第1話『靴磨きの青年』

 金歴548年、秋が訪れていた。山は段々と赤く染まり始め、トンボが山から街に降りて来る。レンガで出来た街に、紅色の落ち葉が舞うようになり、人々はもう冬の気配を感じ始めている。


 秋は町に人が出る季節でもある。


 夏の間、領内で春小麦の収穫作業にかかりきりだった農民たちの冬支度のために、行商人たちが街に仕入れに訪れる。今年は豊作だったこともあり、街は活気づいていた。そして貴族や騎士たちも、徴収した小麦や農作物を売り払うついでに、買い物や観劇のために馬車を大きな町へと向かわせた。


 もちろん、その従者も街に行く。


「まったく、冗談じゃねえぜ」


 従者の一人が石畳の道を歩きながら、ぶつぶつ呟く。彼は主君と一緒にパーティーに呼ばれたというのに、屋敷に通してもらえなかった。


 靴が汚れていたのが理由だ。


「あの泥道を通っていたら、靴ぐらい汚れるだろう。俺も馬車に乗れってか?」


 文句が絶えない彼は、主君に命じられて、靴を磨いてもらうために街角をさすらう。


 しばらく歩いていると、やっと靴磨きのセットの前にしゃがむ青年を見つけた。


「おい、ちょっと頼むぜ」


「はい」


 男は用意された椅子にドカリと座り、イライラしながら自分の靴がキレイになるのを待った。


 ところが、彼は異変に気がつく。


(なんだ、こいつ?うまいじゃねえか)


 靴にこびりついた泥を素早く落としながらも、彼の足に負担がかからない繊細なタッチで進め、まるで撫でられているような心地よい感覚に襲われる。彼の使い古した革靴が、新品の頃の輝きを取り戻していく。今まで、この街では味わえなかった技術だ。


 左右の目が違う。緑と赤の、不思議な目をしている。確実に、自分が見たことのない青年だ。


「おい、あんた。ここの街のもんじゃねえだろ。どこから来たんだ?」


「西からです」


「西?ああ、ウォーター国か。あそこはごたごたしていたからな。そこから逃げてきた口か」


「そんなところです」


 おしゃべりをしながらも、靴磨きの作業は進む。あっという間に光り輝く革靴が現れた。すっかり気分が良くなった客の男は、少し多めの報酬を渡しながら、靴磨きの青年を褒める。


「あんた、いい腕しているよ。この街ならすぐに一番人気になる」


 両耳にぶら下がった金の輪が輝く。その靴磨きの青年は、頭を下げる。


「ありがとうございます!頑張ります!」


 一時はシャルル王子の右腕として名声を集めたダヴィ=イスルは、異国の地ファルム国にて、一介の靴磨きに戻っていた。


 ――*――


 サーカス団の宿舎で待っていたのは、エラの泣き声だった。


「ああ、ダヴィ!やっと帰ってきた。遅いじゃないか!」


 ダヴィがテントに入ると、エラを抱きかかえるジャンヌが振り返る。ジャンヌがゆさゆさと揺らしても、彼女は大声で泣き続けていた。ジャンヌは茶色の三つ編みを振り回しながら焦っている。


「ジャンヌじゃダメなのかな?」


「なに言っているんだい!じゃあ、あんたがやりなよ」


 ホラ、とエラを渡されて、今度はダヴィが彼女を抱く。すると、彼の耳飾りに興味を示して、彼女は泣き止んで、それで遊び始める。それを見て、ジャンヌは拗ねた。


「なにさ!どうせ、あたいはガサツですよーだ」


「でも、痛いけどね。いたたたた……」


 耳飾りを引っ張られて、ダヴィは顔をしかめる。エラに気に入ってもらっているのは嬉しいが、こうやって容赦なく耳を引っ張られるのはたまらない。ダヴィは涙目になりながらも、耐えている。


 ジャンヌはそれよりも、とダヴィに尋ねる。


「ウォーター国の方はどうだって?町で聞いてきたんでしょ?」


「まだ追及が厳しいらしい。帰るのは難しそうだ」


「そっか。うーん……」


 ダヴィたちはパランで襲撃を果たした後、ロミーに頼み込んで、サーカス団に紛れ込ませてもらった。そして一緒に国境を脱出し、今はファルム国の西部の都市、ケランで公演している。


 先日、ファルム国とウォーター国で大きな戦いがあり、その後ジーン6世は退位させられた。しかし、シャルル王子派への厳しい目は変わっていない。


「即位したヘンリー二世は、シャルル様を殺したヘンリー王子の息子だ。シャルル王子を敵視するのは変わらないということだろう」


「色んな事があったから、もう忘れてくれてもいいのに」


 その時、テントの入り口から影が見えた。金色の髪をたなびかせた、このサーカス団の歌姫、トリシャだ。


「どうしたの?エラの泣き声が聞こえたけど、ぐずっているの?」


「ああ、さっきまではね」


「はいはい!あたいに子守りは似合わないのさ!」


 茶色の髪をかき上げ、ジャンヌはそっぽを向く。トリシャはクスリと笑って、ダヴィからエラを受けとって抱いた。彼女の膨らんできた胸に、ふわふわの金髪の頭を包まれ、エラは抱かれて落ち着いた。


「……やっぱり、おっぱいかなあ……」


 ジャンヌの呟きを、ダヴィは聞こえないふりをした。


 トリシャはエラに話しかける。


「エラ、ママって言ってごらん」


「トリシャ、それはちょっと……」


 主君であったシャルルの娘に対して、失礼だと感じる。しかしエラは微笑んで、たどたどしく言った。


「マ、マ」


「え!?」


「ダヴィ、この女はあんたがいない間に色々と仕込んでいたよ。もう手遅れさ」


「セリフを覚えさせるのは得意だからね」


 次にトリシャは華奢な身体を傾け、ダヴィの方にエラを向かせた。


「ほーら、パパですよー」


「トリシャ、勘弁してよ……」


「ふふふ、家族が出来たらこんな感じなのかしらね」


 新婚夫婦を演じて幸せにひたるトリシャ。その姿に、ジャンヌは「あきれた」と呟き、ダヴィは居心地悪そうに頬をかいた。


 そこへ、団長・ロミーが大股で入ってきた。彼女の黒髪は、この街で買った新しいスカーフが巻かれている。


「ああ、こんなところにいたのかい。ちょっと話し合いことがあるから……」


 その彼女に対して、トリシャはエラを向かせる。


「ほーら、ババですよー」


「はっ倒すよ!あたしはまだ30前さ!」


 ロミーはトリシャの頭に軽く拳骨をくらわした。エラがビクッと驚いて、金色の髪を震わす。


「まったく、新婚ボケも勘弁してほしいね」


「そ、それで、何の用なの?」


 頭をさするトリシャを放っておいて、ロミーはダヴィとジャンヌに命じた。


「明日からの警備体制を相談したいのさ。あんたの部下を呼んどいてくれよ」


「ねえ、やっぱりダヴィは公演には出れないの?」


 彼の馬の芸のファンでもあるジャンヌは尋ねる。ロミーは呆れながら首を振る。


「ここはまだウォーター国に近いんだ。お尋ね者を舞台に上げるわけにはいかないよ。あんたらにできるのは、せいぜい公演の警備だけさ。さ、早く呼んできな!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る