第36話『最後の交渉』

 晴れやかな空。服をさすって暖をとることが多くなった。小さくなった太陽を見ると、生命力が失われていくようだ。特に城を包囲されている時は。


 閉塞感はだんだんと強まっていた。ゴールド国の首都は戦前の面影はなく、ひっきりなしに訪れていた商人たちも少ない。賑わいは過去のものとなった。


 民衆の中にあった楽観的観測は、ニース公の敗死、そしてソイル国の援助途絶で消え失せた。ゴールド国の貴族は自ら商売をしているため、市井しせいに政治の噂が流れるのも早い。ファルム国からの使者も来ない。世界から隔絶かくぜつされていた。


 この街の中の状況とは対照的に、町の外に駐留するクリア軍は士気が高い。ここには巨大消費軍団である兵士たちを目当てに、大勢の商人や職人が集まる。仮設の城の一角で売り声が響く。この国全体の活気の中心はここに移った。当時のゴールド国の貴族の手記に、以下のように記載されている。『商人は鼻がいい。腐臭を嗅いで、花咲きほこる方へと向かった。……みじめめなものだ』。


 様々な明るい声が聞こえる中で、ひと際威勢の良い声が響く。


「さあさ、ショーがはじまるよー!」


 サーカス団「虹色の奇跡」のパレードだ。ガチャガチャと太鼓や手持ち鐘など鳴り物を鳴らして、ここが戦場とは思えないカラフルな服装を着た集団が歩いていく。ゾウやウマが鳴き声あげて衆目を集める。それにつられて、非番の兵士たちがぞろぞろと後に続く。


 たちまち野外ステージは周囲を大勢の観衆に取り巻かれた。平坦な観客席だが、演者をしっかり見ようと、兵士たちは木箱を積んで上る。


 そのステージの中心で、エースのビンスがピエロ姿で登壇した。無数の拍手が沸き上がり、それが静まりかけたときに、ビンスが口を開く。


「荒くれものの皆様! ようこそ、我々のステージへ! ここでは武器も鎧も必要ありません。必要なのは我々の縁起を見る目と、大笑いする口、そして拍手する手だけです。どうか日々の疲れを忘れて、このひと時をお楽しみください!」


 再び拍手が鳴り響く。このサーカス団の人気ある実力者であり、堂々とした出で立ち。ビンスは初めの挨拶を任されるまでになった。


 その様子を舞台袖で眺めているのは、団長のロミー。この後行う演劇の衣装を着ている。今回は意地悪な姉を演じるが、バラ柄のドレス姿は主人公以上の美しさを感じる。


 ダヴィがその隣に近づいてきた。今日彼は単なる観客である。


「立派になったね」


「なんだい。昔の兄貴分に、上から目線じゃないか」


「雇い主だからね。このくらいは許してほしいな」


 ダヴィは苦笑い。世界の三分の一近くを統治する王になったが、いつまでたっても育ての親には敵わない。身分が変わろうが、尊敬する相手だ。


 ショーが始まった。挨拶をしたビンスが早速玉乗りとナイフのお手玉を軽やかに行う。白塗りの顔に浮かぶ笑顔は、どんな芸の時にも崩れない。激しい芸を見事に決めたときに、観客は「うおおお」と野太い声を上げて興奮する。この声だけ聞けば、ゴールド軍は相手が攻めてきたと勘違いするだろう。兵士たちは戦場の緊張感を忘れて無邪気に喜んでいる。


 ショーがどんどんと盛り上がっていく。ダヴィはふと気が付いた。


「ジョイとフイはどうしたの?」


 彼が言った二人とは馬乗り芸人の少年たちだ。自分の後輩として親しみを感じていた彼らの姿が今日はない。ロミーは伏し目がちにため息をついた。


「はやり病でね、二人とも死んじまったよ。かわいそうだった。これからだっていうのに」


「そうか……」


 この時代珍しくない話だが、あれだけ元気だった少年たちが死んでいたことには心が痛む。芸に向き合っていた真面目さもあったが、運命は厳しい。


 目の前で演じられているショーに馬が一切出てこない。自分がやっていた芸を見られないと物足りなく感じる。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ロミーがボソッとつぶやく。


「代わりの人を見つけないと。誰かいないかねえ」


 ダヴィの頭にひらめいたものがあった。ここならば、彼を受け入れてくれるかもしれない。


 しかし本人の意志を聞かないといけないし、ハンディキャップがある彼をサーカス団は受け入れてくれるか。タイミングを見ることだ。


 このひらめきは彼の中に沈んだ。一国の王であるので、当然日々の仕事に忙殺されている。馬乗りの後継者など些末さまつなことに過ぎない。しかしある少年の未来を決めることを、彼の心の底に、宝石のように熟成されていった。


 ――*――


 その頃この同じ拠点内では、ある会談が開かれていた。この拠点が対峙しているゴールド国の使者が来訪して、この拠点の奥の小屋の中で待っていた。急ごしらえの木造の家とはいえ、絵画や花瓶、タペストリーなどが壁に飾られ、いくつか置かれたソファの下には緑色の厚めの絨毯じゅうたんが広がる。客を迎えるには十分に整えられている。


 使者は二人。ゴールド王に昔から仕える老臣シャキールと若い貴族ロングだ。彼らはソファに座って待っていた。ダヴィ王かジョムニら重臣が現れると考えていた。しかし現れたのは意外な人物。


「若君……」


「久しぶりじゃないか、シャキール、ロング」


 マセノが黒髪をひらりと舞わせて部屋に入ってきた。そして二人の前のソファに座る。使者二人は古くからゴールド国に仕えていて、当然王の息子であるマセノを知っている。ロングに至ってはマセノの遊び仲間だった。


(なんという皮肉だろうか)


 と使者たちは嘆く。敗北寸前の王国の交渉相手は、その王国の王子とは。交渉の段取りを入念に考えていた彼らの頭が一瞬真っ白になった。椅子から立ち上がって挨拶することも忘れて、喉の奥で唸る。


 マセノはというと、晴れやかな笑顔だった。生まれ育った母国と戦っている後ろめたさは見せず、長い脚を組んで深く座る。力が程よく抜けて、この空間を支配している。


(ゴールド国にいた時よりも余裕があるように見える)


 警戒する使者たちにマセノは聞いた。


「王はお元気かな」


 その言葉の真意を測りかねた彼らは無難な回答をする。


「お元気です。この状況でも全く動じず、民の安寧を考えられていらっしゃる」


「疲れを全く見せません。表情一つ変えずに平然と戦場を眺めておられます。我らがここに訪れる前にはこの書状をお渡しになられて、すぐに城内の巡回に戻られました」


「相変わらずの鉄仮面だな」


 とマセノはクスクス笑った。実の息子だから浮かべる微笑み。敵対しているとは思えないと使者は不思議ささえ感じた。マセノは毒気を抜かれた使者の一人のシャキールから王の書状を受け取り読む。


「領土の大半の割譲。属国化。あの人にとって大胆なことだ」


「左様にございます。この条件を是非ともダヴィ王にお伝え」「でもな」


 マセノは言葉をさえぎり、あろうことか書状をいきなり破り捨てた。


「な、なにをなさいますか!」


 使者は目を大きく見開き、若いロングは立ち上がって怒る。マセノは薄く笑った。


「考えてもみろ。クリア軍はすでに領土のほとんどを占領し、今は首都を包囲している。これは交渉でも何でもない。ただの現状追認だ」


「しかし! 由緒正しきゴールド国を一変させる大事な決定ですぞ」


「時代は変わったのだ」


 マセノはゆっくりと立ち上がった。そして小屋の窓から外を眺める。長い黒髪が風にそよぐ。使者たちにはその背中がなぜだか大きく見えた。


「クロス国やウッド国は滅び、ファルム国はかつての力を失った。ソイル国には女王が君臨している。そして、ここには奴隷出身の成り上がりの王がいる。古の黄金の七王国の姿はどこにもない」


「……ゴールド国も滅びる運命にあると?」


「ゴールド国だけではない。世界が一度滅びる運命にあるのだ。十年前なら、先ほどの数百年続いた国体を変えてしまう条件は英断と褒められただろう。そもそもこのような状況に陥ることもなかった。だが、時代は後戻りしない」


 兵士たちの活発に訓練している声が聞こえる。農民から徴兵した兵士ではない。専門職として雇われた者たちで、クリア軍の強力な中核を成している。これも十年前には考えられなかった存在だ。マセノは使者たちに振り返る。


「ダヴィ王の言葉をお伝えする。『我らが望むのは全面降伏のみ。それを断るなら、戦場でお目にかかろう』と」


「…………」


 彼らは沈鬱ちんうつうつむく。ゴールド国は誇りを捨てられるのか、その望みは少ないと直感する。その通りなら戦いは続くのだろう。ロングはわらにもすがる思いでマセノに聞く。


「マセノ様に両国の仲を取り持って頂くことは出来ないでしょうか」


「フフフ」


 軽やかに微笑んだマセノは胸に手を当ててゆっくりお辞儀する。


「クリア軍騎兵隊長であるマセノは、常にダヴィ王の隣にいる。もし野戦でお目にかかる日が来るなら、存分に我が腕前をご披露しよう。それが僕の今の役目だ」


 と言ってマセノは頭を上げる。落胆する二人に、今度は真剣な顔で伝えた。


「父に伝えてほしい。『あなたの息子は新しい時代にすべてを賭けました。あなたも覚悟を決めてください』と」

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