第31話『ファルム王の凋落』

 ファルム王・ルドルフ7世は膝から崩れ落ちた。すぐさま側近たちが助ける。


「陛下! 陛下!」


「お気を確かに!」


「う、うそだ。そんなことが……」


 ファルム軍の大敗北。そしてヨハンの死。自分の唯一無二の右腕の男を失い、気力が消えた。地面に手を付き、頭に乗っていた王冠が転げ落ちる。王宮の鏡のように磨かれた石畳が、カランと乾いた音を鳴らした。


 驚きのあまり、涙も出ない。口の端からよだれが髭を伝って垂れていることにも気づかない。焦点を失った視点が当てなくさまよう。


 王は悲鳴を上げたかった。幼子のように見苦しく泣けば、この悪夢が覚めてくれるのではないだろうか。


 そんなことまで思ったが、側近たちは許さず、両腕を抱えて立たせる。そしてその中の一人が耳打ちした。


「オイゲン=セルクス様がご帰還されています。どうか、お会いください」


 ファルム王はかすかに頷いた。


 謁見の間に向かうと、そこにはオイゲンがひざまずいて待っていた。重臣たちも立ち並んでいたが、彼の姿を見て驚く。


「まるで幽鬼だな」


 鎧は半分剥がれ落ち、下に着ていた衣服は焼け焦げた跡が見える。跪いた姿勢に耐えられず、時折傾く身体からは、極度の疲労が感じられた。顔を伏せている様子も、周りに不気味さを感じさせる。


 ファルム王は王座に座った。それを感じ、オイゲンはやっと顔を上げる。


 父とよく似たオイゲンの顔が、ファルム王の目に映った。


「此度の敗北、誠に申し訳ございません……」


 深々と頭を下げる。ファルム王は口をパクパクと動かし、しばらくしてやっと、尋ねたいことを決めた。それは周りの重臣たちも一番聞きたいことだった。


「なぜ、我が軍は敗れたのだ……?」


 オイゲンは時系列順に語り始めた。ファルム軍が行った見事な上陸戦、そしてドーナ川東での2日間の戦いの末の勝利と、自分たちの武勲を誇る。ところが、追撃戦にて罠にはまり、ファルム軍は全滅した。オイゲンは涙を流す。


「敵は卑怯! 卑劣にも! 平野で正々堂々と戦わず、我らを家畜のように殺したのです!」


 城に閉じ込められて、炎と矢の嵐で壊滅していく。オイゲンはその光景を生々しく、憎しみを込めて語る。その間、周囲の重臣たちからも悲鳴や怒りの声がもれていた。


 しかしながら、ファルム王の心は違う。彼が感じたのは、悲しみだ。


(ヨハンはやはり死んだのだな)


「陛下! 我々は敗北しました。しかし平野では負けておりません! どうか、復讐の機会を」


「復讐?」


 ファルム王はハッと夢から醒めたように目を開く。そうだ。次のことを考えなければならない。それが王の責務だ。


 オイゲンは目の奥に黒い炎を燃え上がらせ、もう一度進言する。


「ファルム国全体を挙げて、殺された勇敢な兵士たちの仇を討ちましょう。ダヴィを八つ裂きにするのです! この伝統と歴史ある国が全力を出せば、ダヴィなど木っ端みじんに出来ます! どうか、父のためにも!」


「おお……!」


 ファルム王は立ち上がる。目に力が戻ってきた。自分の死んだ友のために、今一番出来ることはそれしかない。王は口を大きく開き、高らかに宣言しようとする。


「よし! 国中の兵士を集めよ! そして……」


「陛下。少々お待ちください」


 突然、重臣たちが王に近づいてきた。何事かと思い、王は後ずさる。顔に渋い皺を作った重臣たちが進言する。


「重要な事項です。ここは会議室で討議しましょう」


「む……」


「オイゲン=セルクス殿。そなたは疲れておる。帰って休むといい」


 と言って、重臣たちは犬を追い払うように手を振った。そしてファルム王を取り囲んで謁見の間から出て行った。


 オイゲンは呆然と見送るしかなかった。


 ――*――


「陛下。復讐は無益です」


 会議室の上座に座らされた王に、重臣たちが言う。彼らは立っている。王を見下す彼らの視線には、威圧的なものを感じる。


 ファルム王はそれをはねのけるつもりで、強く言う。


「なぜだ! 死した臣民の仇を取るのは我が役割である!」


「それはあまりにも短期的なお考えです。この国の未来を長期的にお考え下さい」


「国を挙げて攻めるのは、国を空にすることと同義です。周辺諸国や異教徒に攻められたらいかがなさいますか」


「死んだとはいえ、陛下の弟のレオポルトの残党はまだ潜んでいます。彼らに隙を与えてはいけません」


 重臣たちの思惑は別にある。ヨハン=セルクスという誰もが認める当代屈指の名将が敗れたのだ。次の軍隊を王自ら率いるとしても、実際に指揮をするのはここにいる重臣たち。ヨハンでさえ負けた相手に、勝つ自信を誰も持っていなかった。


 さらに、重臣の一人が本音をポロリと言う。


「ダヴィの国を獲っても、利益は少ないでしょう」


 それは誤りである。ファルム国とファルム王にとっては利益は少なくない。ダヴィを追討し、教皇を復位させれば、否応にも彼の名声は上がる。正円教の正統なる保護者として、権威は上がるだろう。


 ところが、部下にとってはそうでもない。ダヴィの国を滅ぼしても、その領土の多くは教皇領となるだろう。ファルム国の貴族にとっては、自分の兵士を無駄に損じて、得られるのはわずかな名誉だけだ。それでは割に合わない。


 さらに言えば、重臣たちが教皇の誘惑に心ひかれたのは、ダヴィに簡単に勝てると信じていたからだった。その夢から覚めて、慌てて現実を見つめる。ファルム国中に一気に厭戦気分が広がっていた。


 重臣たちは口々にいさめる。


「『金獅子王の角』の失い、多くの勇敢な兵士を失いました。これ以上の戦闘を避けて、兵力回復をまずは図るべきです」


「ダヴィに奪われた五つの城は、いずれもドーナ川の東です。元々治めづらい領土でした。これらを失ったところで、国全体の力は全く衰えません」


「そもそも新たな聖子女を立てることに無理があったのでしょう。民衆の間でも疑問の声が出ています。それが兵士の士気に影響しました。これ以上の戦闘はその疑念を膨らませることに繋がります」


 ファルム王は押された。徐々に目の光は失い、ただの初老の男に成り下がっていく。


 そして重臣の一人が念を押す。


「ここは苦汁を飲んでも講和するべきです。宜しいですね」


 ファルム王は弱々しく頷いた。


 ――*――


 この瞬間、ファルム王・ルドルフ7世の権威の失墜が始まった。後世の歴史家は解説する。


『ルドルフ7世の権威は、馬車のごとく、二つの車輪で成り立っていた。一つがヨハン=セルクスが率いる「金獅子王の角」を始めとした精鋭騎士団。もう一つが正円教の権威である。その二つの車輪が巧みに回転し、ルドルフ7世の治世の中盤は迷うことなく直進していた。ファルム国の最盛期と呼んでも良い繁栄を成し遂げたのだ』


 ところが、ダヴィとの戦いで様相は変わった。そして講和でその繁栄は崩れ去った。


 講和の内容は以下のとおりである。


「①ファルム王はミラノスにいる聖子女を正統と認め、その他の聖子女を騙る異端者とそれに与する者を処すること。その方法はファルム王に任せる。

 ②ファルム王はダヴィ=イスルを自身と同格の王と認め、さらにダヴィ=イスルの旧クロス国と教皇領の領有を認めること。その上で両国は同盟を結ぶ。

 ③ファルム王はドーナ川東の五つの城(ダヴィが占領している城)をダヴィ=イスルに割譲すること」


 これにより、ファルム王は教皇と手を切ることになる。本当は教皇の処刑まで踏み込みたかったが、ジョムニは大満足だった。


「総力戦になれば、どうせ勝てません。それにドーナ川を越えて攻め込むのは、現在の戦力では無理があります。我々としては、このくらいがちょうどいいのです」


 さらにジョムニはこう予言した。


「この講和でファルム王の権力は地に落ちて行きます。セルクス公に抑えられていた貴族たちが牙をむき、ファルム国は乱れます。それを待って攻めるのもいいでしょう」


 歴史家も同じ意見だ。この歴史的事件をこう締めくくっている。


『ルドルフ7世は車輪の一つをダヴィに切り取られた。そして自ら、もう一つの車輪をもいだ。彼の馬車はこうして動かなくなった。後は、甘い匂いに誘われた蟻どもに喰われるだけ。だが、実際のところ、彼を食べようとやって来たのは、蟻どころの話ではなかった。もっとがやって来たのだ』

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