またはファルム国の支配下に入るのか」


「どういう意味だ?」


「この会談だけで、国が維持できると考えられていることに、笑ってしまったのですよ」


「なにっ!」


 顔を青ざめさせるゴールド王たち。腰元の剣をつかむ者もいた。その感情の多くは怒りだろうが、動揺もあった。


 非難を加えようとするジョムニや、目を鋭くさせるアキレスを抑えて、ダヴィが諭し始める。


「ゴールド王、時代は変わりました」


 ゆっくりとした口調に、場の空気が緩む。頬を引きつらせるゴールド王に、淡々と語りかけた。


「太古より続いた国の形は変わり、変化を恐れなくなった。例えで申し上げると、規制が緩んだ市場に似ている」


「……つまり?」


「既得権益を享受していた大商人を守るものは無くなり、新興の商人が客の関心をひき始める。新たな商品が出回り、古い知識は役に立たなくなる。その結果どうなるか、市場に精通されているあなたならお分かりでしょう」


「……新陳代謝。大商人の没落……」


 庶民や統治者には素晴らしい事態だろう。これにより市場は活性化されて、経済全体が潤う。しかし大商人にとってはどうか。悪夢の到来に他ならない。


 その大商人が今の自分たちだ。


「陛下の直轄地は東部に集中している。その観点から言えば、西部を切り離すのは戦略として正しいでしょう。商人で言えば、不得意な武具の売買を止めて、得意な穀物取引に集中するようなものでしょうか。しかしながら、今まで規模の大きさで戦ってきた方が採る戦略としてはベストではありません。はっきり言えばジリ貧というもの。武器を扱う新興商人から逃れても、穀物を扱う別の新興商人から狙われるでしょう」


 と講師のように論評するジョムニ。ゴールド王の顔が苦り切る。


「我が提案を断るならまだしも、馬鹿にするとは」


「馬鹿にはしておりません。時勢を説いたまで」


 誰よりも視線の低い位置から、彼の目が鋭さを増す。


「失礼を承知でもう一言述べるなら、降伏なされよ」


「なんだと! ふざけるな!」


 ゴールド国の面々が顔を真っ赤にする。思わず剣を抜いた者もいた。しかし一瞬のうちにアキレスの剣がきらめき、その剣は地面に落ちた。


「静かに」


 ダヴィはこの場を再び静まらせた。すでにこの交渉の主導権は彼の手の内にある。


「ゴールド王。俺は宣言する」


 自分の息子よりも年下の男に睨まれ、ゴールド王の額に汗がにじむ。これほど強い眼光にされされたことはない。時代は変わる。世界は広い。


「俺は世界を統一し、旧時代を終わらせる。世界をリセットする」


「……そのために、我が国を滅ぼすか。侵略者の言い分だ」


「全てを“クリア”にする。そのためには何でもやる。降伏せよ、ゴールド王。今なら犠牲は少ない。国の四分の一だけで満足するほど、俺は欲無き聖人ではないぞ」


 ゴールド王は毅然と立った。テントの出口に向かう途中、振り向いて、まだ座るダヴィを見下す。


「戦場で会おう」


 優雅に、しかし速足で去る。東へ帰っていく馬車の音をテントの中で聞きつつ、ダヴィはふうと息をつく。


「話は通じる。頭の回転も速い。しかし、それだけだ」


「ただ、無駄な会談ではありませんでした。『ソイル国』、『ファルム国』と聞いた瞬間、彼の頬に苦みが走りました。オリアナ様の諜報によればその二国に頼ろうとする家臣も増えていると。その動きを止めたい。それがこの会談の狙いだったのでしょう」


 他国に頼る。つまり自国の王権を蔑ろにする行為に他ならない。ゴールド王の苦悩が分かる。ジョムニは微かな笑みを浮かべる。


「ソイル国に近づいているのは、あのマケイン殿らしいです」


「ほう」


「我が国へ憎しみ厚し、と見えますね」


 騙しぬいたといえども、罪悪感は無い。ダヴィたちはもはや純真な若造ではないのだ。


「その二国の動き、止める必要があるな。特に先の戦いで援軍を送ったソイル国」


ダヴィは悪びれもせずに呟く。オッドアイが細くなる。


「それなら、マケイン殿にはもう一働きしてもらおうか」

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