第10話『ロミーの隠れた期待』

 シャルルがダヴィを勧誘した日から数日後、サーカス団の状況は変わっていない。ダヴィは夜間、シャルルの屋敷に向かうが、朝には戻ってくる。変化のない光景がサーカス団の中に広がっている。


 変わったことといえば、ダヴィは一冊本を抱えて戻ってきて、それを稽古や公演の合間に読み込んでいた。そして数日も経てば、他の本を抱えている。


 寝る間も惜しんで読む姿に、大人たちは稽古しろとからかい、ビンスら子供たちはやっかむ。しかしロミーに強く言われているので、それ以上のことはダヴィにしなかった。


 真剣。必死。そんな彼を邪魔できる者はいない。


 公演も順調にこなしていく日々の早朝、帳簿ちょうぼをつけているロミーがいるテントに、ミケロがやってきた。


「団長、ダヴィのことですが」


「ちゃんと戻ってきたかい」


「ええ。ただ、大分疲れている様子で」


 十歳の子供が寝る時間を削って、稽古と公演の後に勉強する。疲れないわけがない。大人でもしんどい。


 しかしミケロは他のことを気にしていた。


「何度聞いても、ダヴィはシャルル王子の屋敷での話はしないのです。もしかしたらひどい扱いをされているのかと」


「それはないと思うけどね。毎日のやる仕事が増えて戸惑っているだけさ」


 ロミーは帳簿から目を上げずに答えた。頭に巻いたスカーフからこぼれた黒髪が頬に垂れている。ぶつくさと呟くたびに、赤い唇が動く。そして細長い指が筆ペンを動かす。


(やはり、綺麗だ)


 とミケロは感じた。普段はガサツなサーカス団の連中を強引にまとめ上げる姿勢や言動に隠れているが、彼女はミケロよりもずっと年下の、なのだ。そして公演に出れば、サーカス団のトリを務める歌姫である。トリシャを始め、サーカス団の数少ない女性陣は勿論のこと、ミケロたち男性陣も全員、彼女にあこがれていた。


 それだけに、その魅力を舞台上でしか見せない彼女に、ミケロはもどかしささえ感じていた。


 不意にロミーが目を上げて、ミケロににやりと笑みを向ける。


「なんだい、ずっと私を見つめちゃって。そんなに見ていても、給料は増えないよ」


「そういうことではないのですが……団長」


 この際だ。そうミケロは思って、ここ数日抱いていた疑問をぶつけてみる。


「どうしてダヴィを預けたのですか」


 サーカス団にとって、団員を外に出すことは戦力減に他ならない。それを団長・ロミーが良しとした理由が分からない。


 ふむ、と一拍おいて、彼女は説明を始めた。


「元々王子様からの頼みだったから、断れなかったというのもある。だけど、わざわざダヴィに勉強の機会を与えてくれるし、いい条件だと思ったからだね」


「もしかして団長はダヴィがいらなかったのですか? だから口減らしに」


「馬鹿なこと言うんじゃないよ! ここは託児所じゃないんだ。いらなければ、すぐにでも追い出すさ」


 それもそうだ、と納得するも、ミケロが首をかしげる。やはり、ダヴィを預けたロミーの意図が分からない。そんな彼に、今度はロミーが質問した。


「なあ、ミケロ。お前はダヴィのことをどうなると思う」


「どうなる、とは?」


「どういう大人に成長するか、ということだよ」


 ミケロは口をへの字に曲げる。正直、ダヴィの芸の才能は乏しい。サーカス団に所属してまだ二年とはいえ、毎日練習しているのに、いまだに馬の背に立てない。ダヴィより年少の子は二回に一回は成功し、他の馬曲芸の大人たちも十歳になる前にマスターしていた。最初に出遅れてしまうと、よほどの努力をしない限り一流にはなれない。


 ミケロは馬曲芸の指導役と、ダヴィの他の芸への転向すら相談していた。しかし彼は思う。


「ダヴィは真面目ですが、ひどく不器用です。どの芸をやらせても、大成は難しいかもしれません」


 ミケロは残酷な評価を下した。ところが、ロミーは違った。


「あたしはね、ダヴィがこのサーカス団を率いていくと思うんだよ」


「はあ?」


 ミケロの強面な表情がゆがむ。ロミーはクスクスと笑いながら、自分の意見を述べ始めた。


「芸はダメだよ。芸人としては一流にはなれない。でもね、ダヴィは人を率いていく力があるとみている」


「人を率いる」


「思いやる、と言い換えてもいい。ダヴィは人の機微を抜群に把握できるよ、私以上に。これに気がついているのは、私の他にはトリシャだけかもしれない」


 だからね、とロミーは遠い目をして言葉をつなぐ。


「将来の団長を育てる武者修行のために、私は送り出したんだよ。外の世界を知っておくことが必ず役に立つ」


「そこまで……」


 その時、テントの外から「ダヴィ、何回転げ落ちれば気が済むんだ!」「ごめんなさい!」と怒鳴り声と謝る声が聞こえた。ロミーとミケロが顔を見合わせて苦笑する。


「まだまだ、団長への道は遠そうだがね」


「全くですな。ここまで期待されているとは、本人が驚くでしょう」


 ところで、とミケロがもう一つの疑念を口にする。


「シャルル王子とはどういう方ですか。長男のヘンリー王子や次男のルイ王子は有名ですが、あの方のことは正直知らなかったです。靴磨きの少年を自ら誘いに来るぐらいですから、よほどの変人であることは分かりますが」


「私もまったく知らなかったよ。ただ、昨年から徐々に名前が出始めた方だ」


「何故有名になったのですか? やはり、あの美貌びぼうですか」


「そうじゃない。あの方は」


 ロミーは苦い顔をして言った。この名声だけが、ダヴィを預けるとなった。


「軍事の若き天才として有名なのさ」

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