第37話『敗北者の意地』

 聖女様はこの国を見放した。使者として赴いた男たちが暗い表情をして戻ってきた時、ゴールド国の宮廷に仕える者は直感した。彼らが帰ってきたのは夕暮れ時。落ちる太陽が自国の運命と重なる。


 交渉が不首尾に終わり、薄暗い宮廷内の謁見の間でシャキールとロングは頭を下げて報告していた。こちらが出した精いっぱいの条件に対して、クリア国は全く耳を傾けようともしなかった。この空間で立ち並ぶ臣下たちに隠しきれぬ動揺が走る。


 この状況でも王は冷静だった。彼は立派な口ひげを少し動かした。


「ご苦労だった」


 それだけ言うと、身をひるがえして去ろうとした。窓からさした夕日の光に王冠が鈍く光る。シャキールはしわがれた声で呼び止めた。


「マセノ様から伝言がございます」


 王の足が止まった。半身だけ体を回して目を向ける。


「“様”など付けるな。裏切り者だぞ、あいつは」


「失礼をいたしました。しかし、その言葉は申し上げたく」


「話せ」


 シャキールは彼の強い視線を思い出しながら、似た目を持つ王に伝える。


「『覚悟を決めてください』と」


 宮廷内が再びざわつく。その言葉の意味をこの状況下で分からぬ者はいない。王はあえて聞き返す。


「戴冠して数十年。常に覚悟を持って国務を取り仕切っていた。これ以上、何の覚悟が必要だろうか」


「……『新しい時代に賭ける』と話されておりました。それ以上のことは分かりかねます」


「なんと失礼な!」


 という声が立ち並ぶ貴族の中から聞こえた。首都近郊の町を治めるグリニ公だ。まだ三十代の若い貴族で、今回の戦争では「ファルム国やソイル国の協力などいらぬ。我々だけで撃退できる」「領土深くまで引き込んで包囲・殲滅せんめつしろ」など、常に強硬な意見を発してきた。ここでもクリア国への憎悪を口にする。


「我らが古い存在だというのか、新参者めが! ダヴィは単なる奴隷出身の悪党ではないか」


「この言葉はマセノ様がおっしゃられたのですが」


「彼はダヴィの代わりに交渉に参加したのだろう。だったら同じことだ! 我らは馬鹿にされたのだ! 古めかしい滅ぼされるべき存在であると」


 臣下たちの中から「そうだそうだ」と同調する声が聞こえてきた。この籠城戦の継続を訴えるグリニ公と同じ強硬派のメンバーで、ダヴィへの怨嗟えんさの声がどんどん出てくる。


「このまま無条件降伏など出来るか! 一泡吹かせてやろう! 我らの意地を見せるのだ!」


 グリニ公の威勢の良い主張に、拍手と歓声が沸き上がる。降伏に傾いていた穏健派は黙ったままその様子を見ていた。いつの時代も調子のよい主張は受けがいい。ゴールド王の意見を待たず、彼の方針が宮廷を支配する。


「数百年の歴史を守ろうぞ! いざ、ゴールド国のために!」


 ――*――


 その夜、ゴールド王は内密にシャキールを呼んだ。王城の隅の一室でロウソクの光を見つめて、彼が来るのを待っていた。そして彼が入ってくると「疲れたところすまない」といたわりの言葉をかけつつ、直ぐに本題に入った。


「マセノはどんな様子だった」


 いつもの声質と異なる。彼が幼少の頃から仕えているシャキールは、国王としてではなく父親としての態度に代わっていることに気づいた。周りには敵国を批判する人はいない。シャキールは素直な感想を伝える。


「ご立派になられました。悩みが無くなって真っ直ぐな目をされていました」


「悩み……母親のことか、自分のことか」


「両方でしょうな。表情から暗さが消えました。途中で窓から兵士を眺めていましたが慈愛の目をされていました。私が見る限り、その兵士の中には異教徒らしき者たちも」


 シャキールは一瞬言葉を濁したが、はっきりと言った。


「この場におられたら、あなた様の良き後継者となられたでしょう」


「そうか……」


 他にも王子はいる。マセノと異母兄弟にあたる王子たちはいるし、対外的に後継者として公表している王子もいる。しかしマセノ以上の才能のきらめきを持つ者はいない。彼らは国を保つことに精いっぱいで、この国をより発展させられる人材ではない。マセノは臣民からも将来を嘱望しょくぼうされた人気者だった。だからこそ、余計に残念に思う。


「あの男に何を見たのだ」


 耳に金飾りをつるしたオッドアイの奇妙な外見をした成り上がりの王。彼の魔力に惑わされた息子は以前よりも立派になったという。


「覚悟か……」


 ――*――


 マセノの伝言に対するゴールド国の反応。それは全てダヴィたちに筒抜けとなっていた。会議室として作られた小屋の中に集まった彼らは、城内の様子が詳細につづられた書類を読み進める。


「さすがはオリアナ様。完璧な仕事ぶりですね」


 とジョムニが褒める。諜報担当の彼女の手の者は、籠城中のロドン城でも関係なく潜り込み情報を収集する。そしてこの書類のように、ダヴィたちに選別された情報をもたらす。彼女の的確な指示のおかげだろう。


「オリアナはどこだい? 褒めたいのに」


「それは……職務がお忙しいので」


 と話したのはダヴィの隣で直立して報告しているシンだ。長い黒髪を肩に垂らして、手を後ろに組んでいる。


(拗ねているのだろう)


 彼女が言葉を濁した理由をダヴィは察した。もちろん拗ねているのはオリアナだ。怒っているのはアンナ女王との約束のこと。真っ先に会談内容をつかんだ彼女は、ソイル国から帰ってきたルツを国境の街で出迎えた(さすがのルツも城門前で一人立っていた彼女を見た時、ゾッとしたらしい)。その街でルツと大喧嘩をした彼女は、シンに馬車を飛ばさせてダヴィに説得を試みたが、「どんな約束でも必ず守る」という彼の誠実さに負けて、誰にも言わずに姿をくらました。それでも兄のために仕事はしっかりと続けている。


「シンは二人の喧嘩を見ていたようだけど、どんな感じだった?」


「喧嘩、というよりは、ルツ様が一方的に言葉で攻め立てているようでした。オリアナ様は一言二言話すだけで、あとはじっと睨んでいたご様子で。でも、その夜ルツ様の悲鳴が急に上がって……駆けつけたら、ルツ様のベッドに大量のイモムシがばらまかれていて……泣きながら髪に付いたイモムシを取ってくれと泣いているルツ様を、暗い廊下の奥からクスクスと笑っているオリアナ様を見た時は、私も思わず……」


「ハハハ、子供の時と変わらないな」


 とダヴィは面白そうに笑うが、周囲の部下たちは顔を引きつらせていた。ライルとスコットは強面の顔を曇らせて「オリアナ様の前では真面目にしよう」「おいら、屁もこかない」と固く誓った。アキレスは代表して咳払いして話題を変える。


「それで、どうされますか。敵はまだまだ戦う様子です」


「いやいや、悩む必要はありませんよ。状況は私たちに有利に傾いています。オリアナ様の情報によれば、マセノさんの言葉に反発する者がいる一方で、文官たちを中心に無言だった者が半数近くいる。ゴールド王もその中に含まれる。降伏に近づいている証拠です」


 とジョムニは楽観視する。その上でダヴィに対して献策した。


「要はこの強硬派たちを排除すればいいのです。そうなれば残った人たちは勝手に降伏します」


「しかし、どうやって排除する?」


「すでに手は打っています」


 ジョムニは車いすの上から小屋の床を見た。外から舞い込んだ枯れ葉が落ちている。


「もうすぐ冬ですね」


 秋に始まった籠城戦はまだひと季節終えていない。しかし冬になれば兵士たちの士気は確実に低下する。時間をかけていれば、ファルム国がまた攻め込んでくるかもしれない。ソイル国が心変わりするかもしれない。そんな情勢でもダヴィの軍師・ジョムニは焦る様子は一切なく、悠々と宣言する。


「ご安心ください、我が王よ。ゴールド国の木々から最後の一葉が落ちる前に、かの国の王の膝は先に地面についています。数百年の歴史を持つ国の最後の叙事詩をお楽しみください」

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