第26話『マセノという男』

 お前は特別だから。その言葉で全て片付けられた。一国の王子。しかも長男。生まれながらにして周囲に敬われた。


 側室とはいえ、母の評判も良かった。慈善活動を積極的に行い、奴隷や異教徒の保護にも取り組んだ。奴隷商売を営むマケインたちからは疎ましく思われていたが、国民からの信頼は厚い。父の国王への評価も高い。恵まれすぎている。


 そして、評価を積み重ねるように、彼自身も優秀だった。特に軍事面ではたぐいまれなる才覚を見せ、海賊討伐やソイル国の遊牧民撃退で活躍した。周囲の期待は高まるばかりだった。


 自分もこれでいいと思っていた。順当にこの国を治めることになり、立派な国王になるのだと。何の不満も持たなかった。


 ところが、母が殺されかけた。血迷った異教徒の一人が毒の付いたナイフで斬りつけた。一命はとりとめたが、ベッドから起き上がれない体になってしまった。この事件に自分も、国民全員が激怒した。マケインたち貴族の煽りもあって、異教徒迫害の動きが急加速した。


 無論、自分も怒りを感じた。異教徒狩りに参加しようとした。だが、母がとどめた。病床から、青白い顔で説教する。


『弱き者に与えるのは愛情です。暴力ではありません』


 母は死ぬまで立派だった。母の教えと憎しみがせめぎ合う。


 その答えを見つけるために、彼は旅に出た。


 ――*――


「ふう…………さあ、来い!」


 マセノが叫ぶ。剣を持ち、荒い息で闘志をみなぎらせる。輪になって囲む甲冑姿の男たちを誘った。彼の周りにはすでに倒された男たちが伏せていた。


 ミラノスに戻ってきた彼らが始めたのは、決闘だった。マセノと部下千人が戦う。


「ほら! どうした!」


 たった一人の敵相手に、千人の兵士が怖気づく。最初は戸惑いの方が大きかった。マセノが決闘だと言いだした時、吹き出した人もいた。


 だが、マセノが腕利きの十人、二十人と軽々倒していくのを見て、彼らの気持ちは変わった。まるで夢を見ているかのように、マセノの細い剣先が男たちの剣を跳ね上げる。腕の痺れに戸惑う間に、首筋に冷たいものを感じる。見上げると、剣を向けたマセノの微笑みが見えた。


 今まで軽蔑していたボスはこんなに強かったのか。


「怖いのか、異教徒ども! 貴様らの神が泣くぞ!」


 その声に反応しないわけにいかない。自信たっぷりに手を上げる者はいない。一人ずつ兵士たちが真剣な表情で名乗りを上げる。


 幾たびも剣戟の音が響く。その度に立っているのはマセノだけだ。黒髪をたなびかせ、長い足で男たちの前に屹立する。


 しかしさすがの彼も五十人を超えて相手にすると、疲れてきた。荒い息を出して、思わず膝に手を当てて前かがみになる。それでも決闘には勝つ。彼の気迫が空気を支配する。ついに男たちは一歩も動けなくなった。


「この……来いよ……!」


 その時、男たちの列が割れた。大股で駆け寄ってくる。


「マセノ!」


 ダヴィが呼びながら走ってきた。耳飾りを光らせて近づく。そして剣を握り続けるマセノの前に立った。彼の真剣な表情を見て、一転して優しく語りかける。


「何をしているんだ」


 マセノは唇を噛んだ。そして滴る汗をぬぐい、震える手から剣を取り落とす。ダヴィに言い訳する。


「僕は……こいつらが憎い!」


 そして彼は地面に膝をついた。ダヴィから顔をそむけて視線を下げる。長い前髪を垂らしながら、自分の内なる怒りを吐露する。


「母上の慈愛に仇で返し、死を招いた異教徒が憎い! 分かっているんだ。犯人はあの個人だけだ。それでも、自分の目にこびりついた色が抜けない。彼らを見るたびに、そのフィルターが僕の感情を捻じ曲げる!」


 マセノの部下たちはお互いに顔を見合わせた。いつもすまし顔のボスの真情に驚いたのもある。それ以上に彼の自白は、自分たちにも強く当てはまった。多くの人が俯く。異教徒である彼らも正教徒に無条件の憎しみを抱く。その理不尽さを指摘されて、罪悪感に似た感情が呼び起こされる。


 ダヴィはゆっくり頷いた。マセノの肩に優しく手を乗せる。


「誰もが抱く感情だ。俺の中にも無いとは言えない」


 彼は偶然ジャンヌと親しくなり、異教徒への共感を得ることが出来た。それが無ければ、彼と同じように異教徒へ、はなから悪感情を抱くだろう。


 でもマセノは涙をこぼしながら言う。


「あなたは違う。僕とは違う! 皆を愛し、皆に愛される……」


「それは間違いだ、マセノ。俺は完璧じゃない」


 ダヴィは周りを見た。そして先頭にいた兵士たちを指さす。


「ヨハンは大食漢で他の人の食事に手を出す悪い癖があるが、戦場では先頭に立って進んでくれる勇気あるやつだ。ラフターは寡黙で何を考えているか分からない時がある。でも仲間のミスを黙ってカバーしてくれるところがある。その隣のゼノンは寝相が悪くてベッドからいつも転げ落ちているが、文字が少し読めて仲間を助けている」


 名前を呼ばれた彼らは驚いた。王が自分たちのことを知っている。せいぜい数回しか話したことがないのに。


 マセノも涙を止めて顔を上げた。自分の部下を、自分よりもよく知っている。ダヴィは再び彼の肩を叩いた。


「好きになる努力をしなければ、人を勝手に好きにはなれない。最初に抱いた偏見に支配され続けるだけだ」


「好きになる努力……」


「人を見るんだ、マセノ。彼ら一人一人の個性を探そう。異教徒全体を好きになれとは言わない。でも、異教徒の中の一人を好きになることは可能だ。俺はその努力を続けてきた」


「…………」


 ダヴィは周囲を見渡して、大声で言った。


「君たちはマセノのことを知っているか! 飄々としていてプライドが高そうだけど、いつも一人で悩んでいる彼の心を知っているのか!」


 兵士たちは何も言わない。少し視線を下げたところに、彼らの真情が浮かぶ。ダヴィは続けた。


「敵に勝つために、マセノと君たちを組ませた。敵と戦う前に、味方を知るんだ! その上で嫌いなら仕方ない。でも、歩み寄る一歩も踏み出さずに憎しみ合うのは間違っている!」


 正論だ。しかもダヴィはそれを実践している。マセノは彼の背中を見た。自分よりだいぶ小柄なはずの彼が、とてつもなく巨大な存在に見える。


「ダヴィ様……」


「マセノ、少しずつ進もう。俺たちは変われるんだ」


 母のことを思いだした。マセノは地面に膝を付いて、さめざめと泣く。


「愛情……そうでした、母上……」


 まだ答えはつかんでいない。でもヒントは得た。ダヴィに見守られて、マセノと兵士たちは未来へと歩み出すのだった。

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