第3話『神の子の行方』

 血の匂いが部屋中に充満していた。ダヴィはマズいと感じた。


「危ないのか」


 と医師に尋ねると、彼は難しい顔をしている。正直に答えた。


「血が流れ過ぎています。魂と肉体のつながりが切れかけています」


「なんとか助けてくれ。彼を失うわけにはいかない」


 彼らの見つめるベッドの上で、ダボットが苦悶くもんの表情で横たわっていた。眠り薬でようやく落ち着いたが、脂汗が止まらない。


 縫合ほうごうされた、短くなった左腕が、痛々しく見える。


 ダヴィの隣には、ミュールとオリアナがいた。ミュールは傷が溢れる顔を何度もしかめる。


「俺のせいだ……俺が、もっと早く、来ていたら……」


「君のせいじゃない。悪いのは、ハリスとかいう連中だ」


 と言って、ダヴィはチラリとオリアナを見た。オリアナは頷いて、答える。卵型に整えた茶色い髪が、微かに揺れる。


「彼らは……敵国から来た刺客では……ない……」


「何者なんだ?」


「分かりません……強いて言うなら……」


 オリアナは断言する。


「狂人」


 ミュールもその意見に賛成した。


「ゼロの生まれ変わりなんて、正気じゃねえよ。鼻垂れた子供でも言わねえ」


「乱世だな」


 乱世の申し子であるダヴィが、そのように愚痴を言う。今までの秩序や常識が崩壊したこの時代、手段を選ばずにのし上がる人もいるのだろう。


 ダヴィはハリスを許すわけにはいかない。血まみれのシーツに包まるダボットを見ながら、静かな怒りを燃やす。


「オリアナ、奴らの探索を頼む」


「はい……」


「ミュールは国境を封鎖してくれ。奴らを逃すな」


「分かりました!」


「俺たちが出来るのはこのくらいだ。あとは……」


 ダヴィはダボットを見つめる。彼のオッドアイに哀愁が漂う。


「彼の生命力に期待するしかない」


 ダボットは生死をさまよった。ただでさえ血が足らない上に、縫合ほうごうされた左腕が炎症を起こした。医師は決断して、彼の左腕をより短く切ることにした。大手術だ。左腕の肘を丸ごと切り落とす。


「ぐわああああああああああ!!」


 手術の日、ダボットの断末魔がミラノス城の一角に響いた。このまま死なせた方が良いのではと、その声を聞いた者は思った。


 だが、ダボットは生きた。その時の日々を、彼は後に振り返る。


「何度も聖女の手が伸びてきて、振り払い続けた。その度に激痛が襲うのだ。誘惑に負けそうになった。死を拒むのが辛かった。そうして、生きる意味を始めて知った」


 長い昏倒を続けた後も、彼はしばらくの間起き上がることが出来ず、戦線から離れることになった。


 ――*――


 ダヴィから指名手配を受けたハリスたちは、街に入ることもできず、野をさまよう。


 姿見が他の二人に比べて平凡なマリアンが、街に潜り込んで、状況を確認してきた。ハリスの傍に近寄り、首を振る。


「駄目ですね。どの町もハリス様の話でもちきりです」


「悪い意味でか」


「悪い意味で、です」


 とマリアンはペトロに返答する。ペトロは大きな頭をポリポリかいた。後ろでまとめた紙が揺れる。


 ハリスは金色の髪を抱えて、切り株に座り、うなだれる。


「俺のせいだ……」


 カッとなって、ダヴィの部下を惨殺した。そしてダボットという高官の腕を切り落とした。指名手配されて当然だろう。聖子女と会うという目的とは真逆の結果となり、彼は失意に落ちた。


 そんな彼を、マリアンとペトロは慰める。


「ハリス様は悪くありません! 辱められて、立ち上がらないのは、奴隷の心を持つ者です。人の上に立つべきハリス様は激して当たり前でしょう」


「あの官吏が無礼だったのだ。それを咎めて何が悪い」


「…………」


 ミラノス城の前での惨劇から、もう数日が経つ。それからというもの、ハリスは何度も反省し、二人に何度も励まされる。


 その声を聞きながら、ハリスはぼそりと呟いた。


「あのままだったら、捕まっていた……」


 マリアンとペトロがハッと気が付く。


「その通りです! あの愚かな老人は私たちを捕まえていたでしょう!」


「ハリス様はそれに気づいて、我らを助けてくれた。やはり、素晴らしいお方だ」


「ああ……そうだ。そうだとも……」


 ハリスはようやく立ち直る。彼の青い瞳を天に向けた。


「前を向こう。終わったことだ。仕方ない」


「はい、その意気です」


 マリアンが微笑む。頬のそばかすが彼女の笑みを飾る。彼女が同性愛者でなければ、鍬になっているところだ、とハリスは思った。


 さて、これからどうするか。ハリスは参謀役の彼女に尋ねる。


「どうしようかな。まだ聖子女様に訪問してみる?」


「我らの武勇があれば、無理にでも」


「ペトロ、無茶を言わないで。ハリス様、ミラノス城はきっと、これ以上ないほど警備を強化していることでしょう。それに近づくのは自殺行為です。このままダヴィの国に留まることすら危険でしょう」


「なら、国境を越えるのか」


「そうよ」


 マリアンは枝を拾って、地面に絵を描いた。自分たちがいる地域の地図だ。


「ダヴィ王の国は大きく広がっています。北と東はスイスト山地まで。西はドーナ川まで。そして南はウッド国の国境まで。しかも侵攻中です」


「これをこの数年でか。凄いなあ」


 とハリスが素直に感心すると、マリアンがたしなめる。


「ハリス様はもっと大きな夢を持たれないと。いずれは世界を導いて頂かないといけないのですから」


「そ、そうか」


「それで、どうする。比較的目が届きにくい山地を越えて、ゴールド国に行くか」


「それは駄目ね。旧クロス国の北部はダヴィ王の旗揚げの地。民衆の忠誠心は高く、こちらこそ監視が厳しいわ。だから――」


 マリアンは枝で矢印を描く。それは西へと伸びている。


「ドーナ川を越えて、ファルム国に行きましょう。ここは旧クロス国に次いで、信仰心豊かな人々が多い地域です。ハリス様のお姿を見れば、感銘を受けること間違いないでしょう」


 しかも、とマリアンはニヤリと頬を緩める。


「ファルム国は政争が発生して、乱れていますわ」


 ――*――


 彼らには本当に聖女の加護があるのかもしれない。国境を閉鎖し、オリアナが総力を挙げて追跡しても、彼らの姿は見つからなかった。


「消えた」


 恐縮する部下の報告を聞いて、オリアナは呟く。彼女はハリスたちがファルム国に向かうと察していた。だからこそドーナ川を渡らせまいとして、蟻の巣を探すように、細かく調査した。


 部下は平伏して答える。


「どこにも痕跡がありません。奴ら、悪魔の技を使ったとしか」


「……私が」


 オリアナは部下を一瞥いちべつする。彼らの顔が青ざめる。


「私が、悪魔に、負けるとでも……?」


「い、いえ、それは」


「もっと……探して……」


 部下は飛び去った。オリアナは手配書の似顔絵を見つめる。こんな特異な姿で、見つからないはずがない。


「本当に……何者……」


 その頃、ハリスたちは“奇跡的に”ドーナ川を渡っていた。そしてファルム国の首都・ウィンにたどり着き、王宮へと訪ねた。


「なに? ゼロの生まれ変わり?」


「はい。金髪碧眼の男が来ました。どう見ても、本当に、青い目をしているのです。いかがしましょうか。どうにも対処ができず……」


「馬鹿なことを。追い返せ! もしくは捕まえよ!」


 走り出そうとする衛兵の足を、一人の男が手を上げて止めた。椅子に座る初老の男は、ぼそぼそと呟く。


「ここに招け」


「何をおっしゃいますか! そのような詐欺師のような連中を」


「信仰心篤い儂に、聖女様が遣わした者かもしれない」


 彼がいる自室には、所狭しと聖女像が飾られていた。大小様々な像の瞳が向けられる中で、この半年で十歳も老けた男、ファルム王・ルドルフ7世は、手を合わせながら言う。


「この国の困難を打ち払う者に違いない。ここに招くといい……」

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