第9話『ハリスの恋』

 金歴553年中春。ウッド国滅亡の直前という大事な時期に、ダヴィはジョムニらに戦場を任せて、再びミラノス城に戻ってきていた。


 ハリスを迎えるためだ。


 ところが、ミラノス城に着いたハリスたちは、直接聖子女に面会を求めた。ダヴィはルフェーブと一緒に、聖子女の側近・カリーナ典女に会った。


「よく面会を許されましたな」


 とルフェーブが眼鏡を光らせて尋ねると、カリーナは首を振ってため息をつく。彼女のオーブが力なく揺れた。


「ダヴィ殿、ルフェーブ殿。聖下や私どもは喜んでハリスを迎えるわけではありません。ファルム王からの平身低頭とした書状がありましたゆえ」


 ハリスが来訪する前、ファルム王から『我が王冠と聖女様への信仰心にかけて、“ゼロの生まれ変わり”であるハリスを我が代理として、聖下のえつを賜りたく存じます』などと、長々とつづられた書面が届いた。その内容は、ダヴィたちも知っている。


「カリーナ殿、我々はそれを責めているわけではありません。あの気位の高いファルム王が腰を低くして、さらに『王の代理』という立場を取れば、聖下も許さざるを得ないでしょう」


「そのようにダヴィ殿におっしゃって頂けると、心安らかになります。しかし、何故ダヴィ殿ではなく、聖下に直接面談されるのでしょうか」


 その答えは、ルフェーブが出した。


「聖下に面会を許された『罪なき者』という証が欲しかったのでしょう。最初にダヴィ様と会ってしまうと、逮捕されることを懸念したのです。聖下は『罪ある者』には面会されません。それゆえ、面会自体が免罪符となると、考えたとみます」


「しかしながら、そちらには何も連絡すら無かったと聞きます。それでは余りにも無礼」


「…………」


 聖子女に会うためとはいえ、彼らはダヴィの領地を横断し、ダヴィの本拠地であるミラノス城に来るのである。それを一言も無しに、兵士を伴って進むのは、無礼を通り越して、正気を疑う。その点はダヴィもムッとしたが、冷静さを保つ。


「これもハリスの策略かもしれません。我々が怒って彼を襲撃すれば、『聖下の客に手を出した』と触れ回って、こちらを非難するでしょう」


「そこまでハリスは考えているのですか……以前、この城の前で暴挙を働いた者と同一人物とは思えません」


「彼には有能な仲間がついたと聞いています。その者たちが画策したのかもしれません。ともかく――」


 ダヴィはオッドアイを光らせ、カリーナに強い言葉で助言する。


「聖下の護衛はお頼みします。我々も念のため、ミラノス城に兵を集めます」


「分かっております。ハリスの挙動には目を光らせましょう」


 ――*――


 ミラノス城の街の一角に建てられた大聖堂で、聖子女とハリスの面会は行われた。いつもは祈りを捧げる大広間で、距離を離しての面談となった。椅子は片付けられ、がらんどうになった広間に、多くの聖職者と兵士たちが並ぶ。その中に、ルフェーブの姿もあった。


 一番奥の一段高いところに聖子女が座り、その姿を覆うように御簾みすがかけられる。そしてその隣にはカリーナが立っている。彼女たちの後ろには、礼拝用の大きな聖女像が立っていた。


 その万全を期して警戒する中で、ハリスたちは現れた。帯剣しない紺色の礼服を着て、震えようとする膝をなんとか抑えながら、ゆっくりと聖堂に入ってきた。彼の後ろにはマリアンとファルム国の騎士が帯同する。


 彼の姿を見た途端、どよめきが巻き起こる。


碧眼へきがんだ……」


 短い金髪と、他を圧倒する高い背丈。それ以上に、彼の青い瞳が、聖堂内全員の度肝を抜いた。伝説上の光景に、カリーナも驚きの声を上げる。


「聖下、瞳が青いです!」


「…………」


 目が見えない聖子女は反応しなかった。


 やがて、ハリスたち三人は、聖子女の前で片膝をついた。そして頭を下げる。カリーナは驚きの感情をしまって、咳ばらいを一つした。


「さて、ハリス=イコンとやら。聖下に面会を求められたのは何故か」


「その前に、一つ」


 ハリスの後ろにいたマリアンが顔を上げる。彼女は礼儀作法を無視して、聖子女に求める。


「ハリス様はファルム王の代理人です。ファルム王と同じ対応をして頂きたい」


「なに……」


御簾みすをお上げくださいまし」


 聖子女を直視できるのは、聖職者以外では、各国の王のみである。この場合、ハリスは単なる使者であるから、顔を隠して御簾みすを下ろしたが、マリアンはその対応を非難した。


 カリーナは眉間にしわを寄せた。だが、聖子女が声をかける。


御簾みすを上げ申せ」


「しかし」


「よい」


 聖子女の言いつけ通り、御簾がゆっくりと上げられる。銀色の髪と、ゆったりとした白い衣服に包まれた華奢きゃしゃな身体が現れる。その姿を確認して、マリアンは内心ほくそ笑んだ。これでハリスの威光はより強まる。


 ところが、この光景は全く別の効果をもたらした。いつの間にか顔を上げたハリスが、口端に感想をもらす。


「美しい……」


「え?」


「これで良いですか」


 といら立つカリーナに声をかけられ、マリアンは頭を下げて同意する。しかしハリスは顔を上げて、聖子女を直視したままだ。


 カリーナはハリスの無作法に目をつむり、話を進める。


「それで、最初の質問に戻りますが、聖下に何を求められるのか」


「ハリス様」


 とマリアンにうながされ、ハリスはたどたどしく言った。


「お、おれは“ゼロの生まれ変わり”だ。それを聖子女様に認めてもらいたい!」


「それは……」


 カリーナは絶句した。聖子女にここまでストレートに要求した者は、過去いなかった。お恵みを乞うことはあったかもしれないが、それでも聖女の化身である聖子女に、何かをしてもらうことがいかに畏れ多いことか、この男は知っているのだろうか。


 聖子女は沈黙を保つ。聖堂内の人々はどよめく。ハリスは耐えきれず、再び求めた。


「なあ、分かるだろう。俺の目が何よりの証拠だ。俺は選ばれし者なんだ!」


「お控えなさい!」


 こらえかねて、カリーナが叱責した。だがその時、聖子女が立ち上がる。


「おお……」


 ハリスは感嘆の声を漏らす。巨大な聖女像の前に立つ、ステンドグラスからこぼれる光に照らされた銀色の彼女は、名画と思える神々しさを演出していた。聖堂が静まり返る。


 カリーナがおろおろとする中で、聖子女は目の前にいるであろうハリスに声をかける。


「余は目が見えぬ」


 春とは思えぬ冷え切った神聖なこの場所で、彼女の声がピンと糸を張るように聞こえる。誰しもが耳をそばだてた。彼女は言い重ねる。


「そなたが青い目をしてようとも、余には分からぬ」


「そ、それは」


「お黙りなさい」


 カリーナがハリスを黙らせる。聖子女は彼をさとすように、ゆっくりと言った。


「もしそなたがゼロの生まれ変わりと認められたいのであれば、その見た目以外で知らしめよ。余の耳に評判を届かせ、余の肌身に人々の歓喜を響かせよ。さすれば、余は勿論のこと、世界がそなたをゼロの生まれ変わりと認める」


 それだけ言うと、聖子女はカリーナに手を伸ばした。カリーナがその手を掴み、右端の聖堂の出口へと向かう。


「待ってくれ!」


 ハリスの言葉は遠く、聖子女たちはその場を去った。その後ろ姿を、ハリスたちは呆然と見送り、立ち並ぶ聖職者たちや兵士たちは畏敬を示してお辞儀をした。


 こうしてハリスと聖子女との会談は、あっという間に終了した。


 ――*――


 宿舎に戻ってきたハリスたちを、トーマスが出迎えた。鼻の無い彼は、自分の姿が衆目にさらされることを嫌って、同行しなかった。


「いかがでしたか、聖子女様との面会は」


「上々ですわ」


 とマリアンは断言する。肩にかかる茶色い髪の束を撫でて、彼女は笑みをこぼす。トーマスは頷いた。彼女たちはそもそも、聖子女にハリスが『ゼロの生まれ変わり』と認められるとは思わなかった。聖子女とはまだ初対面なのだ。そこまでの僥倖は元から望んでいない。


 今回の目的としては、聖子女と面談して、その事実をハリスの免罪符とすること。そして聖子女以外のメンバーに、ハリスが本当に青い目をしていると認識させること。それは達せられた。


 マリアンはハリスに進言する。


「ハリス様、今回はこのくらいでいいでしょう。後は他の騎士たちに任せて、私たちは帰国しましょう」


「いや、ダメだ」


 ハリスの強い語気に、マリアンとトーマスは驚く。


 彼の青い目には、聖子女の輝く姿しか映っていなかった。銀色の髪と透き通るような白い肌。そして高貴な身分。その全てが彼の好みに合っていた。


 ハリスは聖子女に一目ぼれした。しかし聖子女は彼に目もくれない。どうしたらいいのか。


「……なあ、マリアン。確か聖子女様はダヴィと仲が良かったと聞いたけど」


「ええ。そうですが……」


「それなら」


 彼の頭脳がフル回転する。なんとか聖子女と仲良くなりたい。その一心が、彼に行動させる。


 ハリスは決断した。


「ダヴィと会う。そして聖子女様との仲を取り持ってもらおう」

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