第3話『神の子の行方』
血の匂いが部屋中に充満していた。ダヴィはマズいと感じた。
「危ないのか」
と医師に尋ねると、彼は難しい顔をしている。正直に答えた。
「血が流れ過ぎています。魂と肉体のつながりが切れかけています」
「なんとか助けてくれ。彼を失うわけにはいかない」
彼らの見つめるベッドの上で、ダボットが
ダヴィの隣には、ミュールとオリアナがいた。ミュールは傷が溢れる顔を何度もしかめる。
「俺のせいだ……俺が、もっと早く、来ていたら……」
「君のせいじゃない。悪いのは、ハリスとかいう連中だ」
と言って、ダヴィはチラリとオリアナを見た。オリアナは頷いて、答える。卵型に整えた茶色い髪が、微かに揺れる。
「彼らは……敵国から来た刺客では……ない……」
「何者なんだ?」
「分かりません……強いて言うなら……」
オリアナは断言する。
「狂人」
ミュールもその意見に賛成した。
「ゼロの生まれ変わりなんて、正気じゃねえよ。鼻垂れた子供でも言わねえ」
「乱世だな」
乱世の申し子であるダヴィが、そのように愚痴を言う。今までの秩序や常識が崩壊したこの時代、手段を選ばずにのし上がる人もいるのだろう。
ダヴィはハリスを許すわけにはいかない。血まみれのシーツに包まるダボットを見ながら、静かな怒りを燃やす。
「オリアナ、奴らの探索を頼む」
「はい……」
「ミュールは国境を封鎖してくれ。奴らを逃すな」
「分かりました!」
「俺たちが出来るのはこのくらいだ。あとは……」
ダヴィはダボットを見つめる。彼のオッドアイに哀愁が漂う。
「彼の生命力に期待するしかない」
ダボットは生死をさまよった。ただでさえ血が足らない上に、
「ぐわああああああああああ!!」
手術の日、ダボットの断末魔がミラノス城の一角に響いた。このまま死なせた方が良いのではと、その声を聞いた者は思った。
だが、ダボットは生きた。その時の日々を、彼は後に振り返る。
「何度も聖女の手が伸びてきて、振り払い続けた。その度に激痛が襲うのだ。誘惑に負けそうになった。死を拒むのが辛かった。そうして、生きる意味を始めて知った」
長い昏倒を続けた後も、彼はしばらくの間起き上がることが出来ず、戦線から離れることになった。
――*――
ダヴィから指名手配を受けたハリスたちは、街に入ることもできず、野をさまよう。
姿見が他の二人に比べて平凡なマリアンが、街に潜り込んで、状況を確認してきた。ハリスの傍に近寄り、首を振る。
「駄目ですね。どの町もハリス様の話でもちきりです」
「悪い意味でか」
「悪い意味で、です」
とマリアンはペトロに返答する。ペトロは大きな頭をポリポリかいた。後ろでまとめた紙が揺れる。
ハリスは金色の髪を抱えて、切り株に座り、うなだれる。
「俺のせいだ……」
カッとなって、ダヴィの部下を惨殺した。そしてダボットという高官の腕を切り落とした。指名手配されて当然だろう。聖子女と会うという目的とは真逆の結果となり、彼は失意に落ちた。
そんな彼を、マリアンとペトロは慰める。
「ハリス様は悪くありません! 辱められて、立ち上がらないのは、奴隷の心を持つ者です。人の上に立つべきハリス様は激して当たり前でしょう」
「あの官吏が無礼だったのだ。それを咎めて何が悪い」
「…………」
ミラノス城の前での惨劇から、もう数日が経つ。それからというもの、ハリスは何度も反省し、二人に何度も励まされる。
その声を聞きながら、ハリスはぼそりと呟いた。
「あのままだったら、捕まっていた……」
マリアンとペトロがハッと気が付く。
「その通りです! あの愚かな老人は私たちを捕まえていたでしょう!」
「ハリス様はそれに気づいて、我らを助けてくれた。やはり、素晴らしいお方だ」
「ああ……そうだ。そうだとも……」
ハリスはようやく立ち直る。彼の青い瞳を天に向けた。
「前を向こう。終わったことだ。仕方ない」
「はい、その意気です」
マリアンが微笑む。頬のそばかすが彼女の笑みを飾る。彼女が同性愛者でなければ、鍬になっているところだ、とハリスは思った。
さて、これからどうするか。ハリスは参謀役の彼女に尋ねる。
「どうしようかな。まだ聖子女様に訪問してみる?」
「我らの武勇があれば、無理にでも」
「ペトロ、無茶を言わないで。ハリス様、ミラノス城はきっと、これ以上ないほど警備を強化していることでしょう。それに近づくのは自殺行為です。このままダヴィの国に留まることすら危険でしょう」
「なら、国境を越えるのか」
「そうよ」
マリアンは枝を拾って、地面に絵を描いた。自分たちがいる地域の地図だ。
「ダヴィ王の国は大きく広がっています。北と東はスイスト山地まで。西はドーナ川まで。そして南はウッド国の国境まで。しかも侵攻中です」
「これをこの数年でか。凄いなあ」
とハリスが素直に感心すると、マリアンがたしなめる。
「ハリス様はもっと大きな夢を持たれないと。いずれは世界を導いて頂かないといけないのですから」
「そ、そうか」
「それで、どうする。比較的目が届きにくい山地を越えて、ゴールド国に行くか」
「それは駄目ね。旧クロス国の北部はダヴィ王の旗揚げの地。民衆の忠誠心は高く、こちらこそ監視が厳しいわ。だから――」
マリアンは枝で矢印を描く。それは西へと伸びている。
「ドーナ川を越えて、ファルム国に行きましょう。ここは旧クロス国に次いで、信仰心豊かな人々が多い地域です。ハリス様のお姿を見れば、感銘を受けること間違いないでしょう」
しかも、とマリアンはニヤリと頬を緩める。
「ファルム国は政争が発生して、乱れていますわ」
――*――
彼らには本当に聖女の加護があるのかもしれない。国境を閉鎖し、オリアナが総力を挙げて追跡しても、彼らの姿は見つからなかった。
「消えた」
恐縮する部下の報告を聞いて、オリアナは呟く。彼女はハリスたちがファルム国に向かうと察していた。だからこそドーナ川を渡らせまいとして、蟻の巣を探すように、細かく調査した。
部下は平伏して答える。
「どこにも痕跡がありません。奴ら、悪魔の技を使ったとしか」
「……私が」
オリアナは部下を
「私が、悪魔に、負けるとでも……?」
「い、いえ、それは」
「もっと……探して……」
部下は飛び去った。オリアナは手配書の似顔絵を見つめる。こんな特異な姿で、見つからないはずがない。
「本当に……何者……」
その頃、ハリスたちは“奇跡的に”ドーナ川を渡っていた。そしてファルム国の首都・ウィンにたどり着き、王宮へと訪ねた。
「なに? ゼロの生まれ変わり?」
「はい。金髪碧眼の男が来ました。どう見ても、本当に、青い目をしているのです。いかがしましょうか。どうにも対処ができず……」
「馬鹿なことを。追い返せ! もしくは捕まえよ!」
走り出そうとする衛兵の足を、一人の男が手を上げて止めた。椅子に座る初老の男は、ぼそぼそと呟く。
「ここに招け」
「何をおっしゃいますか! そのような詐欺師のような連中を」
「信仰心篤い儂に、聖女様が遣わした者かもしれない」
彼がいる自室には、所狭しと聖女像が飾られていた。大小様々な像の瞳が向けられる中で、この半年で十歳も老けた男、ファルム王・ルドルフ7世は、手を合わせながら言う。
「この国の困難を打ち払う者に違いない。ここに招くといい……」
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