第38話『奇襲に奇襲』

 人は朝日が昇る前に最も深い眠りに入るという。ゆえに最も油断している。古来より襲撃するには一番良い時間帯とされている。


「行くぞ」


 ロドン城の城門が静かに半分開く。東側の城門。城の西側に陣取るクリア軍には見えない位置からそろりと城から抜け出す。その数は千名。兵士たちが門をくぐっていく。松明は灯せない。暗い道を転びそうになりながら進む。


『クリア軍に天罰をくわえなければならない。城で眠りこけるダヴィを驚かせて、無条件降伏は撤回させなければ』


 グリニ公の熱い主張に拍手が沸いたのが数日前。善は急げと言わんばかりに、この日に出陣が決まった。長い籠城で気が滅入っていた兵士たちは待ちに待った戦いに高揚している。鼻歌を歌いそうになった兵士を、誰かが叱った。


 街の人々も静かに彼らを見送る。その中には兵士たちの家族も当然いる。無事に帰ることを祈る一方で、敵を打ち破ってくることを望む。冬近くなり肌が冷える夜明け前、兵士たちや街の人々の脳内に思い思いの歌が響く。クリア軍が知らない、ゴールド国に古くから伝わる歌が血の奥から聞こえてくる。この歌に眠る力が侵略者を打ち破るに違いない。今は折りたたんでいる数百年来伝わる旗も脈動している。この地を築いた先祖から受け継いだ旗を担ぎ、兵士たちは行く。


「ダヴィめ」


 闘志と憎しみが満ちた千人の男たちが進む。目指すはダヴィたちがいる陣。先ほど兵士たち全員とせん別の盃を交わしたゴールド王も彼らを見送る。


「勝てるでしょうか」


 とぼそりと呟いた側近を無視した。勝てるに決まっている。総大将である王が信じてやらなければ、彼らが救われないではないか。


 ――*――


 作戦は明快だ。敵の油断している方角から攻める。つまり城とは逆方向の西からクリア軍の陣を攻める。


「船を使う」


 と戦術はすぐに決まった。この低地に流れる無数の河川を進み、クリア軍に見つからないように迂回する。無数の河川が走るこの大地で戦ってきたゴールド軍が得意とする戦術だ。


(おそらくクリア軍には研究されている)


 とは気づいている。今回の作戦を立てた時に長老たちも危惧していたが、グリニ公たちはあえてこの作戦を取った。これが彼らの伝統であり、最も自信がある作戦で、祖国を守るこの戦いの主旨に適しているからだ。この方法を取れば聖女様やこの大地を築いた先祖の加護を得られると信じている。


 上記の作戦通り、事前に準備された小舟に乗り込み、操舵に手慣れた兵士がするすると船を進ませる。川の流れは遅い。ゴールド国からずっと西の川上の水が凍り始めた証拠だとある兵士はぼんやり感じた。


 グリニ公指揮下の五十名が先頭を行く。暗かった空が少し白くなった気がした。「急げ」と小声で叱咤しったする。夜が明けてしまえば作戦は失敗する。作戦が失敗したら、彼らは全員死ぬ。その覚悟と焦りはここにいる兵士たちは共有している。操舵を握る兵士は全身を使って船を全速力で進ませる。


 まだ着かないのか、と気をもんでいた矢先、憎き旗印が見えた。クリア軍の旗だ。月と太陽が描かれている。陣を囲う木柵や石壁が見える。西側まで囲っているではないか、と誰かが舌打ちした。


「落ち着け。予想の範疇はんちゅうだ。これだけ防御が厚ければ、その分この中にいる奴らは油断している。そこが狙い目だ」


 とグリニ公が言った。兵士たちは気を取り直して静かに頷く。若い貴族が自ら鎧を着込んで先頭に立っている。彼の存在や強気な発言は全員の士気を高めていた。


 小舟を止めてゴールド軍はゆっくりと陸地へ上った。隊列を組み直し、足音を押し殺してクリア軍の陣に進んでいく。朝露をたっぷりと含んだ川岸の草がくしゃりと音を立てるのを怖がり、誰もが大きく足を上げずに歩いた。


「俺たちが柵を壊す。静かになだれ込むべし」


 グリニ公は率先して敵陣に近づき、柵を地面から抜いていく。気づかれたら一瞬で殺されるのに率先していくあたり、血の気が多いのか献身的なのか。ようやく人が通れるルートが開かれて、グリニ公に手招きされた兵士たちがゆっくりと侵入する。クリア軍の旗印が彼らの頭上ではためいていた。


(静かだ)


 心は高揚している。いつ襲いかかられてもおかしくない状況で、槍を持つ手に汗がにじむ。しかしながら声が一切聞こえず、風の音しか聞こえない。ほぼ兵士全員がクリア軍の陣に入ったとき、ほぼ全員が疑問を感じた。


「俺たちは攻めかかったんだよな……?」


 空が白んできている。夜が明ける。


 ――その時、雄叫びが響いた。その音に取り囲まれ、ゴールド軍の兵士たちの体の芯まで貫く。


「なんだ!?」


 無数の足音が大地を揺らす。ゴールド軍の周りから一斉に野太い声が襲いかかる。静かな夜に突如巨大な太陽が出没したような雰囲気。松明に火をともす時間もなく、ゴールド軍は身を守るために固まる。


「退路がない!」


 と誰かの叫びが広がる。彼らが通ってきた抜け道が再び柵で閉じられていた。動揺するが逃げ場所もない。正体不明の声に囲まれて、味方同士で背中をつけあって恐怖に耐えている。


「悪く思うなよ」


 と柵を閉じた張本人が呟いた。グリニ公だ。後ろから車いすに乗ったジョムニが近づくと、グリニ公はひざまいた。


「ご苦労でした」


「お安い御用です。これでお役目御免でしょうか」


「はい。報酬は後ろの方に」


 グリニ公の笑顔が夜明け前でもよくわかる。ジョムニはやや冷ややかに、彼が褒美の金塊を受け取りに小走りで向かう姿を見送った。“一年越し”の集大成はうれしかろう。


(よく働いてくれたのは間違いないでしょう)


 彼はこの進攻が始まる前から裏切っていた。ゴールド国の伝統通り、貴族である彼も商売をしている。しかし商才は無いようで、投機に失敗して多額の借金をこしらえていた。そこに助けと誘いの手を出したのがジョムニだった。


 ジョムニは彼をゴールド国随一の強硬派に仕立て上げ、クリア国との全面対決へと焚きつける役割を与えた。その結果、穏便に事を進めたかったゴールド王の思惑から外れ、貴族や民衆は怒りに駆り立てられ、クリア国の進攻をむしろサポートしてしまったのだ。もし穏健さと従順さで対応されたら、流石に大義名分を無くして、クリア国はここまで攻められなかった。


 長いようで短かった。ジョムニは最後の指示を出す。


「旗と松明を掲げよ。降伏をうながすのです」


 クリア軍の旗と無数の松明の光が一気に広がる。戦場は急に夜が明けた。光のまぶしさに目がくらむゴールド軍に、ライルとスコットが呼びまわる。


「降伏しやがれ! もう勝ち目はねえぞ」


「取り囲まれてるぞお」


 退路もない。グリニ公もどこかへ消えた。周囲は大勢のクリア軍に囲まれている。しかし憎しみに燃える彼らはライルたちの誘いを蹴った。


「降伏などするものか! 隊列を組め! 突破する!」


 ゴールド軍は一斉に密集して方陣を形成した。盾を周りに並べて、その隙間から槍を突き出す。頭上にも盾を掲げる。盾と槍で隊全体を囲んだ、まるで亀のような陣形が出来上がる。平地が多く、国土防衛を目的としたゴールド軍ならではの最強の守りの形だ。


「前進!」


 掛け声と共に陣がゆっくりと動き出す。巨大な塊となった彼らに、クリア軍はたじろいだ。ジョムニはあえて手を出すなと命令して、彼らがゆっくりと陣を抜けるのを見送る。


「おいおい、なんで包囲を解くんだよ!」


「あれがゴールド軍得意の陣形ですか。なるほどなるほど」


 ライルが抗議するのを無視して、戦術家としてジョムニは感心する。耳学問より実物を見るのはやっぱり良いものだ。ライルはひげ面を大きくしかめる。


「このまま逃がしていいのかよ! だんなに怒られちまうぜ」


「そうだそうだ」


「それを言うなら、説得できると胸を張っていたあなたたちもでしょう。むしろ怒らせてしまった」


「それは、なあ……。うまくいくと思ったんだよ……」


「おいらたちじゃ迫力なかったかねえ」


 もごもご言い訳する彼らに、フフフとジョムニは笑った。大人びた微笑を浮かべる。


「安心してください。みすみす逃がすつもりはないですよ。逆に利用してやります」


「利用?」


「出番ですよ」


 ジョムニの後ろから現れたのは、長い黒髪を故郷の風に舞わせて、涼しげな表情をしている男だった。敵国の王子、今ではダヴィ軍の軽騎兵隊長となった美しき面立ちの持ち主。


 車いすに乗るジョムニの肩に手を乗せて、マセノは言った。


「任せてくれ。僕の役割をはたすよ」

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