第9話『運命の手』

 稽古場を出て、ミケロについていくダヴィ。その後ろからトリシャもついていく。


「トリシャ、お前は呼んでないぞ」


「いいじゃないの。面白そうだし」


「稽古をサボって怒られても、知らないぞ」


 鼻歌交じりでついていくトリシャ。一方で不安を感じていたダヴィは、ぬかるんだ地面をとぼとぼと歩いていく。見つめる先には、ミケロの坊主頭と、筋肉が出張っている大きな背中があった。


(大きいなあ)


 このサーカス団の古株にあたるミケロは、団員一番の力持ちでもあり、皆から頼られる存在だ。生意気盛りのビンスも彼には従う。ライオン使いとしての芸の実力も人気も一流。このサーカス団の副団長としてふさわしいと、全員から認められている。


 ダヴィはこのサーカス団に入ってからの目標は彼だった。魅せられたのは、彼の芸の実力ではない。怪力でもない。ただ一つだけ。


(ミケロみたいに、頼られたい)


 ダヴィは彼が持つ包容力に憧れた。そしてその思いは、彼の人生の大きな柱となっていく。


 ミケロたちが団長のテントに入ると、突然香水の良い香りに包まれた。その匂いのもとに気づき、トリシャは目を見開く。


 そこにいた男は、ミケロと同じぐらいの高身長で、すらっとした体格、そして太陽の光が姿を変えたような透明感の高い金髪をたなびかせていた。茶色が混じる自分の金髪とは違う。まるで


(天使様みたい)


 と思えるほど、美しい姿であった。自分の容姿に自信を持っていたトリシャは、まさか男性に美しいと感じるとは、考えもしなかった。


 ダヴィはこの青年のことを忘れていない。


「この前の……」


「やあ、ダヴィ」


 旧知の仲のように微笑みかける青年に、ダヴィは警戒心を抱いた。団長・ロミーが苦み切った表情をしているのも、それに拍車をかけた。


 トリシャは当然尋ねる。


「この人はだれ?」


「この方はこの国の王子だよ」


「王子?!」


 驚くトリシャに、王子と呼ばれた青年の隣にいたモランが答える。


「この方はウォーター家第三王子、シャルル=ウォーター様である。まったく、ここの子供は挨拶もできないのか」


「いいんだ、モラン。こんにちは、お嬢さん」


 シャルルはトリシャの手をやさしく取り、その甲に軽くキスした。トリシャの顔が真っ赤になる。そんなこと、今までされたことがない。


「あの」


 ダヴィが声を上げた。少し曇った彼の表情に、シャルルはクスクスと笑った。


「いらっしゃった理由は、ぼくを買いたいからですか」


「ほう、やはりシャルル様が目を付けただけのことはありますな。理解が早い」


 とモランが感心した。主君を助けられて事もあり、ダヴィには好意を持っている。

 ダヴィは自分の事情を簡単に説明した。


「ぼくは一度親に売られたんです。商売がうまくいかなかったから」


「ダヴィの父親は貿易商なんだ。その道では有名だったが、一度船が難破しちまってね。その補償金を払えずに、自分の子供を売ったのさ。今では元通り商人として活躍していて、ダヴィを何度も買い戻そうと来たよ。でもね、この子が断るのさ」


「ぼくはもう、売られたくない!」


 奴隷の証として耳たぶの中央に開けられた大きな穴に通された金の輪が、彼の強い語気で大きく震えた。この装飾品は、奴隷であったことを隠すために、ロミーが彼に贈ったものであった。


 ダヴィの悲痛な告白に、シャルルは深く頷く。そして彼に伝える。


「君を買うことは私の意志じゃない。私は奴隷が欲しいのではない。君を部下としてもらいたいのだ」


「この団長から、お前が良しとするのであれば、譲ると言われたのだ。無償でな。さあ、男なら自分の人生の進む道を決めてみろ」


 ロミーとミケロもダヴィの顔を見つめる。多くの大人たちに黙って囲まれているこの状況に、ダヴィは委縮いしゅくしてしまった。


 彼の代わりに応えたのは、隣の姉貴分だった。


「ダメに決まっているでしょ! ダヴィは渡さない!」


 トリシャのその強い語気に、シャルルは目を丸くし、モランは睨みつけた。それでもトリシャはひるまない。


「ダヴィは大事な仲間だもの。急にほしいからサーカス団をやめなさいなんて、勝手すぎるわ!」


「でも、それが彼にとって良いことかもしれないのだよ、お嬢さん」


「トリシャよ。お嬢さんって言わないで。と・に・か・く! ダヴィはあなたのところには行かないの。ここにいる今が、ダヴィにとって一番幸せなはずよ!」


 この前と言っていることが違うと、ダヴィは驚きつつも、彼女に同意して頷いた。シャルルは大げさに額に手を置いて、天を仰いだ。


「ああ、それはとても残念だ。君はこのサーカス団を愛しているのだね……」


 彼は一拍おいて、こう提案してきた。


「ならば、このサーカス団から君を“借りる”というのはどうかな?」


「借りる?」


 今まで沈黙していたロミーが声を上げた。シャルルは微笑みを絶やさず言う。


「君たち『虹色の奇跡』がこの国で公演する間は、ダヴィは昼間は練習と公演を行う。夜は私に従事する。そして君たちがこの国以外で公演するときは、私の屋敷に住んで従事する。こういうのはどうかな?」


 ロミーは腕を組んで考えた。現在、ファルム国やクロス家が動乱・不景気に見舞われている中で、大陸西部を営業範囲とする彼らにとって、ウォーター国に留まる期間は多いはず。少なくとも一年のうち半年は、ウォーター国内で公演するはずである。ダヴィがサーカス団に留まる期間も長くなる。


「いいかもしれないね」


「ダメよ! ダヴィはずっといないといけないわ!」


 トリシャがロミーに食ってかかる隣で、シャルルは膝を折り曲げてダヴィの視線に合わせて、彼に問いかける。


「ダヴィ、君にはいきなり役に立てとは言わない。まずは勉強してもらう。私も師事していた先生に教えてもらおう」


「なぜ、僕なんですか? 他にもいっぱいいるのに」


「それはね、俺は君の中にある輝きに魅かれたんだ。でも、君が気にする必要はない。このチャンスを活かすかどうかを考えるべきだ」


「チャンス……」


「君はなぜここにいるか知りたくないかい。この世界の成り立ちを、この時代の奥底を学ぶといい。そして私の役に立つ男になるんだ、ダヴィ」


 このサーカス団に所属して、ダヴィは各地を旅した。その中で、生まれてきた疑問がある。でもこの団体の中に、それに答えてくれる人はいなかった。


 世界を知りたい。純粋な好奇心が、彼の人生を変えた。彼のオッドアイが光る。


「お仕えします。僕はもっと知りたい」


「知識も、力も、得るといい。ダヴィ、よろしく」


 差し出された大きな手を、ダヴィは握り返した。


 ダヴィとシャルル。後に、この国どころか、大陸半分に動乱をもたらすこの二人は、こうして出会い、結び付けられた。


 金歴540年、ダヴィ十歳、シャルル十六歳の時だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る