第2話『口はわざわいの元』

「何者か、言え」


 高圧的に尋ねてくるダボットに、ハリスは眉間にしわを寄せる。


「なんだよ、この爺さん」


 ダボットは鼻で笑う。


「なるほど、人を見た目でしか判断できない者か」


「なに!」


「ハリス様、落ち着いて。恐らくダヴィ軍の高官でしょう」


 となだめるマリアンは、彼を知っている。このミラノス城は聖子女の住まいだが、同時にダヴィの本拠地でもある。彼らの妨害が入ることは確実で、当然、彼女はダヴィ軍を調べていた。


(ダボット=エック。ダヴィ軍の参謀の一人で、ジョムニ=ロイドと並ぶ戦略家……厄介な人物が出てきましたわね)


 マリアンは茶色い長い髪を撫でる。長い旅で傷ついた毛先が、ちくりと手の皮に刺さる。


 彼女の懸念の一方で、ペトロと呼ばれた大男が、黒い刺繍の奥にある目から敵意を向けながら、ダボットに怒鳴る。


「この方をどなたと心得る! 伝説の“ゼロ”の生まれ変わり、ハリス=イコン様だ!」


「ほう」


 ダボットは全く動揺しない。そしてさっさと近づき、無遠慮にジロジロとハリスの顔を眺める。ペトロよりも背が高いハリスは、下から顔を覗き込まれ、不機嫌そうに視線をそらした。


 ダボットは黒いあごひげを撫でて、珍獣を見るような目をする。


「確かに、目は本当に青いようだな」


 マリアンが即座に反応する。


「そ、その通りです! この美しき瞳こそ、ハリス様が“ゼロ”の生まれ変わりである証拠。何の疑いがありましょうか」


「そうか……」


 とダボットはマリアンに向けていた目を、またハリスに戻す。そして冷たい声で尋ねた。


「お前は何をした」


「は?」


「人を助けたのか。敵を倒したか。この世界に対して、何を貢献したのか」


 ハリスは一歩のけぞる。ペトロが目じりをつり上げて、代わりに答えた。


「何を不躾ぶしつけに言うか! 今見ただろう! ハリス様は手のひらを光らせる奇跡の所業が……」


「それを使って、何ができる」


 ダボットは見た目にごまかされない。むしろ姿見を美しく取り繕い、空虚な中身を隠そうとする輩が大嫌いだった。


 目の前の青年は、その嫌いな匂いがした。


「聞け。聖子女様は毎日欠かさず世界の安寧を祈り続け、そして苦しむ人々の心の声に耳を傾けている。聖女様を冒涜ぼうとくする者に敢然と立ち向かい、命の危機を顧みず、正しき教えを守ろうとしている。何もしていないお前が、お会いできる相手だと思うか」


「それは、これから、その助けになろうと……」


「だったら、それを証明してから、会いに来ることだ」


 ダボットの脳裏には、自分の主君・ダヴィの姿が思い浮かんでいる。彼は容姿は普通で、腕力も無く、元奴隷という身分から、ここまで這い上がってきた。教皇や貴族たちを排除して、新しい国を作ろうとしている。


 それに比べて、このハリスという男は、なんと甘い考えを持っているのか。自分の容姿がゼロと似てるからと言って、それを特権と感じる甘さに、ダボットは苦々しい感情を表す。


 ダボットは人差し指を向けて、ハリスにとげとげしい言葉を突き刺す。


「立ち去れ。聖子女様にお会いできる相応しい功績を立てるまで、二度と来るな」


 兵士たちはダボットの周りに集まる。まだハリスの顔をじろじろ見ているが、先ほど抱いていた妄想は解けて、ハリスたちを不審と見る目に変わった。


 マリアンは内心舌打ちする。ここは退くべきだろう。


「ハリス様、仕方ありません。また後日来ましょう……」


「ちょっと、待てよ」


 ハリスは荒い感情がこもる声を出した。それに応じて、ペトロも前に出る。


 彼らはダボットを睨みつける。マリアンが袖を引くも、言うことを聞かない。


「なんでそんなことを、いきなり言われなくちゃいけないんだ。あんた、そんなに偉いのかよ!」


 青い瞳で睨まれ、周りの兵士たちは怯える。だが、ダボットは冷たい目を崩そうとしない。


 彼はあしらって、この場を収めようとした。しかしながら、この異様な男はおそれを知らない。その点でも特異な人物だ。


(もしかすると、このまま見逃せば、人心をもてあそぶ詐欺師になるかもしれない。この場で処理するべきか)


 と決意して、ダボットは隣にいた兵士に目配せする。そして彼らが槍を持ち直したのを見てから、ハリスにゆっくりと話しかける。


「聖子女様にお会いするには、資格が必要だ。一般市民には面談の許可は与えられない。それは分かるかな?」


「俺は一般市民じゃねーよ! 見ろ、この姿を! あんたが言う資格がこれじゃないのかよ」


「違う」


 不穏な空気を察知して、他の場所にいた兵士たちも集まってきた。マリアンが怯えて声を上げる。


「ハリス様、一旦退きましょう! ここはこらえてください」


 しかしハリスの怒りは静まらない。自分よりも明らかに弱そうなのに、高圧的にものを言う若禿げ男にいら立つ。


「じゃあ資格って何だよ! 盗賊百人殺せばいいのか? 奴隷百人解放すればいいのかよ」


「浅はかな」


 ダボットは冷笑する。この表情もハリスを怒らせる罠だった。


 そして彼はハリスの浅薄な論弁にとどめを刺す。


「周囲に認められること。そして尊敬を集めること。これこそが資格だ。やみくもに暴れまわり、手前勝手な功績を上げて満足している連中に、聖子女様との面談の機会は与えられないだろう」


「そんなことすぐには……」


「すぐに出来るはずがない。時間をかけて、多くの人から慕われる人物になれば、聖子女様の方から会いたいと願われるだろう。お前は何をした? その不思議な姿だけで、民衆を惑わしているだけではないのか?」


「…………」


「所詮、今のお前は、その顔を捨てたら、誰からも見られない男だ」


 それを聞いた途端、ハリスの顔に血が上る。彼はマントの下から剣を取り出した。マリアンが必死に止める。


「ハリス様、いけません! ここで騒動を起こしては」


「うるさい!」


 ハリスは剣を引き抜き、さやを捨てた。この瞬間を、ダボットは待っていた。


「この者たちを捕らえろ!」


 兵士たちが一斉に飛びかかる。十人以上の槍を振りかざす男たちが、ハリス一人を打ちのめそうとする。


 ところが、ハリスはただ者ではなかった。


「邪魔するな!」


 感情をむき出しにするにも関わらず、ハリスの身体はしなやかに動いた。槍どもの乱れ突きを軽やかにすり抜け、一人、また一人と斬り捨てる。まるで兵士たちにはやし立てられ、ハリスが躍っているようだ。


 彼の周りに、血の花が舞う。


「なんだと!」


 ダボットは予想外の展開に、彼らしくもなく焦る。ここで彼は一目散に逃げるべきだったろう。だが、この事態を引き起こした責任が、彼の足にかせを付けた。


 もう一人の大男、ペトロも暴れる。ハリスの攻撃が蝶の舞だとすれば、彼のは熊の食事のようだ。視界に入る敵を、大きな腕で掴んだ剣でミンチにする。ダヴィ軍の兵士たちの悲鳴が、ミラノス城の前で轟いた。


 そして、ついに、ハリスはダボットの姿を捉えた。


「俺に指図するな!」


「グッ」


 ダボットは無駄と知りながら、剣を掲げて攻撃を防ごうとする。ハリスの剣は、ためらわない。


「はあ!」


 鮮やかな手並みだった。彼は一瞬何が起こったか、分からなかった。


 ダボットが我に返ると、自分の身体は地面に転がっており、左腕から鮮血が飛び出していた。


 そして彼の左腕の先は、遠くへ飛んでいた。


「はっ……ぐっ……」


「ダボット!」


 ミュールが叫びながら、手勢を率いて現れた。痛みに耐えて、うめき声を堪えているダボットを助けようと、ハリスに襲いかかる。


 その攻撃を、ペトロが受け止めた。


「どけ!」


「無礼な」


 ハリスに攻撃をしかける者は許さない。ペトロは怒りの炎を目に表しながら、ミュールと激しく戦った。


 その一方で、ハリスは立ち尽くしていた。荒い息のまま、うめくダボットの姿を見つめる。


 そして彼は血まみれの剣を手放した。


「うわああああああああ!」


「ハリス様!」


 頭をかきむしり、ハリスは悲鳴のような声を上げた。全身に鳥肌が立つ。黄金の髪が小刻みに震えた。


 痛みをこらえるダボットの耳に、ハリスのかすかな声が聞こえる。


「僕は悪くない。僕は間違っていない。正しい。僕は絶対正しい……」


 マリアンがすぐに駆け寄る。そして彼の腕を取って、優しく語りかけた。


「ハリス様、心鎮まられましたか。一旦、この場を去りましょう」


 ハリスは俯いたまま素直に頷く。そして小柄なマリアンに引っ張られて、城門から逃げて行く。


 ミュールは追いかけようとする。


「待て!」


「いいのか、そのまま放っておいたら、こいつは死ぬぞ」


「なに!」


 ペトロに気づかされて、ミュールはダボットを見た。左半身を中心に血の池を作る彼は、明らかに瀕死の状態だ。


 ミュールは下唇を噛む。彼の傷だらけの顔が一層人相が悪くなる。


「くそっ」


 ペトロはフッと鼻で笑って、ハリスの後を追った。兵士たちは自分の力量を悟り、彼らを追おうとしなかった。


 ミュールはダボットに止血をほどこしながら、三人の後姿を睨みつける。そして周りを叱りつける。


「ぼさっとしてんな! 周りの連中かき集めて、奴らを追うんだ」


 ところが、ダヴィ軍は彼らを見失った。あの目立つ三人を見つけられないなど、それこそ“奇跡”と言えるだろう。


 夏の匂いが残る初秋。穏やかな雲が浮かぶ。ダボットは薄らぐ意識の中で、その流れる雲を見た。


 この、まるで突然の雷撃に会ったような惨劇が、ダヴィの最悪のライバル・ハリス=イコンが、初めて歴史に名を刻んだシーンとなった。

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