第26話『ワシャワ攻城戦 1』

 ワシャワの街がパニックに陥る。首都を包囲されるなんて、二百年以上はなかった事態だ。敵が目の前にいる信じられない出来事に、人々は何をしていいのか全く分からず、ただただ怯えている。


 そんな騒ぐ街に向かって、騎士が走り回りながら呼びかける。


「戦える者は武器を取れ! 陛下とこの国をお守りするのだ!」


 先の戦いで近衛軍は崩壊した。この街から出ていった壮年の兵士たちも戻っていない。残された少年や初老の男たちが仕方なく、なけなしの装備を取り、かろうじて軍の形を作った。


 だが、このワシャワはウッド国の中では大きいとはいえ、ファルム国の街に比べて、規模はそこまで大きくない。小高い丘の上に築かれているというだけで高低差も少なく、防御装備も多くない。万を超えるダヴィ軍に城門をいつ打ち破られるか、不安が募った。


 ところが、ダヴィ軍は意外な行動に出た。


「何をしているんだ?」


 城壁の上で眺める兵士たちが疑念の声を上げる。ダヴィ軍がすぐに攻めてくると思っていた彼らは全員揃って、眉間にしわを寄せて目の前の光景を見ていた。


 ダヴィ軍は武器の代わりに、城の周りに土と石を積んでいた。


「この戦いで重要なのは、ウッド王とその家族、そして教皇を逃さないことです」


 とジョムニが、この城の郊外で行われた軍議で主張する。見事な戦術でウッド軍を壊滅させた彼は、青いキャスケット帽をかぶり直し、油断のない鋭い視線をを飛ばす。


「ウッド王を逃せば、ウッド国で再起を図ることでしょう。そうなれば、いつまで経ってもウッド国を完全に支配することは出来ません」


「そう考えると、教皇も危険だね。あたいらの目的は教皇を捕まえることだし」


「その通りです。このチャンスを逃してはなりません」


「でもこのまま攻め込んだら、どさくさに紛れて逃げちまうだろう。どうするんだよ?」


 とミュールが腕を組みながら尋ねると、ジョムニは待ってましたと言わんばかりに答える。


「まずはこの城を閉じ込めるのです。ネズミ一匹出さないように“城の檻”を作ります」


 こうして始まったのが、ワシャワ城を取り囲むように、城壁を築くことだった。ジョムニは徹底して規模の戦略を駆使した。圧倒的な物量と資力で以って、ウッド国を圧死させようとしたのだ。


 再び自分たちの目の前で始まった工事に対して、ウッド王たちは指をくわえて見ているしかなかった。


「なぜ追い払わないのだ。奴らの城壁が完成してみろ。我々は頭上から矢を降り注がれ、そのまま“獄死”するしかない」


「それは無理だ。第一、兵力が足らない。下手をすると逆に攻め込まれて、そのままお陀仏だ。今なら辛うじて、敵の猛攻に耐えられる兵力はある」


「それでも、城壁頼みだろう。敵の城壁が出来たら、その優位性も失う」


「なら、どうすればいいのだ!?」


 ワシャワ城に立て籠もる貴族たちの間で激論が交わされる。その中からは奇抜な論も出てきた。


「今のうちにワシャワを脱出して、南へと逃げるべきだ! ダヴィが北に帰った時に、ワシャワを奪い返せばいい」


 と若い貴族が自慢げに主張したが、高位の貴族たちが睨みつけて黙らせた。ワシャワには歴代のウッド王たちの墓があるし、金獅子王の時代から受け継いできた宝物の数々が存在している。それはウッド王たちが金獅子王に仕えていたという、今の階級の根拠となる証拠品だ。


 年老いた貴族がその発言への答えとして、全員に断言する。


「我々は金獅子王以前の野蛮に戻るわけにはいかない。我々の伝統を失うわけにはいかない」


 そうは言っても、この状況は打開にしないといけない。悩みと混迷が貴族たちに渦巻く。


「さて、どうするか……」


 シン=アンジュは正装の鎧に身を包み、久々に宮城へと向かっていた。馬車の中から兵士たちが慌ただしく動く姿を見る。その素人丸出しの落ち着きのない姿に、顔をしかめた。


「私がいれば……いや、今言ってもしょうがないか」


 彼女は長い片刃剣を掴み、馬車を降りた。これから何を命じられるか、すでに察しはついていた。


「シン。お前に、ダヴィ軍打倒を命ずる」


 ひざまずいた彼女に対して、ウッド王は前置きも、謹慎処分への謝罪もなく、いきなり命令した。シンが顔を上げると、そこには目元がくぼんだウッド王が座っていた。隣にいるサンデルも心なしかやつれている。


(おいたわしい)


 と彼女の厚い忠誠心が、自分の主君の姿を憐れんだ。急に感情が高ぶることもあるが、いつもは心優しいウッド王だ。ダヴィとの戦いが始まる前は、東西の格差対立にめげることなく、粘り強く統治を行っていた。シンは尊敬していた。


 それが今や、腐った木のような陰気さを発して、玉座にいる。シンは再び頭を下げるふりをして、顔をそむけた。


 サンデルがいつも以上にしわがれた声を出す。


「城の外に脱出すれば、周囲の街にいる忠実な臣民を集めて、一軍作ることが出来るだろう。それでダヴィを追い払うのだ」


「そなたの父親は様々な貴族から信頼を得ていた。頼む! そなただけが希望なのだ」


 と弱々しく頭を下げるウッド王。シンはそんな姿を見たくないと、すぐに返事をした。


「ご命令承りました」


「おお、行ってくれるか!」


「一つ、お願いがございます。城を脱出するのは危険が伴います。この城には王族専用の脱出路があると伺いました。それを使わせてください」


「それは……」


 ウッド王は返事をしかねた。もしその脱出路が見つかってしまえば、自分が脱出できなくなるかもしれない。発見されるリスクを冒して、シンに使わせたくなかった。


 その王の底意を察して、サンデルがシンに言った。


「その脱出路は使わせられない。アンジュ家も歴史は古い。秘密の脱出路ぐらい持っているだろう」


 シンは顔を上げて、サンデルを思わず罵倒しそうになった。それを堪えて、グッと睨みつける。


「そのようなものは、持っておりません!」


 サンデルはその鋭い視線に顔を避けて、しれっと言った。


「ならば脱出する方法は自分で考えなさい。そのぐらいの知恵はお有りでしょう」


 ――*――


 新月の夜、星々も雲の上に消え、静かな闇はワシャワ城を取り巻く。まだまだ寒さが残る。もっと北から来たダヴィ軍の兵士たちも、かがり火に手を温めながら、ワシャワ城の動きに目を光らせていた。


 その最中、ワシャワ城から出ている細い排水路の一つを進むシンとその部下二人の姿があった。真っ暗な石造りの水路を、臭い生活排水に肩までつかりながら、ゆっくりと進む。息をするたびに、汚水が鼻孔にまとわりつく。思わずむせそうになり、部下の一人は鼻をつまみ、その拍子に水音を発した。


「音を出すな。敵に気づかれるぞ」


 シンは小声で部下に注意する。三人は呼吸を最低限にして、ゆっくりと濁った水の流れに合わせて進んでいく。


 やがて、外の光が見えてきた。


(出口だ)


 排水路の出口には鉄格子が設置されていた。シンたちはその一本をゆっくりと取り外し、その隙間から体を斜めにして抜き出て行った。


 その時、一人の部下の首に矢が突き刺さった。


「ぐっ……」


 彼の身体は矢が突き刺さったまま、汚水の中に沈んでいった。咄嗟に、シンは水の中に体を沈める。その彼女の頭上に、高い声が響く。


「逃がしはしないよ! あたいの矢を食らいな!」


 夜目が効くジャンヌはしっかりと捉えていた。ダヴィ軍の兵士たちも大声で呼びまわって、脱出者の位置を示す。


「くそっ!」


 もう一人の部下が排水路から飛び出た。そして剣を抜き、集まってきた敵兵たちに立ち向かう。しかし、水を吸い込んだ彼の衣服は重く、思うように動けない。ドロドロの状態のまま、彼は何本もの槍に貫かれ、やがて目の光を失った。


 ジャンヌの指示が飛ぶ。


「しっかりと排水路を調べるんだよ! 誰も逃がさないさ」


 水の中に沈んだもう一人の兵士の身体が引き上げられる。ダヴィ軍の兵士たちは排水路をくまなく探し、ジャンヌに報告した。


「その二人だけのようです」


「……いや、頭が三つ見えたはず。もしかしたら、もっと下流に行ったのかもしれない。この先を探すよ!」


 ジャンヌの命令に従い、兵士たちはウッド軍の兵士の死体を持って、下流へと向かった。


 辺りが再び静かになった。それを察して、シンがゆっくりと浮かび上がる。彼女は再び鉄格子をくぐり、城内の排水路まで戻っていた。元来の用心深さが彼女を救った。


 シンは排水路から水音を立てないように、ゆっくりと這い上がった。そして口の中に入った汚水をペッと吐き出し、近くの草むらに逃げ込む。そこで服を絞りながら、身代わりとなった部下たちのことを想う。


「すまん」


 彼女は低い姿勢のまま、ゆっくりと森を進み始めた。


 彼女の目から闘志はまだ消えていない。

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